goo blog サービス終了のお知らせ 

浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「死後」

2020-10-06 09:11:39 | 芥川

1925年の作品。

主人公が「死後」、友人Sと話し、自宅に帰り妻と話すという暗い話だ。主人公の「死」は「34ぐらい」だとある。

私の父は34歳の時に肝硬変で亡くなっているが、仏壇の脇には写真が掲げてあるが、若い。34歳はまさに人生に入り始めた意気盛んな時期であったはずである。そういうときに「死」を迎えなければならない気持ちたるや壮絶だろうと思う。父は病死であるからやむをえないが、芥川の場合は自死である。

芥川は1927年に自死している。35歳だろう。この小説はみずからの死を描いているとも見える。いつの頃からだろうか、芥川が自死を考え始めたのは。

芥川は、ひょっとしたら、みずからの才能に限界を感じてしまったのだろうか。あれだけの名文を書き続けるのは、天才とは言えなかなかの苦難であっただろう。名文家であり続けることの困難、駄文を書けないからいつも神経を使い書き続けたに違いない。 

それは、少しも手を抜くことが出来ないということだ。

人間にはゆとりや無為が必要なのである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尼提(にだい)

2020-10-05 21:52:48 | 芥川

 尼提は、除糞人である。尼提は、釈迦如来の弟子となった。

 芥川龍之介の「尼提」はその話である。この話は有名であるかもしれないが、私ははじめて知った。

 尼提はバラモンらの糞尿を城(舎衛城)外に運び出す仕事をしている。糞尿を担いでいるところ、向こうから釈迦如来が歩いてくる。尼提は行き会わないように道を曲がる、するとまた道の向こうに釈迦如来が歩いてくる姿を見る、尼提はまた道を曲がる、するとまた・・・・・これが7度続いた。7度目は行き止まりであった。尼提は、釈迦如来に「どうかここをお通し下さいまし」と。釈迦如来は言った、「尼提よ、お前もわたしのように出家せぬか!」と。

 とても短い文である。私は読みはじめて、釈迦如来が尼提にどういう態度をとるか、心騒がしながら読み進めた。そしてその結果に安心した。

 現世の仏僧はカネまみれであるが、少なくとも釈迦はそうではなかったと思っていた。釈迦が尼提にあるべき態度を示したことで安堵した。

 これは経文に書いてあるものを、芥川が翻案したのかもしれないけれども、よい話であった。

 差別は、否定すべきことだからだ。

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川龍之介の舌鋒

2020-09-29 11:02:59 | 芥川

 「侏儒の言葉」は、鋭い。

「人生」というところには、「人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである」という文言がある。なるほどオリンピックは「狂人」の主催であることは間違いがない。彼等「狂人」は、さらにカネが大好きである。競技者は、かれら「狂人」のために、グランドなどでピエロを演じるのだ。

 「或自警団員の言葉」には、「鳥はもう静かに寝入っている。夢も我我より安らかであろう。鳥は現在のみに生きるものである。しかし我我人間は過去や未来にも生きなければならぬ。という意味は悔恨や憂慮の苦痛をも嘗めなければならぬ。」とある。その通りである。だからこそ、吾々は悔恨や憂慮の苦痛につながらないように生きねばならない。時に襲い来る悔恨や憂慮の苦痛を少なくしないと、とても生きていけないからだ。

 「政治的天才」のことば。「古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののように思われていた。が、これは正反対であろう。寧ろ政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするもののことを云うのである。少くとも民衆の意志であるかのように信ぜしめものを云うのである。」だが、新自由主義の下、民衆の意志とは無関係に政治が行われる。民衆の意志は無視しても良いというのが現代。そしてまた多くの民衆の意志とは、ただ権力者がやることに賛意を示すこととなっている。「政治的天才」にとっては、もはや「天才」は無用である。

 「危険思想」。「危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である。」その通りである。すなわちこれは、現実の社会がいかに「常識」が通用していないところであるかの証明である。

 「民衆」。「民衆は穏健なる保守主義者である。制度、思想、芸術、宗教、ー何ものも民衆に愛される為には、前時代の古色を帯びなければならぬ。所謂民衆芸術家の民衆の為に愛されないのは必ずしも彼等の罪ばかりではない。」なるほどその通りである。どうしたら「民衆に愛される」のかは、しっかりと視野に入れなければならない。と書いた芥川、次にはこう書いている。「古人は民衆を愚にすることを治国の大道に数えていた。丁度まだこの上にも愚にすることの出来るように。或は又どうかすれば賢にでもすることの出来るように。」と。民衆に働きかけて「愚」に、或いは「賢」にしようとしても、ムダということなのか。

 「事実」。「しかし粉粉たる事実の知識は常に民衆の愛するものである。彼等の最も知りたいのは愛とは何かということではない。クリストは私生児かどうかと言うことである。」は、正しい。民衆は体系だった学問や哲学とは無縁に生きている。民衆だけではない。政治家や官僚その他、同じである。日常生活や政治は、学問と切り離されたところで営まれているのだ。

 「可能」。「我々はしたいことの出来るものではない。只出来ることをするものである。これは我我個人ばかりではない。我我の社会も同じことである。恐らくは神も希望通りにこの世界を造ることは出来なかったであろう。」確かに。こうしたいと思っても、望み通りにはいかない。出来ることしかできないから、出来ることをしていくだけだ。寂しいことだが。

「芸術」の「又」。「芸術も女と同じことである。最も美しく見える為には一時代の精神的雰囲気或は流行に包まれなければならぬ。」これも真理である。ということは、美しく見せるためには「一時代の精神的雰囲気或は流行」をきちんととらえなければならないということである。

 「兵卒」。「理想的兵卒は苟も上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加えぬことである。即ち理想的兵卒はまづ理性を失わなければならぬ。」「理想的兵卒は苟も上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。すなわち理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ。」とあるが、しかし芥川は日本社会を正確に理解しておらぬ。絶対的服従は求められる。がしかし、「兵卒」は責任を負わされる。逆に指揮官の高位にいけばいくほど、責任は追及されない。1945年に終わった戦争でそれが明らかになった。「兵卒」は理性を働かせることなく「上官の命令には絶対に服従」し、結果については絶対に「責任」を負わされる。しあたがって、「兵卒」ほどみじめな存在はない。

「結婚」。「結婚は性欲を調節することには有効である。が、恋愛を調節することには有効ではない。」と芥川は書く。しかし性欲の表れが恋愛であるのだから、要するに調節は出来ないということだ。かくて「不倫」がはびこる。

「自由」。「誰も自由を求めぬものはない。が、それは外見だけである。実は誰も肚の底では少しも自由を求めていない。・・・しかし自由とは我我の行為に何の拘束もないことであり、すなわち神だの道徳だの或は又社会的習慣だのと連帯責任を負うことを潔しとしないものである。」「自由は山嶺の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。」

 確かに人びとは自由を持てあましている。とくに男性。退職すると何もすることがなく、テレビばかり見ている。私の友人が70を過ぎてもとの職場でまた働き始めた。私に「みんながうらやましがる。何もすることがないのに、あんたは仕事がやれて幸せだと言われる」と。働くということは、自分の自由を売ることである。私は自由が大好きで、やることはたくさんある。この自由を売ることはしない。本を読み、野菜を育て、花を栽培する。コロナ禍で今はしていないが、旅行も自由に出来る。人びとは自由があってもその使い方を知らない。フロムの「自由からの逃走」はその通りである。自由があるからこそ、芥川龍之介全集を読める。読書の習慣のない人は気の毒だ。本を読めば読むほど、新たな思考が芽生えて、精神も自由になる。

 自由をつかえない人びとが、この社会にはたくさんいる。だから自由を抑圧する「自由民主党」の支持率が高いのだ。

 「文章」。「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。」とは、良い言葉だ。芥川はまさにそうして文を書いてきた。私も精進しなければならない。

 

 これで全集第7巻は読了。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川龍之介のことば

2020-09-28 11:08:03 | 芥川

 『芥川龍之介全集』第七巻の末尾は、「侏儒の言葉」である。ずっと若い頃読んだことがある。まだ大人になりきらない頃であった。おそらく文庫本か何かで読んだのだろうが、まったく忘れ去っている。

 読みはじめると、含蓄のあることばが並んでいる。たとえば「鼻」。クレオパトラの鼻が・・・ということから書き始め、最後にはこうある。

 つまり二千余年の歴史は眇たる一クレオパトラの鼻の如何に依ったのではない。寧ろ地上に遍満した我我の愚昧に依ったのである。哂(わら)うべきーしかし荘厳な我我の愚昧に依ったのである。

 ようするに、そうなのだろうと思う。一向にこの社会はよくならない。悪くなるばかりである。

 また「神秘主義」にはこうある。

我々の信念を支配するものは常に捉え難い流行である。

 この点について私は、「流行」ではなく「時流」ということばをつかって同じようなことを言ったり書いたりしてきた。

 今の「時流」は、新自由主義である。

「小児」という有名な個所がある。

 軍人は小児に近いものである。英雄らしい身振を喜んだり、所謂光栄を好んだりするのは今更此処に云う必要はない。機械的訓練を貴んだり、動物的勇気を重んじたりするのも小学校にのみ見得る現象である。殺戮を何とも思はぬなどは一層小児と選ぶところはない。殊に小児と似ているのは喇叭や軍歌に鼓舞されれば、何の為に戦うかも問はず、欣然と敵に当ることである。
 この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋縅)()()の鎧や鍬形は成人の趣味にかなつた者ではない。勲章も――わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?

 軍人だけではなく、政治家も、「ふつうの人々」も、みな同じだ、と私は思う。

 ※緋縅は「ひおどし」。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大導寺信輔の半生」

2020-09-26 08:12:28 | 芥川
 芥川龍之介の全集を読んでいると、中途で途切れているものが多い。これもそのひとつであるが、ある程度まとまっている。あまりに短く、断片としか言えないようなものも多いのだ。

 さてこの「・・半生」であるが、副題に「或精神的風景画」とある。信輔の精神を生みだした、あるいは構成する断面が書きつらねてある。まず彼が生まれ育った「本所」界隈のこと。読みはじめて、名文であると思った。声を出して読みたくなった。芥川のひとつの文は長くはない。短い文が敷石のように並ぶのだが、ひとつひとつの短い文が並べられて堅牢な構築物ができていく。

 信輔は母乳ではなく「牛乳」で育った。それが次の内容である。そのことが信輔の心に棲みついていることが書かれている。

 そして信輔の家庭は「貧困」であったことが記される。こういう記述がある。

 彼は貧困を脱した後も、貧困を憎まずにはいられなかった。同時に又貧困と同じように豪奢をも憎まずにはいられなかった。豪奢をも、-この豪奢に対する憎悪は中流下層階級の貧困の与える烙印であった。或は中流下層階級の貧困だけの与える烙印だった。

 この感覚を私は容易に理解できる。豪奢を毛嫌いする自分自身を発見するからだ。

 次が、「学校」、そして「本」。書き出しは「本に対する信輔の情熱は小学時代から始めっていた。」である。信輔は「当然又あらゆるものを本の中に学んだ」。そのあとにこういう記述がある。

 少くとも本に負う所の全然ないものは一つもなかった。実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかった。寧ろ行人を眺める為に本の中の人生を知ろうとした。それは或は人生を知るには迂遠の策だったのかも知れなかった。が、街頭の行人は彼には只行人だった。彼は彼等を知る為には、ー彼等の愛を、彼等の憎悪を、彼等の虚栄心を知る為には本を読むより外はなかった。

 この個所を読み、私はそこに自分自身を発見してしまった。今でも私は本に埋まっているが、私の精神は、本から学び、またそれにもとづき思考したものであると思う。

 次が「友だち」。そこにも私は自らを発見する。

 同世代の者がこれを読み、そこに自分自身を発見するかどうかを知りたくなった。信輔と同じような「精神的風景画」を発見するのかどうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文学論

2020-09-22 16:26:15 | 芥川
 芥川龍之介の第7巻。そこに二つの文学論がある。文学論というものはあまり読んだことはない。そのような分野は、若い頃、桑原武夫の『文学入門』(岩波新書)を読んだ記憶があるくらいである。

 文学作品はいろいろ読んではきたが、それは学生時代のことだ。職業人となってからはあまり読んでこなかった。『石川啄木全集』を持っていたので、昨年全巻読み、ある講座で話したことがある。

 今はとにかく持っている『芥川龍之介全集』(岩波書店)を読み切ることが課題である。

 第7巻の文学論は、「文芸一般論」と「文芸鑑賞講座」であるが、これはおそらく講演の記録であろう。

 読んでいて少し心を動かされたことを記していこう。

 文芸とは「言語或は文字を表現の手段にする芸術」だとして、「言語の意味」、「言語の音」、「文字の形」の要素により「生命を伝える芸術」だと書いている。芥川が、ひとつひとつの作品を練って練って書き上げているという印象は受けているが、「言語の音」、「文字の形」にもこだわっていることを知って驚いた。「言語の音」ということは、私は全集を黙読しているが、声に出して読んでみろ、ということでもあろうか。驚いたのは「文字の形」である。私は文章を書く場合、もっとも意を用いるのが、意味の伝達であり、「音」はもちろん、「文字の形」にはまったく考えてこなかった。芥川は、書きつける「文字の形」にも留意していることを、ここで初めて知った次第である。

 そのあと、芥川は「内容と形式」を論じているのだが、そのなかで、思想について言及している。

 文芸上の問題になるのはどう言う思想を持っているかと言うよりも如何にその思想を表現しているかと言うことー即ち文芸的全体としてどういう感銘を生ずるかと云うことであります。

 文学は、どう言う内容が書かれているかという「認識的方面」と、それを読んで心が動かされるという「情緒的方面」があり、後者が軽んじられているものは、文芸的価値はあまりない、ということになる。

 「文芸鑑賞講座」は、作家志望の人に向けて語ったように思える。「少くとも志のあると称する青年諸君の勉強ぶりを見ると、原稿用紙と親密にする割にどうも本とは親密にしません。」とあり、芥川はよいものをたくさん読めということを言っている。

 そして批評家の指摘に左右されるのではなく、「兎に角作品の与えるものをまともに受け入れることが必要」だという。作品を読み、素直に受け入れることが必要であるというのだ。そして「無暗に新らしいものに手をつける」のではなく、いわゆる古典を読めという。

 その通りだと思う。

 私はそうした古典を十分に読んではいない。この世を去る前に、古典をできるだけ読んでおこうと思っている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川版「桃太郎」

2020-09-21 14:28:36 | 芥川
 芥川龍之介の「桃太郎」は、すばらしい!!

 桃太郎がなぜ鬼ヶ島の征伐に行こうとしたのか、それはお爺さんやお婆さんの仕事が嫌だったからである。またお爺さんもお婆さんも、桃太郎に愛想を尽かしていたので、厄介払いができると思い、きび団子をつくってあげたのである。
 犬がきび団子が欲しくてやってきた、しかし桃太郎は半分しかあげない。あとの半分で、猿や雉も家来にした。途中、猿、犬、雉は仲が悪くいがみ合っていたが、桃太郎は鬼ヶ島には宝物があるぞと言って連れて行った。

 さて鬼ヶ島は「楽土」であった。鬼たちも平和でのどかな日々を送っていたのだ。鬼たちが怖がっていたのは人間という存在であった。鬼の母は子どもにこう言い聞かせていた。

お前達も悪戯(いたずら)をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒呑童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え 、人間というものかい?、人間というものは角の生えない、生白い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛の粉をなすっているのだよ。それだけならまだ好いのだがね。男でも女でも同じように、嘘はいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚(うぬぼれ)は強いし、仲間同士殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ・・・

 そこへ桃太郎一味が来たのだ。桃太郎は「日の丸の扇を打ち振り」、「進め!進め!鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ」と号令したのだ。犬は鬼をかみ殺し、雉は嘴で突き殺し、猿は「鬼の娘を絞殺す前に、必ず陵辱を恣(ほしいいまま)にした・・」。

 鬼は降参し、宝物を「献上」させられた。鬼の酋長は尋ねた。

「わたしどもはあなた様に何か無礼でも致した為、御征伐を受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼ヶ島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。就いてはその無礼の次第をお明し下さるわけには参りますまいか?」

桃太郎は答えた。

「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼ヶ島へ征伐に来たのだ。」

鬼は問うた。
「ではそのお三かたをお召し抱えなすったのはどういう訳でございますか?」

桃太郎は答えた。
「それはもとより鬼ヶ島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。ーどうだ?、それでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺ししてしまうぞ。」

 昨今の安倍晋三=自民党・公明党政権の国会答弁を聞いているようである。とにかく質問に答えない。
 芥川の時代にも、このような、きちんと対応しない問答が見られたのかもしれない。

 桃太郎は宝物と鬼の子どもを人質として連れ帰った。

 「しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訳ではない。鬼の子供は一人前になると番人の雉を噛み殺した上、忽ち鬼ヶ島へ逐電した。のみならず鬼ヶ島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形へ火をつけたり、桃太郎の寝首をかゝうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂である。桃太郎をこういう重ね重ねの不幸に嘆息を洩らさずにはいられなかった。
 「どうも鬼というものの執念の深いのには困ったものだ。」
 「やっと命を助けて頂いたご主人の大恩さえ忘れるとは怪(け)しからぬ
奴等でございます。」
 犬も桃太郎の渋面を見ると、口惜しそうにいつも唸ったものである。

 その間も寂しい鬼ヶ島の磯には、美しい熱帯の月明かりを浴びた鬼の若者が五六人、鬼ヶ島の独立を計画する為、椰子の実に爆弾を仕こんでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ほどの目の玉をかがやかせながら・・」

 近代の大日本帝国の朝鮮や中国への侵略を想定して創作したような内容である。桃太郎が日本軍であることは間違いがない。

 芥川版「桃太郎」は、近代日本の侵略行動を象徴的に描いたものであると、私は思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強いられる結婚

2020-09-20 20:24:52 | 芥川
 芥川龍之介の「文放古(ふみほご)」。

 戦前の日本社会における女性の地位を描いているといってよいだろう。

 「結婚難」ということばが出て来るけれども、それは知識や教養をみにつけてしまった女性にとっての「結婚難」なのである。

 女性は結婚しなければならない、という社会的要請。しかしではどういう男と?「教養の乏しい男を夫に選ぶことは困難になった」。

 もし結婚しないとなると、家を出ていかなければならない。そして自活する必要がある。この時代、自活は難しい。自活できればいいのだが、その能力はない。

 結局、「軽蔑する男と結婚する外はない」。

 そういう女性の葛藤を書いた紙片を、芥川が拾ってしまったという設定である。芥川も、「彼女は不平を重ねながら、しまいにはやはり電灯会社の技師か何かと結婚するであろう」と予測する。

 そして「結婚した後はいつの間にか世間並みの細君に変るであろう」と書く。

 夢も希望もなかった時代。しかし女性にとっては、その時代とあまり変わっていない。結婚しない自由の幅は広がったけれども、生きていくことは昔と同様に、たいへんだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い込み

2020-09-20 20:03:11 | 芥川
 芥川龍之介の「或恋愛小説」を読む。短編である。保吉、これは芥川本人であるが、彼と婦人雑誌の主筆との会話である。

 恋愛小説を書いてくれと依頼すると、保吉は構想している恋愛小説のあらすじを語るのだが、しかしこれは恋愛小説ではない。
 外交官夫人の妙子の家に、音楽家の達雄が出入りする。妙子の前で、達雄はピアノを弾く。ピアノを聴きながら、妙子は達雄に対して恋愛感情を抱くようになる。
 そのうち、妙子の夫は中国・漢口の領事館へと転勤となり、妙子もついていく。漢口で、妙子は達雄を思い出し、手紙を出す。手紙はラブレターであった。

 その手紙を読んだ達雄は笑い出す、「俺はピアノを弾きたかった、そのためにあの家に行ったのだ」と。他方、妙子も4人の子持ちとなって外交官の妻として生きている。

 それだけの話だ。まったく韓流ドラマのようなドラマティックな場面がない。妙子の思い込みを描きながら、外交官の妻としての妙子の生活は何の影響も受けない。

 だから主筆は、そんな小説ならいらないという。私も同感である。思い込みだけなら、恋愛小説としての展開はあり得ないのだから。

 『芥川龍之介全集』第7巻である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「少年」

2020-09-10 14:05:20 | 芥川
芥川の「少年」の主人公は、保吉である。ということは、芥川の体験に基づいた作品ということになる。短い物語によって構成されているこの作品であるが、最初の話だけ、大人になってからのものである。あとは幼い頃の記憶にもとづいて書いたものである。

 第二話は、「道の上の秘密」。鶴という女中と歩いているとき、車の轍を示しながら、鶴が「何でしょう?坊ちゃん、考えてご覧なさい」と尋ねた。保吉はそれに応えられなくて癇癪を起こし、「これは車の輪の跡です」と教えてもらう。この鶴の問いかけは、賢い子どもを育てる方法でもある。子どもに考えさせる習慣をつけることが出来るのである。芥川の賢さは、鶴が育てたかも知れない。

 次は「死」である。父の会話にでてきた「とうとうお目出度くなったそうだな、ほら、あの槙町の二絃琴の師匠も・・」の「お目出度くなった」ことが「亡くなった」ということであることを知った保吉は、死とはどういうことかと疑問を持つ。その後保吉は父と風呂に入るのだが、父は先に出ていった。その時に父の後ろ姿を見て、「死とはつまり父の姿の永久に消えてしまうということである」ことに気づくのであった。

 次は「海」である。保吉ははじめて海を見る。遠いところは青いのだが、目の前の海の色は代赭色であった。代赭色とは、「褐色を帯びた黄色または赤色のこと 」である。保吉はそれに「裏切られた寂しさ」を感じるのだ。
 さて、保吉は塗り絵をした。そして海を代赭色で塗った所、母親から海は青ではないかと指摘されたのである。
 文中、こういう個所があった。

海もそのうちには沖のように一面に青あおとなるかもしれない。が、将来にあこがれるよりも寧ろ現在に安住しよう。

 これはなかなか含蓄のあることばである。末尾には、「芸術は諸君の云うように何よりもまず内容である。形容などはどうでも差支えない」とあった。

 次は「幻灯」。はじめて幻灯を見せられた保吉君、ベネチアの風景であったのだが、その窓から大きいリボンをした少女がちらっと見えた。帰宅してもう一度みたところ、その少女は見えなかった。幻灯の中に「まぼろし」をみたようなのだ。

 そして最後は「お母さん」。保吉は近所の子どもたちと戦争ごっこをしていた。そのさなか、転んでケガをして泣いてしまった。そのとき近所のガキ大将が、「お母さんといって泣いてる」とからかうのだった。保吉は断じてお母さんといって泣いていなかったと記憶しているのだが、長じて上海でインフルエンザにかかって入院してしまった。傍らにいた看護婦が急に小説を読むのをやめて保吉の顔をのぞき込んだ。保吉は「どうして?」と尋ねた。彼女は、「だって今お母さんって仰有ったじゃありませんか?」。

 幼い頃、ひょっとして、「お母さん」っていいながら泣いていたのかも知れないと、保吉は思うのだった。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

保吉

2020-09-10 13:09:17 | 芥川
芥川龍之介が話の主人公を「保吉」とすると、それは芥川が体験したことを下敷きにした小説その他である。

 「文章」は、海軍機関学校の英語教師として働いている保吉に弔辞を書いてくれという上官からの依頼に対する心境と、その葬儀に参加したときの心の動きを作品にしたものである。「文章」とは、すなわち弔辞であるが、保吉はそれを書くことにあまり乗り気ではなかった。ところが葬儀に参列し、遺族の悲しみを目の当たりにしたとき、保吉は自分自身が書いた弔辞で「看客を泣かせた悲劇の作者の満足を感じた」のだが、そのあとで、「何とも云われぬ気の毒さ」、「尊い人間の心の奥へ知らず識らず泥足を踏み入れた、あやまるにもあやまれない気の毒さ」を感じたのである。

 保吉、つまり芥川は、おそらくこうだったのではないか。よく知らない上官について書いた弔辞はこうしたら感動させることが出来るだろうとか、台本を書くように作為的に仕上げたのだろう。しかし遺族の慟哭を見聞きして、その作為に恥ずかしさを感じてしまったのだろう。

 文章は、まごころをこめて書かなければならないと、芥川は思ったのだ。
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「第四の夫」?

2020-09-09 21:30:26 | 芥川
 芥川龍之介の「第四の夫から」。手紙である。チベットのラサから出された東京の某に宛てた手紙には、自分自身が「第四の夫」になったことが書いてある。

 チベットが一妻多夫という婚姻形態があるかどうかは知らないが、「ダアワ」(月という意味だそうだ)という女性には自分を含めて四人の夫がいて、その四人の間ではまったく軋轢もなく生きていて、彼女が生んだ子どもは(もちろん父が誰かはわからない)、第一の夫を「お父さん」と呼び、二番目以降を「伯父さん」と呼ぶのだそうだ。

 そして「ラッサの市民の怠惰は天国の壮観といわなければならない」とあるように、「ダアワ」は門口で「静かに午睡を貪っている」。

 芥川は、生活の違いを書こうとしたのだろうか。それともフィクションなのだろうか。私はチベットの風習については少しの知識も持たないのでなんともいえないが、最後の文が生活や風習の違いを際立たせている。

 「僕等はこれから監獄の前へ、従兄妹同志結婚した不倫の男女の曝しものを見物に出かけるつもりである」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

如何なる国の歴史も・・

2020-09-09 14:41:17 | 芥川
 芥川龍之介の「金将軍」。これは秀吉の朝鮮侵略に関わる物語である。

 もちろんフィクションである。小西行長と加藤清正が朝鮮半島に偵察に入り、そこで小僧に会う。その小僧はすでに堂々とした風格をもち、石を枕に寝入っている。加藤がその枕石を蹴っても、小僧は頭を上げたまま寝入っている。

 その30年後、秀吉の侵略軍の一員として小西は朝鮮半島に。小西は、しかし戦闘の場にはいないで、妓生桂月香と酒を飲み暮らしていた。

 そこへあの小僧、金応瑞が乗り込み、小西を討ち取る。そして妊娠していた桂月香を殺し、その子をも殺す。

 もちろん、事実は、小西は朝鮮半島では死んでいない。フィクションである。

 芥川は、「如何なる国の歴史もその国民には必ず光栄ある歴史である」と記す。

 歴史研究に関わる私は、史料に基づく史実に忠実であろうとするが、人々はそうではない。とりわけ、現在の日本人は、「光栄ある歴史」が好きなようで、近代日本の消しがたい野蛮な歴史を隠そうとする。
 だが、史実を消すことはできない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川が描く女性(1)

2020-09-07 20:38:45 | 芥川
 「あばばばば」は、子どもをあやすことばである。それが小説の題である。
 安吉というおそらく芥川であろう、彼の行きつけの店、そこの奥さんのことが描かれている。安吉は煙草を買いによる。最初は口数の少ない男、あるいは小僧さんが安吉の相手をした。途中から女性が店番となり、よく間違いをした。その度に顔を赤らめていた。
 しばらくその女性の姿が見えなくなった。彼なりに、どうしたのだろうかと思っていたら、店の前でその女性が赤子を抱いて、「あばばばば」とあやしていた。安吉はしばらくぶりに会った彼女が、いつものように顔を赤らめるのではないかと思ったのだが、「顔も嬌羞(はにかみ)などは浮かべていない」。

 芥川はこう記す。

 女はもう「あの女」ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為となったが最後、古来如何なる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である。この変化は勿論女の為にはあらゆる祝福を与えても好い。しかし娘じみた細君の代りに図図しい母を見出したのは・・・・

 確かに母となった女性は変わる。不動の地位を得たかのように、どっしりと存在感を示す。男は、その変化に驚く。しかしその変化を、男は認めざるを得ない。

 芥川は、そのかわりようをみずからの細君に見たのか、それとも余所で見たのか。いやどこで見ようと、女性は母になると、大地とつながるように見える。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芭蕉

2020-09-06 14:29:19 | 芥川
 芥川龍之介の「芭蕉雑記」は、芭蕉の魅力をよく書いている。といっても、私は西鶴や近松は読んだことはあるが、芭蕉についての本を読んだことはない。しかし芥川のこの文を読み、芭蕉もしっかりと知っておかなければいけないと思うようになった。

 芥川はこう書く。

 芭蕉の俳諧の特色のひとつは目に訴える美しさと耳に訴える美しさとの微妙に融け合った美しさである。

 蕪村の場合は、目に訴える美しさだけであるという。

 春雨や人住みて煙壁を洩る(蕪村)
 
 春雨や蓬(よもぎ)をのばす草の道(芭蕉)

 いわれてみれば、読んだ感じが芭蕉の方がよいように思う。

 「兎に角芭蕉の芸術的感覚は近代人などと称するものよりも、数等の洗練を受けているのである。」と芥川はいう。

 芭蕉も知らなければいけないと思う。近代日本の作家、芥川は中国古典、日本文学の古典、西洋の文学、いずれにも長けている。すごい!と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする