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ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

アガサ・クリスティー失踪事件

2014-04-11 21:01:35 | 事件

10月に古都ヨークに行くことに決めたので、先日、近隣にはどんな町があるのかな~、なんて思って調べてみたんです。 

ヨークで時間が余った場合に備えて、日帰りでちょこっと出かけられるような町を確保しておこうと。

すると、列車で片道32分のところにハロゲイトという町が。 町の名を目にした途端、ずっと前に見た映画を思い出しました。

アガサ/愛の失踪事件』(英語の原題はシンプルに “Agatha”)。 ヴァネッサ・レッドグローヴとダスティン・ホフマンが主演の、1979年(35年前!)の映画です。

 

        

 

題名から察せられる通り、物語のヒロインは『ミステリーの女王』アガサ・クリスティー(1890-1976)。 私はシャーロック・ホームズから始まって大のミステリー・ファンになり、成長期は世界の名作はそっちのけで推理小説ばかり読んでいました。 もちろんアガサ・クリスティーも、ポワロものとミス・マープルものはほとんど読み尽くしたと思います。

この映画、映画館まで足を運んだのか、はたまたテレビ放映されたとき見たのかは覚えていないのですが、見たことは確か。 でも何せ大昔のことなので、もう細部は覚えていません。 クリスティーの夫は、のちのボンド俳優ティモシー・ダルトンが演じていたんですね。 

 

  

 

アガサ・クリスティーは、36歳だった1926年12月に11日間失踪したことがあり、この映画は、その事実を基に独自のストーリーを展開したフィクションです。 失踪中のアガサに絡んでくるのが、ダスティン・ホフマン演じるアメリカ人ジャーナリストでした。

 

 

 

内容はすっかり忘れていたので、あらすじを読んでみました。 そうか、そういう話だったのか。 全然覚えてない所をみると、あまり感銘を受けなかったのかな。 でも年輪を重ねた今だったら、もっと楽しめるかも。 

 

 

 

唯一覚えているシーンとして、たしかヴァネッサ・レッドグローヴとダスティン・ホフマンのキス・シーンがあったような・・・ 長身のレッドグローヴが、屈みこんでホフマンとキスしていたような・・・ 今調べてみたら、ホフマンの身長167cmに対し、レッドグローヴは180cm!  (羨ましい・・・151cmの私に10cm分けて!)

 

 

 

で、この映画とハロゲイトの関係はというと。 失踪したクリスティーは、事実に基づいて映画の中でも、洗練された温泉保養地ハロゲイトにあるホテルに滞在するのです。 実際にクリスティーが投宿していて発見されたホテルは、Old Swan Hotel (当時は Swan Hydropathic Hotel =スワン水治療養ホテル)。 

まぁ、カワイイ外観と思ったけれど、全体写真を見てビックリ。 高級そう・・・ 場違いすぎて、私にはとても泊まれそうにないホテルだわぁ。

 

  

 

アガサ・クリスティー失踪事件:

アガサ・メアリー・クラリッサ・ミラーは1914年のクリスマス・イヴにアーチボルド(アーチー)・クリスティーと結婚し、1919年に娘のロザリンドが誕生した。 が、1926年には二人の結婚は暗礁に乗り上げていた。 アーチーは「別の女性を愛しているので、彼女と結婚するため離婚して欲しい」とクリスティーに告げる。 1926年12月3日金曜日。 妻の留守中に荷物をまとめたアーチーは、二度と戻らないつもりで出て行った。 (彼は週末を、愛人を含む友人たちとゴダルミングで過ごすことになっていた。) 帰宅してそれを知ったクリスティー(当時36歳)は、小さなスーツケースに荷物を詰め、眠っていた娘のロザリンド(当時7歳)にキスをすると、午後9時45分頃、車でサニングデールの屋敷を出た。

翌4日土曜日の朝、ヘッドライトが点いたままの彼女の二人乗り自動車がサリー州にある景勝地ニューランズ・コーナーの沼の近くで発見される。 車は土手下の藪に突っ込んでいて、車内には毛皮のコート、中味が入ったままのスーツケース、期限切れの運転免許証が残っていた。 当時すでに有名になっていた彼女の失踪は全国ニュースになり、500名を超える警官が捜索にあたった。 それに匹敵する数のボランティアの市民も捜索に加わった。 クリスティー発見につながる情報には100ポンドの賞金がかけられ、警察犬が使われ、ダイバーが沼をさらい、イングランドの歴史上初めて、行方不明者捜索のために航空機が飛ばされた。 「アガサ・クリスティーに何が起こったか?」が、当時の一番大きな話題だった。 彼女の失踪は、大西洋を越えてニューヨーク・タイムズ紙の一面を飾った。 オカルトに興味があったコナン・ドイルは、クリスティー発見の望みをかけて彼女の手袋を霊媒師のところに持ち込んだという。

                 

事件は12月14日にあっけない幕切れを迎えた。 クリスティーが滞在していたホテルのバンドのバンジョー奏者ボブ・タッピンが彼女をクリスティーと見破り、警察に通報したのだ。 (クリスティーに気づいたのは他の滞在客 / ホテルのウェイター / メイドだったという説もあり。) 警察に要請されてハロゲイトに急行したアーチーが、本人と確認。 このときクリスティーは彼を弟と認識し、なぜそこにいたのかも、何日間滞在していたのかもわからない様子だったという。 アーチーはクリスティーが、ストレスと自動車事故のため一時的な記憶喪失に陥っていたとし、家に連れて帰った。

ホテルの話では、クリスティーは12月4日に、小さなスーツケースを持ってタクシーで到着した。 “ケープタウンから来たテレサ・ニール”の名でチェックイン。 その後は毎日ダンスをしたりカードで遊んだり余興を楽しんだりしてリラックスした様子だったという。 警察は、クリスティーは鉄道駅まで歩いて列車でロンドンに出、広告で目にしたハロゲイトに行くことにしたものと推測した。

その年クリスティーは、母親を気管支炎で亡くしていた。 が、病気と死と厄介ごとが嫌いなアーチーは、ロンドンに留まってクリスティーを一切サポートしなかったという。 母親の葬儀や思い出が詰まった家の処分についても同じだった。 さらに追い打ちをかけるように、離婚の要請。 アーチーの愛人は、友人のベルチャー大尉の元秘書のナンシー・ニールだった。 (1922年にアーチーは、ベルチャー大尉から、彼のビジネス・マネーシャーとして世界旅行に同行するよう依頼された。 彼は引き受け、妻のクリスティーも同行した。 カナダ・ハワイ・ニュージーランド・オーストラリア・南アフリカなどを巡る10ヶ月の旅をクリスティーも大いに楽しみ、後日「私の人生の中でも最もエキサイティングな出来事のひとつだった」と回想している。) 

当時のマスコミも世論も、クリスティーに厳しかった。 彼女の失踪は、①著作の売り上げを伸ばすための狂言か、②夫に恥をかかせる、あるいは夫を陥れるための陰謀だったと憶測された。 警察は母親の死と夫の浮気が引き起こしたストレスによる一時的な記憶喪失と結論づけた。 ハロゲイトに滞在中の費用についてはクリスティーは、「非常時のために常に身につけていたマネー・ベルトの現金からまかなった」とした。

クリスティーとアーチーは1928年に離婚し、アーチーはその後ナンシー・ニールと再婚した。 (ナンシーは1959年、アーチーは1962年に没。) クリスティーは娘のロザリンドの親権と、アガサ・クリスティー名義で小説を発表し続ける権利を獲得した。 クリスティー自身も1930年に、14歳年下の考古学者マックス・マローワンと、40歳になる4日前に再婚。 二人はその後、クリスティーが1976年に85歳で没するまで添い遂げた。

今となっては確認のしようもないが、クリスティーは屋敷を出る際、“ヨークシャー州(ハロゲイトのある州)に滞在に行く”という置手紙を残していたとの情報もあった。 しかしジャレード・ケイドは、1999年に発表した『アガサ・クリスティーと失われた11日間』の中で、クリスティーの姉マッジと結婚したジェームズ・ ワッツの親族が、「あの失踪はアーチー・クリスティーをおとしめるために念入りに計画されたもので、ジェームズの妹のナンがクリスティーに現金と衣類を渡したと言っていた」と証言したと述べている。 クリスティーはその後は自らの失踪について一切口を閉ざし、ずっと後になって出版された自伝でもまったく触れていない。 そのため真相は、永久に謎のままとなった。

 

・・・ 最初の結婚が離婚に終わったのは残念でしたが、再婚でお幸せになれたようでよかったですね。 

『ミステリーの女王』の、ミステリアスな失踪事件。 謎のままの方がいいと思うのは、きっと私だけではないことでしょう。 うん。

もしヨークで時間が余ったら、列車でハロゲイトまで出掛けて記念にオールド・スワン・ホテルの写真でも撮ってくるとしましょうか。・・・ 

 

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