外でご飯を食べていたとき、隣に座っていた学生がとある笑い話をしていた。細かい内容は覚えてないが、大体こんな内容だったと思う。以下、ビルゲイツ:B、ランプの精:L。
L:「こんにちは」
B:「こんにちは」
L:「願い事を叶えてあげよう」
B:「说吧」
中国語を学んでいる人は、すぐにその意味がわかるだろうが、これ、よくよく考えると、非常に日本語に訳しづらい。なぜなら、最後の「说吧」の主語を省略しているのがキレをよくしているのだろうが、主語を足したとき、「(我)说吧」と「(你)说吧」では全く意味が異なってくるからだ。
我说吧:(じゃあ私が願い事を)言いますよ?
你说吧:(あなたが願い事を)言ってください
この場合、「ランプの精の願い事すら叶えられるビルゲイツ」という笑い話だろうから、もちろん、主語は「你」が抜けていることがわかる。でも、日本語に訳すとなると、なかなかしっくり来るのがないと思いませんか?
B:「あなたが願い事を言ってください」
→ なんか長くてキレが悪い
B:「お前が言ったら?」
→ ちょっと上から目線過ぎる
B:「どうぞ」
→ 興味なさげに「(私の願い事を)叶えたいなら叶えたら?」的な解釈にもなる
B:「私がね」
→ わかりづらい
多種多様な擬音、一発で性別がわかる豊富な主語、出身地までわかってしまう語尾等々、単純に表現力だけを見るならば、かなり優れている部類だと思う日本語だが、豊富な分、逆にこういうシンプルなものは訳しづらい。
「文法は日本語の方が難しく、発音は中国語の方が難しい」――これが僕の持論だった。なぜなら、中国語は品詞による変化がないからね。でも、最近気付いたことがある。
品詞の変化がないから、
中国語の文法の方が簡単だから、
中国語は難しい(´ω`;)
一見、矛盾しているようだが、中国語学習者の方はもうわかっていると思う。難しめの中国語の文章をパッと読んだとき、品詞による変化がないため、どれが主語でどれが動詞?どれが形容詞でどれが目的語?と混乱することが多々あるのだ。
最近、中国語の文献を読んでないので例が出てこないのが残念だが、とにかく中国語はこれと言った法則がない。他動詞と自動詞の違いもない。「门开了(ドアが開いた)」、「我开了门(私がドアを明けた)」、どっちも同じ「开」だが、前者は自動詞、後者は他動詞だ。これ、最初はすごく違和感があった(笑)。
ビルゲイツの笑い話から、こんなことまで発展させて考えていくうちに、「やっぱり中国語って、日本語より難しいのかも」と思うようになってきた。ちなみに当然かもしれないが、中国人は、パッと文章を読んだだけで文章構造をつかめるそうです。
中国人と同じだけ文章に触れろ!
――これしか方法はなさそうですね(´ω`;)
逆に、中国人日本語学習者に聞いたところ、「日本語は活用が難しすぎる!けど、文章構造を掴むのは確かに簡単かも」と言う人が多い。ただ、意外にも「長音とそうでない音」のように、発音も決して簡単ではないそうな。
発音の構造も文法の構造も、似てる言語もあれば全く違う言語もあるわけで、全く同じだったらそれは外国語と言わない。日本人にとっては当たり前の言い回しも、外国人にとっては初めて聞く言い回しだったり、逆もまた然り。
つまり、全ての外国語は難しい(´ω`;)!
当然のようだが、改めてこんなことを思った僕でした。
以上。
L:「こんにちは」
B:「こんにちは」
L:「願い事を叶えてあげよう」
B:「说吧」
中国語を学んでいる人は、すぐにその意味がわかるだろうが、これ、よくよく考えると、非常に日本語に訳しづらい。なぜなら、最後の「说吧」の主語を省略しているのがキレをよくしているのだろうが、主語を足したとき、「(我)说吧」と「(你)说吧」では全く意味が異なってくるからだ。
我说吧:(じゃあ私が願い事を)言いますよ?
你说吧:(あなたが願い事を)言ってください
この場合、「ランプの精の願い事すら叶えられるビルゲイツ」という笑い話だろうから、もちろん、主語は「你」が抜けていることがわかる。でも、日本語に訳すとなると、なかなかしっくり来るのがないと思いませんか?
B:「あなたが願い事を言ってください」
→ なんか長くてキレが悪い
B:「お前が言ったら?」
→ ちょっと上から目線過ぎる
B:「どうぞ」
→ 興味なさげに「(私の願い事を)叶えたいなら叶えたら?」的な解釈にもなる
B:「私がね」
→ わかりづらい
多種多様な擬音、一発で性別がわかる豊富な主語、出身地までわかってしまう語尾等々、単純に表現力だけを見るならば、かなり優れている部類だと思う日本語だが、豊富な分、逆にこういうシンプルなものは訳しづらい。
「文法は日本語の方が難しく、発音は中国語の方が難しい」――これが僕の持論だった。なぜなら、中国語は品詞による変化がないからね。でも、最近気付いたことがある。
品詞の変化がないから、
中国語の文法の方が簡単だから、
中国語は難しい(´ω`;)
一見、矛盾しているようだが、中国語学習者の方はもうわかっていると思う。難しめの中国語の文章をパッと読んだとき、品詞による変化がないため、どれが主語でどれが動詞?どれが形容詞でどれが目的語?と混乱することが多々あるのだ。
最近、中国語の文献を読んでないので例が出てこないのが残念だが、とにかく中国語はこれと言った法則がない。他動詞と自動詞の違いもない。「门开了(ドアが開いた)」、「我开了门(私がドアを明けた)」、どっちも同じ「开」だが、前者は自動詞、後者は他動詞だ。これ、最初はすごく違和感があった(笑)。
ビルゲイツの笑い話から、こんなことまで発展させて考えていくうちに、「やっぱり中国語って、日本語より難しいのかも」と思うようになってきた。ちなみに当然かもしれないが、中国人は、パッと文章を読んだだけで文章構造をつかめるそうです。
中国人と同じだけ文章に触れろ!
――これしか方法はなさそうですね(´ω`;)
逆に、中国人日本語学習者に聞いたところ、「日本語は活用が難しすぎる!けど、文章構造を掴むのは確かに簡単かも」と言う人が多い。ただ、意外にも「長音とそうでない音」のように、発音も決して簡単ではないそうな。
発音の構造も文法の構造も、似てる言語もあれば全く違う言語もあるわけで、全く同じだったらそれは外国語と言わない。日本人にとっては当たり前の言い回しも、外国人にとっては初めて聞く言い回しだったり、逆もまた然り。
つまり、全ての外国語は難しい(´ω`;)!
当然のようだが、改めてこんなことを思った僕でした。
以上。