先日、雪村いづみ出演のステージを見て以来、すっかり魅せられました管理人・函館のシトでございます。
今回は77年放送の「サウンド・イン・S」の視聴記を掲載します。
今回、ブログ用に改めて見直してみましたが、充実した番組内容でした。
かつて民放でここまでクオリティーの高い番組があったのか…と。
こういう大人が見るに耐える、プロの技を魅せる番組の復活を強く希望します。
この回の出演者
伊東ゆかり
しばたはつみ
松崎しげる
世良譲トリオ
ホリデー・ガールズ
タイム・ファイブ
塚田三喜夫
薗田憲一とデキシー・キングス
雪村いづみ
演奏:高橋達也と東京ユニオン
OP
伊東ゆかりがお姫様のコスプレで踊りながら登場。
1.ハロードーリー
1番は伊東ゆかり(コーラス:タイムファイブ)
2番は演奏(ダンス:ホリデーガールズ)
3番は雪村いづみ、松崎しげる、伊東ゆかり
トーク(ゆ=伊東ゆかり、松=松崎しげる、雪=雪村いづみ)
ゆ:こんばんは。
雪:こんばんは。
ゆ:今日はウキウキわくわくするような曲ばかりのサウンドインSです。
雪:あなたはウキウキわくわく?アタシ、ソワソワガタガタブルブルよ~(笑)
ゆ・松:(笑)
ゆ:でも、あの雪村さんっていうのは本当にミュージカルが好きなんですね。
雪:とってもアレは疲れますけどね。やっぱり、ええ楽しいです、ハイ。今までね、やりたいなァと思うの5本とも全部やらせて貰えたのね。
ゆ・松:そうですねえ。
雪:すごい幸せです。
ゆ:うらやましい。
雪:アタシね、あの…毎日がミュージカルなの!
ゆ:毎日が…!
雪:一日中歌うたってるもの、鼻歌だったり・・・
松:寝て、こう寝言いうのもミュージカルですか?
ゆ:料理する時は?
雪:料理する時もお皿洗ってる時も歌ってるわよ~
(以下略)
2.アレキサンダー・ラグタイム・バンド
演奏:薗田憲一とデキシー・キングス
1番:雪村いづみ
2番:雪村いづみ・松崎しげる
3.聖者の行進
演奏:薗田憲一とデキシー・キングス
1番:雪村いづみ(コーラス:タイム・ファイブ)
繰り返しサビ:雪村いづみ・しばたはつみ・伊東ゆかり・松崎しげる
トーク
伊東ゆかり・塚田三喜夫
4.君の瞳に恋してる
塚田三喜夫(コーラス:ホリデーガールズ)
トーク:伊東ゆかり
5.ミュージカル特集
一人の女性が春のある日、ショッピングの帰りに何気なく映画館へ。
映画を見ながら、やがて夢を見ていた、自分が映画の主人公であるという…
1.トゥナイト(ウェストサイドストーリーより)
雪村いづみ
2.メイム(メイムより)
しばたはつみ(1番)
雪村いづみ・しばたはつみ(2番)
3.スペインの雨(マイ・フェア・レディより)
雪村いづみ・松崎しげる
4.バイバイ・バーディー(バイバイ・バーディーより)
雪村いづみ・しばたはつみ
ED
6.五月のバラ
伊東ゆかり・塚田三喜夫
まさに「雪村いづみ、ここにあり!」というべき素晴らしい内容です。
他の出演者も巧い方ばかり。デュエットでも安心して聴いていられます。
トークでの「やりたいなァと思ってたの、5本とやれた」とありますが、そのミュージカルは、
・マイ・フェア・レディ
・ノーストリングス
・メイム
・アプローズ
・ウェストサイドストーリー
だと思われます。
ちなみにこの番組、美空ひばりも出演しています。
ひばり・いづみ…と来ると「チエミは?」と思ってしまいます。
江利チエミは「サウンド・イン・S」に出たことがあるのか?
ご存知の方、ご一報下さい。
※出てなかったとすれば、惜しいことをしました。この番組に出てたら江利チエミの良さを引き出した番組が出来ていたはずなので…。
CM明け、トーク
ゲスト:島倉千代子
ひばり&鶴田の想い出を語るお千代さん。
映画で酔っ払って鶴田に介抱されるシーンを思い出してニンマリする千代子。
他はひばり誕生会に呼ばれた時に、色紙を持っていってサインをしてもらった話など。
VTR
鶴田浩二「悲しい酒」(50年6月4日放送・心で歌う50年)
美空ひばり「日陰者」(50年6月4日放送・心で歌う50年)
鶴田浩二「赤と黒のブルース」(50年6月4日放送・心で歌う50年)
美空ひばり「あの丘越えて」(50年6月4日放送・心で歌う50年)
「悲しい酒」「日陰者」それぞれ、台詞は鶴田・ひばり本人が担当。
ナレーションは高橋圭三。
CM明け、いきなりお嬢。
VTR
美空ひばり「川の流れのように」(平成元年1月15日放送「演歌の花道」)
CM明け、トーク。
ゲスト:岡本敦郎、菅原都々子
当時の思い出を語る。
菅原は「月がとっても青いから」の秘話を披露。
父(陸奥明)がエレジー(悲歌)モノが多いので、陰気臭い娘に思われるのは心外だと思ったらしく、友人・清水みのるに頼んだそうである。
清水は「ツヅちゃんの顔なら子供の頃から良く知ってるから、すぐできる」と快諾。
最初は「遠回りして帰ろう」というタイトルだったそうだ。
トップ「遠回りして帰ろうって何か悪いことしたみたいだな」
VTR
岡本敦郎「白い花の咲く頃」(49年2月17日放送・なつかしの歌声)
織井茂子「君の名は」(48年2月24日放送・なつかしの歌声)
菅原都々子「月がとっても青いから」(47年10月22日放送・なつかしの歌声)
織井さん、怖い(笑)
菅原センセ、可愛い(-^〇^-)
歌謡界の元祖アイドルとしてこれからも頑張って欲しいんですけど・・・。
CM明け、トーク。
ゲスト:大津美子、三浦洸一、青木光一
昭和32年時の思い出。
ゴルフブーム元年ということで盛り上げる男性陣。
青木「(トップに)ステテコ履いて(ゴルフ場に)行ってたでしょ」
他にもよろめきブームがあった年があったそうである。
VTR
三浦洸一「踊子」(47年10月29日放送・なつかしの歌声)
若山彰「喜びも悲しみも幾年月」(49年1月13日放送・なつかしの歌声)
青木光一「柿の木坂の家」(48年3月17日放送・なつかしの歌声)
若山は追悼の意味もある(98年12月没、71歳)。
青木の映像ではみんな「若い、若い」と盛り上がる。
・・・大して変わってないんですけどねf(^_^;
CM明け、いよいよラスト曲。
VTR
大津美子「ここに幸あり」(昭和49年1月13日放送「なつかしの歌声」)
やっぱり当時を良く知るコロムビア・トップ師匠がいると場が盛り上がるし、話にも幅が出ます。
ゲストも最低限に絞ってある分、トークもブツギリになり過ぎない。
旅コーナーのような無駄な部分が無い。
…選曲はオーソドックスでしたが、しっかり作ってあるように思います。
まだ7年前はこういう番組が出来たのかと思うと何だか複雑な心境です。
もう少し早くこの番組の存在を知ることが出来れば、そう思えてなりません。
しかし、今の酷い状態を見ると少しでも間に合ってよかったとも…。
この99年・夏放送の「昭和歌謡大全集」が我が家最古の「昭和歌謡~」であります。
今回改めて見直してみて感じるのは、もう7年も前なのかということ。
出演者も若い、CMも懐かしいものだらけ…。
そんな私の思いを多々に交えながら、ご紹介したいと思います。
OP
玉置さん、顔にツヤがあります。しゃべりによどみがありません。
昭和九年会だから、当時65歳。どおりでまだ若いはずです。
チータも今よりは声がすれてません。
玉置「さあそれじゃあ懐かしの歌声の名調子で幕を開けたいです」
トップ「老いたる者には過ぎにし青春の郷愁を、若人には呼べど逝にて再び帰り来たらぬ古の幻を、さらば参りましょう昭和歌謡大全集」
「なつかしの歌声」に触れてる(驚)
今とは段違いの濃さ…。
VTR
岡晴夫「憧れのハワイ航路」(44年9月30日放送・なつかしの歌声)
何と驚愕のフルコーラス!
1コーラス続出の現在では100%考えられません。
7年前、この曲を聴いて、えらく感動したのを思い出します。
病気でやつれて、別人のように衰えてるオカッパルですが、声は出てるんですよね。
声質はまるで変わってますが…
CM明け、司会者3人のトーク。
「昭和は63年間。前半・後半に分けるとするとチータが生まれた年(20年)に線引きするのが一番しっくりくると思う」と玉置。
さらに、今回は戦後に絞って、2時間…としないと収まりきらないと、今回は戦後がメインの特集であることを示唆。
VTR
並木路子「リンゴの唄」(47年大晦日放送・年忘れ大行進)
田端義夫「かえり船」(48年1月27日放送・なつかしの歌声)
菊池章子「星の流れに」(45年大晦日放送・年忘れ大行進)
まさに戦後流行歌の王道中の王道と言える3曲。
「かえり船」ではトップが復員時の想い出を語ってます。これが泣かせます。
CM明け、トーク。
ゲスト:田端義夫、二葉あき子、菊池章子、並木路子
この年、二葉あき子65周年・並木路子叙勲であったそうです。
VTRを見ての感想。
並木「自分で言うのも何なんですが…あんなに可愛かったかなあって(笑)」
菊池「良い声だなァって(笑)」
VTR
二葉あき子「さよならルンバ」(45年10月13日放送・なつかしの歌声)
近江俊郎「湯の町エレジー」(49年大晦日放送・年忘れ大行進)
二葉あき子のVTR紹介では、11月18日には記念リサイタルが催されると紹介。
この頃はまだまだ現役であったんですね…。
CM明け、幼少時に聴いた歌は忘れられないというチータのMC
VTR
伊藤久男「イヨマンテの夜」(48年10月14日放送・なつかしの歌声)
市丸「三味線ブギウギ」(45年大晦日放送・年忘れ大行進)
林伊佐緒「ダンスパーティーの夜」(45年10月6日放送・なつかしの歌声)
このVTRの「イヨマンテ~」が私の手持ちの映像の中では一番好み。
伊藤久男の♪ア~ホ~ヤイヤ~ という声が一番良く出てる。
市丸姐さん、これ以降VTRが「昭和歌謡~」で流れていません(泣)。
とにかく粋な姐さん、素晴らしい。若々しいです(^▽^)
林はキャバレーのセットでの歌唱。下には東海林太郎や渡辺はま子が。
CM明け
13回忌ということで、昭和62年没のスタァ:石原裕次郎・鶴田浩二を偲ぶコーナーを設けてあると紹介。
しばし、当時の日活映画の話をした後、裕次郎特集へ。
VTR
石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」(32年・日活映画「嵐を呼ぶ男」)
石原裕次郎「夜霧よ今夜も有難う」(42年・日活映画「夜霧よ今夜も有難う」)
勝新太郎「夜霧よ今夜も有難う」(63年7月19日放送・にっぽんの歌)
勝新太郎「港町・涙町・別れ町」(63年7月19日放送・にっぽんの歌)
勝新太郎は世良譲カルテットの演奏での歌唱。
美声です、さすがは長唄の芸人の息子だけあります。
CM明け
「古賀メロディーは今の歌謡曲の素となっている」とトップのMC
VTR
藤山一郎「影を慕いて」(57年11月15日放送・にっぽんの歌)
田谷力三「恋はやさし野辺の花よ」(48年1月6日放送・なつかしの歌声)
藤山のVTRでは木村義夫がギター担当。
田谷力三は年齢を感じさせない若々しさ(当時73歳)!
トーク
ゲスト:塩まさる・島倉千代子
東海林太郎生誕百年ということ東海林太郎にまつわるトーク。
塩まさるはこの年(99年)の「夏祭りにっぽんの歌」で「名月赤城山」を歌った話が。
塩さんクラスもこの頃はまだテレビで歌ってたのね(泣)
島倉千代子は東海林太郎にファンレターを送った話。
東海林・島倉の映像は、デュエットなのに目線があってないと玉置がツッコム。
参考
VTR
東海林太郎・島倉千代子「すみだ川」(46年7月22日放送・なつかしの歌声)
塩まさる「九段の母」(46年大晦日放送・年忘れ大行進)
トーク
ゲスト:塩まさる
トップ中心による映画主題歌の思い出。
トップは戦前、塩まさるの実演を客席で見てるそうだ。
VTR
霧島昇「旅の夜風」(48年2月17日放送・なつかしの歌声)
小畑実「湯島の白梅」(47年8月26年放送・なつかしの歌声)
灰田勝彦「新雪」(48年2月24日放送・なつかしの歌声)
霧島のナレーション、トップ思いっきり噛んでます(笑)
トーク
ゲスト:塩まさる
追悼・水島道太郎(99年3月23日没、87歳)。
俳優引退後も、歌い手としてチョクチョク「年忘れ~」「夏祭り~」に出演していたそうであるが、私は当然見たことがありません(泣)
…申し訳ない、といいますかまったく知りませんこの方m(_ _)m
最期のステージが、塩まさるとだったそうである。
塩「またあの人の時代を作ろうとせっかやったのに・・・本当に惜しい」
…塩さん、ホントにアナタは心身共にお元気でしたのね、この頃は。
VTR
水島道太郎、ディック・ミネ「夜霧のブルース」
(61年大晦日放送・年忘れにっぽんの歌)
「夜霧の~」は、水島主演「地獄の顔」主題歌。
ミネはそれ以来亡くなるまで親交があったそうである。
椅子に座ってるのはミネの足が悪くなっているためと思われる。
チータが語る三橋・春日の思い出
春日八郎はチータのために勝手に競走馬を買って来たそうだ(支払いはチータ・笑)。
三橋美智也は津軽三味線の師匠。
VTR
三橋美智也「リンゴ村から」(昭和58年2月21日放送「にっぽんの歌」)
春日八郎「別れの一本杉」(昭和61年9月29日放送「にっぽんの歌」)
チータが語る美空ひばりの思い出・・・
ひばりに挨拶されるだけで、青江三奈と二人舞い上がってしまったそうだ。
VTR
美空ひばり「港町十三番地」(昭和54年4月22日放送「演歌の花道」)
美空ひばり「川の流れのように」(平成元年1月15日放送「演歌の花道」)
「港町~」はワンコーラスの歌唱でした。
トーク
ゲストは、久保幸江、菅原都々子、岡本敦郎、三條町子、二葉あき子、菊池章子、並木路子。
当時の実演(歌謡ショー)の話など。
岡本は奈良光枝、三條は林伊佐緒・松島詩子に津村謙が多かったそう。
菅原はずっとワンマンショーだったとか。
VTR
久保幸江「トンコ節」(昭和48年12月30日放送「なつかしの歌声」)
菅原都々子「連絡船の唄」(昭和49年2月10日放送「なつかしの歌声」)
岡本敦郎「白い花の咲く頃」(昭和47年12月4日放送「なつかしの歌声」)
「トンコ節」はお座敷のセットで歌唱、終わりにはトップ・ライト師匠が登場。
菊池章子のざっくばらんトークは面白いし、人柄が伝わってくる。
一世を風靡した3人
VTR
小畑実「星影の小径」(昭和48年2月17日放送「なつかしの歌声」)
伊藤久男「イヨマンテの夜」(昭和46年12月31日放送「年忘れ大行進」)
岡晴夫「東京の花売娘」(昭和44年12月16日放送「なつかしの歌声」)
「星影の小径」の映像は演奏・歌唱共に素晴らしい。
しかし、岡・小畑はさておき、伊藤久男が一世を風靡というのは違和感が…。
「イヨマンテの夜」は確かに一世を風靡したと言えますが…。
昭和20年代の流行歌から…
VTR
三條町子「かりそめの恋」(昭和47年9月23日放送「なつかしの歌声」)
二葉あき子「フランチェスカの鐘」(昭和46年10月30日放送「なつかしの歌声」)
菊池章子「星の流れに」(昭和47年8月12日放送「なつかしの歌声」)
並木路子「リンゴの唄」(昭和44年12月31日放送「年忘れ大行進」)
ED
「お変わりなく。またお目にかかりましょう」と玉置。
しかし、翌年の放送時には並木路子センセが鬼籍入りされています。
昭和8年~昭和41年まで33曲。
当時は2時間でしたが、中身は今に比べると濃いですね。
さて今年の夏はどうなりますやら…少しは内容改善がされていれば嬉しいのですけども・・・。
ちなみにスタジオ出演者の内、鬼籍入りされたのは
並木路子(01年4月7日没、79歳)
菊池章子(02年4月7日没、78歳)
塩まさる(03年10月16日没、95歳)
和田弘(04年1月5日没、73歳)
松山恵子(06年5月7日没、68歳)
の5名。謹んでご冥福をお祈りいたしますm(_ _)m
今でも春・夏の年2回放送される、テレビ東京十八番特番「昭和歌謡大全集」。
第1回の放送が92年だったそうで、今年春までで26回放送されている模様。
私が、初めてこの番組を見たのは99年夏でした。
毎回楽しみに見ていますが、やはり7年も見ていると映像のダブりが多くなります。
時代の流れか年々戦前・戦後歌謡曲も流れなくなってきました(または1コーラスで切られる)。あげく「歌番組なのに」司会者の旅コーナーで1時間以上…。
残念ながらこの番組はドンドン内部崩壊を始めています。
それでも、1曲でも貴重映像があれば…と思って見てますが、今年春は酷いもので…。
「昭和歌謡大全集は死んだ」と筑紫哲也ばりに言いたくなりましたね(笑)。
それでも私はこの番組が放送終了と相成るまで見届ける覚悟です。
さて、今回の「昭和歌謡大全集」は2000年夏に放送したものの記録です。
OPトーク~コロムビア・トップ登場。
トップ、玉置宏に促されて「なつかしの歌声」のフレーズを披露。
トップ「老いたる者には過ぎにし青春の郷愁を、若人には呼べど逝にて再び帰り来たらぬ古の幻を、さらば参りましょう昭和歌謡大全集」
VTR
大津美子「ここに幸あり」(昭和49年1月13日放送「なつかしの歌声」)
トップ師匠健在、玉置センセもまだしゃべりがチャンとしてます(最近はカツゼツが…)
ことに時代を感じます。
トーク
ゲストは、大津美子、こまどり姉妹、花村菊江、松山恵子、和田弘とマヒナスターズ、曽根史郎、青木光一、白根一男。
テレビ時代(創世記)のスターというくくり。
「当時のギャラは幾らか?」という質問に、みんな覚えていない。
こまどり曰く「500円くらい?」
和田弘「うちなんか6人だから余計わかんない」
他にはテレビカメラのレンズの話。
VTR
こまどり姉妹「ソーラン渡り鳥」(昭和56年7月12日放送「夏祭りにっぽんの歌」)
花村菊江「潮来花嫁さん」(昭和49年2月10日放送「なつかしの歌声」)
松山恵子「未練の波止場」(昭和47年9月9日放送「なつかしの歌声」)
ゲストのうち、和田弘・松山恵子の2名はお亡くなりに・・・。
花村菊江の映像が流れたとき、「あら~」とあまりの変わりように声が(笑)
お恵ちゃんはマドロス姿での歌唱。このときの衣装は30年後も歌番組で披露した事があるのを思い出しました。
チータはこの歌手たちの歌は東京で聴いているそうである。
潮来花嫁さんはコンクールの課題曲だったそうだ。
VTR
マヒナ「泣かないで」(平成5年12月31日放送「年忘れにっぽんの歌」)
曽根史郎「若いおまわりさん」(昭和59年7月14日放送「夏祭りにっぽんの歌」)
青木光一「早く帰ってコ」(昭和48年12月31日放送「年忘れ大行進」)
白根一男「次男坊鴉」(昭和47年7月1日放送「なつかしの歌声」)
全国警察官友の会推薦なんだそうだ「若いおまわりさん」(笑)
「次男坊鴉」の演奏はスィング感たっぷりで聴いていて心地よい。
オリジナル音源は何かもたついた感じがするし、再録音は問題外。
前回放送時から今回放送までの間に亡くなった歌手の追悼コーナー
淡谷のり子(99年9月29日没、享年92)
渡辺はま子(99年12月31日没、享年89)
池眞理子(00年5月30日没、享年83)
青江三奈(00年7月2日没、享年54)
淡谷の想い出は菊池章子が語る。
形見の指環を見ながら、元気でいなきゃと思うのだがなかなか元気になれないそうである。
渡辺はま子の思い出は二葉あき子。
二葉「渡辺さんはね、そうあの頃は歌手もあまり多くなかったから、淡谷センセ、渡辺はま子さん、私って順番なの。それで渡辺センセはとっても明るい方で、夏になると思い出すんですけど、ビールをよく召し上がって、疲れちゃったからアンマさん呑もうよっていてね、アンマさんがビールになってね、二人で呑んでてね、みんな宿の人も寝ちゃったもんだから、アンマさん探しに行こうって、二人で台所行って、ビールがここらへんにあるよって二人で呑んだ記憶があります」
池眞理子は並木路子、青江三奈はチータがそれぞれ想い出を語ってました。
菊池「華がある方ね、とっても素敵なね」(青江を評して)
VTR
淡谷のり子「別れのブルース」昭和45年9月15日放送「なつかしの歌声」
渡辺はま子「蘇州夜曲」昭和45年10月6日放送「なつかしの歌声」
池眞理子「愛のスウィング」昭和48年12月31日放送「年忘れ大行進」
青江三奈「恍惚のブルース」平成4年9月27日放送「演歌の花道」
青江のVTRの時にはチータ号泣。
しかし、このビデオを見る限り、並木センセが翌年亡くなるとはとても見えない…。
菊池・並木は故人、二葉は引退…。時代の流れを感じずにはいられないです。
昭和10年代コーナー。
トップ師匠と玉置宏のトーク。
レコードの溝の話などから…
玉置「それを語っていただけるのは今やトップさんしかいないですから」
トップ「いるよ向こうに(笑)、田端義夫さんとか。塩まさるさんなんてもっと知ってるよ」
会場爆笑。
VTR
東海林太郎「赤城の子守唄」昭和46年7月22日放送「なつかしの歌声」
藤山一郎「東京ラプソディー」昭和48年10月7日放送「なつかしの歌声」
ディック・ミネ「或る雨の午后」昭和46年7月29日放送「なつかしの歌声」
トップ師匠の思い出
東海林「楽屋で並べられる駄洒落がきつかった。笑わなきゃ怒るし、笑いすぎりゃまた怒るし」
藤山「奥さんがよく楽屋掃除しに来たの」
ディック「想い出がありすぎちゃって何しゃべっていいか全然わかんない」
トーク
ゲストは昭和12年デビュー:塩まさる、昭和14年デビュー:田端義夫。
灰田勝彦の思い出
「青春が歩いてるような感じ」(田端・談)
霧島昇の思い出
「霧さんは同じ区域で育った。いわば親戚同士みたいなものだった」(塩・談)
VTR
塩まさる「九段の母」昭和45年12月31日放送「年忘れ大行進」
田端義夫「大利根月夜」昭和47年11月19日放送「なつかしの歌声」
霧島昇「誰か故郷を想わざる」昭和45年10月6日放送「なつかしの歌声」
灰田勝彦「新雪」昭和49年3月31日放送「なつかしの歌声」
何だかバタヤンより塩まさるの方がしっかりしてるように見える。
既にボケが来てるバタヤン、これから6年、今も健在です。
バタヤンのギターが例のオンボロギターじゃない(驚)。
霧島は元ボクサーだったそうである(トップ・談)
(後編へ続く)
このコーナーは今ではテレビじゃ絶対出来ないでしょうね…。
「ああ戦雲幾星霜」戦時歌謡特集です。
電報、「佐藤栄作(当時の首相)や若手議員にも見ろと言え」と訳の分からんモノまで登場。そこは政治漫才で馴らしたトップライト、うまく翻訳し会場の喝采をさらっています。
まずは林伊佐緒「出征兵士を送る歌」
右翼がよく流している♪いざ征け~つわもの~ニッポン男児~
という歌です。美声が響き渡ります。
会場もこれが青春の歌ゆえ盛り上がり、手拍子が入ります。
小唄勝太郎「明日はお立ちか」
三沢あけみや二葉百合子も歌ってます、この歌。
ちょっと風邪のせいか、苦しそう。
次は90過ぎまで歌っていた方、塩まさる「九段の母」
この歌はダメです、私の涙腺を大いに刺激してくれました。
母物歌謡は数多いですが、この曲は私の中でトップです。
反戦歌はちょっと…な私ですがこの歌は例外。
戦争の悲劇を歌い上げた名曲だと心から思います。
スリーコーラスの熱唱でした。
私の泣きを誘った塩まさるの次は、ご存知東海林太郎「麦と兵隊」
この歌が今では放送できないというのはおかしいと思う。
歌詞読んでみて欲しい、戦争賛美の歌詞でしょうか。
まだまだ私の涙は止まりません…。
灰田勝彦「加藤隼戦闘隊」
灰田サンのヒット曲ではもっとも灰田さんらしくない歌だと思う。
メロディーは実に私好みである。
さすがに軍国色が濃くなっている。歌で綴る昭和史ということでは十分参考資料となる曲であると思うのだが…。
モダンの次は…モダンと一見最もかけ離れてる方、霧島昇「若鷲の歌」
(霧島さんは「胸の振子」「一杯のコーヒーから」「蘇州夜曲」等モダンな歌謡曲もヒットさせている素晴らしい歌手です。念のため。)
♪わか~い血潮の~予科練の~ 七つボタンは~桜に錨~
ベトナム戦争真っ只中の中、最後は敬礼して帰って行きました。
会場は盛り上がりまくってます。客の青春ソングですから当然です。
さあ戦時歌謡コーナーのトリは、伊藤久男「暁に祈る」
大熱唱、やっぱり衣装や髪型にはこだわりは見られないです。
CMの後の電報もかなりキテマス。
トップライトも言いたい放題
「年寄りばっかりだから風邪ひいてる人が多い」
「平均年齢が57歳~」
「歌い続けてこの道30年40年のベテランばかりですので、この形の風邪は昭和4,5年ごろの風邪だと思ってください」
「美ち奴さん頑張れ、あれずいぶん美ち奴さん多いな…あ、さっき読んだな、この電報」
ここから先は歌手の十八番を時代に関係なく歌っていくコーナー。
ハナは近江俊郎「湯の町エレジー」
メガネをかけていない近江さん、結構若く見えますな。歌はいつも通り。
続きまして菊池章子「星の流れに」
戦後の流行歌の中でも欠かすことの出来ないナンバーです。
文句なしの美声で歌い上げました。
美声といえばじゃありませんが、市丸姐さん登場。
「三味線ブギウギ」を粋に歌い踊ります。
この振り付けは覚えたいなあ。
後姿は27、8だそうです(byコロムビアトップ)
また電報、電報局がもうパンク状態らしい。
林伊佐緒「ダンスパーティーの夜」
テンポがいつもより早い。
松島詩子「マロニエの木陰」
和製タンゴの大傑作。戦前のモダンの片鱗がうかがえる名曲。
ここでライト師匠失言。松島トモ子と紹介(笑)。
「いただきます」には出てましたが、ライオンには食べられてません(笑)。
トップ師匠がさりげなく、すぐに訂正していましたけどね。
まだまだ電報、マイクとの距離が離れていながら歌詞がハッキリ聞こえることにたいする賛辞。当時流行の歌手はコテンパンにやられてます。具体名は出てませんが。
小畑実がここで「高原の駅よ、さようなら」をフルコーラスで披露。
ホントに素晴らしいクルーナーボイスですね。
CMの後の電報も相変らず過激。
近所の寿司屋「都寿司」から楽屋に差し入れが届く。
「どんどん持ってらっしゃい、バンバン宣伝して差し上げます」
来年は故人(松平晃、津村謙、等)を偲ぶコーナーも欲しいとの発言も。
会場は歓声に包まれる。
さあ、次はオカッパル、岡晴夫「あこがれのハワイ航路」
フルコーラス歌い上げます。体調は悪そうです。
やっぱり盛り上がります、人気の凄さが伺えます。
二葉あき子「水色のワルツ」
ステージに用意された椅子に座ったりしながら歌います。
安定感がある歌唱に満足。
ディック・ミネ「人生の並木路」
おそらくディック・ミネの歌手生活で最も多く歌っているであろう歌。
間奏を聞き違ったか、二番の出だしに間に合わず。
フルコーラスの歌唱。
音丸「下田夜曲」
今でも日舞あたりで使われているらしいです。
「船頭可愛や」よりも声に安定感があります。
風邪で40度の熱がありながら、注射を打ちながら、無理を押しての出演。
服部富子「満州娘」
調子は悪そうですが、何とか歌い上げ、喝采を浴びて戻っていきました。
さあさあと出てきたのは、万年青年(には見えませんけど)
高田浩吉「伊豆の佐太郎」
円熟味の増した美声を披露。もうカンペは持ってません(笑)。
CM明け、また客席インタビュー。
番組も終盤、出てきたのは伊藤久男。歌はもちろん「イヨマンテの夜」
いつもより三割増の大熱唱。トップライトもその凄まじさに絶句。
映像の色ムラが気になります。
渡辺はま子「いとしあの星」
この歌が出てくるとは思わなかったです。
服部メロディーの傑作ですな、この曲も。
ビシッと歌い上げ、現役振りを見せ付けてくれました。
金髪で出てくるのは、もちろん淡谷のり子「君忘れじのブルース」
化粧も濃ければ歌唱も濃い。
女性軍の大御所が出終わった後は、男性軍。
藤山一郎「長崎の鐘」
ステージには十字架、合唱隊も登場。
藤山センセも気合が入ってます。
残りは一名。
その前に最後の電報読み。東京12チャンネルも電話でてんてこ舞いらしい。
息子とチャンネル争いをして、100円でチャンネル権を買った人も。
いよいよラスト、トリはもちろん、この人しかおりません。
東海林太郎、歌はおなじみ「赤城の子守唄」
会場も大歓声に包まれます、当時の人気の再燃振りが伺えます。
歌の後はインタビュー。
病気は何度もしたが大丈夫かの問いに、「大丈夫、(今後も)歌い続けますとも」と頼もしい発言。さすが勲四等(この年、受賞)とトップ。
トップ「昭和45年ももうそこまで来ています」
東海林「あなたの後ろにいますよ、ホラ」
結構面白い方です、東海林センセイ。もっとご存命であったら…と悔やまれません。
(昭和47年死去)
最後に出演者全員登場、「東京音頭」を合唱。
センターは東海林、その両隣りは勝太郎・淡谷、その外は藤山・高田。
このあたりで歌手の格がわかります。
なぜか2曲歌った林伊佐緒は舞台の一番脇、おそらくトイレにでも行ってて出遅れたんでしょうね(笑)
最後は紅白歌合戦同様「蛍の光」
イントネーションがどうこう言って、長年指揮をしながら歌ってない藤山センセイも今回は渡辺はま子と仲良くハモってます(笑)。
最後にトップライトが〆て、番組は終了。
実に見ごたえがございました。
知らない歌は一曲もない。出演者の殆どが故人。
いろいろ思うことはありましたが、この番組は貴重な文化遺産でしょうね。
ぜひ、横浜へ行く機会がございましたら、放送ライブラリーでご覧になって下さい。
その濃厚さは半端じゃございませんから…。
横浜に「放送ライブラリー」http://www.bpcj.or.jp/
(みなとみらい線「日本大通り駅」3番情文センター口直結) という施設がある。
ここは無料で、古今のテレビ・ラジオ番組・CMを見る(聴く)ことができる。
ここで公開されている番組のひとつが「なつかしの歌声・年忘れ大行進」だ。
この番組は年末恒例「年忘れにっぽんの歌」の前身番組である。
昭和40年代に起こった懐メロブームの火付け番組「なつかしの歌声」 (この番組がもとになり、NHKが夏の紅白「思い出のメロディー」を製作) の特番を大晦日に放送したものである。
「なつかしの歌声」は昭和49年に終了するが、「年忘れ~」は続行。コロムビアトップ・ライトの司会から宮田輝を経て、「にっぽんの歌」司会の玉置宏へ。今は「名曲ベストヒット歌謡」司会のモト冬樹・竹下景子に徳光和夫が担当している。
話を戻そう。前年(1968年)大晦日に放送した特番が想いの他高視聴率であったため、69年大晦日も放送決定。時間も3時間に拡大し、当時存命であった懐メロ歌手を一堂に集めて、歌舞伎座から生放送した。紅白の裏で2年連続視聴率11%の偉業を達成。その為かは定かではないが紅白の視聴率が69,7%へ下がっている(68年は76,9%である)。
出演者は次の通りである。
個人的にはこの出演者に田谷力三と田端義夫、それに高峰三枝子が居れば…とは思わなくも無いが、おそらく懐メロ番組では最高のキャスティングだろう。
赤坂小梅
淡谷のり子※
池真理子
市丸※
伊藤久男※
近江俊郎※
岡晴夫▲※
岡本敦郎
音丸※
小畑実※
織井茂子
(神楽坂はん子)
菊池章子
霧島昇※
久保幸江
小唄勝太郎▲※
初代コロムビア・ローズ
塩まさる
東海林太郎☆
菅原都々子
高田浩吉※
竹山逸郎
ディック・ミネ※
並木路子
奈良光枝▲
灰田勝彦※
服部富子▲
林伊佐緒※
平野愛子
藤山一郎※
藤原亮子
二葉あき子※
松島詩子
美ち奴▲
渡辺はま子※
▲=風邪 ※=2曲歌唱 ☆=三曲歌唱
なお神楽坂はん子は高熱の為ドクターストップ。
1曲か2曲かのラインは、現役当時の人気とキャリアで決められたと思われる。
東海林太郎は特別待遇で、3曲歌唱+トリ+インタビュー。
以降は実況。文調が変わります。
ファンファーレから「懐かしの歌声」のテーマ(昭和歌謡大全集で流れてるアレ)が流れ、それに載せて出演者一覧のテロップ。
そして司会コロムビアトップ・ライト登場。
なにやら毒舌を吐きながら、一年を振り返ってます。
お待ちかねのトップバッターは藤山一郎「酒は涙か溜息か」、いつも通りの歌唱。
次は淡谷のり子「別れのブルース」、やっぱり腕組んで怖い顔で歌います。
怖い顔の次は優しい顔…ではないだろうがヾ(^-^;)
二葉あき子登場、「古き花園」歌唱。
地味に珍しい歌を披露し、個人的にはニンマリ(^^)
孫が八人と紹介されて出てきたのはディック・ミネ「上海ブルース」
まだメガネもかけてないし、腰も曲がってないです。そしてCMへ。
トップライトの毒舌の後、颯爽と登場するは歌謡界の万年青年こと灰田勝彦「燦めく星座」。理想の老後の姿ですね。歌詞も曲も素晴らしい、思わず感涙。
次に出てきたのは渡辺はま子「支那の夜」、中国扇片手に快唱。ベテランの力を見せ付けます。さすが一度は「思い出のメロディー」出演拒否した(ちなみに淡谷のり子、ディックミネも)だけの実力。まだまだ現役ですね、この声は。
美声にウットリしていると霧島昇登場、「旅の夜風」スリーコーラスの歌唱。
「花も嵐も踏み越えて」のフレーズは西條八十の仕事の中でも五本の指に入る名文句だと思います。個人的には国語教科書に載せてもかまわないと思う。
やっぱり服のセンスは抜群、美空ひばりか霧島昇か、といった状態。
そして、テレビ東京の国宝映像、オカッパルこと岡晴夫「港シャンソン」
晩年で声が衰えている上、風邪をひいている最悪の状態ながらも、聴かせます。
掛け声も他の歌手に比べて多いこと、多いこと。
CM明け、トップライトが着物に衣装替え。
「次は~誰?小梅さん?まあいい出てきてもらえばわかる、次の方どうぞ~」
と何とも凄まじい紹介でセリ上がりで登場したのは、小唄勝太郎「島の娘」
何かの木の枝を持って歌ってます。若干声の出が悪いのは風邪のせい。
歌い終わるあたりで画面にノイズ発生。どこまでも運の悪い…。
続いて登場、今度は本当に赤坂小梅「ほんとうにそうなら」
貫禄が半端じゃないです。番組出演者の横綱状態。声はもちろん出まくり。
そして花道から艶やかに市丸姐さん「天龍下れば」、ハンドマイクでの歌唱。
トップライトもその若さに驚きを隠せず。
「ベテランで新人」という紹介のもと出て来たのは小畑実「勘太郎月夜唄」
本人も含め、会場中で手拍子。美声は健在です。そしてCM。
「娘さんと一緒にいても兄と妹にしか見られない」という若干ヨイショが入った紹介で花道から出てくるのは高田浩吉「大江戸出世小唄」
格好はお馴染み瓦版売りです。扇子と一緒に持ってる瓦版の裏側にはカンペが貼ってます。でも歌詞を間違っている( ̄ー ̄?)まるで96年紅白でのお千代さん状態。
お次は音丸「船頭可愛や」、普通の下町のオバサンです。声は美声。
そして私の贔屓歌手・美ち奴「ああそれなのに」
高熱のため、この日も打ち、直前まで楽屋で横になっていたとか。喉をやられてるため、ボロボロの歌声…。それでも頑張ってスリーコーラス歌いきりました。
さあお待ちどうさま、懐メロブームの立役者・東海林太郎「野崎小唄」
もちろん直立不動です。 後ろに踊子がいようが関係ありません。
CM明け、トップライトが客席にインタビュー。皆さん、欠かさず見てる様子。
ここからは戦後の歌、戦後の歌といえばまずはこの歌と、並木路子「リンゴの歌」花道からの登場でスリーコーラス、難なく歌いきります。
次も戦後に欠かせぬ歌、竹山逸郎「異国の丘」
当時、戦後24年。まだ戦争は風化していなかったと思えるシーンでした。
「気分を変えて参りましょう」と出てきたのは平野愛子「港が見える丘」
この人の歌声は現代でも通用する魅力的な歌声だと思います。
次は久保幸江「トンコ節」、まだ喉の手術前なので当時と変わらぬ歌声。
CM明けの電報読み、どうもこの番組を紅白と勘違いしている人がいる模様。
さあ、とお出でになったのは
歌謡界の女王陛下(byコロムビアトップ)こと奈良光枝「青い山脈」
「風邪をひいてるせいか、声の出がイマイチ」とトップライトがコメント。
美声です、そして美しい。品があるオバサマです。早世が惜しまれます。
次は藤原亮子「月よりの使者」
この人が歌ってた唄は知っていても、名前・姿は知らない方がほとんどでしょうね。
そういった意味でも貴重な映像。
衣装も素敵、薄紅色の雷模様があしらっているドレス。実に美空ひばりチック。
岡本敦郎「白い花の咲く頃」
あんまり今と変わってませんが、声が出ること、出ること。
CMをはさんで、初代コロムビア・ローズ「娘十九はまだ純情よ」
やっと今でも現役な方が出てきました。
(久保幸江さんは数年前に体調を崩されて歌ってないご様子、二葉あき子さんは引退なさって故郷の広島で余生を過ごしていらっしゃるようです)
トップライトが高熱の為、神楽坂はん子欠席を発表。
医師の診断書をわざわざ見せてます。はん子に対する呼びかけもしてます。
「早く元気になって、バンバン稼ぎましょう」・・・恐ろしい口です(絶句)。
再び現役歌手、菅原都々子「江の島エレジー」
ビブラートが半端じゃないです。私は「憧れの住む町」がこの方ではお気に入り。
「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の哀しさよ」
ご存知「君の名は」第2部の主題歌、織井茂子「黒百合の歌」
何とフルコーラス、素晴らしいアルトの歌声で完璧に歌いきります。
司会のトップ、「いつも以上の実力で歌いきりました」とコメント。
戦後コーナーのトリを飾るのは、田端義夫・小畑実と並び、三羽烏と称されたあの方、近江俊郎。歌は何と「南の薔薇」!
この歌聴いて、
近江俊郎=湯の町エレジーな、女ののど自慢審査委員長、のイメージが消え去りました。素晴らしい歌声でした。湯の町エレジーだけじゃありませんでしたね。
ゴメンナサイ、近江さんm(_ _;)m
作曲は私の敬愛する米山正夫センセイ。
ここでDVDが切り替わり、2枚目へ移ります。ということで続きはあらためて。