今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

懐かしの女優さん・その1

2007-08-08 17:02:20 | その他

私の好きな女優さんに武智豊子さんという方がいます。

ガラガラ声でチャキチャキした、小柄のお婆さん。一度観たら忘れられないインパクトを持った、味のある名脇役でした。

 ところが、です。本当に沢山のテレビ/映画などに出演しているのにも関わらず、ネットでまったく情報が無い!

これは、イカーン(By笠智衆) という訳でアレコレ調べてみました。


武智豊子(武知杜代子)
1908~85年
本名:細江ふじ(旧姓:阿久津)

明治41年8月25日生まれ。
下谷で生まれ育った、チャキチャキの江戸っ子。
関東大震災で下谷高女を中退して、大正14年、曾我廼家五九郎一座に入座し、浅草で初舞台。

その後、ムーランルージュ新宿座などを経て、エノケン(榎本健一)一座に移り、人気が爆発。
その人気は凄まじく、東京六大学に「武智豊子親衛隊」(つまりオッカケ団体です)が発足したほど。また、女エノケンとも称され、一時は自分の一座を持っていた。

昭和9年には「エノケンの青春酔虎伝」(PCL、現・東宝)で映画デビュー。以後150本以上の映画に出演している。

テレビにも積極的に出演し、代表作は「お笑い三人組」「チロリン村とくるみの木」「怪獣ブースカ」「忍者ハットリ君」などがある。また「無敵超人ザンボット3」では声優にも挑戦し、好評を博している。


昭和46年には、左卜全「老人と子供のポルカ」に対抗して、上田吉二郎とのデュエット曲「上吉・豊子のハレンチ・アモーレ」を発表。この曲はカルト・コミックソングとして現在も愛好するものは多く、CD化もされている・

昭和52年には姓名判断で武知杜代子に改名した。
翌年、心筋梗塞で3ヶ月入院してからは大事をとり、冬の仕事は断り休養するようになったもの、「仕事で死ねたら本望」が口ぐせでコンスタントにテレビ・ラジオ・映画・舞台に出演していたが、昭和60年7月14日、仕事先の北海道・釧路空港で心臓発作のために倒れ、入院。当初は1週間程度の入院で済むはずだったが、同18日に容態が急変、心不全のため死去。享年76。

最後の仕事は、NHK特集「The Day その日~1995年日本(4)~ 旅路~あなたの老後はだれがみる~」で、同年9月2日に遺作として放送された。

私生活では、昭和6年にレコードディレクター・細江徳二氏と結婚し、二女を儲けるが37年に死別。地続きの家で、次女家族と共に暮らしていた。
晩年は孫と遊ぶのが楽しみの一つで、仕事の休みの合間に(長女家族が住む)テキサスまで孫、ひ孫の顔を見に行くこともよくあった。

喜劇人仲間からは「オッカサン」の愛称で親しまれた。

身長約150cm・体重32kgという小柄な体格で自動ドアの前に立っても開かないのが悩みのタネだった、トレードマークのガラガラ声は舞台でノドをつぶしてしまった産物だったというエピソードが残っている。



晩年自身を振り返り、こんなことを言っている。
「アタシャ運がいいんですよ。何の苦労もなく売れたもんね。警官の給料が35円のとき、300円貰ってたんだよ。千円の時もあったねえ。でも毎日柳橋で芸者遊びしたり、ダンスホールに通ったりして、いつも300円ぐらい借金があったよ」

この武智豊子という女喜劇役者に再びスポットが当たることを祈ってやみません。
武智さんについて、御存知の方、どんな小さいことでも構いませんので、御一報頂ければ幸いでございますm(__)m