芥川龍之介の「桃太郎」は、すばらしい!!
桃太郎がなぜ鬼ヶ島の征伐に行こうとしたのか、それはお爺さんやお婆さんの仕事が嫌だったからである。またお爺さんもお婆さんも、桃太郎に愛想を尽かしていたので、厄介払いができると思い、きび団子をつくってあげたのである。
犬がきび団子が欲しくてやってきた、しかし桃太郎は半分しかあげない。あとの半分で、猿や雉も家来にした。途中、猿、犬、雉は仲が悪くいがみ合っていたが、桃太郎は鬼ヶ島には宝物があるぞと言って連れて行った。
さて鬼ヶ島は「楽土」であった。鬼たちも平和でのどかな日々を送っていたのだ。鬼たちが怖がっていたのは人間という存在であった。鬼の母は子どもにこう言い聞かせていた。
お前達も悪戯(いたずら)をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒呑童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え 、人間というものかい?、人間というものは角の生えない、生白い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛の粉をなすっているのだよ。それだけならまだ好いのだがね。男でも女でも同じように、嘘はいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚(うぬぼれ)は強いし、仲間同士殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ・・・
そこへ桃太郎一味が来たのだ。桃太郎は「日の丸の扇を打ち振り」、「進め!進め!鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ」と号令したのだ。犬は鬼をかみ殺し、雉は嘴で突き殺し、猿は「鬼の娘を絞殺す前に、必ず陵辱を恣(ほしいいまま)にした・・」。
鬼は降参し、宝物を「献上」させられた。鬼の酋長は尋ねた。
「わたしどもはあなた様に何か無礼でも致した為、御征伐を受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼ヶ島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。就いてはその無礼の次第をお明し下さるわけには参りますまいか?」
桃太郎は答えた。
「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼ヶ島へ征伐に来たのだ。」
鬼は問うた。
「ではそのお三かたをお召し抱えなすったのはどういう訳でございますか?」
桃太郎は答えた。
「それはもとより鬼ヶ島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。ーどうだ?、それでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺ししてしまうぞ。」
昨今の安倍晋三=自民党・公明党政権の国会答弁を聞いているようである。とにかく質問に答えない。
芥川の時代にも、このような、きちんと対応しない問答が見られたのかもしれない。
桃太郎は宝物と鬼の子どもを人質として連れ帰った。
「しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訳ではない。鬼の子供は一人前になると番人の雉を噛み殺した上、忽ち鬼ヶ島へ逐電した。のみならず鬼ヶ島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形へ火をつけたり、桃太郎の寝首をかゝうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂である。桃太郎をこういう重ね重ねの不幸に嘆息を洩らさずにはいられなかった。
「どうも鬼というものの執念の深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いたご主人の大恩さえ忘れるとは怪(け)しからぬ
奴等でございます。」
犬も桃太郎の渋面を見ると、口惜しそうにいつも唸ったものである。
その間も寂しい鬼ヶ島の磯には、美しい熱帯の月明かりを浴びた鬼の若者が五六人、鬼ヶ島の独立を計画する為、椰子の実に爆弾を仕こんでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ほどの目の玉をかがやかせながら・・」
近代の大日本帝国の朝鮮や中国への侵略を想定して創作したような内容である。桃太郎が日本軍であることは間違いがない。
芥川版「桃太郎」は、近代日本の侵略行動を象徴的に描いたものであると、私は思う。