今朝は、昨夜から嬉しくて、いろいろと考えていたら、なかなか寝付けられなくて、思い切って、いつもより早く起きてしまい(苦笑)
あ、私って…いろんな人に支えられてここまで来れたんだな。。と。
昨日は、乳腺外科の病院でした。
それも年1回の検査の日。マンモ、エコー、血液検査と。。
どこも異常がなく。。。
主治医から、「今後、薬はどうします?」と。
主治医に付いて行って、10年。
初めて主治医から私に選択肢を与えられた。
乳がんがわかって治療を始めた、私に選択肢を与えることを許さなかった主治医。
最初から右の乳房は「全摘」。
「温存出来ますか?」なんて、聞く事も出来なかった。。
(手術の前の外来となった最後に、下の先生に聞いたけど。。「腫瘍が大きいから、傷だらけの変てこりんな乳房になるよ。」と。)
当時は、まともに話、質問する事も許されなかった…それだけ私の症状は深刻だった。
そして、いつも主治医は、パソコンの画像やカルテを見て、首を横にして、ため息を付いていた。
だから、私はこんな医者に任せて良いのか?といつも疑っていたし、検査ばかりの病院に行く事も憂鬱だった。。
手術の前日に、主治医から「もう、手術のやり方は頭に入ってます。その後の事も。」と言われた時に安堵した事は、今も忘れない。
その主治医から、昨日は私に3つ選択肢を与えられた。
1、今の薬をあと1、2年続ける。
2、今飲んでる薬より、女性ホルモンを抑える事がマイルドな薬に変更。
3、薬を止める。
私は、主治医に「先生ならどうします?」と聞いたら…。
どれも正解だと思うし、将来の事は正直わからない。
だから、あとは自分で決めて欲しいと。
今月12日は母の命日で…C型肝炎で亡くなった母。
58歳で病気が発覚し、当時はまだC型肝炎の治す術が無かった時代。
それから10年後に亡くなった。。
その間に、薬を沢山飲み続けていた母。。
亡くなる最後の2週間前に、肋骨が自然に折れた。。
そして焼場で見た母の砂のような骨。
あれを見ていた自分がいたからこそ、私は自分から「薬を止めます」と。
以前のブログでは同じ乳がんの人が何人かいて、その中に5つ位年下のチェリストの方が私と同時進行で、闘病されていた。
ホルモン治療の薬は、関節にしびれをもたらす。。
(今は、運動のおかげ?で、しびれもそんなに感じなくなった。。)
だから、彼女は手術後、ホルモン治療を選ぶ事はしなかった。
チェロが弾けなくなると言う理由で。。
当時の私は、すごいな〜と。
私が、もし同じように怖い主治医に言ったら、怒らせちゃうかな。。と。
今思うのは、自分で自分の事を決めた彼女がすごい!と。
私が乳がんになった時に、ある人が「病気は医者が治すものじゃない、自分が治すもの」だと。あの言葉は、今も頭に残ってる。。。
ただ、当時は怖い主治医だったから、素直に?いや、自分なりに食事や生活を注意して、1日でも長く生きようと思っていた。
あれから10年か。。
やっと自分で自分の事を決められた。
主治医から「これからは、半年か1年のサイクルになるけど、左胸は僕がちゃんと診るから。。あとは年齢的にいろんな病気が襲って来る可能性があるだろうから、健康に注意して。。」と。
あの怖かった主治医が、元気になった私に掛けてくれた言葉。。
嬉しかったぁ。
そして、母親が薬の怖さを教えてくれたんだろうな。。
あ、あとはピラティスのおかげ?で、他人任せで生きて来た私が、自分コントロールが出来て来たんだろうな。。
この年になっても成長が出来るんだ!とも。
あ、私って…いろんな人に支えられてここまで来れたんだな。。と。
昨日は、乳腺外科の病院でした。
それも年1回の検査の日。マンモ、エコー、血液検査と。。
どこも異常がなく。。。
主治医から、「今後、薬はどうします?」と。
主治医に付いて行って、10年。
初めて主治医から私に選択肢を与えられた。
乳がんがわかって治療を始めた、私に選択肢を与えることを許さなかった主治医。
最初から右の乳房は「全摘」。
「温存出来ますか?」なんて、聞く事も出来なかった。。
(手術の前の外来となった最後に、下の先生に聞いたけど。。「腫瘍が大きいから、傷だらけの変てこりんな乳房になるよ。」と。)
当時は、まともに話、質問する事も許されなかった…それだけ私の症状は深刻だった。
そして、いつも主治医は、パソコンの画像やカルテを見て、首を横にして、ため息を付いていた。
だから、私はこんな医者に任せて良いのか?といつも疑っていたし、検査ばかりの病院に行く事も憂鬱だった。。
手術の前日に、主治医から「もう、手術のやり方は頭に入ってます。その後の事も。」と言われた時に安堵した事は、今も忘れない。
その主治医から、昨日は私に3つ選択肢を与えられた。
1、今の薬をあと1、2年続ける。
2、今飲んでる薬より、女性ホルモンを抑える事がマイルドな薬に変更。
3、薬を止める。
私は、主治医に「先生ならどうします?」と聞いたら…。
どれも正解だと思うし、将来の事は正直わからない。
だから、あとは自分で決めて欲しいと。
今月12日は母の命日で…C型肝炎で亡くなった母。
58歳で病気が発覚し、当時はまだC型肝炎の治す術が無かった時代。
それから10年後に亡くなった。。
その間に、薬を沢山飲み続けていた母。。
亡くなる最後の2週間前に、肋骨が自然に折れた。。
そして焼場で見た母の砂のような骨。
あれを見ていた自分がいたからこそ、私は自分から「薬を止めます」と。
以前のブログでは同じ乳がんの人が何人かいて、その中に5つ位年下のチェリストの方が私と同時進行で、闘病されていた。
ホルモン治療の薬は、関節にしびれをもたらす。。
(今は、運動のおかげ?で、しびれもそんなに感じなくなった。。)
だから、彼女は手術後、ホルモン治療を選ぶ事はしなかった。
チェロが弾けなくなると言う理由で。。
当時の私は、すごいな〜と。
私が、もし同じように怖い主治医に言ったら、怒らせちゃうかな。。と。
今思うのは、自分で自分の事を決めた彼女がすごい!と。
私が乳がんになった時に、ある人が「病気は医者が治すものじゃない、自分が治すもの」だと。あの言葉は、今も頭に残ってる。。。
ただ、当時は怖い主治医だったから、素直に?いや、自分なりに食事や生活を注意して、1日でも長く生きようと思っていた。
あれから10年か。。
やっと自分で自分の事を決められた。
主治医から「これからは、半年か1年のサイクルになるけど、左胸は僕がちゃんと診るから。。あとは年齢的にいろんな病気が襲って来る可能性があるだろうから、健康に注意して。。」と。
あの怖かった主治医が、元気になった私に掛けてくれた言葉。。
嬉しかったぁ。
そして、母親が薬の怖さを教えてくれたんだろうな。。
あ、あとはピラティスのおかげ?で、他人任せで生きて来た私が、自分コントロールが出来て来たんだろうな。。
この年になっても成長が出来るんだ!とも。