今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

宮川泰よ永遠なれ

2006-03-21 22:46:29 | その他

先日、作曲・編曲家の宮川泰センセイが亡くなった。
私にとって、宮川センセイは、紅白での蛍の光でのド派手な指揮者であり、面白い人であり、作曲家なのに唄が下手であり、ズームイン!朝であり…とにかくキョーレツなインパクトを持った人というイメージであった。

初めて宮川センセイの作品を聴いたのは、おそらく「ズームイン!!朝!」のOP曲だろう。♪チャッチャッチャ~チャララララ~チャチャチャ~ン
今もって朝7時はあの軽快なメロディーを聴きたくなる。

…いや、「おもいっきりテレビ」かも知れない。
幼少時、祖父母の家に預けられれば必ず「おもいっきりテレビ」がかかっていたから。「今日は何の日」やCM明けののBGMは記憶にこびりついてるし(笑)

ともかく、「宮川泰」の名を知る前から、センセイの作ったメロディーは頭にすりこまれていたのは間違いない。

そういえば、小学校2年の時に、学芸会で「宇宙戦艦ヤマト」のテーマソングを鍵盤ハーモニカで演奏したこともあった。
全然これが弾けなくて、幕の間に隠れて吹くマネをしていたのを覚えている。

初めて自分で金を出して買ったサントラも、宮川センセイの「ゲバゲバ90分」(と必殺シリーズ@平尾昌晃)だった。
初めて聴いた時は驚きました、だってバラエティー番組でも夕方情報番組でもニュースでもアチコチでかかってるBGMばかり。

私が本格的に歌謡曲に魅せられる前、クレイジーキャッツ・キ○ガイだった時期がありまして(いや、今もかも…)、その時期でした、ゲバゲバのサントラ購入は。
「スーダラ伝説」「シビレ節」「ウンジャラゲ」「これで日本も安心だ!」…。
子供心にも「宮川泰って人はスゴイ」という認識に相成りました。

初めて宮川センセイをテレビで見たのはいつか。どうしてもこれが思い出せない。おそらく01年~02年あたりだと思うのですが…。
いや、「宇宙戦艦ヤマト」がらみのニュースでもっと以前にお見かけしているのかも知れない。
まあ、気がついたら、「宮川泰=面白いジイサン」のイメージが(笑)。
「鼻の穴に500円玉が入る方」(黒柳徹子・談)
…当然、徹子がチャレンジしたことは言うまでもございませんね(笑)。
映像は持ってないんですが、紅白歌合戦で布施明の応援に、曲の指揮を買って出た(というよりザ・ピーナッツの指揮ついでかも)のはいいが、施明より目立ってしまった…なんてエピソードもありますしね、必然かも(笑)。

どっぷり歌謡曲に漬かった今、宮川作品の魅力は何かと考えると、
1 個性的なゴージャスなアレンジ
2 個性的なメロディー
3 親しみやすい

この3つじゃないかと思う。

特に、編曲・宮川泰のクレジットがあると私は興奮してしまう(笑)。
植木等「スーダラ伝説」(平成元年)
ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」(昭和42年)
布施明「愛の終りに」(昭和46年)
特にこの3曲のアレンジは私にとって生涯忘れないだろう。もう私の人生を変えたというべき曲だ。
特に「スーダラ伝説」での第九とスーダラ節の融合は、もはや神といえる出来。
(このネタ自体は79年に「ディスコ・ザ・クレージー」で試みられてます)
他にも小林旭「THE アキラ節-マイトガイ・ヒットパレード」(平成17年)の、熱き心」にと「自動車ショー歌」の融も記憶に新しい。

作曲なら、「銀色の道」(ダークダックスも忘れられない。
歌そのものの経験があるだけに、どれだけはげまされたか…。
ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」「ふりむかないで」「ウナセラディ東京」は言うに及ばず。西田佐知子「涙がかわくまで」、沢田研二「君をのせて」も素晴らしい。

ザ・ピーナッツと宮川泰、この組み合わせは歌謡界有数のタッグである。
このコンビの作品には、駄作は無い。
「宮川ダアー」と言わんばかりのド派手アレンジはとにかく聴いていて、文句なしに楽しい。もしかしたら、宮川センセイのすべてはピーナッツで出きっていると言っても過言じゃないくらいやりたい放題(笑)。
(園まりの「逢いたくて逢いたくて」は、もとはザ・ピーナッツの曲であることは一部では有名)
それゆえ、「さようならピーナッツ」(TBS)を見たときは、宮川センセイが気の毒で仕方なかった。

普通の作曲家なら、これでオシマイ。
でも宮川センセイはまだまだ活躍していく訳でして、これがまたスゴイ。
ピーナッツ引退の昭和50年の時点では、私の愛する「ズームイン!!朝!」も「おもいっきりテレビ」も「スーダラ伝説」も世に出てませんしね。
77年紅白でのパフォーマンスは伝説の、ちあきなおみ「夜へ急ぐ人」もセンセイ編曲。ちあきの前に歌った三波春夫「三波のハンヤ節」もセンセイ編曲。
晩年の仕事になってしまったが、NHK朝の連続テレビ小説「てるてる家族」も素晴らしい出来であった。あのドラマの魅力の一つである。
…書き出せばきりが無い。

先日無くなった久世光彦(くぜ・てるひこ)氏同様、亡くなる前日まで仕事をしていて、今月末にはライブの予定もあったという、宮川センセイ。
私に宮川センセイは、音楽の楽しさを教えてくれた。
別れの悲しい曲でも、派手なアレンジで悲しみを吹き飛ばせと言わんばかりだった。
アップテンポの曲を書かせれば天下一品だった。
センセイの新しい仕事が、もう見れないのはとても悲しい。
その一方でまだ信じられない、棺桶の中から「ひっかかったね、ドッキリだョ」と出てくるのではないかとも思っていたりもする。しかしそれは所詮妄想である。
センセイは湿っぽいのは好まない方だった。だから私は明るく〆たいと思う。

「シャボン玉ホリデー」のテーマ、のように素敵な夢をありがとう、と。


LP(SKA-136) 長い夜のひとりごと[江利チエミ]

2006-03-18 14:12:12 | 江利チエミ

このアルバムは1976年にキングレコードから発売されたものである。
内容はというと、自身の持ち歌とカバー曲、当時ではよくあるアルバム形式である。
だからといって軽視は出来ない。こういうカバー曲で歌手の新たな一面や巧さを改めて確認できる場合があるからだ(もちろん、これは…というものも中にはあるが)。

さて、このアルバム「長い夜のひとりごと」はどうであるか。
何と言えばいいのだろうか…自身の経験を唄に突っ込んだ感じがするのだ。
江利チエミと言えば、
ポリープ手術→謎の自宅全焼→離婚→義姉による巨額横領事件→急死
という後半生の不幸のデパート振りがあまりに有名であるが、そのあまりに酷すぎる試練の苦労を唄にうま~く利用している(本人が無意識のうちに、自然に)感がある。
江利チエミの晩年そのもの、と言われるヒット曲「酒場にて」なんて、言わずもがな、だ。
これはチエミとは切っても切れない美空ひばりだとさらに顕著になり、また意図的になる。彼女もやがて自然な形になっていくが…。
顕著 かつ 意図的な例)
芸道一代、この道を行く、雑草の唄

※当時の江利チエミの私生活はどうであったか…愛人がいたらしく、あの唄の状況ほど悲惨な状態ではなかったらしい。イメージ通りではない模様。

良くも悪くも、芸の道を進む者ならば、そのぐらいはやるぐらいでなければプロではない気がする。転んでも只では起きない、くらいの心境でなければ芸能界は生きていけない、そんな気がする。因果な商売でもあるが、素晴らしい商売である。

曲目 及び 解説

A-1 アカシヤの雨が止む時
作詞:水木かおる 作曲:藤原秀行 編曲:筒井広志

編曲が良い。この筒井広志と江利チエミの相性は抜群によく、彼が関わったチエミ作品は外れはない。江利チエミの魅力を引き出すことにかけては、山屋清と争う実力があると私は思っている。
この時期の江利チエミがこの唄を唄う、聴くものには当然、一連の騒動が頭によぎる。ともすれば悲惨さばかりが強調される状態。
それを、どん底の中に一筋の光が射す、ように聴かせるのは編曲者・筒井広志の腕も大いにあると思われる。そして、それに見事に答えた江利チエミ。
チエミ=筒井 コンビの鮮やかな勝利である。
曲は言わずと知れた西田佐知子、最大のヒット曲であり、60年安保の鎮魂歌とも評される名曲である。

A-2 爪
作詞・作曲:平岡精二 編曲:高田 弘

ジャズ風味たっぷりのペギー葉山のヒット曲である。
元来デビューはジャズ畑であるチエミが満を持して、この曲に取り組んだ感がある。
編曲者の高田弘は70年代新御三家や桜田淳子の曲の編曲が有名。
チエミの相性は「酒場にて」にて実証済み。決して悪くはない
期待を裏切らないジャジーな編曲を施し、江利チエミの歌唱に花を添えている。
チエミの歌唱は、年輪を感じさせる素晴らしいもので、長年の持ち歌のようにも聞こえる。

A-3 ベッドで煙草を吸わないで
作詞:岩谷時子 作曲:いずみたく 編曲:葵まさひこ
とにかく悲壮感漂う1曲。大人の女の悲劇の匂いが漂う。
これは当時の世間一般の江利チエミのイメージまんま…。
もう少しひねった編曲を欲しかった…。
これはジャズ歌手だった沢たまきのヒット曲。

A-4 さよならはあなたから
作詞:木下龍太郎 作曲:吉田矢健治 編曲:葵まさひこ

江利チエミ自身が気に入っていたと思われる1曲。
もとは昭和45年のB面シングル。それを吹き込みなおし、このアルバムと同時発売の「ひとり泣く夜のワルツ」のB面として再び世に送り出した。
オリジナルに比べると唄いこまれた味が出ています。
ただ高音等は苦しい…。しかしそれもまた味ととらえることも十分可能。
チエミのプロフェッショナルぶりが伺える。

A-5 知りすぎたのね
作詞・作曲:なかにし礼 編曲:高田弘

ラテン系ムード歌謡グループ、ロス・インディオスのヒット曲。
これを聴いて、当時を知る一般人で高倉健をイメージできないはいないと思われる。
まさにこのLPのタイトル「長い夜のひとりごと」にピッタリな1曲である。
チエミの歌唱も、これでもかと言わんばかりに悲壮感たっぷりである。
枯れた高音がまたその悲壮感に輪をかける。高田弘も容赦なくマイナーなアレンジに仕上げる。これを聴いてもらい泣きする人は多かったんじゃないか…勝手にそう思う。おそらくこれ以上悲惨な「知りすぎたのね」は出ていないだろう。そう考えていくと名唱である。

A-6 誰もいない
作詞:なかにし礼  作曲:大六和元 編曲:高田弘

菅原洋一さんのヒット曲。この曲で彼は68年度レコード大賞歌唱賞を受賞。
「知りすぎたのね」とほぼ同じ感想。

B-1 ひとり酒場で
作詞:吉川静夫 作曲:猪俣公章 編曲:筒井広志

筒井広志は本当に江利チエミをわかってくれている。
チエミ艶歌というジャンルをキッチリ作ってくれた一人だと思う。
題材が題材ゆえ、とんでもないことになるかと覚悟して聞けば…実に聴きやすいチエミ艶歌に仕上がって一安心。
森進一さんの初期のヒット曲。

B-2 女の意地
作詞・作曲:鈴木道明 編曲:筒井広志

もともと曲が演歌調なので、どう仕上げるかと不安だったが…。
江利チエミ×筒井広志に敵はなかった。西田佐知子とはまた違う、チエミ流女の意地が出来上がってます。
この江利チエミ×筒井広志の組み合わせだけで、このアルバムを作ったらもっと良いアルバムになったのでは…ふと思った。

B-3 優しくだまして
作詞:矢野 亮 作曲:吉田矢健治 編曲:葵まさひこ

チエミファンが安心して聴ける1曲、なかなかの佳作。
江利チエミ本人もお気に入りだった…と山口洋子が著書の中で触れている。

B-4 ひとり泣く夜のワルツ
作詞:矢野 亮 作曲:吉田矢健治 編曲:森岡賢一郎

オリジナルは昭和42年発売。そこそこの中ヒット曲。
これで3度目の吹き込みである。
このアルバムと同時にシングル発売した1曲(B面=さよならはあなたから)
今度こそ大ヒットを…と思ったのであろうが、残念ながら小ヒットに終わった。
3テイクある中では、編曲も含め一番の出来である。
特にオリジナルはアレンジが悪い。チエミサイドの迷走が手にとって分かる。
とてもじゃないが「売る気」の編曲ではない。
現行のベスト盤にはぜひとも完成度の高いこちらのテイクを入れて欲しい。

B-5 夜のカウンター
作詞:山上路夫 作曲:鈴木邦彦 編曲:高田 弘

「酒場にて」のヒットに気を良くしたキングが二匹目の泥鰌を狙った…と思われる曲。
こういう場合、コケルのが普通ですが、この曲も例外ではなかった。
しかし、曲自体はなかなかの出来であり、本来のチエミファンも「酒場にて」でついた新たなファンも納得させられる曲のように思う。
♪君は男で苦労する性質だと 街の易者も言ってた
…このフレーズが耳について離れない。

B-6 酒場にて
作詞:山上路夫 作曲:鈴木邦彦 編曲:高田 弘

江利チエミ晩年のヒット曲。この曲無しでは借金返済はさらに時間がかかったと思われる、またチエミ晩年のイメージソングでもある。
この曲は江利チエミの芸の全てを突っ込んだ唄である。スキャンダルにまみれたイメージからジャズで培ったリズム感まで、持てる力をすべて出し切った素晴らしい歌唱である。これは江利チエミ以外の歌手には到底歌いこなせない曲なのである。どんな歌手がいくら頑張って歌ってもダメ。この曲には江利チエミの人生がどっぷり漬かったものであるから・・・。
なお、今も戦友・雪村いづみが悲しい酒と交互に歌う方式でこの曲を歌っていることを付記しておく。



※なお江利チエミの後半生の事件について詳しく知りたい方は、江利チエミファンのひとりごとまでどうぞ。


布施明ベストコレクション20(COCP-33378)

2006-03-13 02:09:17 | 80年代・歌謡曲

2005年3月に発売された「仮面ライダー響鬼」主題歌、布施明「少年よ」は週間最高12位という、「姉妹坂」以来20年ぶりの100位内のチャートイン、そして「恋のサバイバル」以来26年ぶりのベスト20入りを果たした。
その誕生についてはココを見ていただきたい。軽く触れてます。

ともかく、歌手生活41年目だった2005年、見事に布施明は復活を果たしました。
私の友人でも「少年よ」は知ってます(CDTVでしばらくチャートインしていたため)。
君は薔薇より美しいだけ知ってる」状態からの脱却は、布施ファンとしても嬉しい限りでした。さらに「始まりの君へ」という嬉しいオマケまで付く大盤振る舞いな年。

勝手に
「布施さんがヒットチャートに載ることはもう無いんだろうなあ。前川清みたいに福山雅治と組んでシングル出さなきゃ、一生無理。マシャさ~ん、キヨシもいいけどアキラもどうよ?無理だよねぇ(ノ_-;)」と考えていた私にとってまさに奇跡でした。
20年もオ○コン100位以内に入れなかった布施さんがですよ、2作連続トップ20入りですよ!CDTVにずっと「○位 布施明『少年よ』」と流れているんですよ!
♪嬉しくて、嬉しくて、何度もあなたの名前呼んだ~ それが~嬉しくて~
(「ひまわり」作詞・作曲:福山雅治 唄:前川清)

ライダーの主題歌のため、歌番組で披露したのはそれまで1度限りでありました…が、めでたく紅白歌合戦で、「少年よ」テレビ2度目の歌唱が決定し、21回目の出場をいっそう誇らしく思いました。
「今年は懐メロじゃないぞ、歌唱力枠だけじゃないぞ、ヒット出したぞ( v ̄▽ ̄) 」

そして、大晦日。
布施さん自らの希望で、仮面ライダー響鬼のアトラクションをバックにつけ、さらに応援に中身の方(笑)まで駆けつけて来て下さるというサプライズが!
歌声が素晴らしいのは言うまでもなく、至福の時間を過ごしました。
(某巨大掲示板に、布施明専用実況スレまで立つ人気ぶり!)
友人からも、多数「布施明良かった」「少年よ、いい歌だな」等メールを貰いました。
「Viva!布施明」な状態で05年は終了しました。

さて、「少年よ」効果で、もう一つ嬉しいプレゼントがあったのはご存知でしょうか?
コロムビアからベスト盤が発売されたのです。
「え?布施さん、昔キングレコードでしょ?」「コロムビアからとっくにベスト盤は出てるよ」…その通りです。
ですが、butですよ、説明いたします。

布施さん、レコード会社移籍の軌跡
昭和40年~56年 キングレコード
「霧の摩周湖」「恋」「愛の園」「これが青春だ」「愛は不死鳥」といった、ドメスティック歌謡、「積木の部屋」の歌謡曲、「シクラメンのかほり」「落葉が雪に」といった青春フォーク、「君は薔薇より美しい」「恋のサバイバル」といったアップテンポなAOR…。
布施さんのヒット曲は、ほぼすべてこの時代。

昭和57年~59年 フィリップスレコード
オリビア・ハッセーとの結婚、そして渡米。その後1年ちょっとは一応キングからシングルやアルバムは出していたのが、心機一転移籍。
本格的にアメリカでAORに取り組んだアルバムを年に一枚出します。
本当に当時やってみたかった音楽だけに取り組んだ時代。
一線を引きながらも、ディナーショーをしに時折日本へ戻って小金を稼いでいた時期
でもあります。

昭和60年~昭和62年 日本コロムビア
「もう一度本腰を入れて唄いたい」・・・が、あちらでは歌手活動がうまく出来ない状態。この頃から単身赴任し、日本での活動を本格的に復活させ始めます。
この間、LP3枚(内2枚はライブ盤)、6枚のシングルをリリース。アメリカでの欲求不満を晴らすかのような名曲を叩き出します。
音楽的チャレンジもし、その頃から使われ始めた、「打ち込み」を使って、新たにヒット曲を吹き込んだりもしています。これがコロムビアから発売されているCDに収録されています。それは購入はあまりオススメできません(汗)。
「何が問題か」→打ち込みの音があまりにチープで聴くに耐えない。
数曲は許容できますが、「甘い十字架」などは、まるでファミコンのBGM(>_<;)
マリオがでてきそうな錯覚に襲われます(笑)。

コロムビア最後のシングルは、自身の司会番組「布施明のグッDAY」主題歌。
裏の「いいとも」「おまちどうさま」の二大巨頭には叶わず、あっけなく半年で終わった幻の番組、それが「布施明のグッDAY」

平成元年 ビクター
この年、あまり組んだ事のなかった筒美京平に曲をもらい、シングル2枚発売。
アルバムも一枚出した…のですが、この時代はLPからCDへの切り替わりの微妙な時期、まったく中古屋でも見かけません。
離婚もこの時期、養育費ネタがここに生まれました。

平成3年 キング
古巣に戻って、カバーアルバム1枚及びシングル1枚リリース。
このとき吹き込んだ「五月のバラ」(オリジナルは尾崎紀世彦。塚田三喜夫のヒット曲)は現行のキングのベスト盤で聞くことが可能です。

平成5年 キティ
シクラメン作者・小椋佳に曲をもらい、一枚リリース。

平成8年 BMGファンハウス
再びAORにチャレンジ。
角松敏生プロデュースで2枚のシングルと久々のアルバム発売。

平成11年 ポリドール
昼ドラ「ああ嫁姑」主題歌・「心をあずけるまで」をリリース。
因幡晃からの曲提供。

平成13年~ ゼティマ→ライスミュージック
この頃、現在所属の尾木プロダクションへ。
そしてゼティマに、当時大人気のモーニング娘。の税金対策の為、迎えられる(爆)。
シングル3枚、アルバム1枚リリースした後、所属会社の編成が変わり、ライスミュージックへ変わる。そこでアルバム1枚・シングル1枚発売。

平成17年 (エイペックス)
「仮面ライダー響鬼」の主題歌はエイペックスからの発売と決まっていたため、レンタル移籍し、2枚リリース。2枚ともTOP20に入る大健闘をみせる。


以上長いですが、布施さんレコード会社所属の歴史でした。
見れば分かりますが、コロムビア以降は「一枚だけ出すためだけ」のワンポイント契約ばかりで、「マイクを持った渡り鳥」(笑)。
それを見ると現状は恵まれているのです。
…コンサートでしか唄っていない名曲も多い布施さん、どうぞ自主制作でも結構ですからアルバムで、ビシッと吹き込んで欲しいのですが。


話をコロムビアのベスト盤に戻します。
今までのコロムビアのベスト盤はCDが珍しい時代に出たモノにしか、シングル曲は収録されていなかったのです。
つまり、出来損ないの再録音のヒット曲しか収録されてないCDしかCDショップでは買えない悲惨な状態でした。

が、「少年よ」ヒットで、最近自社音源の有効活用に目覚めたコロムビアさんが、シングル曲6曲を含んだベスト盤を出してくれたのです。
この6曲、それぞれが素晴らしい出来。最後に解説を軽く入れます。
ぜひとも興味を持たれましたら、CD買ってお聞き下さいまし。
「愛の六日間」だけでも十分話のネタになるかと。

「こころ美人」
なかにし礼×筒美京平×前田憲男という豪華メンバーのよる作品。
布施明と筒美京平はこれが初顔合わせ。
前田憲男のジャジーなアレンジにのせ、
見かけがいいのに越したことはないが、寝てみていいのも後をひくものだけど、育ちがいいのも越したことは無いが、お金があっても邪魔にならないけれど、大事なものはこころ。娼婦の心の天使を持つ、そんなお前が(ちょっとブスだけど)I Love You
という、なかにし礼ワールド全開な理想の女を唄った名曲。

「姉妹坂」
東宝映画「姉妹坂」主題歌。
紺野美沙子、浅野温子にW靖子(沢口・富田)が四姉妹という役で出ている映画らしいですが…未見。おそらく今後も見ることは無さそうです。
作詞はなかにし礼。前作とはうって変わった純愛の世界を鈴木キサブローが壮大なメロディーをつけ、「愛の終りに」以来の壮大な愛の詩となっています。
コスモスの花言葉は少女の愛、あなたにはこの花の名がとても似合う…
そんな女性にめぐり逢いたいものです。

「愛・サクセス」
布施明、久々のアップテンポ曲。打ち込みのサウンドが若干チープなのが気になるが、それは布施明のボーカルが補ってくれます。
芸能界随一のモテ男と言われただけにこういう歌はとても似合います。
作詞は大津あきら、作曲は前作に引き続き鈴木キサブロー。
歌詞を見ても、加賀まり子を想定することはご法度です(笑)。

「愛の六日間」
なかにし礼の詩は、エロスティックで知られる。
間違いなく、彼の作詞したものでも五本の指に入る傑作である。
この曲に魅せられた人は少なからずいる。
夜の帝王の異名をとる、歌謡界きっての熱唱派・松崎しげるがこの曲を気に入り、アルバムにも数度吹き込み、コンサートでは定番となっているらしい。
詩を見る限り、松崎しげるでも何の問題も無い。ピッタリである。
ちなみに去年、私の周辺でも、偶然が偶然を呼び、「愛の六日間」ブームとなりました(笑)。みんなバカウケ。男はみんな大絶賛でしたね。
松崎さんでも布施さんでもいいので、この曲はカラオケに入って欲しい…。

歌詞の大意
一日目はキスをかわすだけ
二日目は胸にさわるだけ
三日目はそばに寝てるだけ
四日目は愛を語るだけ
五日目に女がとうとう怒りだしても、男は抱かない。

なぜならば
「男が恋をしたら女の体すぐに欲しがるものと決めている、二人で旅に出たら二人で部屋に泊まり抱かれるものと決めている、そんなお前の古く、甘い考えどおり事は進んで行きはしない。抱いて下さいとなぜ言わない、素直なひと言を俺は聞きたい」
と男は思っているため。

六日目に女が泣き始めたとき、やっと男は満足し、女を抱く。
「生まれたままの寒い姿になってそっと両手で顔をかくす時、お前の白い指に涙が光る。なんてきれいな眺めだろう」と思いながら・・・。

なかにし礼、恐るべし。天野正道が作曲。

「別れに紅い薔薇」
詩の内容とは裏腹にさわやかな曲調。
コロムビアのシングルではこの曲は私好みではない。
リバーヴ過多なアレンジも気に入らない。
作詞:売野雅勇 作曲:天野正道

「さよならの理由」
前述した、「布施明のグッDAY」主題歌。
コロムビア最後のシングルは、作詞は布施明自ら担当。作曲は水谷公生。
この曲は名曲です。メロディーが感動的に仕上がっています。
詩の内容は、淋しさによってStill you're the one for meであることがわかった…というもの。何とな~く、オリビアハッセーの影がチラホラ見えなくもないです。
ボーカルもキング時代の伸びやかな歌声を残しつつ、円熟味も加味されたものになっています。この声はこの時期だけ。今の円熟した熱い歌声もたまりませんが。


KAZUKO MATSUO IN America(1980年)

2006-03-12 21:33:35 | 80年代・歌謡曲

お大事に/松尾和子イン・アメリカ
SIDE1(作曲:Nick Perito)
1、お大事に(作詞:岩谷時子)
2、生命かけたひと(作詞:橋本 淳)
3、REMEMBER(作詞:橋本 淳)
4、いつまでも待つの(作詞:岩谷時子)
5、KISS ME(作詞:橋本 淳)

SIDE2
1、誰よりも君を愛す(作詞:川内康範 作曲:吉田 正)
2、小さな酒場(作詞:宮川哲夫 作曲:吉田 正)
3、ウィスキー・ララバイ(作詞:クロ 作曲:惣領泰則)
4、さよなら(作詞:山上路夫 作曲:Harry Toos)
5、再会(作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田 正)


このLPは松尾和子さんの歌手生活20周年記念LPであるらしい。
ペリー・コモやフランク・シナトラといった大物歌手の編曲者として著名であるニック・ペリートがプロデュース。収録曲全曲の編曲及び5曲の作曲(書き下ろし)を担当。
スタジオプレーヤーも一流どころで固められている(これは最後に付記する)。

ニック・ペリートと松尾和子、いったい何処で接点を持ったのか。
それはニック・ペリートの日本公演にペリー・コモが編曲者(指揮者)として同行した際に、(サンフランシスコ在住の松尾の友人が紹介し)知り合った。
松尾の歌を聴いたニックは、すっかり松尾に魅せられた。
そして、松尾にロスでの録音を勧め、その場合は自分で作・編曲を担当し、ミュージシャン等もこちらで手配しようと申し出た。
元はジャズ歌手であった松尾にとって、ウエスト・コースト派のミュージシャンとの競演は夢でないはずがない。まして、それをニックペリートから言われているのである。
さらに松尾の歌手生活20周年もあり、夢の企画が実現と相成った。

松尾は、レコーディングに備えて、宿泊先のホテルにピアノを持ち込んだほどだった。6月30日・7月1日、グループ・フォー・スタジオにてレコーディング。1日12時間というハードスケジュールであるが、その真摯な姿勢に感動したスタジオのオーナーが深夜に花束を抱えて松尾を激励した話もある。
レコーディング中、ドン・コスタ、レイ・チャールズ・シンガーのメンバーなどが入れ替わり立ち代わり、レコーディングに立ち会っていた。その全てが松尾の歌をチャーミングと賞賛したという。中でも「小さな酒場」をビューティフルな曲と讃えていた。

そうして生まれたこのアルバムだが、素晴らしいの一言に尽きる。
ニック・ペリートにとって、初めての日本でのアルバム製作でもあるため、ペリー・コモ、スティーブ・ローレンス、イーディー・ゴーメの言葉が寄せられている。
松尾は当時40半ばであるが、実に若々しい、そして艶っぽい歌声を聞かせてくれる。
もともと松尾の歌声は生涯を通し若々しいし、艶っぽいのだが…。
それはやはり夢の実現による喜びが、そうさせたのであろう。
ニック・ペリートによる編曲も実に良く、名アレンジャーと名演奏によって、松尾の代表曲「再会」「誰よりも君を愛す」「小さな酒場」も新たな魅力を帯びつつ曲・詩の良さを改めて感じさせるものとなっている。書き下ろし5曲も古きハリウッド映画のワンシーンをそれぞれ想わせる名曲揃いだ。
このアルバムは松尾和子20年のキャリアの全てを引き出したうえで、新たな魅力を
加えたニック・ペリートの凄さも実感できる名盤であると私は断定できる。

今、ビクターでは<COLEZO!>というCDを出している。その中に、自社の隠れた・著名な名盤を復刻する「ビクター流行歌 名盤・貴重盤コレクション」というシリーズがある。ビクター関係者様、続編製作の暁には、ぜひともこのアルバムの復刻をお願いしたい。奇跡の名盤・フランク永井×ニニ・ロッソの競演アルバム「君恋し フランク永井ニニロッソと唄う」の復刻を成し遂げたシリーズゆえ、期待は出来ると勝手に思い込んでいるが…。

付記
Vocal:Kazuko Matsuo

Woodwind:joe Soldo,Gary Foster,Ronne Lang,Gene Cipriano
Trumpet:John Audino,Chuck Findley
Trombone:Bill Watrous,Chaunley Welsch,George Robedts
Guitar:Dennis Budimir
Piano:John Berkman
Bass:Don Baldwin
Violin:Gerry Vinci,Sheldon Sanov,Assa Drori,Bob Sushel,Polly Sweeny,Margaret Wooten,Marvin Limonick,Dave Frisina,Reggie Hill,Stan Plummer,Brian Leonard,Mary Lundguist
Viola:Dave Schwartz,Alan Harshman,Pam Goldsmith,Sam Boghossiam,Myer Bello,James Dunhan
Cello:Fred Seykora,Maric Fera,Barbara Badgley
Harp:Katherine Gutthoffen
Percussions:Dale Anderson
Drums:Steve Schaeffer

Arranged,Produced&Conducted by Nick Perito


松尾和子(1935-1992)
力道山経営のクラブ「リキ」で歌っていたところをフランク永井にスカウトされる。
デビュー曲「グッド・ナイト」がヒット(数年後「グッド・ナイト」のB面「東京ナイトクラブ」も人気を呼ぶ)し、続く第2弾「誰よりも君を愛す」で第2回レコード大賞受賞。
大賞受賞後も、「再会」「夜がわるい」「国道18号線」「お座敷小唄」「銀座ブルース」とコンスタントに曲をヒットさせ、やがて「ムード歌謡の女王」と呼ばれるようになった。
70年代前半、学生達のオナペットとして人気を呼んだこともある。
歌とはうって変わったトークも人気を呼び、コメンテーター・タレントとしても人気があったが、別れた夫との間にもうけた一子が問題を起こすと一転して叩かれた。
平成4(1992)年9月25日、自宅階段で足を踏み外し、転落。本人も「大丈夫」と言って横になったが、翌朝家政婦が様子を見に行ったところ死亡が確認された。


なつかしの歌声・年忘れ大行進 観賞記 パート2

2006-03-11 02:09:28 | 歌番組

このコーナーは今ではテレビじゃ絶対出来ないでしょうね…。
「ああ戦雲幾星霜」戦時歌謡特集です。

電報「佐藤栄作(当時の首相)や若手議員にも見ろと言え」と訳の分からんモノまで登場。そこは政治漫才で馴らしたトップライト、うまく翻訳し会場の喝采をさらっています。

まずは林伊佐緒「出征兵士を送る歌」
右翼がよく流している♪いざ征け~つわもの~ニッポン男児~
という歌です。美声が響き渡ります。
会場もこれが青春の歌ゆえ盛り上がり、手拍子が入ります。

小唄勝太郎「明日はお立ちか」
三沢あけみや二葉百合子も歌ってます、この歌。
ちょっと風邪のせいか、苦しそう。

次は90過ぎまで歌っていた方、塩まさる「九段の母」
この歌はダメです、私の涙腺を大いに刺激してくれました。
母物歌謡は数多いですが、この曲は私の中でトップです。
反戦歌はちょっと…な私ですがこの歌は例外。
戦争の悲劇を歌い上げた名曲だと心から思います。
スリーコーラスの熱唱でした。

私の泣きを誘った塩まさるの次は、ご存知東海林太郎「麦と兵隊」
この歌が今では放送できないというのはおかしいと思う。
歌詞読んでみて欲しい、戦争賛美の歌詞でしょうか。
まだまだ私の涙は止まりません…。

灰田勝彦「加藤隼戦闘隊」
灰田サンのヒット曲ではもっとも灰田さんらしくない歌だと思う。
メロディーは実に私好みである。
さすがに軍国色が濃くなっている。歌で綴る昭和史ということでは十分参考資料となる曲であると思うのだが…。

モダンの次は…モダンと一見最もかけ離れてる方霧島昇「若鷲の歌」
(霧島さんは「胸の振子」「一杯のコーヒーから」「蘇州夜曲」等モダンな歌謡曲もヒットさせている素晴らしい歌手です。念のため。)
♪わか~い血潮の~予科練の~ 七つボタンは~桜に錨~
ベトナム戦争真っ只中の中、最後は敬礼して帰って行きました。
会場は盛り上がりまくってます。客の青春ソングですから当然です。

さあ戦時歌謡コーナーのトリは、伊藤久男「暁に祈る」
大熱唱、やっぱり衣装や髪型にはこだわりは見られないです。

CMの後の電報もかなりキテマス。
トップライトも言いたい放題
「年寄りばっかりだから風邪ひいてる人が多い」
「平均年齢が57歳~」
「歌い続けてこの道30年40年のベテランばかりですので、この形の風邪は昭和4,5年ごろの風邪だと思ってください」
「美ち奴さん頑張れ、あれずいぶん美ち奴さん多いな…あ、さっき読んだな、この電報」


ここから先は歌手の十八番を時代に関係なく歌っていくコーナー。
ハナは近江俊郎「湯の町エレジー」
メガネをかけていない近江さん、結構若く見えますな。歌はいつも通り。

続きまして菊池章子「星の流れに
戦後の流行歌の中でも欠かすことの出来ないナンバーです。
文句なしの美声で歌い上げました。

美声といえばじゃありませんが、市丸姐さん登場。
「三味線ブギウギ」を粋に歌い踊ります。
この振り付けは覚えたいなあ。
後姿は27、8だそうです(byコロムビアトップ)

また電報、電報局がもうパンク状態らしい。

林伊佐緒「ダンスパーティーの夜」
テンポがいつもより早い。

松島詩子「マロニエの木陰」
和製タンゴの大傑作。戦前のモダンの片鱗がうかがえる名曲。
ここでライト師匠失言。松島トモ子と紹介(笑)。
「いただきます」には出てましたが、ライオンには食べられてません(笑)。
トップ師匠がさりげなく、すぐに訂正していましたけどね。

まだまだ電報、マイクとの距離が離れていながら歌詞がハッキリ聞こえることにたいする賛辞。当時流行の歌手はコテンパンにやられてます。具体名は出てませんが。

小畑実がここで「高原の駅よ、さようなら」をフルコーラスで披露。
ホントに素晴らしいクルーナーボイスですね。

CMの後の電報も相変らず過激。
近所の寿司屋「都寿司」から楽屋に差し入れが届く。
「どんどん持ってらっしゃい、バンバン宣伝して差し上げます」
来年は故人(松平晃、津村謙、等)を偲ぶコーナーも欲しいとの発言も。
会場は歓声に包まれる。

さあ、次はオカッパル、岡晴夫「あこがれのハワイ航路」
フルコーラス歌い上げます。体調は悪そうです。
やっぱり盛り上がります、人気の凄さが伺えます。

二葉あき子「水色のワルツ」
ステージに用意された椅子に座ったりしながら歌います。
安定感がある歌唱に満足。

ディック・ミネ「人生の並木路」
おそらくディック・ミネの歌手生活で最も多く歌っているであろう歌
間奏を聞き違ったか、二番の出だしに間に合わず
フルコーラスの歌唱。

音丸「下田夜曲」
今でも日舞あたりで使われているらしいです。
「船頭可愛や」よりも声に安定感があります。

風邪で40度の熱がありながら、注射を打ちながら、無理を押しての出演。
服部富子「満州娘」
調子は悪そうですが、何とか歌い上げ、喝采を浴びて戻っていきました。

さあさあと出てきたのは、万年青年(には見えませんけど)
高田浩吉「伊豆の佐太郎」
円熟味の増した美声を披露。もうカンペは持ってません(笑)。

CM明け、また客席インタビュー。

番組も終盤、出てきたのは伊藤久男。歌はもちろん「イヨマンテの夜」
いつもより三割増の大熱唱。トップライトもその凄まじさに絶句。
映像の色ムラが気になります。

渡辺はま子「いとしあの星」
この歌が出てくるとは思わなかったです。
服部メロディーの傑作ですな、この曲も。
ビシッと歌い上げ、現役振りを見せ付けてくれました。

金髪で出てくるのは、もちろん淡谷のり子「君忘れじのブルース」
化粧も濃ければ歌唱も濃い。

女性軍の大御所が出終わった後は、男性軍。
藤山一郎「長崎の鐘」
ステージには十字架、合唱隊も登場。
藤山センセも気合が入ってます。

残りは一名。
その前に最後の電報読み。東京12チャンネルも電話でてんてこ舞いらしい。
息子とチャンネル争いをして、100円でチャンネル権を買った人も。

いよいよラスト、トリはもちろん、この人しかおりません。
東海林太郎、歌はおなじみ「赤城の子守唄」
会場も大歓声に包まれます、当時の人気の再燃振りが伺えます。

歌の後はインタビュー。
病気は何度もしたが大丈夫かの問いに、「大丈夫、(今後も)歌い続けますとも」と頼もしい発言。さすが勲四等(この年、受賞)とトップ。
トップ「昭和45年ももうそこまで来ています」
東海林「あなたの後ろにいますよ、ホラ」

結構面白い方です、東海林センセイ。もっとご存命であったら…と悔やまれません。
(昭和47年死去)

最後に出演者全員登場、「東京音頭」を合唱。
センターは東海林、その両隣りは勝太郎・淡谷、その外は藤山・高田。
このあたりで歌手の格がわかります。
なぜか2曲歌った林伊佐緒は舞台の一番脇、おそらくトイレにでも行ってて出遅れたんでしょうね(笑)

最後は紅白歌合戦同様「蛍の光」
イントネーションがどうこう言って、長年指揮をしながら歌ってない藤山センセイも今回は渡辺はま子と仲良くハモってます(笑)

最後にトップライトが〆て、番組は終了。

実に見ごたえがございました。
知らない歌は一曲もない。出演者の殆どが故人。
いろいろ思うことはありましたが、この番組は貴重な文化遺産でしょうね。
ぜひ、横浜へ行く機会がございましたら、放送ライブラリーでご覧になって下さい。
その濃厚さは半端じゃございませんから…。


江利チエミ「夜ふかし気分」

2006-03-10 21:04:06 | 江利チエミ

「夜ふかし気分」
ハッキリ言って有名ではありません。曲自体は佳作ですが。
残念ながらヒット曲というほどの知名度も売り上げも無い歌です。
一部のファンくらいでしょうか、今でも愛好して聴いているのは。
私もなかなか気に入ってます。

その程度の知名度ですが、(特に歌詞?が)玄人受けしているのでしょうか、他の歌手によるカバーが存在します。

一人は中村晃子。そう「虹色の湖」です。どういう訳か封印されている彼女のもう一つのビックヒット「恋の綱わたり」(テイチク)のB面に収録。

※訳=おそらく、当時の恋人との三角関係のもつれかと…。大○し(略)がまだ…恐ろしきは女の怨念…(絶句)。 ↑ 勝手な推測

最近までこれだけかと思っていたんですがもう一人いました。

文化勲章受賞式のため、毎年文化の日はスケジュールを空けていたと噂の女、

そうあの方です。森光子です。「湯の町放浪記」(ビクター)のB面に収録されています。

こうなると他にも歌っている歌手がいそうな気がします。
こう二人も出てくると結構売れたのではないのか、と考え直さなきゃいけません。
いったいリアルタイムではどうだったのでしょうか?有線で好評だったのか?

ただ、中村・森の両氏が江利チエミと親しかったから、の線もありますが。
中村晃子=レコード会社(キング)が同じだった
森光子=62年紅白司会者、菊田一夫つながり

特に森は美空ひばりと親しかった関係から親交は大いに可能性がありますが。

ちなみにこの唄、作詞の阿久悠から「あまり売れなかったがなぜか愛しい歌」と言われています。ご当人の公式サイトにもコラムが載ってます。
♪貴方と三年三ヶ月 三日と二時間十五分


なつかしの歌声・年忘れ大行進 観賞記

2006-03-09 01:06:09 | 歌番組

横浜に「放送ライブラリー」http://www.bpcj.or.jp/
(みなとみらい線「日本大通り駅」3番情文センター口直結) という施設がある。
ここは無料で、古今のテレビ・ラジオ番組・CMを見る(聴く)ことができる。

ここで公開されている番組のひとつが「なつかしの歌声・年忘れ大行進」だ。
この番組は年末恒例「年忘れにっぽんの歌」の前身番組である。
昭和40年代に起こった懐メロブームの火付け番組「なつかしの歌声」 (この番組がもとになり、NHKが夏の紅白「思い出のメロディー」を製作) の特番を大晦日に放送したものである。
「なつかしの歌声」は昭和49年に終了するが、「年忘れ~」は続行。コロムビアトップ・ライトの司会から宮田輝を経て、「にっぽんの歌」司会の玉置宏へ。今は「名曲ベストヒット歌謡」司会のモト冬樹・竹下景子に徳光和夫が担当している。

話を戻そう。前年(1968年)大晦日に放送した特番が想いの他高視聴率であったため、69年大晦日も放送決定。時間も3時間に拡大し、当時存命であった懐メロ歌手を一堂に集めて、歌舞伎座から生放送した。紅白の裏で2年連続視聴率11%の偉業を達成。その為かは定かではないが紅白の視聴率が69,7%へ下がっている(68年は76,9%である)。

出演者は次の通りである。
個人的にはこの出演者に田谷力三と田端義夫、それに高峰三枝子が居れば…とは思わなくも無いが、おそらく懐メロ番組では最高のキャスティングだろう。

赤坂小梅
淡谷のり子※
池真理子
市丸※
伊藤久男※
近江俊郎※
岡晴夫▲※
岡本敦郎
音丸※
小畑実※
織井茂子
(神楽坂はん子)
菊池章子
霧島昇※
久保幸江
小唄勝太郎▲※
初代コロムビア・ローズ
塩まさる
東海林太郎☆
菅原都々子
高田浩吉※
竹山逸郎
ディック・ミネ※
並木路子
奈良光枝▲
灰田勝彦※
服部富子▲
林伊佐緒※
平野愛子
藤山一郎※
藤原亮子
二葉あき子※
松島詩子
美ち奴▲
渡辺はま子※

▲=風邪 ※=2曲歌唱  ☆=三曲歌唱
なお神楽坂はん子は高熱の為ドクターストップ。

1曲か2曲かのラインは、現役当時の人気とキャリアで決められたと思われる。
東海林太郎は特別待遇で、3曲歌唱+トリ+インタビュー。

以降は実況。文調が変わります。

ファンファーレから「懐かしの歌声」のテーマ(昭和歌謡大全集で流れてるアレ)が流れ、それに載せて出演者一覧のテロップ。
そして司会コロムビアトップ・ライト登場。
なにやら毒舌を吐きながら、一年を振り返ってます。

お待ちかねのトップバッターは藤山一郎「酒は涙か溜息か」、いつも通りの歌唱。

次は淡谷のり子「別れのブルース」、やっぱり腕組んで怖い顔で歌います。

怖い顔の次は優しい顔…ではないだろうがヾ(^-^;)
二葉あき子登場、「古き花園」歌唱。
地味に珍しい歌を披露し、個人的にはニンマリ(^^)

孫が八人と紹介されて出てきたのはディック・ミネ「上海ブルース」
まだメガネもかけてないし、腰も曲がってないです。そしてCMへ。

トップライトの毒舌の後、颯爽と登場するは歌謡界の万年青年こと灰田勝彦「燦めく星座」。理想の老後の姿ですね。歌詞も曲も素晴らしい、思わず感涙。

次に出てきたのは渡辺はま子「支那の夜」、中国扇片手に快唱。ベテランの力を見せ付けます。さすが一度は「思い出のメロディー」出演拒否した(ちなみに淡谷のり子、ディックミネも)だけの実力。まだまだ現役ですね、この声は。

美声にウットリしていると霧島昇登場、「旅の夜風」スリーコーラスの歌唱。
「花も嵐も踏み越えて」のフレーズは西條八十の仕事の中でも五本の指に入る名文句だと思います。個人的には国語教科書に載せてもかまわないと思う。
やっぱり服のセンスは抜群、美空ひばりか霧島昇、といった状態。

そして、テレビ東京の国宝映像、オカッパルこと岡晴夫「港シャンソン」
晩年で声が衰えている上、風邪をひいている最悪の状態ながらも、聴かせます。
掛け声も他の歌手に比べて多いこと、多いこと。

CM明け、トップライトが着物に衣装替え。
「次は~誰?小梅さん?まあいい出てきてもらえばわかる、次の方どうぞ~」
と何とも凄まじい紹介でセリ上がりで登場したのは、小唄勝太郎「島の娘」
何かの木の枝を持って歌ってます。若干声の出が悪いのは風邪のせい。
歌い終わるあたりで画面にノイズ発生。どこまでも運の悪い…。

続いて登場、今度は本当に赤坂小梅「ほんとうにそうなら」
貫禄が半端じゃないです。番組出演者の横綱状態。声はもちろん出まくり。

そして花道から艶やかに市丸姐さん「天龍下れば」、ハンドマイクでの歌唱。
トップライトもその若さに驚きを隠せず。

「ベテランで新人」という紹介のもと出て来たのは小畑実「勘太郎月夜唄」
本人も含め、会場中で手拍子。美声は健在です。そしてCM。

「娘さんと一緒にいても兄と妹にしか見られない」という若干ヨイショが入った紹介で花道から出てくるのは高田浩吉「大江戸出世小唄」
格好はお馴染み瓦版売りです。扇子と一緒に持ってる瓦版の裏側にはカンペが貼ってます。でも歌詞を間違っている( ̄ー ̄?)まるで96年紅白でのお千代さん状態

お次は音丸「船頭可愛や」、普通の下町のオバサンです。声は美声。

そして私の贔屓歌手・美ち奴「ああそれなのに」
高熱のため、この日も打ち、直前まで楽屋で横になっていたとか。喉をやられてるため、ボロボロの歌声…。それでも頑張ってスリーコーラス歌いきりました。

さあお待ちどうさま、懐メロブームの立役者東海林太郎「野崎小唄」
もちろん直立不動です。 後ろに踊子がいようが関係ありません。

CM明け、トップライトが客席にインタビュー。皆さん、欠かさず見てる様子。

ここからは戦後の歌、戦後の歌といえばまずはこの歌と、並木路子「リンゴの歌」花道からの登場でスリーコーラス、難なく歌いきります。

次も戦後に欠かせぬ歌、竹山逸郎「異国の丘」
当時、戦後24年。まだ戦争は風化していなかったと思えるシーンでした。

「気分を変えて参りましょう」と出てきたのは平野愛子「港が見える丘」
この人の歌声は現代でも通用する魅力的な歌声だと思います。

次は久保幸江「トンコ節」、まだ喉の手術前なので当時と変わらぬ歌声。

CM明けの電報読み、どうもこの番組を紅白と勘違いしている人がいる模様。

さあ、とお出でになったのは
歌謡界の女王陛下(byコロムビアトップ)こと奈良光枝「青い山脈」
「風邪をひいてるせいか、声の出がイマイチ」とトップライトがコメント。
美声です、そして美しい。品があるオバサマです。早世が惜しまれます。

次は藤原亮子「月よりの使者」
この人が歌ってた唄は知っていても、名前・姿は知らない方がほとんどでしょうね。
そういった意味でも貴重な映像。
衣装も素敵、薄紅色の雷模様があしらっているドレス。実に美空ひばりチック

岡本敦郎「白い花の咲く頃」
あんまり今と変わってませんが、声が出ること、出ること。


CMをはさんで、初代コロムビア・ローズ「娘十九はまだ純情よ」
やっと今でも現役な方が出てきました。
(久保幸江さんは数年前に体調を崩されて歌ってないご様子、二葉あき子さんは引退なさって故郷の広島で余生を過ごしていらっしゃるようです)

トップライトが高熱の為、神楽坂はん子欠席を発表。
医師の診断書をわざわざ見せてます。はん子に対する呼びかけもしてます。
「早く元気になって、バンバン稼ぎましょう」・・・恐ろしい口です(絶句)。

再び現役歌手、菅原都々子「江の島エレジー」
ビブラートが半端じゃないです。私は「憧れの住む町」がこの方ではお気に入り。

「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の哀しさよ」
ご存知「君の名は」第2部の主題歌、織井茂子「黒百合の歌
何とフルコーラス、素晴らしいアルトの歌声で完璧に歌いきります。
司会のトップ、「いつも以上の実力で歌いきりました」とコメント。

戦後コーナーのトリを飾るのは、田端義夫・小畑実と並び、三羽烏と称されたあの方、近江俊郎。歌は何と「南の薔薇」
この歌聴いて、
近江俊郎=湯の町エレジーな、女ののど自慢審査委員長、のイメージが消え去りました。素晴らしい歌声でした。湯の町エレジーだけじゃありませんでしたね。
ゴメンナサイ、近江さんm(_ _;)m
作曲は私の敬愛する米山正夫センセイ。

ここでDVDが切り替わり、2枚目へ移ります。ということで続きはあらためて。


布施明サマーコンサート2005(40周年記念)

2006-03-08 23:35:22 | その他

去年6月、布施明のコンサートに行ってきました。
一度ナマで聴きたかった歌手ゆえ、飛びつきました。
…チケット代を出すのに時間がかかりましたけど。

あれからもう9ヶ月。これもmixiに載せてたものですが、加筆・修正のうえ
こちらに移行しました。

この日(2005年6月4日?←記憶あやふや・汗)
私は午後6時10分前後に会場に到着。
そして
私「パンフレットはありますか?」
係「ありません」
私「ポスターやらグッズはあります?見当たりませんが」
係「ありません。CD・カセットだけです」
いささか拍子抜けしつつも私はCDを物色。
とりあえず、買えばサインがついてくる新曲「自由」を購入。
とっくに一枚買ってますが、まあ布施さんへのご祝儀(笑)。
コースターにでも使いましょう(笑・布施さん談)
他に「SOMETHING JAZZY」という買いそびれていた40周年記念ジャズアルバムも購入し、やっと会場へ。

会場は殆ど満員。9割は「お嬢さん」(笑)。
男性(若干)・若者(皆無)は????
○音主催だから?函館だから?布施明だから?
多少疑問に思いながら時間に。

きっかり5分遅れにOP。
マイ・ウェイのインストにのせ、布施明登場。

ベージュのジャケットを着ていた布施さんは、テレビで見たまんまでした、多分。(11列目ですので怪しい)

初っ端から「君は薔薇より美しい」を歌い始めました。
若い~!声量もすごい!

続いて「五月のバラ」
これが来るとは思わず、ニンマリ。
でも終りに歌詞が飛びました(笑)

そして、トーク。
「泣いたわけじゃありません…歌詞忘れました(笑)」「鼻炎っぽいので札幌の病院で見て貰ったところハウスダストが原因らしい。ですので今日はこの辺で」
「今日はオリジナル曲を中心に」「短編の朗読劇を」
といった話をされていました。

トークが終り「霧の摩周湖」の女性コーラスが入ったところで会場はざわめきます。 マッテマシタという感じでしょうか、青春の思い出ソングだからか?
ワンコーラスが終わったところで会場は歓声と拍手に包まれました。
おそらく90分のコンサート中、一番盛り上がったのはここかと思われます。

続いて「愛は限りなく」
カンツオーネの名曲です。伊東ゆかりさんと同じ歌詞で歌っていました。若い頃に比べても、遜色ない、むしろ今の方が断然良いくらいの歌声でした。
これぞ円熟、たまらない。

さらに続き「恋」
♪恋というものは不思議なものなんだ~
のフレーズで当時の「お嬢さん」方、吹き出しておられました(笑)。
…つまり会場の大半( ̄ー ̄;

で9分近くトーク。
本人も「ずっと歌っていない、何しろ20代のころです」
と営業用のウソをついていました。
そこから、当時のレコードキャンペーンの話へ。
デパートの屋上で歌った話や新曲キャンペーンで全国塔回りの話を披露。
で、新曲の話。ところが…と仮面ライダー響鬼の「少年よ」の話へ移っていきます。
04年紅白の「マイウェイ」を見た、ライダープロデューサーが「これだ」と主題歌をオファーを決意。放送開始が1月末なのに未だ決まってなかったとか。
最初は新曲「自由」を出したばかりだから…と躊躇したが、事務所の担当者(女性)
が「面白い、やってみましょうよ」と軽い気持ちで引き受けたそうです。
布施さんもその方も本人こんなに売れるとは思っていなかったらしい。初動売り上げは過去最高らしい。あげく仮面ライダー=布施明と勘違いされた…などなど複雑な心境を暴露。

そして、半ばやけに「えーい歌ってしまおう、少年よ~」
とついに披露。
「少年よ」、さすがの出来でした。歌詞間違ってましたが(笑)
(紅白で歌ったときより、ダイナミックな歌い方でした)

さらにライダートークは続き、元ライダー役でオファーが来て
8月撮影の話へ。
(これが小暮役だった訳です)

そしてここから7曲のメドレー。
「シクラメンかほり…フルコーラス。これは歌わなきゃねえ…。
「これが青春だ」…ワンコーラス。意外な選曲。
「積木の部屋」…ワンコーラスなのが残念。
「愛の詩を今あなたに」 …積木の次、シクラメンの前のシングル曲。
まさかの選曲。歌ってくれただけで嬉しさで胸一杯。ワンコーラス+サビ。
「甘い十字架」…また意外な選曲、やっぱりワンコーラス。
「愛の終りに」名曲。大好き。フルコーラスだったら…。
「そっとおやすみ」…ツーコーラス。名唱でした。
ここで布施さん、着替えのため一時退場。

バンドの方が1曲場つなぎに演奏。
2分半ほどで布施さん再登場。衣装は2004年の紅白で着ていた衣装でした。

でトーク。
初の試みである自作の朗読劇のあらすじを説明。
布施さん、自分で読み返して、泣いてしまったらしい。
そして歌「とまり木」
♪さみしさを隠して~
いい歌でした。
CD化されてないんですよねぇ…残念。
CDであったら欲しい。
朗読この掌ほどの幸せ」
内容:母が死に、唯一の肉親・祖父もついに亡くなった。
兄弟はしばらく隣の家に預けられたのち、児童養護施設へ。
1週間後、祖父の家へ戻りたくなり、脱走。
途中、優しいオッサンに会い、柿とおにぎりをもらう。
兄のセーターにつかまって歩いてきた弟が両手に柿とおにぎり
があるため、ついていけなくなる。涙も拭けない。
「掌にもてるくらいの幸せが丁度良い」
そう思い直した兄弟は施設へ戻る。
その後、弟は養子へ。兄は施設へ残り、都会へ出て就職。
しかし、19歳で急逝。
弟がそのことを50過ぎた今、思い返す。
「兄さん、ありがとう。また逢おうね」
そして感動の名唱「涙そうそう」
近くのオバサマ号泣。

トーク、最後の3曲について説明。

「自由」
松山千春作詞・作曲
CDよりも素晴らしい歌唱。
もとは松山千春のアルバム収録曲。たまたま耳にした布施さんが歌わせて欲しい
と頼み込み実現したもの。原曲よりキーが低いのは、裏声歌唱が流行の中、あえて
地声で勝負したかったからだとか。
観客の一部、拍手のタイミングを間違えるハプニング(しかも2回)。
さすがの布施さんも不満げ。しかし尾は引かず。そこはプロ。

「慟哭」
イタリアのカンツオーネに自分で詩をつけたもの。
最後のワンフレーズはマイクを後ろへ持ってきての歌唱。
紅白の和田アキ子はですが、布施さん背中ですv( ̄ー ̄)v
布施明、ここにありでした。

「君を守る」
布施さんの自作曲。
タイトルは現・皇太子殿下が御成婚の際に決めたそうである。
「誘(いざな)いましょう」と言う歌詞がなんとも言えず。
良い歌である、「自由」のカップリングだそうだが私はこっちの方が好きですね。

とうとうEDへ。でも幕は降りず、そして花束タイム。
7・8人、花束を渡していました。
そして最後の感謝のあいさつ。

大ラス「マイ・ウェイ」
さすが布施明である。最後の♪決めたままに~ の部分は半音上がっている、イイ感じの歌唱でございました。

アンコールは無し。○音主催だから?函館だから?布施明だから?そんなものなの?

とはいえ、5500円の価値は十分のコンサート。
素晴らしかったです。
57歳(当時)で、あの歌唱力。日頃の鍛練の賜物でしょうね。
テレビなんかとは比較にならなかったです、実演の方がずっと良い。
あえて苦言を呈すならバンドかなあ。
ドラム・ピアノ・シンセ・ベース・ギターにコーラス二人は…。 
トランペットやサックス1人いるだけでもだいぶ違うと思うのですけど…音楽素人が云うのも何ですが。
あと音響がなぁ、前半音割れが半端じゃなかったんですよねぇ…。

ナマ布施明、今年1度はまた見に行きたいです、関東在住になることだし(^◇^)


必殺シリーズ主題歌の思い出

2006-03-07 21:58:02 | その他

5~6年前、時代劇に凝っていた時期があった。
萬屋錦之介の「破れ奉行」、大川橋蔵の「銭形平次」、杉良太郎の「大江戸捜査網」
あたりが私のお気に入りだった。
しかし、別格が二つほどあった。渡辺謙の「御家人斬九郎」と必殺シリーズだ。

必殺シリーズ、
はぐれ物のドラマは「木枯らし紋次郎」ほか多々あるが、このシリーズには及ぶまい。
未だに忘れられないのは「必殺必中仕事屋家業」「必殺仕置人」「必殺からくり人」。
どれも社会批判も込められた弱者のドラマだった。
そして、主題歌がまた泣かせる。
有名なのは西崎みどり「旅愁」(暗闇仕留人)、鮎川いずみ「冬の花」(必殺仕事人III)だろうが他にも名曲が多い。

♪しらけた季節の匂いがするわ~ 何ともけだるいムードを醸し出し、ドラマのどこか殺伐とした空気とマッチしていた「さざなみ」(西崎みどり・必殺仕業人)

シリーズ唯一のウエスタン歌謡曲、必殺シリーズ主題歌第一弾。「荒野の果てに」(山下雄三・必殺仕掛人)

頭の中には中尾ミエ(必殺シリーズでは泣かせます)が浮かんで泣かせる「夜空の慕情」(小沢深雪・必殺必中仕事屋稼業挿入歌)

チンピラ男の悲劇を歌うは川谷拓三、泣けない訳が無い「負犬の唄」(必殺からくり人)

必殺シリーズ主題歌集、どこかCDで出しませんかね?
コンピにバラバラで収録されてはいますが、ぜひ纏めて欲しいです。

個人的な必殺シリーズ主題歌ベスト10
やがて愛の日が
2望郷の旅
3さすらいの唄
4さざなみ
5あかね雲
6夢ん中
6旅愁
8負犬の唄
8荒野の果てに
10月が笑ってらあ
10瞬間の愛
10冬の花