“Bitter Blood”のTV映画版(1994年)でスージーを演じたケリー・マクギリスは、今年55歳。
1980年代にいきなりスターダムにのし上がったと思ったら、その後ぱったり話を聞かなくなっちゃいましたよね。
『刑事ジョン・ブック 目撃者』とか、 『トップガン』とか、・・・
・・・『告発の行方』とか。
『告発の行方』が話題になった頃、ケリー・マクギリスが実際にレイプ被害に遭ったことがあるということは耳にしていました。
そのため最初はマクギリスにレイプ被害者役が来たけれど、それを断り検事役に落ち着いたとか。
“Bitter Blood”の記事のためサーチしていて初めて知ったことがあるので、今日はそれを記事にしたいと思います。
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《レイプ被害のことを語るマクギリス。『告発の行方』がヒット中だった1988年11月のインタビューからの抜粋の意訳です》
私が育ったカリフォルニア州のニューポート・ビーチは、本当に安全だったの。だから私、よそには危険な土地があることや、身の安全を守ることに関しては全くの世間知らずだった。演劇をやりたくてニューヨークに引越したのは21歳の時。2年後に銃を突きつけられて路上強盗に遭ったけれど、それほど怖いとは思わなかったわ。ニューヨークでは誰もが強盗に遭っているみたいだったから。
レイプされたのはその翌年の、私が24歳の時。風の強い、寒い2月の晩だった。演劇学校から戻ってシャワーを浴び、バスローブを羽織って手紙を読んでいたら、ドアの方から音がしたの。ルームメイトが帰宅したのだと思った。ところが見上げたら、2人の黒人の男が押し入ってくるところだった。一人は背が高く、もう一人は背が低くて、どちらもがっしりと強そうで、嫌な臭いがしたわ。お酒と古い汗が混じったような。あの臭いは一生忘れられそうにないわ。パニックした私は叫び声を上げながら電話に駆け寄ったけれど、背の高いほうが私を捕え、電話線を引き抜いてしまった。
背の高い方はズボンのジッパーを下げて、私にオーラル・セックスを強要したの。私が拒絶すると、彼はビール瓶で私の肩を殴った。私が悲鳴を上げ続けていたので二人は「黙れ!」と叫び、顔にナイフを突きつけ、寝室へと連れて行かれた。背の低い方はお金と宝石を要求し、私は何とかこの状況から脱しようと必死で考えていたわ。「何でも持って、出ていって!」 でもその時アパートにあったのは少しばかりの宝石と現金10ドルだけで――背の低い方はキッチンに走ってもう一本ナイフを持って来、もう一人は私にベッドに横になるよう要求した。私が拒否すると、彼はナイフで私の腕や胸を刺して、汚い罵り言葉を浴びせた。
ベッドに横になるくらいなら死んだ方がましだと思ったけれど、彼等は私が生きていようが死んでいようがレイプするつもりだとわかり、抵抗をやめたの。背の高い方が私の上にのしかかり、私の右目にナイフを突きつけながら私を犯した。私は横たわったまま、これは現実ではないと自分に言い聞かせていたわ。彼の口臭は一年も歯を磨いていなかったかのように臭くて、私はあたりじゅうに嘔吐し、彼に殴られた。もう一人が私の上に乗ってきて、その後二人は何度か交替した。済んだら私を殴り殺すと言いながら。私は死を覚悟したわ。
襲われていた20分間は、20年の長さに感じた。本当の危機に見舞われると、脳の一部は分離して無感情になるものなのね。自分の心が身体から離れて、状況を傍観しているような気がしたわ。突然ドアが激しく叩かれ、二人は窓から逃げて行った。誰かが警察を呼んでくれ、おかげで命が助かったの。そのことは、今でも神に感謝してる。警官の一人が二人を追ったけれど、逃げられてしまった。その後警察署に出向き、写真から二人を選び出せたわ。
[二人は一ヶ月以内に捕まった。背の高い方は2ブロック離れた所に住んでいた麻薬中毒のあるレロイ・ジョンソン(15歳)で、3年の懲役刑を受けた。彼は当時、青少年矯正施設から逃亡中だった。背の低い方は20歳で、現場に残された物証が十分でなかったとして無罪釈放された。]
事件のあとは、自分が何か悪いことをしたからあんな目に遭ったのだとひどい自己嫌悪に陥ったわ。夜眠るのが怖くて、お酒に溺れたりもした。自堕落になって、このままではいけないと気づき、カウンセリングに通うようになったのは事件後2年も経ってからだった。
『告発の行方』の撮影中は悪夢も戻ったけれど、私は自分の人生に大きく影響した事件の問題点を世間に訴えることに情熱を感じたの。自分の体験を公に話すことはずっとできなかったけれど、去年、ロサンゼルスでのレイプ被害者のためのチャリティー昼食会に参加した時、2人のレイプ被害者が体験を話すのを聞いた。その時思ったわ。自分の体験を語らないのは、人生において最も弱虫な行為だと。
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ハリウッドでの大成功にもかかわらず、ケリー・マクギリスは『告発の行方』の公開の翌年、富豪のヨット仲買人フレッド・ティルマンと結婚。
ハリウッドを去り、フロリダのキー・ウェストでレストラン Kelly's をオープン。二人の娘にも恵まれる。
しかし13年後の2002年に離婚。実はマクギリスはゲイ(レズビアン)で、それとの葛藤に苦しみ、アルコールや薬物中毒と闘っていた。
娘たちを偏見から守らなければならなかったマクギリスは、自分のセクシュアリティーに関しては固く口を閉ざした。
成長した娘が二人とも家を離れた2009年、マクギリスはカミングアウトし、2010年には10年以上も付き合っていた11歳年下のメラニー・レイスと市民婚を挙げた。
式には前夫のティルマンも出席。マクギリスとティルマンは、現在も良い友達だそうだ。
ちょうどその頃、マクギリスをレイプしたジョンソン(43歳)は、50年の刑期を始めたところだった。母親は麻薬中毒者、父親は麻薬の過量服用で死亡したというジョンソンは、
再びアパートメントに押し入って女性二人をナイフで脅し、レイプしたのだ。性的暴行の余罪もあるという。
近年テレビや映画や舞台に戻り始めたマクギリスだが、チャリティー活動やボランティアとしての薬物中毒リハビリ施設訪問なども積極的に続けている。
12歳の頃にはもう、自分がゲイだと気づいていたという。レイプ被害に遭ったときは、ゲイであるため神に罰を与えられたと思って苦しんだ。
実はレイプに遭ったとき、レズビアン関係にあった恋人も一緒にいて、彼女もレイプされていた。が、そのことは、1988年の時点では公にする勇気がなかった。
「ずぅっと長いこと、私は本来の自分を偽ってきた。そのため失ったもの、台無しになったものも多かったわ。傷つけた人も多い。
やっと本来の自分になれて、今が最高に幸せ。」
・・・人生これからという時に、残忍で暴力的なレイプの被害に遭われて・・・ あのクールな笑顔の陰で、大変な思いを抱えていらしたんですね。
ケリーさんのこれからが、どうかお幸せでありますように。
(それにしても、極悪非道なレイプ犯。いくら15歳だったとはいえ、3年の刑は短かすぎでは? せめて10年は放り込んで欲しかった!!)
《オマケ》 『トップガン』同窓会!? 2010年5月に再会したトム・クルーズと。
178cmと高身長のケリーさん。170cmのトム・クルーズより背が低く見えるよう、
撮影中は常に身を低めていたんですって

彼女の名前の画像からこちらへ来ました。
英国の東南方向へ観光に出かける予定です。
沈む夕日を見に。
1985年の『目撃者』以来のファンです。
75歳のビジネスマン。
お元気で