またも訃報が届いた。竹内公明さん(通称こうめいさん)常滑に来て一番にお世話になった先生で伝統工芸士であられたが、最終的には病気でそれもお返ししたとご本人から聞いていた。元々サラリーマンをやっていてやきもの屋になる!!と勝手に決めた時古本屋でたまたま見つけた「瀬戸・常滑」というやきものの本。そこに鯉江良二氏が顔写真とともに載っておりなんと不敵な面構えのおっさん!!(失礼)と勝手に惹かれて夏休みにブンとバイクを飛ばしやってきた常滑で色々な方と出会い、私の居る所はここなんじゃないかと若い思いこみであっと言う間にやってきたわけであるが実際最初からこの公明さんにお会いし、大変に助けて頂いた。陶芸研究所を受けたが落ち、落ちたらこっちに入りなさいとこれまた最初からお会いしていた共栄窯というギャラリーオーナー長谷川氏に「今年うちはすごいのつくるから」という誘いでその年から始まった”プロ養成コース”の一期生となった。ここの校長であり陶芸研究所の先生のお一人でもあった公明さんは「自分は百姓だから」と米を作り山に入ってはタラの芽やタケノコを採り、家に鉄工所ばりの道具があって機械の事ならなんでもござれ。そしてもちろんやきものの事は細かい原材料の事から陶土の発掘・・・本当に色々なことを教えて頂いた。 基本的には派手な事は苦手で不器用な性格(手先は真逆)の方であったと思うが心から尊敬していた先生だったので卒業してからも時々お宅に伺っては土の事など聞いたりしたが、すっかりご無沙汰してしまって三年ほど前にお会いした時にはすっかりご病気で雰囲気が変わられていて悲しくなってしまった。
灰釉を研究され美しい緑とブルーを器の上に自在に出し、、新しい焼き締めやもち米のわら灰でピンクを出そうなどされ、確かな技術と知識で作られた作品には品があった。最初に常滑に来て灰釉に惹かれたが私のやることではないのでは・・と考えた末今は手を出していない。でもまたいつかトライしてみたいとも思うし、公明さんの教え子だったということはいつまでも私の誇りだと声を大にして言いたい。
せんせい・・・さようなら。