とんぼ。
叙情溢れる景色が浮かびそうですが。
秋の夕暮れのようにしっとりとした言葉が印象的だった作品たち。
叙情溢れる景色が浮かびそうですが。
秋の夕暮れのようにしっとりとした言葉が印象的だった作品たち。
今夜みる水辺のゆめはあの夏のとんぼ群れゆくゆめにしましょう 斉藤そよ 「水辺のゆめ」という湿気を含むゆめは、幻想的でありながら、どこか現実味を帯びている気がします。 「とんぼ群れゆくゆめ」という景色がただの風景とはならず、なにか記憶を連れたものに感じるのも、その湿気のせいかもしれません。 また、「ゆめにしましょう」と誘いかける口調が、作品世界をやわらかくしています。 とんぼ群れゆく心象風景へと、いざなってくれそうな。 ひらがなの「ゆめ」という言葉も幻想的な雰囲気を広げている気がします。 そして、湿気を帯びた、とんぼの群れゆくゆめが心にさわさわと広がります。 |
春は来てかつてとんぼであった風が庭のミモザを揺らして逃げる やすまる 「かつてとんぼであった風」とさらりと言ってのけていますが、 秋にはとんぼであったものが、春である今は風なのですね。 作者がそれを知っているのは、 風がそっと吹いたとき、とんぼと違わぬ気配のようなものを察したからなのでしょう。 かつてとんぼであった風は、とんぼの頃の軽快な動きを失わぬまま。 庭のミモザの揺れ方が、 春が来たことと、 風がかつてとんぼであったことを教えてくれる。 なにも嘆くことはない。穏やかに季節は巡り巡る。 |
つぎに逢うときにはとんぼ さざなみの影立つ夕暮れの水に沿う ひぐらしひなつ こちらは、「つぎに逢うときにはとんぼ」。 美しい暮れ際の光景にまるで溶けかけていくような、そんな錯覚を抱く作品です。 ひっそりとした「夕暮れの水に沿う」作者(作中主体)にとって、「つぎに逢うときにはとんぼ」という言葉は、ごくごく自然にうまれたもののように思えます。 「さざなみの影立つ夕暮れの水」 なんて静かでひっそりと美しい。 そして、こころまでその夕暮れの色に染まりながら溶け込んでいく。 |
クルクルリとんぼをよわすそのゆびがきのうわたしをだいたんだって ヒジリ こちらは一転して、少女らしい作品。 漢字のない1首が、すこしたどたどしくて、乙女っぽいです。 「とんぼをよわす」ゆびを凝視してしまう。 あなたはそのゆびでわたしをよわす。 |
「いい歌みたい」って。(笑)
いい歌ですよ。もちろん!(胸を張って)
「ミモザ」ってところがまたオシャレですよね。
こちらこそ、ステキな作品をありがとうございました。
すみません、トラックバックできなくて。
どうもあのブログ、トラックバックできないことが多いようです。困ったもんです。
こうやって読んでいただくと、なんだかとてもいい歌みたいに思えてきます。
うれしいなあ。
ありがとうございます。
書き込みありがとうございます。
ヒジリさんの作品は、
(とんぼではなく)作中主体自身がそのゆびに魅入られていそうな感じで、そこがふっと心に焼き付けられた気がします。
ヒジリさんも完走おめでとうございました。
私も題詠初参加で、いろいろと挑戦させてもらっています。
ありがとうございました。
トラックバックありがとうございました。
また、鑑賞もしていただけて、本当にうれしいです。
遅くなりましたが、完走おめでとうございます。
題詠には初めて参加させていただいたのですが、完走あとも楽しめる企画なのだなぁと、参加できたことを感謝したい気持ちです。
またお借りしてしまいました。ありがとうございます。
このとんぼのお題は、とても空気感のある雰囲気あふれた作品ばかりでした。
そういう作品に出会うたびに、言葉の力はすごいなぁと思います。
だいぶ寒い時期になってきましたが、まだ、そちらにもあたたかさは残されているのですね。
良い連休をお過ごしください。
ここで出会った、他の方のとんぼたちにもとても惹かれました。
このあともたのしみに覗かせていただきますね。
連休なかび、北海道も
11月とは思えないほどあたたかな小春日和となりました。