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老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1325; 老いの季節

2019-12-21 12:02:01 | 病室から
3時34分の病室(時空間)

老いの季節

膀胱で尿が溜まった、と
脳細胞に信号が送られ
3時前に目が覚めた。

その後目が冴え眠れなくなった。
枕元の電球を点けたので
薄暗さの中でボ〜、としている。

思っていた以上に
抗酸菌の治癒は難題を抱え
抗酸菌治癒と傷む腎臓のバランスを
どうとるのか悩める。

この先どうなるか
元の躰に回復できるか
抗酸菌はしぶとく「たち」が悪いだけに
悩みが増えた


人間、老い、病いそして死を迎える(生老病死)
避けることのできない運命。
それは、もう生まれたときから始まっていた。

昔は老いの季節は短く
床に伏せてもそう長く家族の手を煩わせることなく
あの世に逝けた。

今は老いの季節は長くなり
デイサービスや介護施設では卒寿超えの老人はめずらしくない。

老い病み床に伏せたとき
他人(ひと)はどんな死に方を欲しているか
これからは生き方と同じく死に方も自分で決めていきたい

そう思いながら、
いま在宅で床に伏せている老人
生活のなかで「できる」ことが先細りし
自分が誰だかわからなくなる不安やもどかしさと
懸命に闘いながら生きている老人

幾たびの戦争と戦後の廃墟からたちあがり
自分は喰わずとも子ども(家族)を守ってきた老人
老人それぞれに人生があり誇りがあった

どんな老いの季節の終わりを迎えるか
バッドエンドか、それともハッピーエンドか
生き方、老い方そして死に方はひとつ

自分は
認知症を患った老いた母に対して
優しく出来なかったこともあった
なんで優しく出来なかったのか、と

退院したら
ひとりの老人は
最後はどこで過ごして生きたいのか
どんな死に方を臨んでいるのか
思っている以上に容易ではない。
初心に帰り
ひとりの老人の聲(呟き)を聴いていくこと

ひとりの老人の背姿(うしろすがた)は
一寸先の自分の姿でもある