今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

ディック・ミネが語った あの歌手・このハナシ(第5章:志村喬)

2006-12-24 23:59:51 | 懐かし映画

ぼくが映画に出はじめて、本職の迫力を感じた最初の役者が志村喬でね。亡くなったけど、いい役者だった。

何という映画だったかな?タイトルは忘れてしまったけどね。その映画ではぼくはバカ殿様役。志村さんは骨董屋の役。役が役だからね。ぼくはいつもふんぞり返って威張ってるわけだ。で、このバカ殿様、バカのわりには趣味がよくて、骨董品集めときたね。ところが、そこがバカ殿様がバカ殿様たるゆえんでね。鑑定の仕方が問題なんだよ。たとえば、例によってお供を大勢引き連れて、背骨が痛くなるくらいふんぞり返って骨董品屋に行くわけだ。志村さんが迎えに出て、内心じゃこのバカって思っているんだけど、
「殿様、いらっしゃいまし」
そこで音楽が入る。ミュージカル映画だからね。ぼくがオペレッタ調で歌うわけだ。で、そのあと、志村さんが茶器をいくつか持ってくる。千利休あたりが使っていたと称するものをね。で、普通だったら、それを手にしてためつすがめつ鑑賞したり手触りを見たりするよね。ところがぼくは、箸でコーンと叩いて、その音に耳を傾けてね、こうだよ。
「ウーン。いい音がする。これはよいものじゃ。気に入ったぞ」
志村さんはそのときなんとも哀れっぽい、情けなそうな表情をするんだけど、この辺りから共演していて、《うまいなあ!》って思うんだよ。

骨董屋のあるじとしては、どうせ売るなら骨董品の価値を充分分かるヒトに売りたいよね。ところが、毎回この調子で、バカ殿様は、コーンってやっては買って行く。できることなら、売らずに自分の手許に置いときたいぐらいのものをね。情けないやら腹立たしいやら・・・・・・それが毎回繰り返されるわけだ。
で、最後に、山水画の掛軸をバカ殿様が見て、
「あれは誰が書いた?」
「雪舟でございます」
「有名なのか」
「はい、それはもう、山水画を描かせたら、第一人者でございます」
「そうか、有名か。気に入ったぞ」
「いえ、殿様、あれだけはご勘弁願います。私めの命の次ぐらいに大切にしているものですから・・・・・・・」
「なに!売り物であろうが」
「は、はい、それはそうでございますが・・・・・・なにとぞ、あれだけは・・・・・・」
「ならん、まかりならん」
てな調子で、刀に手をかけたりして、ぼくは威張るわけだ。ところが、おかしいんだよ。このとき、うっかり刀を逆に・・・・・正式には刃の方を上に腰に差すものなのに、下向きに差していてね。つかに手をかけたときに、どうも具合が悪いな・・・・・・で、見て気がついたんだよ。それをさ、監督やらカメラマンは誰も気がついていないんだよ。大笑いだよ。でね。マキノ監督は、
「バカ殿らしくていいや、それでいこう」

これですよ。臨機応変が娯楽映画のいいところでね。芸術映画気取りの巨匠じゃこうはいきません。で、次のシーンに移るんだけど、ここでもマキノ監督は、
「志村くんは、バカ殿に愛娘を奪われるようなものだからね。怒りと悲しみのどん底みたいなもんなんだ。よし、ここはひとつ歌を入れて、志村くんにその思いをたっぷり歌い上げてもらおう。ミネくん、大至急書いてくれ」

いつもこの調子ですからね。シナリオなんてあってないようなもんで、現場でクルクル変わっちゃう。変わるのはいいんだけど、なにしろ一週間で一本撮らなきゃいけませんからね。スタッフは大変ですよ。そのつど、短期間で監督の欲求を満たさなきゃいけない。蜂の巣を突っついたみたいに大騒ぎですよ。
ぼくも当時映画の撮影とはこんなものだと思っていたしね。また仮に、そうじゃないくても、この調子でスピーディで活気のある雰囲気がピッタリくるのかね、ホイホイてなもんで、
「監督、曲は大久保徳二郎でどうでしょう?」
「うん、君にまかせる」
で、大久保徳二郎(「上海ブルース」「或る雨の午后」「夜霧のブルース」の作曲者)が呼ばれてくるまでの間に、ぼくは詩を作るわけだ。見るからにアホづらしたバカ殿様の扮装のままでね・・・・・・。ものの十五、六分で書き上げたころ、大久保が来る。場面の状況を説明して歌詞を見せ、ああでもないっこうでもないとやりながら、曲が出来上がる。志村さんを呼んでまずぼくが歌ってみせ、それを真似ながら歌うわけだけど、感心しましたねえ、志村さんのうまいのには。ぼくはそれまでにずいぶん俳優さんに教えたけどね。志村喬みたいに音程がしっかりして、歌の感じをピタリとつかんで歌える俳優を見たことがなかったからね・・・・・・。よし、それで行こう――。

で、リハーサル再開。
ぼくのバカ殿様を前に、志村喬の骨董屋があるじが歌いはじめる。
♪ 山と思えば山じゃない
    川と思えば川じゃない
   夢を描いた雪舟の
   そこが非凡な芸術じゃ
   ・・・・・・・
渋くてね、いい声してるんだよ。
それにあれは志村喬じゃなくて、完全に骨董屋が歌っていたね。このバカ殿様にむざむざ雪舟を奪られてしまうのか、恨みやら腹立たしさやら悲しさやらが、歌っているうちにゴチャゴチャしてきたんだね。うっすらと涙が滲んでね・・・・・・。
アレ!? って思ったら、もう涙がポロポロ・・・・・・涙流して歌っているんだよ。

すごい役者だと思ったね。役柄になりきるのは当たり前にしても、ほんの二、三十分前に覚えた歌に、プロの歌手でさえあれほど感情を移入できるものじゃないからね・・・・・・。

ぼくは別の世界から入った下手っぴいだよね。やりづらかっただろうけど、そういう様子はカケラも見せないしね、偉ぶらない、誠実な人柄でね・・・・・・。ああいうヒトを、ホンモノの役者というんだろうね。


この話は、映画『鴛鴦歌合戦』のエピソードだと思われます。
かなり記憶違いが見受けられますが(^^ゞ
(いちいち指摘しなくてもこの映画はカルト的人気を誇ってます。DVD化もされておりますので、興味のある方はお調べになってはいかがでしょうか?)
ともかく、志村喬の凄さを感じる話です。
この後、ミネは志村に「テイチクに入って、歌ってみないか?」と誘ったらしいですが、「私は役者だから」と断られたそうです。
志村喬の歌といえば、映画『生きる』での
♪い~のち~ィ みじ~ィかァし~~~~~(@ゴンドラの唄)
があまりにも有名ですが、この映画では、あの怖い感じは微塵もありません。
お見事です。

「私は役者だから…」
と言って、歌手としての活動は無かった志村さんですが、一度だけ、加東大介司会の、NETだったか、フジだったかの「懐かしのメロディー」的番組に出て、雪降る公園のセット(つまり「生きる」の例のシーン再現)で「ゴンドラの唄」を歌ったことがあったそうです。それからすぐ、加東氏は鬼籍入りされたそうです。