大津市議 草川ただしのブログ

子どもとともに 未来をともに

保科正之

2012-06-30 19:44:51 | Weblog
保科正之、 徳川幕府二代将軍秀忠の子で三代将軍家光の弟で、後に彼がいなければ、徳川幕府は短命であったと言われた人物です。その卓越した政策と危機管理意識は現代に通じるものがあります。
彼は会津藩主として飢饉対策として年貢の切り下げと共に社倉制度(米の備蓄)をはじめ、養老米(90歳以上の領民に一定の米を支給、今の福祉政策に近い概念と言われている)、あるいは旅人(商人)がただで医療が受けられる制度などを創設し、幕末まで一番住みやすい国とまで言わしめました。
また将軍の補佐役として、文治政治へ変換をし、大名への締め付けを緩和し平和政策を推し進めたり、明暦の大火の時には、幕府の備蓄米を庶民に投げ与え、天守閣の再建のために使われるはずの資金を、江戸復興にすべて使ったりと、現代の為政者、政治家が学ぶべきことが沢山あると思います。
東日本大震災からの復興、原発廃止の決断、沖縄米軍基地の撤去、子育て問題や年金問題などなど、彼ならどう取り組んだだろうか…。
政治に携わる者の一人として、彼の精神を引き継ぎたいです。

飛び上がりました!!

2012-06-28 18:12:33 | Weblog

6月議会も終わり一段落しているところですが、今年度初めて監査委員という大役をさせていただき、先日も一般会計をはじめ、特別会計・公営企業会計の例月出納検査をしました。市の行政運営が適切に行われているか厳しくチェックをしています。内容は語ることは出来ませんが、どんな仕事なのか、また報告したいと思います。

ところで、昨日の新聞報道で、大津市では幼稚園を市長部局に移し、子育て支援を一体的に行うとの市長の談話が掲載されていて、飛び上がりました。
確かに保育園と幼稚園とでは、福祉子ども部と教育委員会と二つの管轄に分かれ、それが子育て支援を容易に進ませないところがあるのは事実です。また待機児童の解消を考えた場合、両機能を併せ持つ施設を構築すべきだとの考え方も十分理解できるところです。
しかしながら、幼稚園教育と保育とのカリキュラムでの連携、親のニーズ、職員の処遇、さらには、幼稚園・保育園の園児らの適正規模といったクリアすべき課題もまた山積し、市長部局に一元化してから考えていくには、今重要視されている幼児教育のあり方を損ねる危険があり、無理がありすぎます。他府県の事例でも10年かけて諸課題の解決とともに市長部局へ移行したケースもあり、大津市では世界的にも例を見ない「一小学校区一幼稚園制」を行ってきた経緯からも拙速な移行を行うと、待機児童は減少したが、就学前教育はどこへ行ったかと問われかねません。さらに幼稚園の統廃合問題では、過去にも何度か浮上しては、地域への説得がうまくいかず頓挫したこともあり、地域の理解を得るのに時間もかかるはずです。
市長の特命プロジェクトが、最終どのような方針を出すのか、子どもの目線にたった改革を打ち出せるのかが肝心です。
「就学前の子どもたちにとって過ごしやすい環境を整えることイコール真の子育て支援」ということを念頭にしっかりとチェックして行きます。

「教育は漢方薬」とある大先輩から聞いたことがあります。きっと子育て支援のあり方も一緒ですよね。
またご意見をいただければと思います。


献血に

2012-06-17 17:13:45 | Weblog
昨日は祖母の23回忌法要を行い、久々に叔父、叔母と懐かしく語らいました。
法事と言う仏教徒の行事に意味があるとしたら、長らくご無沙汰していたり、ちょっとしたいさかいから疎遠になったりしていた、そんな人たちを繋ぎ合わせる値打ちがあるのだと思います。
酒宴になればなおのことで、当たり前のごとく明治生まれの女性の生きざまが話題となり、話はいつしか昔話へと。誰の顔にも年輪は容赦なく刻まれていながらも、眼差しは当時にタイムスリップしていて、アルバムをひっくり返した感じがしていました。出てくるのは秘話の連続。
心地よく飲んで騒いでいると、「あんたのオムツかえてあげたんよ」の一言に撃沈。その後は大人しく、昔話を避けていました。
さて今日は恒例の献血で、400ミリリットルをぬいてもらいました。最近は献血センターでもなんやかやとキャンペーンがあり、この休日も梅雨入りキャンペーン?みたいな催しで、沢山の人が来ていました。帰り際には、結構なお土産をもらいました。次回は11月です。

新しい歴史

2012-06-10 22:06:18 | Weblog


新しい歴史の始まりを感じました。
今日は、瀬田唐橋修復完成記念セレモニーがあり、記念式典、パレード、懇親会と参加し、今、帰ってきました。
全面塗り替えは33年ぶりであり、物議をかもし議論の的となった色も「山吹茶色」となりました。と言われてもピンと来ないですが、本来の古木に近い色です。さらに耐震性を高める工事も追加されました。
さて古来より、「俵の藤太」伝説をはじめ、「急がば回れ」の故事の言われであったり、新古今和歌集で詠まれたり、交通の要衝として戦国武将の「我が旗を唐橋に立てよ」「唐橋を制する者は天下を制す」の言葉が残っていたりと、実は有名な橋、いや有名であらねばならないと思います。
今回初めて知ったことですが、織田信長が本能寺に入る前の宿泊地が唐橋のほとりの山岡城であり、本能寺の変のあと、山岡氏は明智光秀からの誘いを頑として拒否したそうです。
宿泊した夜、信長と山岡氏とどんな会話がなされたか、山岡氏のその後と共に大変興味のわくところです。
瀬田唐橋修復に関わってきた住民団体では、1573年10月12日、信長が当時改修された瀬田唐橋を渡り初めした歴史にちなんで、10月12日に何かイベントをと考えているそうです。
瀬田川を挟んだ、東と西の住民が協力しながら、地域をつなげる歴史遺産を活用し、観光振興につなげていく。そんな新しい歴史がここから始まる予感を感じました。(私の予感、結構当たるんですよ。)
瀬田川の東だけで、歴史遺産の活用をと議論しているうちは、話は先に進まないと、実に示唆的な出来事でもありました。


1300年

2012-06-07 09:17:22 | Weblog
古事記が書かれて1300年だそうです。天武天皇の時代から日本書記とならび編纂が行われたわけですが、日本書記に比べると伝説や寓話的要素が強く、ヤマタのオロチや因幡の白ウサギなどは、有名な話です。
さてそのなかに出雲大社の話がでてきますが、本殿の高さがとても高いと書かれています。他の文献には、奈良の大仏殿よりも高く、現在の高さにすれば21メートルをこえると言われてきました。
また最近、それを裏付ける柱の遺構がみつかりました。それを元にある建設会社が設計してみると、やはり可能であり、高さも21メートル以上あることがわかりました。古代ロマンをこよなく愛する私は、出雲大社に行ってみたいと考えているところです。

六月議会 始まる!

2012-06-04 20:43:36 | Weblog

今日から、六月議会が始まりました。 初日の今日は、六月補正予算案他人事案件など計20議案が市長からの提案されました。

特に今日は、懸案となっていました副市長人事が出され、議会の議決により2名の副市長が誕生しました。 正式な就任は明日と聞いています。

これによって、市政運営での市長の思いの実現がぐっと近づいたと思います。 

また、補正予算では、12億8千万円の越カラーに彩られた事業が提案されています。 議会での議論をしっかりとしていきたいです。