今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

我が愛しの芸者歌手たち・美ち奴

2006-06-29 12:24:30 | 我が愛しの芸者歌手たち

「我が愛しの芸者歌手たち」、第2弾は「美ち奴」を取り上げます。
最初は勝太郎にするつもりだったんですが、気が変わりました(笑)

まあ、まずは美ち奴のプロフィールを…


美ち奴(1918~1996)
北海道は北端・稚内郊外で生を受ける。本名;久保ソメ、のち赫子と改名。
幼少時から唄を好み、その美声は地元では評判であった。
それが昂じて上京し、やがて昭和9年浅草の芸者屋「染美ちの家」から、芸者「美ち奴」としてお披露目。なお「染美ちの家」は親類が経営していた置屋。
その類稀なる美声はやがて評判を呼び、ニットーレコードから吹き込みの誘いが来、レコードデビュー、同じ昭和9年のことである。
このニットー専属時代は当時そこの専属であった服部良一作曲の「さくらおけさ」「あゝ満州」をヒットさせている。
この美ち奴との縁が、やがて服部の結婚の糸口に繋がった。
やがて、美ち奴の声に目をつけた、当時の新興レコード会社テイチクが移籍の話を持ち込み、契約する。
昭和10年、「ほんに貴方は罪な方」でテイチクデビューする。
翌11年、後々までの名コンビ・杉狂児「細君三日天下」もヒット。
その年の11月に発売された「あゝそれなのに」「うちの女房にゃ髭がある(杉とのデュエット)」が爆発的大ヒットを飛ばし、美ち奴は一躍時代のトップスターへと躍り出る。
その後も、レコーディングの際に作曲者・古賀政男が号泣したという「軍国の母」、中国大陸を舞台にした「霧の四馬路」「身代わり警備」…と戦時歌謡のヒットを連発。
昭和14年11月には浪曲歌謡「吉良の仁吉」を発売。これが又大ヒットし、同じ路線の「娘浪曲師(台詞は当時の人気女優:山路ふみ子)」「街道石松ぶし」「仁吉男の唄」などもヒットさせている。
戦中も人気は絶大で、昭和18年には台湾民謡「シャンランぶし(ツーレロ節)」をヒットさせている。これは戦後、小林旭やザ・ドリフターズによってリメイクされている。
戦争末期~戦後は女剣戟の中野弘子とコンビを組み、巡業。
昭和25年には各社競作ながら「炭坑節」をヒットさせ、健在ぶりを見せる。
が、ここまでは表向きは順風満帆だった(実際はせっかく北海道から引き取った両親を空襲で失ったりしている)美ち奴にここから暗雲が立ち込める。
テイチクの新人歌手・真木不二夫と恋仲になり、泥沼の末破局。
このことが原因となり、自律神経失調症を患う。
その後は病気の問題もあり、表舞台をいったり来たりを繰り返す。
昭和40年代前半からの懐メロブームには顔を出し、その美声を披露していた。
しかし、病気が進行していくうち、舞台に立っても震えが止まらずそれも叶わなくなる。その状況を見かねた中野弘子が尽力し、昭和58年、特養老人ホーム「むつみ園」に入所。のちに中野弘子も入所する。
「美ち奴」としての誇りは最期まで失うことは無く、テレビ等の取材が来た時は本名の久保ソメではなく「美ち奴」として接していた。
「むつみ園」でも、ホーム内の演芸会では、その美声を披露することもあった。
平成8年5月29日、大腸ガンのため死去。
中年以降のベストパートナー:中野弘子も後を追うように49日が過ぎた後に死去。
なお、美ち奴の弟のひとりは、ビートたけしの師匠で、浅草フランス座の芸人・深見千三郎である。


美ち奴の声とは一体どういう声なのか。
一度聴いたら絶対忘れられない、金属のような声です。
他に類を見ない声で、まあ、あえていうとするならば日吉ミミの声をもっと高くしたような声です。
こればっかりは聴いてみるしかありません。
テイチクから、オムニバスで戦前歌謡のCDが2500円ほどで出ていますし、6曲980円でベスト盤も出てます。
曲数は多く聴くことが出来ないのは残念至極ですが、必ず聴くことはできます。
ご興味のある方は、まめにテイチクから出ているオムニバスCDを探しに図書館なり、TSUTAYAに行くなり、CDショップでCDを購入して下さいませ。
本当はテイチクでチャンとした全曲集を作るべきなんですが…。
小野巡、楠木繁夫、杉狂児、鈴木三重子、塩まさる、東海林太郎、藤山一郎、田端義夫(これは本人がYESと言いたがらないという話…)、菅原都々子、白根一男などなど、検討すべき歌手は一杯いるはずなんですけども…。
今のところ、ディック・ミネと菊池章子くらいしかオリジナル音源での全曲集は無いようです、購入可能なのは。
美ち奴は鈴木三重子とセットで大昔CDが出てますし、小野巡、楠木繁夫、杉狂児あたりより状況は比較的マシな方ではありますが、戦前~戦中テイチクの稼ぎ頭だったものに対する扱いでは到底ありません。
ぜひともネットでのダウンロードの形でも構わないので、音源を吐き出してください。

まあそんなわけで美ち奴の手持ち音源も聴いたことがある音源も決して多い訳ではありませんが、その中から多少、名曲を紹介&解説&感想を…。


1.うちの女房にゃ髭がある(デュエット:杉狂児)
作詞:星野貞志 作曲:古賀政男

♪パピプペ パピプペ パピプペポー うちの女房にゃ髭がある~
今もってこのフレーズは有名。
某ラジオ番組では水野晴男(映画評論家)のテーマとして親しまれているらしいです。
昭和11年の唄ながら、その詩は現代に通じます。恐妻家はいつの世も多いのです。
まして、男が弱くなり(実際昔の男性よりも精子の数も減少)、女が強くなったこの時代。この唄は今こそ再び脚光を浴びるべき唄なのかも。
実際この唄を歌っているのは、殆ど杉狂児です、美ち奴は「何です、あなた」と台詞を言うだけです。しかし、この美ち奴の据わった声が恐ろしい(笑)
そして、続く杉狂児の♪いーや 別に 僕は その… という部分の可笑しさ。
このやり取りこそ、この唄のミソでして、特に杉狂児の部分をいかにビクついてやるかが、この唄を歌って喝采を受けるかの大きなポイントなのであります。
忘年会・飲み会・自嘲ソングとしても、最高なこの曲。ぜひとも御一聴のほどを。
ちなみに、作詞の星野貞志は詩人・サトウハチロー。書いた歌詞が自分であると知られるのが恥ずかしいとのことで別名で表記されてます。

2.あゝそれなのに
作詞:星野貞志 作曲:古賀政男

古賀政男がチンドン屋の行列をみて、いきなりサビの部分がひらめき、モノの10分程度で完成したという噂がある曲。
「うちの女房にゃ髭がある」の片面がこの曲。同面同時大ヒットというのは歌謡界にはあまり例がありません(時差ヒットはあります)。
せいぜい三波春夫の「チャンチキおけさ/船方さんよ」くらいではないでしょうか。
(植木等「ハイそれまでョ/無責任一代男」「ドント節/五万節」なんてのもありますが)
こちらの「あゝそれなのに」という言葉は当時の流行語にもなりました。
やっぱり忘年会・飲み会ソングに最適な唄です、こちらは男女どちらでもOK。
それにしても、この歌詞は意味深といえば意味深。
おそらくこの旦那がした行動のは
1番=浮気(しかも白昼!?)
2番=浮気(しかも白昼!?)
3番=呑んで午前様で帰宅 or 愛人宅へ宿泊
4番=呑んで午前様で帰宅 or 愛人宅へ宿泊
じゃないかと私は考えていますが、貴方はどう思います?
どちらにしても、女がいくら思っていても男はその気持ちに気づかない行動をとることは古今変わらないようです(逆もまたしかり)。

3.満州ぶし
作詞:佐藤惣之助 作曲:古賀政男

当時日本政府が力を入れていた満蒙開拓キャンペーンの宣伝歌のような曲。
この民謡チックな、音丸あたりが歌いそうな、のどかな歌を聴くと、「満州は素晴らしいところみたい、俺も行って一旗あげよう」と思わずにいられません。
ですが、その後の悲劇を思うと…何とも罪作りな1曲です。
まさしく「歌は世につれ」の典型と言えますね。

4.パイロット小唄
作詞:岩間真三郎 作曲:陸奥明

昭和16年12月発売。
第2次大戦勃発当時の花形職業・飛行機乗り(パイロット)をテーマにした軽快なマーチアレンジの一作。
作曲の陸奥明は菅原都々子の父で、代表曲に「お座敷小唄」があります。
曲の出だしを聴く限り、そのまま♪朝だ~夜明けだ~ などという男声合唱団の声が聴こえて来そうですが、実際は美ち奴のあのミョーな歌声。ある意味、当時の体制を皮肉った当時のレコード会社の抵抗とも取れなくもありません。
歌詞も「シート」「エアポート」「ルートマップ」「エアメール」「グラウンドマーク」…外来語のオンパレード(一応「航空港」など、しっかりと表記は漢字表記にはなっていますが)。
…昔も今も、お役所は書類しか見ていないようです。検閲も抜け道はあったのです。
ちなみに後年の再録音は、小唄のアレンジになっています。

5.あのネ軍使
作詞:島田磐也 作曲:鈴木哲夫

美ち奴の幻の名曲にして、大珍曲。
歌詞は…というと風船に乗って、軍使が敵の支那軍のもとに降りて来て、降参を呼びかけるというもの。勿論、これは表向きの説明。
実際の歌詞は、どう考えても支那側を徹底的におちょくってる(笑)。
その上軍使が、当時の人気喜劇俳優・高勢実乗(爆笑)。
この人のギャグ(というか微妙な線であるが)「アノネーオッサン」を美ち奴が台詞で使っているというトンでもないワルノリぶり。
まさしく怪作中の怪作。時代背景もふんだんに感じ取れる貴重な一作。
ちなみに高勢実乗(1897~1947)という「オッサン」はこういう顔をしてます。アノネーオッサン、ワシャカナワンョ

6.シャンラン節(ツーレロ節)
作詞:村松秀一 台湾民謡

小林旭もドリフも歌った、この歌の元祖はコミソン女王(笑)・美ち奴姐さん。
軽快なメロディーに乗せ、美ち奴の声も絶好調。
ところで台湾の方では嫁入りの際にはドリアンを食べる習慣があるのでしょうか。
時代よりも土地柄が強く出ている曲。

7.吉良の仁吉
作詞:萩原四朗 作曲:山下五朗

美ち奴三大ヒット曲(ああそれなのに、うちの女房にゃ~、吉良の~)のうちの1曲。
これ、メロディーは当時人気の浪曲師:広澤虎造の節回しがもと
いわゆる「虎造くずし」というものです。
本家を知っておきますと、より一層楽しめるかと思います。
後年の再録音は歌いこまれて、歯切れのよい歌唱となっていて、こちらもおススメ。



…といったところで、この記事は終えさせていただきます。
最後に、皆さんも気になる(?)美ち奴さんの画像を紹介しましょう。

♪うち~の女房にゃ~髭がある~



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4 コメント

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Unknown (みんみん)
2006-06-29 17:34:39
私も美ち奴さん大好きです。

コロムビアファミリークラブからでている、古賀政男のテイチク時代の歌を集めた6枚組みオムニバスCDに、美ち奴の歌がたくさん収録されていますよ。

「櫛巻きくずし」「髭の兵隊さん」「椿島田」などなど。

値が張るのが難点ですが、楠木繁夫など他の歌手の歌もたくさん入っていますから、満足できると思います。
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私の72になる母が・・・ (う--でぶ)
2006-06-29 22:28:25
♪ああ それなのにそれなのに ネエ!



昔、むかし...

省線(現/JR、一昔前の国電と呼ばれた近郊電車、ここでは現/山手線)に乗っていた少女が、有楽町付近でデパートから浮かんでいる「アドバルーン」を見て... 「ああそれなのにが浮かんでる」と大声で叫び、社内は大爆笑に...

昭和12年頃の話だったそうです。(これは亡くなった祖母が云っていたことです。勿論張本人は記憶がない...と)

それだけこの曲は、大ヒットでロングセラーだったみたいです。
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美ち奴はイイ! (函館のシト)
2006-06-30 23:47:48
みんみんさん

テイチク古賀メロBOXは以前図書館で借りることができました。そのときに「満州ぶし」をやっと聴くことが出来て…「強くなってね」あたりはお気に入りです。



う--でぶさん

有名な作家の文章にも「ああそれなのに」の言葉が流行語として書いてあるそうです。

お母様の話と言い、本当にこの曲は流行ったんですね。国民的ヒットソング…。

♪ああ~それなのに~それなのに~
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搭乗員節 (離人彷辺地)
2012-02-21 02:16:44
パイロット小唄は残念ながらYou Tubeからは削除されてしまいましたね。歌詞一番の
『エアーポートで花束受けて
後はシートで夢を見る。明けりゃ上海、日暮りゃ羽田、ゆうべは○○月が出た。の○○部分がわかりませんので、知ってたら教えてください。なお、この歌は『搭乗員節』という替え歌になって、海軍航空隊では前線のパイロット達の間で盛んに歌われたものであって、その歌詞は戦記中によく登場します。最も知られた一節は『ソロモン群島のガダルカナルへ、今日も空襲大編隊 翼のにじゅうミリ 雄たけび上げりゃ、落ちるグラマン シコルスキー シコルスキー』というもので、1から4番まで、戦闘機、艦爆、雷撃機と機種別に造られており、全部の歌詞は、文春文庫 岩井勉著『空母零戦隊』に出てますが、いくつもパターンがあるようです。上記引用の、翼のにじゅうミリ とは零戦主翼に装備された20ミリ機関砲のことであり、グラマンはご存じと思うが、シコルスキーも敵の戦闘機の名前です。ボート・シコルスキーF4U、戦後の名称では、いわゆるコルセアと呼ばれた機体です。
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