岩波書店から『孤塁ー双葉郡消防士たちの3・11』という本が出版された。『世界』に連載されていたものだ。しかし私はこの連載を読んでこなかった。読んでこなかったことを恥ずかしいと思わされた。
『世界』4月号には、双葉郡のもと消防士・渡邉敏行さんの講演記録と、『孤塁』を著わした吉田千亜さんの文が掲載されていた。渡邉さんの講演記録を読んでいたら、目頭が熱くなってきた。福島第一原発の事故が起きたとき、その最前線に動員された双葉郡の消防士たち、危険なところに入り込む仕事をしている彼らは、出動するときには「無事に帰ってくる」が合い言葉であったのだが、3号機爆発時の出動時には、「おれ、無事に帰ってこられるかな。今までありがとう」と言って原発に向かったというのだ。
そういう途轍もない危険な場に出動した消防士たちのそのときの気持ちを、私は想像する。3月は、原発対応に追われ、4月になってやっと津波被害地区の捜索に入ったという。遺体の惨さは、彼らの精神を冒した。それでもそれでも彼らは出動した。
そして自分の家を見る。「住民たちが、今回の災害で一番情けなく思ったのは、そこにわが家があるのに帰れない。ただただ朽ちていく様子を見届けるしかできなかったこと」だと記す。地震だけではなく、原発事故はさらなる被害を住民に強いるのだ。
吉田さんは、新型コロナウィルスに関して、クルーズ船に乗り込んだ検疫官や医療関係者が感染したことを指摘し、「人を助けに行く人に身を守るための情報が届き、人を助けに行く人が最も守られてこそ、その外側の多くの人が救われるはずだ」と書く。原発事故の際、彼ら消防士たちに、情報は届けられず、ただ危険な場所への出動が命じられたのだ。同じ構図が、また繰り返されている。
「人を助ける」ことを生業にしている彼ら消防士たち、だからどこにでも出動する。吉田さんは、であるが故に、「危険な現場に行く人こそ、守られてほしい」と願うのだ。
『孤塁』、読まなければならない。
『世界』4月号には、双葉郡のもと消防士・渡邉敏行さんの講演記録と、『孤塁』を著わした吉田千亜さんの文が掲載されていた。渡邉さんの講演記録を読んでいたら、目頭が熱くなってきた。福島第一原発の事故が起きたとき、その最前線に動員された双葉郡の消防士たち、危険なところに入り込む仕事をしている彼らは、出動するときには「無事に帰ってくる」が合い言葉であったのだが、3号機爆発時の出動時には、「おれ、無事に帰ってこられるかな。今までありがとう」と言って原発に向かったというのだ。
そういう途轍もない危険な場に出動した消防士たちのそのときの気持ちを、私は想像する。3月は、原発対応に追われ、4月になってやっと津波被害地区の捜索に入ったという。遺体の惨さは、彼らの精神を冒した。それでもそれでも彼らは出動した。
そして自分の家を見る。「住民たちが、今回の災害で一番情けなく思ったのは、そこにわが家があるのに帰れない。ただただ朽ちていく様子を見届けるしかできなかったこと」だと記す。地震だけではなく、原発事故はさらなる被害を住民に強いるのだ。
吉田さんは、新型コロナウィルスに関して、クルーズ船に乗り込んだ検疫官や医療関係者が感染したことを指摘し、「人を助けに行く人に身を守るための情報が届き、人を助けに行く人が最も守られてこそ、その外側の多くの人が救われるはずだ」と書く。原発事故の際、彼ら消防士たちに、情報は届けられず、ただ危険な場所への出動が命じられたのだ。同じ構図が、また繰り返されている。
「人を助ける」ことを生業にしている彼ら消防士たち、だからどこにでも出動する。吉田さんは、であるが故に、「危険な現場に行く人こそ、守られてほしい」と願うのだ。
『孤塁』、読まなければならない。