くらしのタネ


原田 晴子
やきものやる日々

年も暮れ

2018-12-29 | 日記
大型の海老を天ぷらに。
母から教わった海老の下ごしらえの
くるっと丸まらない様に切り込みを入れるのを
どうやら反対側に切り込んだらしく
丸くなっちゃった。
かなり大きな海老なので、下ごしらえも
楽だった。
でも、もう少し小さくてもいいかな。
そんなこんなで迎える年の瀬。
いつもは実家で迎えるのが常だけれど、常滑の
住んでいる地域の班長なので、裏にある神社の
年越しの振る舞いのお手伝いをしなくては
ならない。
というわけでその前に実家に娘たちを送り込み
クリスマスより楽しみだった
ヲンナやきものやだらけ★の忘年会に参加。
昨年はできなかったが、鈴木史子、金成潤子の
お二方プラスたまたま知り合いになれた
宇田令奈さん。
じゅんちゃんは同期のサクラの同士だけれど
鈴木さんはじゅんちゃんが仲良くなって
お近付きになれた。いつも二人には歯に絹着せぬ
意見を言ってもらったり、励まされたり
なにか一緒に居てポジティブになれる関係
そして名前だけ知っていた宇田さんは私よりひとつ若い。が。会ってお話ししてみると
なんだろう。このしっくりくる面白い人、、、
そんな印象は、やはりこの二人にも共通していた
様で、クラトコに来てくれた宇田さんに
挨拶されて俄然これは一度呑まなきゃ。
って事で。
誘ってみたらなんと泊まりで行きます!という。
じゃ私達も!てなわけでヲンナ四人、肝を食し、
その後しつこく3時会までして名古屋の夜を堪能
今後の野望なんかも展開しつつ、再会を誓った。
三人でプリキュアだと思っていたのに
まだ他にもプリキュアが!みたいな。
出会いというのは面白い。
さて、実家から帰って今夜は紅白見ながら
我が家のお節を作った。
明日は元旦。
ホントかな?
寒い寒いとうるさいカメルーン男が
ドラムしながら裸になったYoshikiを見て

アノヒト サムイ ジャナイ?

と呟く。

良いお年を



カメルーンの風

2018-12-27 | 日記
すこーし前に、夫君の妹がやってきた。
この子は3番目のお義母さんの娘で、私と上の娘が7年前カメルーンに行った時はまだ16歳。
しかしながら物静かで賢くなんとも落ち着いた子で、お気に入りの義妹。皿洗いや片付けは子供達の仕事なので、専ら私は彼女達と一緒に片付けをして過ごしていたのだけど、まだ幼い彼女の目にはお客さんなのにクリスマスでもなんでも朝から一緒に水汲みをし、皿を洗う働きまくる日本人の義姉に驚きまくっていたらしく、今回も娘達に会うのと同様、私に会うのが楽しみだったと言ってくれた。愛いやつである。
カメルーンで大学を卒業した後、中国人経営の会社で仕事をして中国語を学び、今は中国の大学で翻訳を専攻しているという彼女はそんなわけで中国からやってきた。
なので今や英語、フランス語、中国語を操るマルチリンガル。世界って広い。
ともかく、アフリカ人はとにかくいちいちビザをとらなければ海外旅行などは気楽にできないので、今回教授が沖縄に学会に行くのにマルチリンガルの学生を連れていかという事に、このチャンスを逃すものかと頑張って来てくれたのであった。そんなわけで早速家族で大須へ行き、お買い物ついでにいつか家族でやろうと言ってたスケートに繰り出した。
ヨロヨロでまともに前に進めない夫君。
怖がりで一切手すりから離れる事もなく片足だけで進む上の娘。大昔にやって以来だったが、なんとかコツを掴んで少し滑れる私。
怖がりながらも割と運動神経の良いターちゃんは
しばらくしたら私と手を繋いで手すりから離れ、滑る楽しみを見つけたらしい。
カメルーンから中国に行って2年目の妹は一度やった事があるそうで、すこーし滑れる感じ。
なかなかに楽しかった。
日、月、火曜でやって来た彼女とリサイクルショップに行って買い物したり、アイスを食べたり。中国から日本に来た印象は、日本人はとても丁寧。空港に着いた途端日本人のハンサムな青年達がいっぱいいるし、人はみんな親切で若い彼女にもとても礼儀正しいのがびっくり。というのだから中国ってさぞ、、、。と思ってしまう。
そういえば、カメルーンから夏に来た義弟の日本の第1印象は、夜中に着いた空港で皆んながキビキビ働いているのにびっくり。だったっけ。
初めて会う叔母の彼女にターちゃんはべったり。兄妹達との距離が近いなーという夫君は、兄達の中でも特に夫君は10代の妹達(血が繋がってない子も何人か一緒に生活していた)の面倒をよく見ていたそうで、ほかの兄達は構ってもくれた事がなかったが、夫君は男の子達がついてくれば追い払い、学校から帰れば勉強しろとうるさく言い、悪い事をすれば殴られた。けれど彼女たちにとっては殴られるという事は、構ってくれたという証拠みたいなもの。なのだそうで、彼が日本に旅立つ時には、一番殴られた筈のアザという妹の一人などは3日泣き止まなかったそうで、彼の人気ぶりが伺える。事実私がカメルーンに行った時も彼女らはいつも夫君の横に座り、なんなら肩に手も回してべったりくっついていたっけ。
義妹曰く、
だから、彼にとって日本で子育てするのって
難しかったと思うよ。殴らないから。と。
なるほどね。でも、子供を育てながら夫君がよく言っていたのは、怒鳴り声が好きではないし、自分も殴られて教育されていたのが嫌だったと。
学校に勤めるようになった事も手伝って、アフリカ人ながらなんとなく日本流を肌で感じできてくれたようである。
日本人だって殴る人は結構いるんだけど、それをせずにこられている幸せ。
有難い。