叔父さんは・・・・・父母の弟
伯父さんは・・・・・父母の兄 知りませんでした。
七十七忌の法要とお骨納めに出席
実家の父の兄に当たりますので伯父さん。
葬儀のときは あまり深い会話も無しに
お清めを 済ませて帰宅してしまった。
約1時間 車を運転しながら 伯父さんは 長男のはず
どうして家を出たのだろう?
どうして 末っ子の私の父が家を継ぐことになったのだろう?
何人兄弟だったのかな?
私の祖父母は どうゆう人だったのかな?
この度の法要のお清めの席は 和やかな雰囲気となりました。
伯父や叔母も一人減り 又一人と 亡くなり
具合の悪い両親の変わりに 従兄弟同士が大半でした 。
遠くに嫁いだり 勤務したり 親戚一同が会する機会は
不祝儀の時くらいになりました。
この時とばかりに 長老の方の話を聞いてみることにした。
今、聞いておかないと 知らずに人生が終わってしまう。
次第に
「俺の話も聞いてくれ。」
「私しか知らない話があるよ。」
「ここだけの話だけどね。」とか
身内同士が寄り合って 自分たちのルーツをたどる事が出来ました。
昔話に 大笑いして 若い人達・従兄弟の子供らには
不謹慎な年寄りに 見られてしまったかも知れない。
伯父さんは・・・・・父母の兄 知りませんでした。
七十七忌の法要とお骨納めに出席
実家の父の兄に当たりますので伯父さん。
葬儀のときは あまり深い会話も無しに
お清めを 済ませて帰宅してしまった。
約1時間 車を運転しながら 伯父さんは 長男のはず
どうして家を出たのだろう?
どうして 末っ子の私の父が家を継ぐことになったのだろう?
何人兄弟だったのかな?
私の祖父母は どうゆう人だったのかな?
この度の法要のお清めの席は 和やかな雰囲気となりました。
伯父や叔母も一人減り 又一人と 亡くなり
具合の悪い両親の変わりに 従兄弟同士が大半でした 。
遠くに嫁いだり 勤務したり 親戚一同が会する機会は
不祝儀の時くらいになりました。
この時とばかりに 長老の方の話を聞いてみることにした。
今、聞いておかないと 知らずに人生が終わってしまう。
次第に
「俺の話も聞いてくれ。」
「私しか知らない話があるよ。」
「ここだけの話だけどね。」とか
身内同士が寄り合って 自分たちのルーツをたどる事が出来ました。
昔話に 大笑いして 若い人達・従兄弟の子供らには
不謹慎な年寄りに 見られてしまったかも知れない。

昨日の雪で真っ白な榛名山 湖に写ってきれいですね。
日差しが温かく感じます。
今日は葬儀に参列です。
近所の人たちを葬儀社のマイクロバスが迎えに来てくれました。
親族席に座って お別れです。
(告別式の後 引き続き初七日の追善供養をしました)
91歳 とってもお嫁さんを引き立てる 気立ての良い おばちゃんでした。
火葬場へと移動をし お清めをしながらお骨になるのを待ちました。
火葬の扉が閉まる瞬間 いつも 「あぁこれで お別れなんだ」 と涙がこぼれてしまう。
(火葬場での飲食をした際の残り物は 持ち帰ってはいけないと教えられました。)
火葬場より戻る頃 ご近所の人たちが再び参集して お念仏を唱えます。
長老の先達と 鉦の音頭とりにあわせて 南無阿弥陀仏 なんまいだ~と13回唱えます。
迷わず極楽浄土へ行けるようでしょうか・・・・ 合掌
遺族の方は 連日休む間もなく 葬儀の準備 弔問客の応対 食事の用意にと
予定の無い 急な出来事で 疲れきってしまいます。
我が家も昨年7月に経験いたしました。

我が家の裏の畑 を映す
一面雪の原
早朝の地震にも気が付かず ぐっすりと寝てました。
でも雨音に目が覚めた。
朝食の用意をしていると 「お~い 。 雪に変わったぞぉー」と主人の大きな声。
今朝はリサイクルの日。悪天候の中ゴミの収集場へと出て行きました。
会社へ出社して 地震を知りました。
「大きい地震だったねぇ」 「中越地震を思い出したね。」と・・会話に入れない私。
雪は お昼頃 雨に変わり 止んでしまいました。
午後は 昨日亡くなった近所の家へお手伝いです。
友引ですから 葬儀は出来ません。
お通夜をしない風習ですから 今日は身内のみで 湯灌をして棺に納めます。
その後 お清めをします。
お清めの為の お料理を作ったり お席を用意するお手伝いをするのです。
ポテトサラダ・きんぴらゴボウ・煮豆・ひじき・漬物・天ぷら・豆腐
煮物(大根・こんにゃく・里芋・ちくわ・厚揚げ)
うどん・ほうれん草のおひたし・・・・全部手つくりのお料理。
冠婚葬祭でお手伝いに行き 先輩のお嫁さんやおばあちゃん達に
お料理を教えて戴いたり しきたりを覚えたり するのですね。