今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

あきれたぼういずと川田義雄「楽しき南洋」を聴いて

2010-12-25 07:50:42 | その他
あきれたぼういずと川田義雄「楽しき南洋」
(オフノート/華宙舎 OK-1 2枚組全27曲 3500円)
監修:瀬川昌久、解説:瀬川昌久、佐藤利明ほか
http://diskunion.net/jp/ct/detail/IND6257

あきれたぼういず。
名前ぐらいは知っている。

グループで、ギターや何やら楽器を賑やかに演奏し、浪曲やら当時の人気曲を歌い、
言葉のやりとりやコミカルな演奏や替え歌、モノマネ、パロディ等、ありとあらゆる芸をぶち込んだ
ボーイズ芸を行った、伝説的存在。

メンバーも
川田晴久
・・・美空ひばりの師匠格、兄貴分で灘康次(モダンカンカン)の師匠。
♪地球の上に朝が来る~ その裏側は夜だった~

益田喜頓
・・・東宝ミュージカルの大番頭的存在で裏主役。
テレビドラマや映画でも活躍したベテラン名脇役。
随筆家としての顔もあった人。
函館出身でその後は半世紀以上浅草在住、晩年帰郷。

山茶花究
・・・「夫婦善哉」ほか東宝映画の名脇役で森繁劇団の副座長。
病床へ見舞いに訪れた森繁の手を掴んで一言「シゲちゃん、一緒に行こう」という逸話。
遺骨は高野山へと納められたらしい。

坊屋三郎
・・・TVCM「クイントリックス」の出演でも有名。
生涯現役でひとりボーイズ芸にこだわり、舞台に立ち続ける。
晩年はNHKドラマへも顔出しが多い。
清川虹子の後を追うように急逝。

と、知っていることだけ綴ってみた。
(記憶違い、認識違いがあるかもしれないが、その辺は御容赦を)
坊屋は、晩年のテレビ出演でクイントリックスCM(このCM、久世光彦のアルバイト演出だったそうだ)を再現している姿などをリアルタイムで触れることが出来た。
飄々としたトボケた感じが印象に残っている。
他の面子は後追いで映画やテレビドラマ、書籍で知った。

ただ、写真やそれに触れた文章等は目にしているが
"あきれたぼういず"を観たり聴いたことは無かった。
不思議なまでに縁が無かった。
いや違う、何となく食指が動かなかったのだ。
浪曲テイストという部分に引っかかっていたのだろうか・・・。

ところが最近、ふと、この新たに発売されたアルバムの存在を知って
「ジャケットも凝っているし、気合入れて作っているのではないか」
「初復刻音源多数!これはトンでもなく意義のある事では?」
と、ムクムクと持ち前の好奇心が頭をもたげ「欲しい!」
気がつけば手許にあった。

驚いた、腰を抜かした、目がテンになった。
何じゃこりゃ。

最初に
"言葉のやりとりやコミカルな演奏や替え歌、モノマネ等、ありとあらゆる芸をぶち込んだボーイズ芸"
と書いた。それも簡単な気持ちでサラッと。
これがいかに難しいことであるか、まともに考えていなかったことを反省。

これはプロの仕事だ、それも卓越したセンスの持ち主による・・・。
今日、ボーイズ芸を行う人が殆ど見受けられないのも納得。
出来ない。
音楽にある程度精通していて、演奏も出来て、笑いのセンスがあって、歌も得意。
それでいて、泥臭くない。スマートで都会的。

こんなことを平然とやってのける人たちがいたとは信じられない。
まして、日本で。
しかも、70年前に
さらに、レコードで。

「私は舞台の人間、ステージの人間」と公言。
スタジオ収録(レコード、ラジオ、CDほか)とナマ(観客の前で披露)
だとここまで違うか、というぐらい出来が違う人が、今も昔もいるが、このCDではそれが無い。
いや、実際のステージは観ることが叶わないから、そんなことを安易に断言してはいけないが充分すぎるほど、クオリティが高い。

「レコードという媒体で、笑わせよう・楽しませよう」
というしっかりとした考えが、おそらくあるのだろう。
聴いていて楽しいし、笑える、面白いのだ。

モノマネ、パロディの類は本当に面白いものであれば元ネタを知らなくても楽しめる。
そのことも判った。

演奏の質も極めて高い。
コミックな演奏もジャンジャンこなしている。
当時のレコード収録の技術だから、全て生演奏で一発収録。
それでこの出来。
もっとも、あきれたぼういずら本人たちが演奏していた可能性は少ないが・・・。
70年以上前の日本のミュージシャンたちの演奏レベル、決して低くなんかない。
古いが、新しい。

さらには解説書が、かなりしっかりした一読に値する立派な仕上がり。

歌詞(というより台本といった方がいいか)も、すべて聞き取り作業によって活字化。
やろうと思えば、ネタを再現できるのだ。
川田晴久(当時は川田義雄)の「踊る電話口」「声楽指南」なんて、一部ネタを現代向けに入れ替えるなりすれば
今でも立派に新作落語の古典として通用するのではないか?

1曲1曲詳しい解説も付いている。
佐藤利明の解説は小林旭、クレイジーキャッツ、日活映画関連・・・など、ありとあらゆるところでその名前を目にするが、どれも一定の質を保っている。
ここでの解説は特に気合いが入っており、もはや一冊の書籍として発売出来るレベルになっている。本領発揮という言葉が脳裏に浮かぶ。

あきれたぼういず及び川田晴久(義雄)系グループについて何も知らなくても、この解説書を読めば一丁前の知識が付く(と思う)。
ディスコグラフィーも掲載されていて、どの歌がどの復刻盤に収録されているかまで表で掲載。
かゆいところに手が届く。

CDの音質もしかり。
戦前・戦中・戦後のSP盤復刻音源が、ものによっては歌詞の聞き取りはおろか「ほぼノイズ」と言いたくなるような音質粗悪な状態のものもあることを知る身には驚きの高音質。
当時の録音技術の関係で一定以下の低い音は録音されなかった(出来なかった)という話が実証されている。

それにしても・・・。
今でもブッ飛んでいるよう聴こえる、この"あきれたぼういず"。
70年以上前に、人気グループだったとは、何だか信じがたい。
でも事実なのだし、こうやって音源が遺っている。
こういう忘れ去られた、埋もれている昭和の遺産は私が想像してる以上に多いのだろう。
その遺産が手軽にこうやって聴ける・・・。
まるで夢のようなCDアルバムだ。
しかもシリーズもので、今後もこういう埋もれた遺産をバンバン復刻していくという。
嘘のようだが、本当の話。
世の中、まだまだ捨てたものじゃない。

オフノート様及び関係者一同様、良いアルバムを有難う。

2010年12月16-17日 徹子の部屋・追悼特集

2010-12-13 17:00:43 | その他
国民的長寿トーク番組「徹子の部屋」の膨大なライブラリーの中から、今年亡くなった著名人の在りし日の出演VTRを放送しながら、故人を偲ぶ、年2回企画されている追悼特集が今週・木曜と金曜に放送されます。

今日は追悼番組という番組が地上波において、まったく放送されなくなり、多大なる功績を遺した人であってもまったくなされない哀しい事態が続いています。
今回の特集も、本来ならば、それぞれ単体で放送されてもしかるべき人なのですが、世知辛い世の中、放送されるだけで有難い、としなければならないのでしょう。

12月16日(木)放送分
池部良、石井好子、谷啓、つかこうへい

12月17日(金)放送分
小林桂樹、長岡輝子、南美江、パク・ヨンハ


放送時間:午後1:20~1:55。

http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

シャンソンの女王・石井好子を想う

2010-12-12 21:40:32 | その他


どういう訳か、いま無性に石井好子が知りたい、観たい、聴きたい。

私はずっと石井好子の歌が苦手だった。
あの音程をやや無視した歌い方がどうにも受け付けなかった。
高英男に惚れ込み、深緑夏代に唸りながら、どうにも石井好子だけは駄目。

ただ、その風貌からタダモノでは無い、傑物であることはわかっていた。
エッセイも何冊か持っている。
手許に残っていないものや図書館で借りて読んだものも含めれば10冊前後は目を通している。
それでも歌は受け入れられなかった。

いや、そうでは無い。
4年前、NHKホールのパリ祭へ行った際に聴いた「アンジェラスの鐘」
圧倒的貫禄、美しいステージング。
それは、それは見事なもので、彼女こそシャンソンの女王というべきだった。
音程がどうとか、声の伸びがどうとか、そんな問題は小さいものに感じた。
だが、隣で観ていたオヤジの舌打ちに
これは駄目なものなのだ、私の震えは間違いなのだ
と思ってしまった。
そして、記憶ごと封印してしまっていた。

なぜ、そんなことを思い出したか。
石井好子の死だ。

私は彼女の訃報を知り、嘘だ、と叫んだ。
不死鳥のような石井好子が2008年頃から体調を崩していたことは知っていた。
2009年のパリ祭で挨拶だけに登場した石井好子は、石井好子であったが
激痛に耐えながら、華麗に振舞っていることがカメラの上からはハッキリと読み取れた。

もう長くない・・・
そう思いながら、心のどこかで石井好子は復活を遂げる。
彼女はそういう人だという想いもあったのだ。
だから、嘘だ、と叫んでしまった。

苦手だ、と言いながら少しだけは映像が手許にあった。
若い頃の歌声も40曲前後は手許にあった。

茫然としながらも、歌声をまず聴いた。
若い頃の歌は、私にはまだ良いとは思えなかった。
シャンソン歌手として大々的に売り出す前の飛び切り若い頃の歌声は別だったが・・・。

そして、近年(晩年になってしまった)の石井の映像を観た。
私の不明を恥じた、何と素晴らしい歌声なのだろうか。
シャンソンというジャンルを超え、見事なまでの石井好子の世界がそこにあった。

トーク番組で話している内容も含羞がある。
高英男が名流婦人と石井のことを絶賛していたが、まったくだ。
上辺だけじゃない、建前ではない、真実の重みがそこにある。

そして、手許に残っているエッセイを読んだ。
今さらながら、サイン本を持っていたことに気付く。
やはり面白い、そして含羞がある、ユーモアがある、凄みがある・・・。

失ったものの大きさを感じてならなかった。

そして、改めて石井好子について知っていることを思い出していった。
あの独自の歌唱法は、フランスなど外国で活躍した際に身に着けた
外地向けの歌唱法であるということ。

一部では音痴といわれていたが、音大出身であり、元来堂々たる譜面通りの歌唱が出来る
人であったこと。

長く唄うために常に健康管理に気を配り、70前後から歌唱法を変えていたこと。

それまで知ってはいたが、肯定材料に到らなかったことがすべて肯定材料へとなっていった。

何という傑物だったのだろうか・・・。

そして先日、石井好子を特集した10分番組がNHKで放送されているのを観た。
10分で足りるような人ではないが、比較的よくまとまっていた。
番組でオランピア劇場での公演の様子が放送された。

脳天を直撃するような歌声だった。
気品と貫禄に満ちた姿に私はまたも言葉を失ってしまった・・・。

こんな素晴らしい歌い手がいたのか。
やっと出た言葉はこれだった。

叶うならば、もう一度石井好子の舞台をじっくりと観たい。
遺された、かつての舞台の映像を観たい。

数年前には判らないことでも今ならば理解できることがいっぱいあるはず・・・。

そんなことを日々思っている。

高英男の「オペラ座のダンサー」

2010-12-04 18:59:01 | 高英男
私は高英男(シャンソン歌手)が好きで、好きで、生涯追い続けたいと思っています。
また、それに値するだけの方だとも・・・。

その高英男さんの歌で、絶賛されているレパートリーのひとつに「オペラ座のダンサー」という歌があります。

舞台が命、華麗に翔んで回ることにすべてを懸けていた天才ダンサー。
ある日もっと高く翔ぼうとして、倒れた。
もう翔ぶことは出来ない。
それまで惜しまぬ拍手を与えていた人たちは消え、新聞の切り抜きだけが残った。

ある日、もっと高く翔ぼうとした彼は屋根の上から飛び立ち・・・果てた。
人はオペラ座を通るとき、幻の中に踊っている彼の姿を見ることだろう・・・

(注:私的概要につき、正しい訳ではありません)

いつだったか、他のシャンソン歌手が歌うのを見たことがありますが、別段心に残る作品では無かったのですが、果たして高さんが調理するとどうなるのか。
歌い終え、舞台に倒れ落ちる演出もあると知り、なおのこと・・・どうしても観て聴いてみたい高さんの1曲でした。

それが先日、機会があって「第39回パリ祭(2002年)」の映像を見るチャンスがあり、観ていたところ、ステージに高さんが、まるでヨーロッパの老芸人のような雰囲気と姿で登場し、この歌を歌っていたのです。

実に素晴らしく、想像を遙かに超えた舞台がそこにありました。



高英男、当時82歳。
「歌っている」というものではなく、歌と歌い手が一体化した、歌を超えたものになっているのです。高英男の世界、というのでしょうか。
高さんならではの解釈、長く真摯に歌い続けたものでも達することが難しいのではないか、と感じました。これが年輪・・・いや、神がかり的なものすら感じました。

でも、決して枯れてはいないのです。
ロウソクの炎・・・そんな妖しさが脳裏に浮かびました。

高さんという人は年齢によって、歌の印象がドンドン変わっていく人で、50代の頃の歌と70代の歌は同じ歌でも、まったく違う歌のように聴こえるのです。
50代ならではの歌、70代だから歌える歌と・・・。

これは80代に達したからこそ歌える歌、といえるでしょう。
勿論、60代のときに歌ったオペラ座、70代のときに歌ったオペラ座も素晴らしかったと思うのです。ですが、この82歳の絶唱もまた素晴らしいものでした。

もうひとつ感じるのが、高さんが何より舞台に立って歌うことを愛していたこと。
表情のひとつひとつから、単なる愛想では無い、心底・・・の想いが見て取れました

歌というものは不思議です。
声がよく出ている、音程が正確・・・そういう歌が人の心に必ずしも響くわけでは無いのです。
老いというものを逆手に取り、その状態でベストな歌を届ける・・・。
かつて「歌い手に必要なものは技術。自分の力を見極めて忠実に努力すること」と高さんは発言していますが、その言葉が当てはまる、このステージ。

芸人・高英男、ここに在り。
叫びたくなります。

生のステージでこの歌を観たかった。チャンスが巡って来なかったのが残念です。

1980年代以降の高さんの歌声はソフト化されていない。
(2000年放送の30分番組が限定販売されていたらしいのですが現在はそれも完売している様子)

・・・これは実に勿体無いことだと思います。
60代、70代、80代・・・の高さんの歌声もまた素晴らしいものであるだけに、パリ祭の絶唱などを集めて、アルバムを作ってもらえれば多少音質に難はあれども、どれだけ素晴らしく、意義のあることだろうとしみじみ思います。

「オペラ座のダンサー」、ソフト化を強く希望します。
叶わぬ夢・・・なのでしょうか。