Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

無動の可動力学Neutral Dynamic Mobile Force

2017-09-04 | 坐禅

人間関係は何の力によって導かれるのだろう

How human relationships be led by a force?

ある人に会い

Meeting someone

生きている実感を

体の全細胞で感じられることもあれば

It makes actual feeling that being alive

-through all body cells

ある人に会い

Meeting someone

生きている苦しみ、その息苦しさで

窒息しそうな感じを受けたりする

It also makes receiving feeling like suffocated

-as a suffered one who on hard to breathing


生きていてよかったと思わせる人に会うと

When meet someone who makes feel live alive is good

自分一人の自我は

-an ego of oneself is

この世の自我類の部分にすぎないことを

-merely be a part of Ego kinds in this world  

認識できる力が伝わる

-a recognizable force will be transmitted  


生きることの苦しみを伝える人に会うと

When meet someone who conveys agony of live a life

その苦しみを否定するか

Deny the suffering or

その生きづらさに同調するかの

Do sympathy with the difficulty of living

暗黙の要求を受けてしまう

It has given such requests in implicit


この世に生を受け

Received a life in this world

寿命を与えられ

Given a lifetime

生きることになった以上

As well as became to live

命を生きることが人間の仕事であろう

Live the life would be a human being’s task


その中で生じる苦しみは

A suffering produced during live a life

どんなに辛くても

No matter how it is hard

死ぬよりは楽なはずだ

It should be easier than dying


生きることに目覚めた人は

Someone who awakened to live

生きていながら死んでいく人に

-to people who are going to die while living

死を分離させていく力を持たせる

-the one can give a power to the dying people which

-can separate death from life


生から死を分離できると

If can separate death from a death

生に可動領域が広がっていく

-the movable territory to live can be expanded

生きている間に

While live a life

死の意識を生から分離させれば

If can separate cognition of death from life

生の部分が広がる

Then the life part can be widened


死は必ずくるものだから

Because of a death comes definitely

影のように光が斜めに射している時のみ現れる

It appears like shadow which light shines obliquely only  

光りが真上に射している時は

When the light shines directly above

死の影は視覚的に現れない

The shadow of death does not visibly appear


坐禅の行い方―坐る

How to perform Zazen-the sitting

坐っていると

While sitting

死は真っ下に置かれ

Death is placed at right bottom

生は真っすぐに伸びる

Life stretches straight


死から真っすぐに伸びる生を視覚化することにより

By visualizing life which is stretched straight from death

生きることを明かすことができる

Life can be revealed

生きることを明かすことにより

By revealing to be lived

死ぬことの根拠

Fundamental basis of death is

その力を減らすことができる

-be reduced its force on life


坐禅の無動の行為は

The immovable performing on doing Zazen

無動によって

By its immobility

生を可動させる力の変換になるだろう

It will be a transformation of life force that make life dynamic 

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91 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
人間関係の力学 (T)
2017-09-05 02:45:14
前回記事のコメ続きとなりますが・・・

何処までも強気で打たれ強いKさんには脱帽です。
誰が何を言っても、一向「気にしない」の達人と言う事がKさんの在り様だからでしょうか・・・

誰が何を言っても、逆に相手を組み伏せる腕力があるので、初めて出来る離れ業みたいな感じですかね(=全てが力勝負、剛速球型!!)。

それでもコメを入れる事によって、Kさんの視野が広がると言うならば、
読者サイドとしてはKさんの記事を、
はなから無視する(=見離す)のではなくて、その時その時の記事内容に対応して、誠実にコメを入れるのも「まあ~悪くは無いかな~!!」

そんな感じですかね(=無視するほど価値が無い訳ではない・・・)。
返信する
勝利の力学 (T)
2017-09-05 02:55:12
Kさんが、
黒●ちゃんから充分な信頼を勝ち得て・・・、

他者介入は許さないけど、
Kさん自身で遣る翻訳なら、
自分(=黒●ちゃん)の書き物の全ての翻訳業務を託してもよい・・・

というお墨付きを獲得できたことは、
人間関係の力学上の勝利ナリ・・・と世間的には言いますね・・・頑張って下さい。
返信する
Kの力学【力は正義なり】!! (T)
2017-09-05 04:02:01
Kさんが野視点さんっちで、自分が散々苦悩(=苦闘)して来た由を開陳しているが、

それを乗り切る為には、「力は正義なり」という思考法で相手を組み伏せざるを得なかった。

当時の坐禅目的が「強い自分、相手に負けない自分」としての戦闘員養成のためのモノにならざるを得なかった。

これはこれで、如何ともしようの無い「心の自衛隊」発動で、何ともやむを得ないものだ。


防御された心のメカニズムとしては、
自信も必要だし、うぬぼれも無くてはならぬ。
他者から傲慢に思われてもしょうがない・・・さもなくば相手を打ち負かせられない。

これがKさんの本質である様に、外目からは見える、・・・Tの当て推量だけど・・・。
返信する
補足 (T)
2017-09-05 04:13:13
そ~そ~、
ボクシングのジムに通ってみたり、
年取ってのバレーに挑戦とか、
精神高揚至上主義とか・・・


みな同じ流れの出来事にみえる。
それによって(自信)²が育成される。

でもなぜ道元禅??
返信する
社会力学 (T)
2017-09-05 05:58:04
力の論理(力は正義なり!!)は
社会の荒波を生き抜く為の冷然たる事実ではある。

まあグランビーでその垢(=荷)を降ろして行く時に【魂同士の交信】なるものが人の思考方式をどう変えるかどうか・・・は面白い命題だ。

Kさんの環境ではKさんが「力(ちから)」の行使者としてやり抜く事を求められていた。

他方Tは、
米国流儀ではない希少性を発揮して【お客様は神様だ!!】というやり方で、
下僕的滅私奉公でアメリカでのサバイバルを果たすという戦略を取らざるを得なかった。
それなら自分がアメリカで絶対に生き残れるという確信があったからだ(=希少価値)。
それが自分のハンディキャップを補填できる唯一の遣り方である事を知っていたからだ。
言いたいことも言わないで、ジッと耐え忍んでの人生であったともいえる。

言いたい放題の事を言い放ってスッキリしているKさんはTの代理戦争を遣っているともいえる。
せいぜい、Tの代わりに頑張ってください!!

社会力学は常に働いているのだから。。。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-09-05 08:36:18
Tへ
打たれ弱いですよ、実は....
へこたれますけど、
気が強いのではなく
否定的な意見や反発を食らって
思いっきりへこたれて
気分を害されて
影響されまぐって
その後の果てに
そういってくれた時間や思いやりに
感謝する気が芽生えたら
やっとコメントをするーことにしているから
外側からみると
打たれ強いように見えるだろうと思います。

このように思いっきりへこたれるようになれたのも
Yes と言ってくれるTやEがいるから
言いたい放題できると思います。

返信する
Unknown (蓮の花)
2017-09-05 08:47:20
でも、考えてみたら
私の存在を完璧に否定するような
ひどいコメントをもらったことは無いので
まだ、甘ちょろい段階にいるかも知れませんね。

本当に悪魔的なコメントなら
ブログを書く自体嫌になるような
気分に突き落とすでしょうね。

ただ、人が言い気持ちでいること自体気に食わないだろうから
人が読んで気分が悪くなるようなコメントを書いて
正義感に浸るような部類の人が
人の気持ちを掻きむしるためだけに
否定的なコメントを残すでしょうね。

もしそのような人がいて
私のブログが気に食わなく
私の気分をかき乱したいなら
私は受け入れる覚悟はできています。

それが打たれ強く見えるかも知れませんが
自分の考えがネット上に流れる以上
確実に反発や反感を買うことになると
川が流れると
岩にぶつかって流れが変わるように
必ず出くわす性質であるでしょうから
避けられない流れなら
受けて砕けることにしたほうが
自然の摂理に背向かない道理かもと思っている訳です。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-09-05 08:49:32
なぜ道元禅かーこの答えは
これから時間を掛けて
年月をかけて
究明していきたいです。
順次に即応されるように
そう軽くはない事柄でもありますので....
返信する
打たれ弱さ (T)
2017-09-05 09:36:12
打たれ弱い云々で思い出したけど、
昔の時代の、日本で共産党を信奉する若者たちは、
自分の精神的弱さ(=打たれ弱さ)を隠す(=カバーする)ために論理武装(=論理闘争)をする・・・と揶揄されてましたね。
意外と理論家は心の弱さを隠す(補う)為に理論家になる傾向は在るらしいのかな、たぶん。。。

まあ黒●ちゃんがそ~だとは言わないけれど(反語)・・・。
考えて見ると出家前の釈迦なんかも打たれ弱かったのでこの世がいやになって出家したという事にもなりそうですかね・・・

そして、ある意味、強がってみせるのは、弱さの現れと言う事はありそうですね。
「空威張り」は弱い男の遣る事で
「家の前の白犬」とかとも言うんじゃないかと思ったけど???

Tの場合は自分が打たれ弱い事を知っているので、
落ち込む前に、すべての可能性を想定内に収めて置いて、心の準備済にしておくから、かなり即効性の早い立ち直りが出来る・・・という形を取りますね。
想定外だとパ二クルから、万一、想定外になったら、それは運命として受け入れる。
マーフィーの法則が起きてしまったから、仕方が無いと潔く受け入れる・・・みたいな感じですかね。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-09-05 19:04:39
今回の記事を書いた背景など

日本での激動の日にちを送ってきて
それらをどう扱うかーをかなり迷った。
それらを順序縦で事細かく述べるには
自己中心的な側面の表れに成りかねないし
それらを自分の中だけに潜めておくだけでも
何かすべきことをしていないー感じにもなったので
ならば、その中で最も重要な
核心な要素だけを取り出し
それらの事実を
私の見方から書こうと思うようになった。
そう思うと書けるようになったのであった。
この文章の中での
特定な表現については
当事者と関わった人でしか分かることのできない指示語がある。

その指示語を書き表すことによって
私の見方を定めることにつながり
関わった人のプライバシーをカバーすることになるだろうと推測できる。

私という一個の自我
あなたという一個の自我

それらの個体にいちいち留まるのでは
この世は短すぎる。

それらは私にとって
ただの踏み石に過ぎない。
自分の自我も
他人の自我も
この世に存在する砂粒の一つにすぎない。
この態度を傲慢と位置つける者がいるなら
それでも、構わないと言えよう。

私という一個の自我が何をしようと
あなたの自我らに取っては
何の意味も成さないだろうから
それで結構なことだと位置を決めておく。

だが、そのような位置の中でも
ある個体の自我が
私の自我の如く
等しい重さになり
伝わってくる場合もある。

今回はその私の体重とほぼ等しい自我の重さを文で伝えておきたいーその気持ちの表れを文章にしてみたかった。

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