ELKのティータイム

子育ても終わり、のんびり普通に過ごす私のつぶやきです

乳がん闘病記 その13

2024-02-03 15:52:41 | 乳がん
2024年になりました。
年末は、代わり映えしませんが、おせち料理が作れました。
実家・義実家・次男の家・そして我が家の4軒分、けっこうな量になります。
でも、今年は少な目にしました。
こんな風に、いつもと同じが嬉しかったですね。


《1月1日》
初詣に行けました。
感染病に気を付けて、暖かくして・・・
『病と闘っているので応援よろしく!』ってお願いして来ました。


《1月5日》
麻酔科の診察です。
手術前に麻酔科の診察があることを、すっかり忘れていました。
問診と説明、承諾書へサイン、30分ほどでした。


《1月8日》
明日から、入院です。
仕事の追い込み掛けて、今週分まで終わりにしました。
思ってた以上に、バタバタ状態で・・・
でもね不安な気持ち、紛らわせられてました。


《1月9日》
入院しました。
出産以外での入院は初めてなので、やっぱり不安です。
息子に送ってもらって、あとは一人で・・・
明日の手術の説明や、薬剤師の説明等いろいろと・・・
夕方には、手術のマーキングをしました。
黒の太いマジックインキで・・・
情緒も何もないな~って思ったけれど、間違いが起こらない為には必要なことです。
それに合わせて、手術カ所を何回も確認されました。


《1月10日》
手術当日です。
午前中から点滴です。
でも、入らない。
針を刺すのに一苦労で、左手の甲から入れました。
こうなると、時間が過ぎるのが遅い。

手術は、右胸の全摘出にリンパ郭清をしました。
手術開始が30分遅れました。
手術台に登り、タオルケットを被され手術着を脱がされました。
全身麻酔って、抵抗のしようもないって言われるけれど、本当にあっという間です。
点滴から麻酔の薬を入れました。
それが、とっても痛かった。
『痛い』って言ったら、誰かが腕を摩ってくれました。
直ぐに意識がなくなるのに、それでも摩ってくれたんです。
ありがとうって思った後は、記憶がありません。

次に気が付いたのは、手術後。
時間は、1時間半ぐらい。
目の前に大きな時計があったので、術後なのに気が付きました。
旦那と短い面会をして、その後病室へ。
その後、数時間後には計器や管が外されて、『歩きましょう』って。
起き上がる時は痛いけれど、歩行は大丈夫でした。
しかし、めまいを起こして吐き気との闘いです。


《1月11日》
朝食から、普通食でした。
吐き気がして食べられませんでした。
お昼には、カレーライスが出ていました。
一口食べたけれど、無理でした。
夕食からは、少しずつ食べられるようになりました。

この日は、朝からまためまいを起こしてしまいました。
それでも、少しずつ体を起こすように心がけました。
右胸の膨らみがないのを実感したのは、午後でした。
頭じゃわかっているのに、痛みもあるのに、トイレの鏡に映った姿で初めてわかりました。


《1月12日》
傷も問題なし。
特に治療もないので、ドレーンから出していた廃液の管理だけです。
『暇なら、退院していいよ』って主治医から言われたので、早めに退院することになりました。


《1月14日》
退院。
傷の痛みは、それほど強くないです。
ただ、まだ1本ドレーン(管)が残っています。
1週間後には、抜ける予定です。
でも、やっぱり邪魔です。

乳腺科は、火曜日の10時に入院して水曜日が手術。
翌週の火曜日の10時に、次の患者さんが入院するので、ベットを開けなくてはいけない。
これが、現実なんです。
入院の日、30分ほど早く行ったので、すんなり受付ができました。
手続きが終わった頃には、座る椅子がないぐらい・・・
これだけ、癌患者が多いんです。


《1月17日》
退院してきて、ほどほどに問題なく生活ができています。
傷はまだ痛みます。
右腕は、動きづらいです。
でも、全体的には元気かな。

ただ、寒い。
病院の中は、暖かいより暑い感じで、陽射しの入る窓はカーテンを閉めてました。
夜も暖かで、布団を掛けると汗ばむ感じでした。
しかし、我が家は寒いです。
いつもと同じなのに・・・
数年ぶりに湯たんぽを出しました。

傷を直視するのは、ツライです。
胸が無くなるって、思っていたより厳しいです。
慣れることができるのか・・・
受け入れるまでに、しばらくかかりそうです。
入院中、下着のフィッティングをする予定だったのですが、できなかったんですよね。
これって、社会復帰するには大事なことで、やっぱり前向きになる重要な要件です。
やっぱり、ちょっと不安です。


《1月18日》
痛み止めの薬を止めました。
我慢できない程ではないので・・・
それ以上に、胃の調子が悪い。
元々胃が強いわけじゃないので、胃薬も処方してもらわないといけませんでした。

ドレーンの管などを止めているテープが、かぶれて痒い。
通院日の火曜日までの辛抱なんだけれど、辛いわ。
廃液も減らない。


《1月22日》
明日は、通院日です。
病理検査の結果も出るので、旦那も同行です。

退院して1週間ちょっと、少しづつ体調も良くなっていると思います。
傷自体は、それほど痛くない。脇に近い部分がちょっと痛みます。
後は、腕です。肩から肘にかけて・・・
腕は上がらず、力もイマイチ入りません。

ドレーンの廃液、中々減らずにどきどきしていたんです。
でも、今朝は55㏄まで減ってました。
50㏄が、ドレーンを外す目安なんですって。
もう、固定してあるテープのところが、かぶれて痒くて痛くて限界です。


《1月23日》
退院後、最初の診察です。
病理検査の結果は、癌細胞は見つけられなかった。
抗がん剤との相性が、本当に良かったみたいです。
あとは、放射線治療と9クールの抗がん剤治療でお終いです。
それ以上の治療は、必要ないそうです。
やっと、ホッとした感じがしました。

そして、体についていた管(ドレーン)、廃液がまだ少し多めでしたが、主治医の判断で外してくれました。
多少、廃液が出るだろうけれど、出るものは出して欲しいって。
と言っても、けっこう出てきて困りました。
これが収まれば、浴槽に入れます。
寒い冬は、シャワーだけじゃ辛い。

帰りに、尿と血液検査。
血管は出ずに3回刺されました。
刺した後、逃げちゃう血管と戦うから痛いんですよね。

帰りは、運転してみました。
ハンドルを回すのも、ウインカーを出すのも痛いです。


《1月26日》
体の痛みはあります。
傷より、腕の痛みが強いです。
それでも、少しずつ良くなってます。
それ以上に、気力が出てきた感じです。

今日は、一人で買い物に行って来ました。
運転は、まだちょっと痛い。
前回に比べると、ウインカーも右手で出せるようになりました。
少しずつ良くなるでしょう。


《1月29日》
今、悩んでいるのが、どうしても右と左の胸の位置がずれてしまう。
当たりの柔らかい下着なんだけれど、野放しになったおおきな左胸を支えられずに下がっちゃう。
逆にパットの入った右胸は、上がっちゃって・・・
上着を着て誤魔化すことはできるんだけれど、傷を診察されるときは誤魔化せない。
病人の胸だからって言っちゃえばそうなんだけれど・・・
やっぱり、嫌よね。
自分は、女性なんだな~って実感させられます。


《1月30日》
通院日です。
1ヶ月ぶりに、自分の運転で病院へ行ってきました。
右腕はまだ痛いので、疲れちゃうんですよね。
でも、そろそろ慣らさないと・・・

傷の経過はいいようで、検査結果も大丈夫。
なので、抗がん剤治療を再開です。
1週間後の6日は、通院治療センターがパンクするほど予約が入ってしまったのでダメなようです。
なので、13日からになりました。
それと一緒に、放射線科の診察。
放射線治療も並行して、始まるようです。
本当に後半戦に入る感じです。

明日から、少しずつ仕事を再開します。
やっぱり、人と話していつもと同じがいいですね。

胸も問題も、あまり気にしなくて大丈夫かも。
自分が思っているより、他人は気にならないみたいです。
ふわっとした感じの服を着たり、上着を羽織ったりして誤魔化そうかな~って。
もう少し回復すれば、補正の仕方も増えるだろうし・・・

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