あらかると one day

小さな旅とetc・・・。

腹のたったこと

2010-08-30 14:34:41 | Weblog
 今日は太極拳教室の日。
教室の近くまで直通で行くバスに乗るため一つ手前の始発が出るバス停に行ったら、
先にいた人がバスはもう西に向かって出てしまったという。

その人は仕事に出かけるそうで遅刻は困るのでタクシーを呼び私も同乗させてもらった。
地方に住んでいるので一つ遅れると30分は待たなくてはならない。

それにしてもT市交通局は駅前の営業所も廃止し観光バス事業からも撤退すると新聞は報じていたのに、時間を間違えるような意識の甘さはどうしたのだろう。

駅から乗り換えたバスが、その乗れなかったバス。
運転手にチクリと苦情を言ったが私が甘いのか蜂の一刺しにはならなかったようだ。
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ウォーキングマップ(桑名宿)

2010-08-24 10:53:30 | ウォーキングマップ(五街道)
                   歌川広重 東海道五十三次(桑名宿)

 日中 34度を越す毎日を過ごしている。
外出する時 歩数計を二回も忘れて損した気分を味わった。
やっと赤坂宿から6番目の桑名宿に到着。日本橋からは384キロを歩いたことになる。

桑名宿
桑名宿(くわなじゅく)は東海道42番目の宿場(→東海道五十三次)で、現在は三重県桑名市。
脇往還佐屋街道もここから分岐していた。
徳川四天王の本多家のほか、各松平家の大名が藩主を務めた桑名藩の城下町でもある。

江戸時代後期の調査では、本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠屋120軒を擁し、家数2,544軒、人口8,848人(男4,390人、女4,458人)であったと記録されている[1]。東海道では旅籠屋数で宮宿に次ぐ2番目の規模を誇った。

宮宿とは七里の渡しで結ばれていて、伊勢国および、伊勢参りの玄関口になっていた。

江戸時代の宿場町は揖斐川沿いにあったが、関西鉄道桑名駅が宿場町の西側に設けられて以降、市街地は西にシフトした。

話し言葉(方言)において木曽三川が東京式アクセントと京阪式アクセント(関西式アクセント)の境界であることから[2]、桑名宿は東海道における京阪式アクセント地区最東端の宿場町となっている。             (ウィキペディアより)

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阿波踊り 第三日目

2010-08-14 22:25:16 | Weblog
        新町川橋の広場は川風が吹いて心地よい。
        横を通るひょうたん島巡りの遊覧船も立ち寄り。 

 盆供養と墓参りも済ませやっと阿波踊りを見る気分になるのはこの三日目ぐらいから。

私はいつもそぞろ歩きを楽しむ方だ。
阿波踊りの踊りをじっくり見たい人は桟敷席から見る方がよい。

桟敷でなくとも街角の無料演舞場はあるしあちこち歩いておはやしと踊りをチョコチョコと楽しむ。
でも今日は異常に人が多い。
新町川橋の広場でちょっと見て川沿いに両国橋に出て早々に引き上げた。
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ウォーキングマップ(赤坂宿)

2010-08-07 15:29:52 | ウォーキングマップ(五街道)
 今日は立秋というのに温度計は33度を指している。
6月1日に日本橋を出発してやっと307.34㌔を表示している。
36番宿場 赤坂宿までたどり着いている。
雨と暑さに邪魔されてなかなか歩数が伸びない。

赤坂宿(あかさかしゅく)は、東海道の江戸品川宿から数えて36番目の宿場。
現在の愛知県豊川市赤坂町に当たる

「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」といわれた程、活気のあった宿場町。

東海道筋で唯一営業を続けている旅籠がある。(写真は現在も営業している大橋屋)

                                ウィキペディアより
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