花夢

うたうつぶやく

083:拝むうた

2007年02月28日 | 題詠2006感想
久々の感想更新です。(2007.11.24)


花の日の礼拝のためひよひよと純正律の練習をする
西宮えり

ひよひよというところが可愛い。
花の日の礼拝の純正律と聞くと荘厳な感じがするけれど、
この作品はぽかぽかとしたひなたのにおい感じる。
たどたどしさを思わせる、ひよひよとした練習。
花の日の礼拝は光。



幾万の人に拝まれ崇められ千年余り動けずに居る
ゆあるひ

拝まれる側が主体となっている面白い作品。

千年余り動けずに居る崇められるなにものかは、人が良い。
そんな幾万の人のことなど知らぬ存ぜぬ。
と思えないところが、たぶん拝まれ続けている理由。



わが生は拝むこと絶えてなかりせば深まる青のからっぽの空
みなとけいじ

「拝むこと絶えてなかりせば」
おそらく、日本人の多くがこんなふうになってきている。
そして、深まるからっぽの空。
拝み方を忘れていく私たちは、ただただ青い空の下で、
どうしていいかわからなくなってゆく気がする。



拝啓 ご先祖様おかえりなさいベッドは冷えて地面のようです
我妻俊樹

淡々と、
まるで神様に訴えるように、ご先祖様に報告をする。
その内容は「ベッドは冷えて地面のようです」。

まるで懺悔のようにも見える。

地面のような冷たさと、
語りかける相手がご先祖様であるところが、
なんだか自分の存在を根底から冷やしているよう。



学校の礼拝堂で傷つけてしまった夏が赦されてゆく
内田誠

小説の1ページのよう。
神聖な場所で犯してしまった過ち。
「傷つけてしまった」のだから、意図しないものだったのでしょう。
時が経つにつれ、ページが色褪せていくように、過去になっていく。



<振り返り>
2006年題詠100首blog自選集「短歌、BLOGを走る。」(歌葉)にて、大辻隆弘さんの解説に拙歌を取り上げて頂けました。
とても嬉しいです。

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