くらしのタネ


原田 晴子
やきものやる日々

中だるみ

2017-08-17 | 日記
夏の疲れも取り切れぬまま、お盆も終了。たあちゃんもつつがなく保育園へ送り込んで仕事再開。が、しかーし。
なんだか色々と考えなくては行けないことばかりで、人生の大きな節目的な年回りで、かと言って進まないジレンマ。まだ、子供が夏休みで家にいるっていうジレンマ。
なんだかイライラしちゃうのよね。
ともあれ、京都でゲッツした器でごはん。常滑の作家はまちゃんのもあるけど、冷しゃぶ入れてるのは和歌山からお越しの奥様ご注意!体感温度を5℃上げる男 平岡 仁サマの焼き締め。彼のは重すぎもせず、ザラザラご過ぎもせず、なんというか、柔らか。ご本人も、男っぽいけど、ナイーブ。的な、器とおんなじ感じで、専らオバハンキャッキャしている真っ最中。
いつまで続くやら…
そして、京都の藤田 美智ちゃんの小さな椀。たあちゃん用のご飯茶碗にニルスの不思議な旅的な絵付けのもの。
かわいいのに何しろパリンと割れやすく、昨年スキーの絵の描いてあるマグがすぐに割れてしまって気になったので、もう少し頑丈にしてほしい。とクレーマーになってみたのだけど、 母にも言われます…と言っていた。でも、周りはだれもそんな事言ってくれないとありがたがってもくれて、なんだかこちらも嬉しい。
もったいないんだよね。気に入って買ったものがすぐに割れてしまったら、やっぱりああ、もう買わない…って思っちゃうと思う。
私は中をしっかり焼きたい。(こういうのってどちらかと言うと伝統的な作風のヒトが言うのだけど。)24時間はゆうに焚いて、できるだけ釉薬の表面を密にしたり土の中をピカピカ光るくらいよく焼いて、汚れがつきにくくしたい。こういう焼き方なので、それこそ粉引だとか、刷毛目や灰釉ものをやりたいなっと前は志してみたりなんかしたけど、ストイックになりきれないというか。もひとつポップさがほしい…みたいな茶目っ気が出てしまう。そして現在に至っているのである。焼きものは、ひとそのもの。なんでしょうね…
恥ずかしいけど仕方ない。