今朝ケア・コーディネーターから、一斉メールで、悲しいお知らせが届きました。
私が仕事でお伺いしていた顧客さんのアイリスさん(仮名)が、一昨日の晩病院に救急搬送され、
昨晩、亡くなられたそうです。
仕事柄、接する顧客さんはご高齢の方がほとんどですから、仕方がないことなのですが・・・
今の仕事を始めて以来、これでもう四人目です、顧客さんとお別れするのは。
アイリスさんは義母と同じ95歳で、誕生日も義母の翌月と、たったのひと月違い。
今年の3月に95歳になられていました。
記憶がけっこう曖昧になってはおられましたが、それでも認知能力はまだまだ健在で、
おしゃべり好きで、義母に関する私の愚痴を、よく聞いてくださいました。
義母がパンツ式の紙おむつを絶対に履こうとしないんですよ~! とか、
義母が介護ヘルパーさん導入を断固として拒否するんですよ~! とか、
義母がヘルパーさんに言われても、週一のシャワーすら嫌がってのらりくらりとかわすんですよ~! とか。
介助を拒みたがる義母とは対照的に、アイリスさんは、
介護を積極的に受け入れてくださいました。感謝とともに。
「パンツ式の紙おむつね~、もちろん履かずに済めば一番いいけれど、私は履くことに抵抗はないわ、
第一履かなければ危険だもの!(笑)」
「私は介護してもらえることをとてもラッキーだと思っているわ、有り難いことだとね。」
「私は母に、清潔を保つよう教え込まれて育ったから、一日おきにはシャワーを浴びないといられないの。
だからあなたのお義母さんの気持ちが理解できないわ。」
などなど。
あの年代の女性では珍しいと思うんですが、アイリスさんは、男性ヘルパーに排泄やシャワーなどの
パーソナル・ケアを介助されることも、気にならないとのことでした。
食料品や必要物資の買物や金銭管理などは、毎週来られる娘さんがサポートしてくれました。
私がアイリスさんに最後に会ったのは、8日前の7月26日(木)、久しぶりのカフェランチをした日でした。
正午から午後6時という珍しく長いアイリスさん訪問を与えられたので、早目に家を出て
ショッピング・センターで目の保養をしてから、アイリスさんのお宅にお邪魔したのです。
あの日のアイリスさんは、いつになく 「眠くてたまらないの・・・」 とおしゃべりをしたがらず、
目を閉じて、大部分の時間をうとうとされていました。
午後1時のディナー(アイリスさんはランチタイムに正餐つまりその日のメインとなる食事を取られます)も、
午後5時半のティー(軽い夕食)も、「食欲がないわ・・・」 と、珍しくほとんど残されました。
いつもと大分様子が違ったので、住み込みをしていた若い男性ヘルパーが休憩から戻ったとき、
その旨申し送りをしました。彼によると、アイリスさんは、「朝食も珍しく残していた」 そうです。
「様子を見て、明日医者か看護師に相談してみるかも」 とも、言っていました。
今思うと、あれが 『終わりの始まり』 のサインだったのかな・・・?
でもまさか、こんなに急に、あっけなく、亡くなってしまうなんて。
アイリスさんは 「認知症になって家族のこともわからなくなるなんてことには絶対なりたくない、それが一番怖い」
と、折に触れて、おっしゃっていました。
ご自分が60歳の頃にご主人を亡くされて以来、35年間も一人暮らしをされてきました。
住み込み介護ヘルパーに介助されながら、最後まで自宅で生活し、
病院に運ばれたと思ったら、その翌晩には天に召されるって。
怖れていた長患いをすることなく、認知症にかかることもなく、この世を去ることができたアイリスさん。
もうお会いできないのはショックだし残念ですが、悲しい・・・とは思いません。
それは、このように突然あっさりと最期を迎えられたことを、
ご本人が一番喜んでおられるだろうと思うからです。
私もアイリスさんのような最期を迎えられたら、最高ですね。
アイリスさん、どうぞ安らかにお眠りください。
合掌。
* * *
一方、終末期に入ったベティーさんですが・・・
固形物を口にせず水をすするだけになったのが、7月17日(月)頃。
往診してくれたお医者さんが、住み込んでいるジョアンに 「あと2日から4日(の命)」 と言ったのが、7月20日(木)頃。
私が外出しなければならないジョアンのためカバーに入ったのが、7月24日(月)。
ふたたび往診してくれたお医者さんがジョアンに 「あと1日か2日(の命)」 と言ったのが、7月27日(木)。
その後ジョアンからメッセージが届かなかったので、ひょっとしたらベティーさんは亡くなり、その対応で
ジョアンは大忙しなのかも?と思っていたのですが、今朝、一週間ぶりにメッセージが入りました。
それによると、ベティーさんは、
「心拍は未だに強いが、本格的な医療介護が必要になったため、家からすぐの養護施設に移された」
とのこと。
プロによる鎮痛管理といった、自宅では困難な終末期ケアが、必要になったのかもしれません。
ベティーさんの最期が、速やかに、そして安らかに訪れることを、祈ります。・・・