
怒り、恐怖、不安、悲しみ、そしてもう一つのマイナス感情は恥辱です。
この恥ずかしい、恥である。と言う気持ちは、
正しくない行動や愚かな行動をしてしまったと判断した時に感じますが、
程度の違いは価値観の違いによって起きますし、
それが長く続くようなら、
自分を自らが自分を攻撃していることになります。
こうなると、恥辱感はその苦しみのきっかけにはなっているけれども、
自己否定、自己非難による苦しみで、別の意味を持ちます。
昔の武士たちは命を惜しむのではなく、名を惜しみ、
名を汚されるようなことがあると命をかけて戦うことを選び、
武士にあるまじき行為をした武士は、切腹という手段によって、
武士として最後を迎えることを求められていました。
現代で言うと、牧師や僧侶や警察官や政治家や医師や弁護士等々、
同じ愚かな行為をしたとしても、一般の人とでは違う意味を持つかもしれませんし、
また、有名人と一般人とでも違う意味を持つのも仕方ないのかもしれません。
過剰な気持ちを抱き、苦しみを長く感じているとするならば、
その出来事や、その出来事に対して、
過去に下した自己の裁定を再検討する必要があります。
本当に、それは今の気持ちに見合うだけのものであるのかどうか、
本当に、それはそれだけの気持ちに見合うだけのものであるのかどうかを。
そして、恥辱で苦しんでいる場合の多くは、
自分を責め続けていることによって起きていますし、
また、それがとんでもなく恥ずかしいものであると信じ、
「それは絶対に避けなければいけないことである。」と言う、
心の規則が存在していたりします。
また、劣等感、罪悪感、後悔などは感情ではなく、
その人の想いであり、その人の裁定と考えていますから、
感情とはせず、迷いや緊張や苦しみは、その人の状態としています。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計