朝の哲学
さてさて。大阪のama gallerie さんでの三人展は先週土曜まで。
東京・土の記憶 さんでの個展は昨日日曜日で終了となりました。脚を運んでくださった皆様、
気にかけて下さって行けないから申し訳ない(こちらが申し訳ない)と御連絡くださった皆様。
本当にありがとうございました。
あのメンツでの三人展のプレッシャーもさることながら、久々の個展。
数も新作もいろいろいろいろ考えているだけでも胃が痛くなったり悪夢を見たり風邪をこじらせて
焦ったり、、、。が。どうにか切り抜けた。結果はこの際煙にまくとして。
この後は、がっつりたまり始めた御注文に取り掛かります。
それでもって、祭りまでに以前やっていた化粧モノを復活させたい。
テストを何度かひそませて秋のクラトコには出せたらいいな。少し自分に宿題。
子供を産んだらまた三年は手がかかるじゃん!!とちびまる子ばりに額に線が入っていたのだが、
そうこうしているうちに、ハッと気が付けばきゃつは三歳になっていた。
ああ道理で割と楽になったわけだ。どうりで老眼になるわけだ。
では、自分の仕事に負荷をかけたっていいかもね。
というわけで久々に白土と赤土の両立。やれるかな~。やるからには全く同じじゃつまらないし、
第一もう全く同じは土も山が変わっていてだめかもしれない。
テストテスト。
朝はさっとたあちゃんを保育園に連れ出し、さあ!素焼きは午後に出るだろうから
仕事場の掃除をし、釉薬掛け仕様にして、今もう出ている素焼きの皿に釉薬かけを始めよう・・
と思っていたのに・・・
ああそれなのに。
大体昨日ビフォーアフターを見てしまったのが運の尽き。
庭のリフォームスペシャリストが、なんということでしょう。を繰り広げていて、
あ~こうすればいいのか。へええ~などといろいろアイデアを頂いた。
そんなわけで少し前に始めていた、庭に煉瓦を敷いてすてきパテイオ化計画に弾みがついてしまった。
以前庭からガンガン出てきた大きなごろ石を置いて砂をかけて
レベルをにわかに上げた家の前のへこんでいた場所。結局は砂地なのでどうすべかと思っていたが
駐車場のあたりに勝手に生い茂っているのは芝生じゃないか。
昨日の匠も最初からあった芝を四角に掘ってあとでまたつかってたっけ。と思い、真似してみる。
ごろ石の脇に芝生を詰めてみた。補強となるかしら。
地面のレベルを下げようとサクサク掘ってたらまたまたごろ石が・・・
煉瓦を買ってアーチにしようと思ってたけどこれでいいじゃん。と花壇用スペースの枠にアーチ状に並べる。
その前を全体にまだ掘り下げて、レベル合わせの線を張って、少しコンクリ入れて煉瓦を並べてしまおう。
少し前までは、砂利をいれて、とんとん押さえてレンガを入れて砂をいれて・・と本格的にやろうと
考えていたのが、昨日の番組を見て、もういいや。アイデア勝負。やってまえ。とシフトチェンジ。
どんなに本格的に作ったところで、ボロボロな長屋前なのである。
もう引っ越さなあかん!と思ってるのになにが本格的か!と思ったわけで。
そのやり方なら結構早くできて見栄えもそこそこなんじゃないかしら。
そんなことを思いながら土を掘り下げていて、ハッと思った。
モノの作り手が、こんなことでいいわけ?本物を追うべきではないのか?・・・・
だから私は中途半端なのか?
・・・・・・・・・・
いやさ。一体なにを持って本物というのかは結局ひとそれぞれ。
李朝の椀を普段使いはできないし、そんなものを買うお金もない。
ならば自分の手に無理なく入り、気持ちのよいものを使う。自分にとって良ければ
それが本物なんじゃないか?
大体、イイ鉄のフライパンを使ってもちゃんとそれなりのお手入れができないなら、御値打なテフロン加工の
フライパンをこまめに取り換えて使ったほうが衛生的でかえって安くあがる。と結論つけたはずだった。
モノは使う人を選ぶのである。
自分にとってのイイもの。それを選び出すのって大変だよなあ・・・
な~んて庭仕事から頭はワープして哲学的思考に入ったのであったが、
ぎゃ~お!!!のあ~!!!と裏でネコどもの争う声がして駆けつける。
木の上に逃げて登ったプッチ。
その根元には最近やたらとわがやの周りを徘徊してはナ~オ!!ナ~オと誘いの声を出す野良野郎が
いざ登らんと爪を木にかけていた。
両手をあげクマのポーズで奴を威嚇。撃退したがまたやってくるに違いない。
まったくもう!!
ヒトが考え込んでるっつーのに!!