ヨシュア記8章 アイ攻略
1.アイ攻略の再チャレンジ(8:1-2)
アイの敗北の後、イスラエル人たちは、その敗北に原因があったことを理解しました。それは、イスラエル人の慢心のみならず、アカンという一人の人物の罪のためでした。彼らは連帯責任を問われたのです。つまり、ここでの重要な学びは、人生に失敗はつきもの、しかしそれで終わりではない、神は悔い改める者にあわれみ深く、再度チャンスを与えられる、ということだけではなく、神は、神の民が一丸となって神に従うことを求められた、ということです。
2.ヨシュアの戦略(8:3-23)
ともあれ、イスラエル人たちは、再びアイ攻略の戦いへと立ち上がりました。そこで副将のヨシュアが取った行動は、神の命令に皆で一緒に従うことです。神はヨシュアに、作戦を告げ、ヨシュアと全イスラエルは、それに判を押したように淡々と従っていくのです。伏兵を置くことも(2節)、伏兵を動かすタイミングも(18節)、すべて、神が仰せられたとおりに皆で行動するのです。
3.事の勝敗を決するは神(8:24-35)
詩篇には、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起き、遅く休み、労苦の糧を食べたとしても、それはむなしい。実に、主は愛する者に眠りを与えてくださる。」(127:1-2)とあります。また、伝道者の書にもこう書かれています。「競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではない。パンは知恵のある人のものではなく、富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではない。すべての人が時と機会に出会うからだ」(9:11)人間の努力や能力、才覚でも判断力でもなく、神が時と機会を与えられ、人はその時と機会に乗っているだけであったりするのです。
ヨシュアが勝利の後に、祭壇を築いたのは、それを弁えればこそです。そしてヨシュアは、これまた、律法の書に記されたとおり、つまりモーセに教えられたとおりに(申命記27:5、6)、「鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇」を築いたのです。
しかし重要なのは、その次のエピソード。33節、全イスラエルが、ゲリジム山とエバル山に分かれ、祝福とのろいのことばを読み上げたことでしょう。事の勝敗を決するのは神だ、という認識を示すのみならず、全イスラエルをもってその認識を共有する。全イスラエルをもってまさにモーセによって教えられたとおりの神のみ教えに生きる自分たちの原点に立ち戻ろうとしている。彼らはヨルダン川を渡る前に、神に徹底的に従うことをそのように表明したのでした(申命記27)。神のみことばをよく読み、それを心に留めて歩むのみならず、それを互いに語り聞かせあい、共に愚直に神のことばに従っていく、それが神の民の特徴でした。
今日、キリスト教信仰はあまりにも個人的なものになっているかもしれません。教会で共に主に従うと言う意識が薄れ、教会に対する所属感がない、ということがあるかもしれません。コロナ禍になって、ズームやユーチューブ礼拝の便利さが身についてしまうと、信仰が個人の祈りと、聖書の学びと思索で終わり、実際に教会で助け合う、励ましあう、高めあうということが希薄になっていくように思われるところがあります。しかし神と自分だけの世界で信仰生活に深まりが出ることはありません。やはり人は人によって研がれとあるように、キリスト教信仰は、共に生きるところにこそ深まりが起こるのです。神は私たちの信仰が高められるために、わざわざ煩わしいとすら思える人間関係を与えてくださったと言うべきでしょう。誰一人脱落者を起こさず、共に天の御国を目指して完走する、そのような教会でありたいものです。では今日もよき一日となるように祈ります。
<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。聖書でアイと対になって出てきて、聖書学者のオルブライトなどから、「ふたごの町」と呼ばれた町の名は何でしょうか?答えはベテルです(創世12:8、13:3、ヨシ7:2、8:9、12、17、12:9、エズ2:28、ネヘ7:32)。アイとベテルはその間にある山によってつながれ、一続きになっていたと考えられ「ふたごの町」と呼ばれました。では、今日の聖書クイズを一つ、聖書の中には、「アラバの海」ということばが出てきますが、それは別名何と呼ばれているでしょうか?答えはまた明日。
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では今日もよき一日となるように祈ります。
<天草さんのフォローアップ>
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私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです。