《 ひさしぶりのブロードウェイからのつづき 》
とうとう行ったぞ~!ブロードウェイ・タワー!
過去に何度かブロードウェイの村を訪れたことはあったものの、微妙に時間が足りなくなり、(そのうちまた行く機会があるさ~)と、
いつも見逃していたんですよね。なのに、「そのうち」と言いつつ、気がつけば還暦過ぎ・・・
それにおそらくは私たち、近い将来別の土地に引越すことになるので、(今のうちに行っておかねば~!)と思ったのです。
ブロードウェイの村からタワーまでは、車で7km弱、10分ほどで到着しました。
少し離れた駐車場に車を置いて、タワーまで歩きます。駐車料金は、4時間までで3ポンド(550円)と、リーズナブルでした。
高さ約20mのブロードウェイ・タワーは、標高312mのブロードウェイ・ヒルに立っています。
タワーは六角形をしていて、角のひとつおきに、丸い小塔が付いています。
3つある丸小塔のうちひとつは上りの螺旋階段、ひとつは下りの螺旋階段として使われていました。
3つめの丸小塔は、4階と屋上を除いては使途不明です(後述)。
塔は4階建てで、1階はチケット・カウンターと記念品のショップ、入場料は14ポンド(今日のレートで2,620円)でした。
(たっか!)と思ったけれど、たぶんこれが最初で最後と思うので、我慢です。
螺旋階段を上っていくと、2階はこんな風になっていました。小さい塔なので、各階一室あるのみです。
こんな素敵な部屋でディナーしたら、それはそれは美味しいんじゃないかしらん・・・
3階はこんな感じで調度品も少なくて、あっさりしていました。
2階と同様3階でも、奥にある丸小塔に続く扉は閉まっていました。
4階は誰かの書斎風。奥の扉の向こうは3つめの丸小塔ですから、とても狭いと思われます。
階段脇の小窓からの眺望を楽しみながら、屋上へ。
屋上キター!
屋上では丸小塔のスペースには、なぜか洗い桶のようなものが置かれていました。
(個人的には洗い桶よりもトイレが欲しいと思った、頻尿気味のワタクシでございます )
屋上はこんな感じ。
ブロードウェイ・タワーの麓はブロードウェイ・カントリー・パークとして開放されていて、ピクニックやハイキングを楽しめるようです。
なんと、鹿までいるんですね~ こんな所で暮らせるなんて、ラッキーな鹿さんたちだわ
フットパスらしきものも見えました。そういえばここは、コッツウォルド・ウェイ(Cotswold Way)も通っているんでしたっけね。
「ブロードウェイ・タワーの屋上から眺望を楽しみたい!」 という念願が叶い、満足
螺旋階段を使って、塔を下りました。
そうそうチケット購入時に、希望すればオーディオ解説用のヘッドホンを借りることもできるようでした。
私は興味なかったので(オイオイ)借りませんでしたが。
駐車場の近くにカフェ兼ショップのモリス&ブラウン・カフェ(Morris & Brown cafe)がありました。
お腹にスペースができていたので、バノフィ・チーズケーキとラテで一服。両方で8.25ポンド(1,545円)でした。
カフェの外にはピクニック・テーブルもあるし、お弁当持参で来れば、カントリー・パーク内で一日遊べそうです。
ムスメが小さいうちに来れば良かったなぁ・・・
駐車場にあった案内板です。私がお茶したモリス&ブラウン・カフェの他にも、少し離れた所に
タワー・バーン・カフェ(Tower Barn at Broadway Tower)というのがあるみたい。
天気が良くて暑くない日にお弁当持参で来て、一日過ごすのも楽しそう
グーグル・マップも貼らせていただきましょう。駐車場とカフェがある位置からタワーまでは、200mくらい離れています。
ちなみにブロードウェイの村からブロードウェイ・タワーまでは、徒歩なら約2.5km、50分ほどで歩けるようです。
今度挑戦してみたい気も・・・?
タワーでもらった薄いパンフレットには、タワーの歴史が説明されていました。
タワーが建設されたのは18世紀の終わりも終わり、1798年から1799年にかけてだったそうです。
建設したのは、ジョージ・コヴェントリー(第6代コヴェントリー伯爵、1722-1809)。
1760年に病死した彼の最初の妻はファッショナブルなロンドンを好みましたが、
1765年に再婚した二番目の妻バーバラ夫人は、伯爵と同様田園風景や植物や動物を愛する人だったので、
彼女への愛の証としてこの塔を建てたそうです。(下右写真: ジョージ・コヴェントリー伯爵とバーバラ夫人)
残念ながら伯爵夫妻がこの塔を楽しむ期間は長くはありませんでした。
バーバラ夫人は1804年、つまり塔の完成からわずか5年後に、伯爵もさらにその5年後の1809年に、この世を去りました。
塔の完成年に伯爵は77歳とすでに高齢でしたから、仕方ないといえば仕方ないですね・・・
でも高齢でありながら奥様にこんな大きなプレゼントをしてしまうなんて、太っ腹~!
19世紀には、ラファエル前派の仲間で友人でもあった“クロム”・プリンスなる人物がブロードウェイ・タワーを賃借していた関係で、
ウィリアム・モリス(1834-1896) もブロードウェイ・タワーに何度も滞在したことがあったそうです。
(ウィリアム・モリスって日本で有名ですか?恥ずかしながら私は、イギリスに来るまでまったく知りませんでした・・・)
屋上でお風呂に入っていたとき、強風に石鹸が吹き飛ばされてしまい、モリスは怒り心頭だったそうですよ!
20世紀に入ると、タワーは周辺の農地で働く農民に賃貸され、もったいなくも農場として使われたそうです。
(収穫を貯蔵したり農耕器具を保管したりとかですかね?)
駐車場からタワーへの途上の脇には、戦没者記念碑がありました。
第二次世界大戦中だった1943年6月2日、3時間ほどの演習飛行を終えたアームストロング・ホィットワース・ホィットレイ爆撃機が
この地点に墜落、搭乗していた5名は全員亡くなりました。
現在でも毎年6月2日には、事故が起きた午後2時に、この場所で追悼礼拝が行われるそうです。
第二次世界大戦後、東西冷戦が顕著になったことから、タワーから46mの位置に核バンカーが造られ、1961年から
常時人員が配置されるようになりました。これは東西の冷戦が終結した1991年まで続いたそうです。
核バンカーは4月から10月までの週末とバンク・ホリデー他数日のみ公開されていて、見学には予約が必要。
詳しくは: The Cold War Experience at Broadway Tower's Nuclear Bunker
ところで私、ブロードウェイ・タワーはてっきりナショナル・トラストの管理下にあるものと思っていましたが、そうではなかったんですね。
ナショナル・トラストがブロードウェイ・タワーの寄贈を受け入れなかったため、タワーとその周辺の土地は1949年に売りに出されました。
その後レジャー機運の高まりに後押しされ、タワー周辺の景観が整備され、ピクニック・サイトが造られ、駐車スペースも確保され、
1974年7月に、ブロードウェイ・タワー・カントリー・パークとしてオープンしたそうです。
タワーとその周辺の土地は1980年にまた売りに出され、ブロードウェイの由緒あるホテル、リゴン・アームスで競売にかけられました。
獲得したのは、ハンス-ユージェン(?Hans-Eugen)・ウィル氏で、2世紀前の第6代コヴェントリー伯爵同様、(ブロードウェイ・タワーに
一目惚れしてしまっていた)愛する奥様レナーテさんへの愛の証として、タワーとその周辺の土地を購入したそうです。
(下の写真の左下がウィル夫妻。)
ウィル夫妻はブロードウェイ・タワーとパークの将来について熟考し、その整備や保全管理に必要となる資金を確保するには
タワーとパークを一般有料公開することが最善との考えに至りました。
現在はタワーとパークの維持管理は、ウィル夫妻の娘であるアネットさんによって引き継がれているそうです。
ということで、チッピング・カムデンとブロードウェイとブロードウェイ・タワーを訪れ、
大満足な一日を過ごした私でした。