昨夜読みはじめた本である。今、読み終えた。一気に、それこそ一気に読み終えた。緊迫感と、真実に迫る気迫が、読者にも伝わってくる。いい加減には読めない。なぜなら、それだけ真実は重いからであるし、その真実が権力によって曇らされ、また覆い隠されるからだ。
副題は、「隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」である。そのうちの一件は、管家利和さんがDNA型鑑定の結果、犯人とされた。しかしすでに報じられているように、そのDNA型鑑定はきわめて杜撰なもので、DNAの再鑑定の結果、管家さんは無実であることが判明され釈放された。管家さんは、無実の罪で、何と17年余も刑務所に入れられていた。人生の重要な時期を、権力によって奪われたのである。
著者の清水さんは、管家さんの無実の証明に大きな力となった。清水さんがいなければ、管家さんはひょっとしていまだに刑務所の中で、「無期懲役」とされ拘束が続けられていたかもしれない。
だが管家さんの無実の証明は、間接的に現れたものであった。というのも、清水さんは、5人の少女を誘拐し殺害した犯人を追及するという目的で取材を行い、そのなかで無数の真実を探り当て、管家さんの無実を導き出したのであって、管家さんの無実を証明することを目的としたわけではなかったからだ。
警察の杜撰な捜査の結果、警察がつくりあげた構図に都合の悪い事実を捨て、警察や検察はその構図にあうように証拠を作り上げていく。もちろんその結果は無実の者を刑務所や死刑へと追い込むのであるが、それが間違いであったことがわかっても、警察、検察は、できるだけみずからの失態を隠そうとする。
清水さんは、この少女殺人犯を特定している。それについて、警察にも話している。だが警察は動かない。みずからの失態をより大きくさせないために。
管家さんが、DNA型鑑定によって犯人とされた頃、九州で起きた同じような少女殺しの事件(「飯塚事件」)、その事件の犯人として久間三千年氏が逮捕された。裁判では、死刑判決が出された。久間氏を犯人とする決定的な証拠として、DNA型の鑑定結果が持ち出された。管家さんを有罪とした、あの杜撰な鑑定である。久間氏は再審を求めていたのだが、しかし死刑が執行されてしまった。
当時のこのDNA型鑑定の信憑性を守るために、検察や警察は動いた。これ以上のメンツを潰さないためだ。警察は、清水さんが特定した犯人について、捜査や逮捕をしないことに決めたようだ。
本書は、その経緯をつぶさに描く。真実に肉迫していくある意味での執念。それはジャーナリストが持たなければならない精神である。残念ながら、多くの記者は、警察や官庁が垂れ流す情報に振り回され、真実に迫ろうという意識をもたない。そういう記者の姿も描かれている。
だが清水さんは、ひたすら真実を追求する。警察などのヘボな情報に振り回されない。現場に何度も足を運び、関係者に何度もあって、そして証拠とされるものが本当に証拠と言えるのかを追求する。
サツまわりに明け暮れている記者は、この本を読むべきだ。警察や検察という組織の本質をきちんと認識した上で情報を取ることが肝要だ。警察や検察の本質を認識する上で、この本はとても役に立つ。
是非多くの人に読んでもらいたい本だ。なお、ボクはこの本を図書館から借りた。
副題は、「隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」である。そのうちの一件は、管家利和さんがDNA型鑑定の結果、犯人とされた。しかしすでに報じられているように、そのDNA型鑑定はきわめて杜撰なもので、DNAの再鑑定の結果、管家さんは無実であることが判明され釈放された。管家さんは、無実の罪で、何と17年余も刑務所に入れられていた。人生の重要な時期を、権力によって奪われたのである。
著者の清水さんは、管家さんの無実の証明に大きな力となった。清水さんがいなければ、管家さんはひょっとしていまだに刑務所の中で、「無期懲役」とされ拘束が続けられていたかもしれない。
だが管家さんの無実の証明は、間接的に現れたものであった。というのも、清水さんは、5人の少女を誘拐し殺害した犯人を追及するという目的で取材を行い、そのなかで無数の真実を探り当て、管家さんの無実を導き出したのであって、管家さんの無実を証明することを目的としたわけではなかったからだ。
警察の杜撰な捜査の結果、警察がつくりあげた構図に都合の悪い事実を捨て、警察や検察はその構図にあうように証拠を作り上げていく。もちろんその結果は無実の者を刑務所や死刑へと追い込むのであるが、それが間違いであったことがわかっても、警察、検察は、できるだけみずからの失態を隠そうとする。
清水さんは、この少女殺人犯を特定している。それについて、警察にも話している。だが警察は動かない。みずからの失態をより大きくさせないために。
管家さんが、DNA型鑑定によって犯人とされた頃、九州で起きた同じような少女殺しの事件(「飯塚事件」)、その事件の犯人として久間三千年氏が逮捕された。裁判では、死刑判決が出された。久間氏を犯人とする決定的な証拠として、DNA型の鑑定結果が持ち出された。管家さんを有罪とした、あの杜撰な鑑定である。久間氏は再審を求めていたのだが、しかし死刑が執行されてしまった。
当時のこのDNA型鑑定の信憑性を守るために、検察や警察は動いた。これ以上のメンツを潰さないためだ。警察は、清水さんが特定した犯人について、捜査や逮捕をしないことに決めたようだ。
本書は、その経緯をつぶさに描く。真実に肉迫していくある意味での執念。それはジャーナリストが持たなければならない精神である。残念ながら、多くの記者は、警察や官庁が垂れ流す情報に振り回され、真実に迫ろうという意識をもたない。そういう記者の姿も描かれている。
だが清水さんは、ひたすら真実を追求する。警察などのヘボな情報に振り回されない。現場に何度も足を運び、関係者に何度もあって、そして証拠とされるものが本当に証拠と言えるのかを追求する。
サツまわりに明け暮れている記者は、この本を読むべきだ。警察や検察という組織の本質をきちんと認識した上で情報を取ることが肝要だ。警察や検察の本質を認識する上で、この本はとても役に立つ。
是非多くの人に読んでもらいたい本だ。なお、ボクはこの本を図書館から借りた。