完了といってもいい加減な所でやめてしまったという事。
がんばり過ぎると腰痛が出てくるのでボチボチしたが今年はお天気のよい日が続いたので、自分自身で納得できる所まですることが出来た。
私の掃除のモットーは捨てること。
何を捨てるか選別するのが難しい。
今年は、台所の片隅に置かれていた無水鍋、圧力鍋、刃物類、それに着物に関する本が多数。
これはなくなった母の遺物だ。私は何か始めようと思ったら今もっているものは使って足りない物だけ買おうとする貧乏性だが、母は始めるときにはすべてそろえてはじめるという性格で、着付け教室に行きだした時は、着物に関する本が購入されたし、習う段階で必要な着物や小道具をためらいもなく買っていく人だった。
そのせいかどうか「着物着付け講師」の資格もしっかり取って寺小屋のような小さな教室を開いて生き生き活動していた。
料理についてはさすがに料理教室には行かなかったが、テレビの料理番組を見て、珍しい料理やお菓子をよく作ってくれた。
今、台所に梱包されて残っているのはその時の買い集めた道具類だ。
25年前の元旦に亡くなった母を偲びながら、毎年大掃除のたびに母の遺物を整理している。
がんばり過ぎると腰痛が出てくるのでボチボチしたが今年はお天気のよい日が続いたので、自分自身で納得できる所まですることが出来た。
私の掃除のモットーは捨てること。
何を捨てるか選別するのが難しい。
今年は、台所の片隅に置かれていた無水鍋、圧力鍋、刃物類、それに着物に関する本が多数。

これはなくなった母の遺物だ。私は何か始めようと思ったら今もっているものは使って足りない物だけ買おうとする貧乏性だが、母は始めるときにはすべてそろえてはじめるという性格で、着付け教室に行きだした時は、着物に関する本が購入されたし、習う段階で必要な着物や小道具をためらいもなく買っていく人だった。
そのせいかどうか「着物着付け講師」の資格もしっかり取って寺小屋のような小さな教室を開いて生き生き活動していた。

料理についてはさすがに料理教室には行かなかったが、テレビの料理番組を見て、珍しい料理やお菓子をよく作ってくれた。

25年前の元旦に亡くなった母を偲びながら、毎年大掃除のたびに母の遺物を整理している。
