もう11月、忘年会シーズンまであとわずか…。
お座敷ソングの1曲や2曲パァ~っと口ずさみたくなる季節到来ですね。
「我が愛しの芸者歌手たち」、今回は戦後デビューで最も有名な芸者歌手である神楽坂はん子姐さんをご紹介致します。
神楽坂はん子(1932~95)
本名は鈴木玉子。東京生まれ。16歳から神楽坂で芸者をしていた。
芸事好きで、こと唄は万城目正歌謡塾で優等生だったという。
お座敷で歌った「アリアン」が、評判を聞き呼んだ古賀政男・伊藤某文芸部長をいたく感動させ、デビューへ。
なお「アリアン」を歌えといったのは、万城目正の入れ知恵。
身許引受人の反対に合うも、はん子の強い意思に折れ、昭和27年「こんな私じゃなかったに」でデビュー。
同年「ゲイシャ・ワルツ」がヒットし、一世を風靡。
しかし、スタァ稼業に疲れたこともあるのか昭和30年、身許引受人の意向で引退。
公には結婚のための引退ということになっている。
日本クラウン創立時から昭和48年まではクラウンのディレクターとなる。
懐メロブームで復帰、日本コロムビアから再録音のアルバムを発売したりしていた。
懐メロブームの沈静化前後から再び消息が聴こえなくなり始め、平成7年アパートでひとり孤独死、肝臓ガンだったという。
…一世を風靡した歌手としては淋しい最期です。
NHKの邦楽番組には出演したことがあるそうですが、ヒット曲を歌った映像はどうもテレビ東京くらいしか残っていない様子。それも昭和40年代後半まで。
「ゲイシャ・ワルツ」「こんなベッピン見たことない」…地方回りのステージは出来るだけのヒット曲を持ってるだけに、晩年の消息不明は?です。飲み屋をやっていたというハナシもありましたが…。連絡先がわかれば、「ゲイシャワルツ」は後世に残る大ヒット曲、懐メロ番組やステージ等の営業の声はかかってもおかしくないはず。
美ち奴のように神経を患っていたんでしょうか?アル中だったんでしょうか?
情報お持ちの方、ご教授下さいm(_ _)m
神楽坂はん子は現在ベスト盤の入手が困難になっています。
オムニバス盤には「ゲイシャワルツ」が入っている場合が多いので、聴くこともできない状況はコロムビアという会社の性格上少ないでしょう。
今は100円ショップで売ってる500円CDを探した方がCDショップを見て歩くより早くはん子にありつけるかもしれません。
おススメ曲は…
・だから今夜は酔わせてね
「ゲイシャワルツ」のB面。はん子は「息継ぎが難しい」と言って「ゲイシャ~」より、こっちの曲を好んで実演で披露していたそうです。
はかない芸者稼業の辛さを歌った西條八十の佳作。
・芸者フラ
はん子の唄の殆どは古賀政男の手によるものですが、これは原六朗の手によるもの。六朗は「はん子は一緒に呑んでる方が楽しい。はん子でヒット曲かけた古賀先生はさすがだ。」と後に語っています。原は駄作と語ってますが、いやいや、なかなか
面白い作品に仕上げっています。三味線とスチールギターの競演というのも珍しいです。三味線豊吉も真っ青です。
ちなみに「三味線フラ」という曲は神楽坂浮子です。
はん子に憧れて芸者になって、そこそこ売れた方で、この方が唯一存命の芸者歌手です。
・こんなベッピン見たことない
昭和28年のヒット曲。
「東京」という雑誌で歌謡詩公募をしたときの当選作に石本美由紀が補作。
はん子と男性コーラスの掛け合いが面白い。
・こんな美男子見たことない
『こんな~見たことない』シリーズ第2弾。美男子と書いてハンサムと読みます。
2匹目の鰌はいたのか、いなかったのか…大映が映画して、続編も「こんな奥様」「こんなアベック」と第4弾まであったところを見るといたのでしょうね。
♪こんな●●見たことない~ という部分は全作共通の模様。
私はメロディ的にはコチラが「ベッピン」より好きです。
・女ごころの十三夜
はん子後半の名曲。
日本調の曲とはん子の歌いっぷりに、巧さが光ります。
個人的には市丸姐さんでも聴いてみたい1曲。
確か、お千代さんがカバーしているはず。
・モチのロン
戦前、美ち奴・杉狂児で歌われた「強くなってね」の使いまわし(笑)
詞はもちろん違います。
オリジナルは青木光一と、再録音では古賀政男と歌っています。
・こんな私じゃなかったに
神楽坂はん子、記念すべきデビュー曲です。
お座敷ソングの王道ともいえる詞・曲ですが、今こういうモノをかける人はいないでしょう。そういう点で新鮮に聴こえます。はん子の美声もデビューながら素晴らしい。
神楽坂はん子がうまく出てきた理由は、戦後の進駐軍放送のジャズやポピュラーの氾濫にいささか食傷気味だった世代の心にうまく直撃したからだと言われています。
まだまだ日本調が近くに何とか残っていた頃のお話。
日本調は昭和39~40年の「お座敷小唄」「まつの木小唄」「ひなげし小唄」が大流行した後、姿を消し始め、懐メロブームまでは見ることが出来ましたが、70年代後半は池内淳子主演「女と味噌汁」シリーズぐらいでしか見かけなくなります。
平成18年の現在、絶滅寸前と相成りました。
現代音楽とは一味違う、日本調歌謡もたまには聴くと新たな発見があると思います。
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なんせ「売春防止法」の発令前だから、芸者に旦那が居て拘束される...っていうとんでもない日本という「野蛮な国」であったわけで...
相当稼いだわけですから「身請け金」を返せなかった...なんていうことじゃないかと...
多分「義理を通したんじゃないか」って、私の非常に近しい花柳界のシト...がいってました。
カムバック後、この方も相当酒豪だったんで...喉が随分と弱ってました。川口のアパートでの孤独死までは、それこそ級坂を転げるような勢いで「なにか」があったとしか...
まったく消息がつかめなくなるちょっと前、マージャン友だちだった清川ママが「具合が悪い」ときいて心配してるんですが...と云っていたけど。
それから随分経ってから「逝去」の報道を聞いた記憶があります。
ですよね、それはさすがの私でもわかります(笑)
>多分「義理を通したんじゃないか」って、私の非常に近しい花柳界のシト...がいってました。
カムバック後、この方も相当酒豪だったんで...喉が随分と弱ってました。川口のアパートでの孤独死までは、それこそ級坂を転げるような勢いで「なにか」があったとしか...
まったく消息がつかめなくなるちょっと前、マージャン友だちだった清川ママが「具合が悪い」ときいて心配してるんですが...と云っていたけど。
ノド…昭和40年代後半以降のはん子は観たことが無いのですけど、弱ってたんですか、やっぱり。
う~ん「旦那」絡みで何かあったんでしょうか???
花柳界は「口がかたい」、これ第一ですよね?
それがらみ???
しかし、虹子ママは誰とでもつながりがありますねえ。