今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

あきれたぼういずと川田義雄「楽しき南洋」を聴いて

2010-12-25 07:50:42 | その他
あきれたぼういずと川田義雄「楽しき南洋」
(オフノート/華宙舎 OK-1 2枚組全27曲 3500円)
監修:瀬川昌久、解説:瀬川昌久、佐藤利明ほか
http://diskunion.net/jp/ct/detail/IND6257

あきれたぼういず。
名前ぐらいは知っている。

グループで、ギターや何やら楽器を賑やかに演奏し、浪曲やら当時の人気曲を歌い、
言葉のやりとりやコミカルな演奏や替え歌、モノマネ、パロディ等、ありとあらゆる芸をぶち込んだ
ボーイズ芸を行った、伝説的存在。

メンバーも
川田晴久
・・・美空ひばりの師匠格、兄貴分で灘康次(モダンカンカン)の師匠。
♪地球の上に朝が来る~ その裏側は夜だった~

益田喜頓
・・・東宝ミュージカルの大番頭的存在で裏主役。
テレビドラマや映画でも活躍したベテラン名脇役。
随筆家としての顔もあった人。
函館出身でその後は半世紀以上浅草在住、晩年帰郷。

山茶花究
・・・「夫婦善哉」ほか東宝映画の名脇役で森繁劇団の副座長。
病床へ見舞いに訪れた森繁の手を掴んで一言「シゲちゃん、一緒に行こう」という逸話。
遺骨は高野山へと納められたらしい。

坊屋三郎
・・・TVCM「クイントリックス」の出演でも有名。
生涯現役でひとりボーイズ芸にこだわり、舞台に立ち続ける。
晩年はNHKドラマへも顔出しが多い。
清川虹子の後を追うように急逝。

と、知っていることだけ綴ってみた。
(記憶違い、認識違いがあるかもしれないが、その辺は御容赦を)
坊屋は、晩年のテレビ出演でクイントリックスCM(このCM、久世光彦のアルバイト演出だったそうだ)を再現している姿などをリアルタイムで触れることが出来た。
飄々としたトボケた感じが印象に残っている。
他の面子は後追いで映画やテレビドラマ、書籍で知った。

ただ、写真やそれに触れた文章等は目にしているが
"あきれたぼういず"を観たり聴いたことは無かった。
不思議なまでに縁が無かった。
いや違う、何となく食指が動かなかったのだ。
浪曲テイストという部分に引っかかっていたのだろうか・・・。

ところが最近、ふと、この新たに発売されたアルバムの存在を知って
「ジャケットも凝っているし、気合入れて作っているのではないか」
「初復刻音源多数!これはトンでもなく意義のある事では?」
と、ムクムクと持ち前の好奇心が頭をもたげ「欲しい!」
気がつけば手許にあった。

驚いた、腰を抜かした、目がテンになった。
何じゃこりゃ。

最初に
"言葉のやりとりやコミカルな演奏や替え歌、モノマネ等、ありとあらゆる芸をぶち込んだボーイズ芸"
と書いた。それも簡単な気持ちでサラッと。
これがいかに難しいことであるか、まともに考えていなかったことを反省。

これはプロの仕事だ、それも卓越したセンスの持ち主による・・・。
今日、ボーイズ芸を行う人が殆ど見受けられないのも納得。
出来ない。
音楽にある程度精通していて、演奏も出来て、笑いのセンスがあって、歌も得意。
それでいて、泥臭くない。スマートで都会的。

こんなことを平然とやってのける人たちがいたとは信じられない。
まして、日本で。
しかも、70年前に
さらに、レコードで。

「私は舞台の人間、ステージの人間」と公言。
スタジオ収録(レコード、ラジオ、CDほか)とナマ(観客の前で披露)
だとここまで違うか、というぐらい出来が違う人が、今も昔もいるが、このCDではそれが無い。
いや、実際のステージは観ることが叶わないから、そんなことを安易に断言してはいけないが充分すぎるほど、クオリティが高い。

「レコードという媒体で、笑わせよう・楽しませよう」
というしっかりとした考えが、おそらくあるのだろう。
聴いていて楽しいし、笑える、面白いのだ。

モノマネ、パロディの類は本当に面白いものであれば元ネタを知らなくても楽しめる。
そのことも判った。

演奏の質も極めて高い。
コミックな演奏もジャンジャンこなしている。
当時のレコード収録の技術だから、全て生演奏で一発収録。
それでこの出来。
もっとも、あきれたぼういずら本人たちが演奏していた可能性は少ないが・・・。
70年以上前の日本のミュージシャンたちの演奏レベル、決して低くなんかない。
古いが、新しい。

さらには解説書が、かなりしっかりした一読に値する立派な仕上がり。

歌詞(というより台本といった方がいいか)も、すべて聞き取り作業によって活字化。
やろうと思えば、ネタを再現できるのだ。
川田晴久(当時は川田義雄)の「踊る電話口」「声楽指南」なんて、一部ネタを現代向けに入れ替えるなりすれば
今でも立派に新作落語の古典として通用するのではないか?

1曲1曲詳しい解説も付いている。
佐藤利明の解説は小林旭、クレイジーキャッツ、日活映画関連・・・など、ありとあらゆるところでその名前を目にするが、どれも一定の質を保っている。
ここでの解説は特に気合いが入っており、もはや一冊の書籍として発売出来るレベルになっている。本領発揮という言葉が脳裏に浮かぶ。

あきれたぼういず及び川田晴久(義雄)系グループについて何も知らなくても、この解説書を読めば一丁前の知識が付く(と思う)。
ディスコグラフィーも掲載されていて、どの歌がどの復刻盤に収録されているかまで表で掲載。
かゆいところに手が届く。

CDの音質もしかり。
戦前・戦中・戦後のSP盤復刻音源が、ものによっては歌詞の聞き取りはおろか「ほぼノイズ」と言いたくなるような音質粗悪な状態のものもあることを知る身には驚きの高音質。
当時の録音技術の関係で一定以下の低い音は録音されなかった(出来なかった)という話が実証されている。

それにしても・・・。
今でもブッ飛んでいるよう聴こえる、この"あきれたぼういず"。
70年以上前に、人気グループだったとは、何だか信じがたい。
でも事実なのだし、こうやって音源が遺っている。
こういう忘れ去られた、埋もれている昭和の遺産は私が想像してる以上に多いのだろう。
その遺産が手軽にこうやって聴ける・・・。
まるで夢のようなCDアルバムだ。
しかもシリーズもので、今後もこういう埋もれた遺産をバンバン復刻していくという。
嘘のようだが、本当の話。
世の中、まだまだ捨てたものじゃない。

オフノート様及び関係者一同様、良いアルバムを有難う。

2010年12月16-17日 徹子の部屋・追悼特集

2010-12-13 17:00:43 | その他
国民的長寿トーク番組「徹子の部屋」の膨大なライブラリーの中から、今年亡くなった著名人の在りし日の出演VTRを放送しながら、故人を偲ぶ、年2回企画されている追悼特集が今週・木曜と金曜に放送されます。

今日は追悼番組という番組が地上波において、まったく放送されなくなり、多大なる功績を遺した人であってもまったくなされない哀しい事態が続いています。
今回の特集も、本来ならば、それぞれ単体で放送されてもしかるべき人なのですが、世知辛い世の中、放送されるだけで有難い、としなければならないのでしょう。

12月16日(木)放送分
池部良、石井好子、谷啓、つかこうへい

12月17日(金)放送分
小林桂樹、長岡輝子、南美江、パク・ヨンハ


放送時間:午後1:20~1:55。

http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

シャンソンの女王・石井好子を想う

2010-12-12 21:40:32 | その他


どういう訳か、いま無性に石井好子が知りたい、観たい、聴きたい。

私はずっと石井好子の歌が苦手だった。
あの音程をやや無視した歌い方がどうにも受け付けなかった。
高英男に惚れ込み、深緑夏代に唸りながら、どうにも石井好子だけは駄目。

ただ、その風貌からタダモノでは無い、傑物であることはわかっていた。
エッセイも何冊か持っている。
手許に残っていないものや図書館で借りて読んだものも含めれば10冊前後は目を通している。
それでも歌は受け入れられなかった。

いや、そうでは無い。
4年前、NHKホールのパリ祭へ行った際に聴いた「アンジェラスの鐘」
圧倒的貫禄、美しいステージング。
それは、それは見事なもので、彼女こそシャンソンの女王というべきだった。
音程がどうとか、声の伸びがどうとか、そんな問題は小さいものに感じた。
だが、隣で観ていたオヤジの舌打ちに
これは駄目なものなのだ、私の震えは間違いなのだ
と思ってしまった。
そして、記憶ごと封印してしまっていた。

なぜ、そんなことを思い出したか。
石井好子の死だ。

私は彼女の訃報を知り、嘘だ、と叫んだ。
不死鳥のような石井好子が2008年頃から体調を崩していたことは知っていた。
2009年のパリ祭で挨拶だけに登場した石井好子は、石井好子であったが
激痛に耐えながら、華麗に振舞っていることがカメラの上からはハッキリと読み取れた。

もう長くない・・・
そう思いながら、心のどこかで石井好子は復活を遂げる。
彼女はそういう人だという想いもあったのだ。
だから、嘘だ、と叫んでしまった。

苦手だ、と言いながら少しだけは映像が手許にあった。
若い頃の歌声も40曲前後は手許にあった。

茫然としながらも、歌声をまず聴いた。
若い頃の歌は、私にはまだ良いとは思えなかった。
シャンソン歌手として大々的に売り出す前の飛び切り若い頃の歌声は別だったが・・・。

そして、近年(晩年になってしまった)の石井の映像を観た。
私の不明を恥じた、何と素晴らしい歌声なのだろうか。
シャンソンというジャンルを超え、見事なまでの石井好子の世界がそこにあった。

トーク番組で話している内容も含羞がある。
高英男が名流婦人と石井のことを絶賛していたが、まったくだ。
上辺だけじゃない、建前ではない、真実の重みがそこにある。

そして、手許に残っているエッセイを読んだ。
今さらながら、サイン本を持っていたことに気付く。
やはり面白い、そして含羞がある、ユーモアがある、凄みがある・・・。

失ったものの大きさを感じてならなかった。

そして、改めて石井好子について知っていることを思い出していった。
あの独自の歌唱法は、フランスなど外国で活躍した際に身に着けた
外地向けの歌唱法であるということ。

一部では音痴といわれていたが、音大出身であり、元来堂々たる譜面通りの歌唱が出来る
人であったこと。

長く唄うために常に健康管理に気を配り、70前後から歌唱法を変えていたこと。

それまで知ってはいたが、肯定材料に到らなかったことがすべて肯定材料へとなっていった。

何という傑物だったのだろうか・・・。

そして先日、石井好子を特集した10分番組がNHKで放送されているのを観た。
10分で足りるような人ではないが、比較的よくまとまっていた。
番組でオランピア劇場での公演の様子が放送された。

脳天を直撃するような歌声だった。
気品と貫禄に満ちた姿に私はまたも言葉を失ってしまった・・・。

こんな素晴らしい歌い手がいたのか。
やっと出た言葉はこれだった。

叶うならば、もう一度石井好子の舞台をじっくりと観たい。
遺された、かつての舞台の映像を観たい。

数年前には判らないことでも今ならば理解できることがいっぱいあるはず・・・。

そんなことを日々思っている。

記念アルバム発売

2007-12-20 20:21:43 | その他

久々の更新ですね(大汗)


当ブログでも取り上げたことのある、歌手の三浦洸一さん。
本年めでたく歌手生活55周年を迎えられました。
(来年2008年にはレコードデビュー55周年であります)

それを祝し、ビクター創立70年記念行事の一環として、本年12月27日に2枚組のCDアルバムが発売されることに相成りました。

本当にめでたい、素晴らしい事です。
(本来ならば、当の昔に行われていなければいけないことではありますが…)

そこで当ブログでもこのアルバムが少しでも多く皆様の御手許に行くことを祈って、何曲かご紹介したいと思います。

三浦洸一55周年記念アルバム
2007年12月27日発売
発売:ビクターエンターテインメント
VICL-62687~8(2枚組/全55曲+1)
価格:3800円

Disk1
1さすらいの恋唄
作詞:吉川静夫 作曲:吉田正
三浦洸一の記念すべきデビュー曲。
時折「デビュー曲は『落葉しぐれ』」と紹介されることがありますが誤り。
昭和28年5月発売。

2哀愁のガス燈
作詞:坂口淳 作曲:吉田正
第2弾シングル。
(三浦センセ本人も)よく言われる「第2弾が『落葉しぐれ』なんです」、コレ誤りです。
後のフランク永井を彷彿とさせる都会派ムード歌謡。
昭和28年6月発売。

3落葉しぐれ
作詞:吉川静夫 作曲:吉田正
第4弾シングル(第3弾は久慈あさみとのデュエットで「天城月夜」)
秋を代表する名曲で、三浦洸一の名を一躍広めた大ヒット曲。
昭和30年大晦日の第6回NHK紅白歌合戦に、この曲で初出場。
歌手の島倉千代子さんもこの曲が大のお気に入りで、レコード会社の壁を乗り越えて吹き込みやコンサートで1年間歌ったこともあるとか。
昭和28年9月発売。

6弁天小僧
歌舞伎「与話情浮名横櫛」(お富与三郎)を題材にして作られた「お富さん」(春日八郎)の空前の大ヒットを受け、ビクターでは歌舞伎「青砥稿花紅彩画」(白波五人男)を題材にしたこの歌「弁天小僧」を発売。
柳の下にドジョウはまだおり、見事に大ヒットとなりました。
この時期、当時の人気芸能雑誌「明星」のグラビア企画で弁天小僧に扮した三浦さん。このことは忘れられないと、よくテレビ等で語っています。

8あゝダムの町
作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正
黒部ダムの建設作業員を歌った1曲。
前奏・間奏部分にある"ジャジャジャーン"という音、これは「ダムでの工事の音を何とか表現したい」という、作曲した吉田正の希望でグランドピアノの弦を叩いて出した音だとか。グランドピアノをダメにした甲斐があって、この歌は見事ヒット。
黒部ダムの作業員も好んで愛唱していたという話も聞きます。
昭和32年4月発売。

12踊子(朝日放送版)
13踊子

三浦洸一のヒット曲中のヒット曲。
古巣のビクターに復帰後、ヒットがなかなか出ないのを見かねた吉田正が「あなたには才能がある。僕のところの歌手でよかったらあなたの曲をドンドン歌わせなさい」
と一言。その、吉田門下生による渡久地メロディを吹き込んだ第一弾がこの唄でした。独特のメロディに、伊豆の踊子を題材にした美しい詩、三浦洸一の端正な歌唱が相成って、現在まで残る名曲が誕生。三浦洸一の代名詞ともいえる曲となりました。朝日放送「ホームソング」として発表後、レコード化。今回はその朝日放送で流れていた音源も収録。ワカッテル人の仕事です。
昭和32年発売。

20釧路の駅でさようなら
作詞:吉川静夫 作曲:豊田一雄
片面はフランク永井「こいさんのラブコール」、両面見事に大ヒットとなりました。
1番の歌詞に"挽歌の街ににじむころ"というものがありますが、これは当時のベストセラー小説「挽歌」(原田康子)が釧路を背景に描かれたことから、こういう歌詞となりました。
国鉄(JR)・釧路駅ホームでは、昭和33年から平成2年までの長きに渡って三浦さんの歌声が列車の出発時に流れていたことも知られています。
なお平成18年からは、「釧路湿原」のヒットで、釧路とは縁深い歌手・水森かおりの歌声で復活し、流れています。
昭和33年7月発売。

Disk2
6桜の園
作詞:喜志邦三 作曲:大野正雄
朝日放送「ホームソング」の1曲。
「春の唄」「踊子」などの作詞でも知られる詩人・喜志邦三の筆による詩は
格調高く、文芸歌謡の三浦洸一ならではの名曲。
放送で流れたのは昭和34年、レコード化は翌35年。

21悲しみの季節
作詞:福本義人 作曲:松本薫
昭和40年代前半の懐メロブームで、三浦さんにもお呼びの声が多数。
そんな中、当時流行のカレッジ・フォークに挑戦したのがこの曲でした。
三浦洸一の持ち味がカレッジフォークのメロディにマッチした佳作です。

22ちぎれ雲
作詞:荒木とよひさ 作曲:吉田正
三浦洸一歌手生活30年記念曲。
この歌を引っさげて、全国寺院巡りキャンペーンをしたことも当時話題に。
なぜ寺院かと言いますと、三浦さんは寺院の子であることからです。
流行歌の歌い手の場合、全盛期以後の歌は顧みられることが大変少ないので
この復刻は本当に嬉しく、有意義なモノだと思います。
昭和57年発売。

23孤独の椅子
作詞:吉川静夫 作曲:吉田正
2007年現在では、最後のシングル曲です。
昭和62年発売。


懐かしの女優さん・その1

2007-08-08 17:02:20 | その他

私の好きな女優さんに武智豊子さんという方がいます。

ガラガラ声でチャキチャキした、小柄のお婆さん。一度観たら忘れられないインパクトを持った、味のある名脇役でした。

 ところが、です。本当に沢山のテレビ/映画などに出演しているのにも関わらず、ネットでまったく情報が無い!

これは、イカーン(By笠智衆) という訳でアレコレ調べてみました。


武智豊子(武知杜代子)
1908~85年
本名:細江ふじ(旧姓:阿久津)

明治41年8月25日生まれ。
下谷で生まれ育った、チャキチャキの江戸っ子。
関東大震災で下谷高女を中退して、大正14年、曾我廼家五九郎一座に入座し、浅草で初舞台。

その後、ムーランルージュ新宿座などを経て、エノケン(榎本健一)一座に移り、人気が爆発。
その人気は凄まじく、東京六大学に「武智豊子親衛隊」(つまりオッカケ団体です)が発足したほど。また、女エノケンとも称され、一時は自分の一座を持っていた。

昭和9年には「エノケンの青春酔虎伝」(PCL、現・東宝)で映画デビュー。以後150本以上の映画に出演している。

テレビにも積極的に出演し、代表作は「お笑い三人組」「チロリン村とくるみの木」「怪獣ブースカ」「忍者ハットリ君」などがある。また「無敵超人ザンボット3」では声優にも挑戦し、好評を博している。


昭和46年には、左卜全「老人と子供のポルカ」に対抗して、上田吉二郎とのデュエット曲「上吉・豊子のハレンチ・アモーレ」を発表。この曲はカルト・コミックソングとして現在も愛好するものは多く、CD化もされている・

昭和52年には姓名判断で武知杜代子に改名した。
翌年、心筋梗塞で3ヶ月入院してからは大事をとり、冬の仕事は断り休養するようになったもの、「仕事で死ねたら本望」が口ぐせでコンスタントにテレビ・ラジオ・映画・舞台に出演していたが、昭和60年7月14日、仕事先の北海道・釧路空港で心臓発作のために倒れ、入院。当初は1週間程度の入院で済むはずだったが、同18日に容態が急変、心不全のため死去。享年76。

最後の仕事は、NHK特集「The Day その日~1995年日本(4)~ 旅路~あなたの老後はだれがみる~」で、同年9月2日に遺作として放送された。

私生活では、昭和6年にレコードディレクター・細江徳二氏と結婚し、二女を儲けるが37年に死別。地続きの家で、次女家族と共に暮らしていた。
晩年は孫と遊ぶのが楽しみの一つで、仕事の休みの合間に(長女家族が住む)テキサスまで孫、ひ孫の顔を見に行くこともよくあった。

喜劇人仲間からは「オッカサン」の愛称で親しまれた。

身長約150cm・体重32kgという小柄な体格で自動ドアの前に立っても開かないのが悩みのタネだった、トレードマークのガラガラ声は舞台でノドをつぶしてしまった産物だったというエピソードが残っている。



晩年自身を振り返り、こんなことを言っている。
「アタシャ運がいいんですよ。何の苦労もなく売れたもんね。警官の給料が35円のとき、300円貰ってたんだよ。千円の時もあったねえ。でも毎日柳橋で芸者遊びしたり、ダンスホールに通ったりして、いつも300円ぐらい借金があったよ」

この武智豊子という女喜劇役者に再びスポットが当たることを祈ってやみません。
武智さんについて、御存知の方、どんな小さいことでも構いませんので、御一報頂ければ幸いでございますm(__)m


御知らせ

2007-07-21 19:21:47 | その他

7月23日(月) NHK-BS2 PM7:45~8:32
蔵出しエンターテインメント「ビッグショー」は

"高英男 わが夢は雪の彼方に"

が放送されます。
高さんの歌う映像は、コレを見逃せば今度はいつ観る事ができるかわかりません
(最悪の場合、訃報の際にチラッとワイドショーで流れる『かも』という悲惨な事態も充分考えられます)

御興味のある方、ぜひ予約録画/視聴を!

シャンソン「ロマンス」から、日本のスタンダードソング「雪の降る町を」まで、たっぷり12曲を歌っているそうです。


NHKビッグショー 服部良一 栄光の旋律

2007-06-05 07:49:06 | その他

毎週、月曜7:45~8:30の時間にNHK-BSで再放送中の『ビッグショー』
詳しい事はウィキペディアを参考にして頂くとして・・・

6月4日の再放送は『服部良一 栄光の旋律』(1976年6月20日放送)
ということで、服部良一は勿論豪華な顔ぶれが服部メロディを披露していた。
その豪華出演者はというと・・・

・藤山一郎
・淡谷のり子
・高 英男
・木の実ナナ
・ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
・高松しげお&熊倉一雄&藤村有弘&宮本悦朗
・玉置宏(司会)
・服部克久(編曲担当)


以上の面々。ちなみに演奏は小野満とスウィング・ビーバーズ。
藤山センセや淡谷センセの動く姿は地上波だと、もうテレビ東京ぐらいでしかお目にかかれない気が…。
マイ・フェイバリット・シンガー&アクトレス/高英男さんなんて貴重も貴重。
アクトレスとしてだとゴケミドロでいつでもお逢いできますが(^^ゞ

曲目は
1雨のブルース(淡谷のり子)
2花の素顔~山のかなたに~丘は花ざかり(藤山一郎)
3落葉の巷/三人のスリの唄(高 英男)
4山寺の和尚さん(高松しげお&熊倉一雄&藤村有弘&宮本悦朗)
5東京ブギウギ(木の実ナナ)
6ホームラン・ブギ(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)
7夜のプラットホーム(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)
8夢去りぬ(高 英男)
~銀座カンカン娘(木の実ナナ)
 ~懐かしのボレロ(藤山一郎)
  ~銀座セレナーデ(藤山、ナナ、高)
9別れのブルース(淡谷のり子)
10青い山脈(全員)

3の歌は高英男さんのコンサート/リサイタルでは欠かせない1曲で、スリシリーズと称して、「一人のスリの歌」(三木鶏郎作詩・曲)など一緒に披露するとか…。
それにしても、あのアクションは越路吹雪「人生は過ぎ行く」も真っ青。

ちなみに高英男の回のビッグショーは奇跡的に現存している様子。
再放送が楽しみですねえ。

4の四人組は一体どういうキャスティングなんでしょうか(笑)
一応・・・宮本悦朗さんは元・クールファイブの、あのテカってる方です。
でも前川清と同い年

5、8の木の実ナナのはじけっぷりはさすが「ショーガール」であります。

6、7のダウン~、こういう試みは面白いです。なかなか観れるものでは無いですよね。撮影の仕方も凝っていて楽しめました。

ひとつ・・・気になったのはカンペ。
2のときの藤山センセと8の「夢去りぬ」を歌っている高さんはあきらかに手に何か持ってます。天下の藤山センセもこのことには甘いんですね(笑)

※今も昔も、歌い手は大ヒット曲でも無いと歌詞を覚えていないというのは変わらないようです、最近は舞台上にあるモニターに歌詞が出ます)

フィナーレの合唱ですが
藤山、ナナ、高さんの歌声が響く、響く(^^ゞ
藤山センセは勿論マイクは胸の位置であります。
ちなみにマイクから遠い淡谷センセの歌声はどこからも聴こえて来ません。
それにしても、この合唱になると藤山センセは本当に水を得た魚状態ですね。
さすがは「上野最大の傑作」の異名は伊達ではありません。
当時65歳、まだまだ健在でありました。

視聴後、横で観ていた我が父は「死んだヤツばっかりじゃねえか」と暴言を吐いたが、故人は藤村有弘(82年没)、藤山一郎(93年没)、服部良一(93年没)、淡谷のり子(99年没)と四名。以外と(?)少ないです。

この『ビッグショー』の再放送は今年の1月から始まったのですが、私は住居の関係上(アンテナが建てられない)観る事が出来ず、今回からやっと観る事が叶いました。
森繁、藤浦洸、古賀政男、ディック・ミネ

ウィキペディア放送リストとNHKアーカイブス放送番組検索を照らし合わせてみると、欠落が非常に多い特に74~75年は殆ど現存していない・・・
完全に残っているのは79年(~3月)までという哀しい現実。
「テープは当時高価な上、複雑なな権利関係上、残すに残せなかったんだ。だからベテラン=保存 若手~中堅(当時)=使い回しという形にしたんだな」
と一瞬、私なんぞは思ってしまうが、どうも違う御様子。
何しろ春日八郎、三橋美智也、村田英雄、フランク永井の回が残っていない。
メインが複数回ある、ちあきなおみ、倍賞千恵子、岸洋子、由紀さおり、伊東ゆかり、藤圭子、布施明、堺正章、内山田洋とクール・ファイブ・・・といった面々は1本も残っていない。
本当に勿体無い、惜しい。

…とはいえ、闇の世界で歌手Cの回は出回っている噂は聞くし、他の歌い手でもファンの間で案外秘蔵している方は多い気がしないでも無く。
お持ちのファンの方、録画テープをお持ちでしたら、
どうぞNHKへ寄付をお願い致しますm(__)m


宮川泰よ永遠なれ

2006-03-21 22:46:29 | その他

先日、作曲・編曲家の宮川泰センセイが亡くなった。
私にとって、宮川センセイは、紅白での蛍の光でのド派手な指揮者であり、面白い人であり、作曲家なのに唄が下手であり、ズームイン!朝であり…とにかくキョーレツなインパクトを持った人というイメージであった。

初めて宮川センセイの作品を聴いたのは、おそらく「ズームイン!!朝!」のOP曲だろう。♪チャッチャッチャ~チャララララ~チャチャチャ~ン
今もって朝7時はあの軽快なメロディーを聴きたくなる。

…いや、「おもいっきりテレビ」かも知れない。
幼少時、祖父母の家に預けられれば必ず「おもいっきりテレビ」がかかっていたから。「今日は何の日」やCM明けののBGMは記憶にこびりついてるし(笑)

ともかく、「宮川泰」の名を知る前から、センセイの作ったメロディーは頭にすりこまれていたのは間違いない。

そういえば、小学校2年の時に、学芸会で「宇宙戦艦ヤマト」のテーマソングを鍵盤ハーモニカで演奏したこともあった。
全然これが弾けなくて、幕の間に隠れて吹くマネをしていたのを覚えている。

初めて自分で金を出して買ったサントラも、宮川センセイの「ゲバゲバ90分」(と必殺シリーズ@平尾昌晃)だった。
初めて聴いた時は驚きました、だってバラエティー番組でも夕方情報番組でもニュースでもアチコチでかかってるBGMばかり。

私が本格的に歌謡曲に魅せられる前、クレイジーキャッツ・キ○ガイだった時期がありまして(いや、今もかも…)、その時期でした、ゲバゲバのサントラ購入は。
「スーダラ伝説」「シビレ節」「ウンジャラゲ」「これで日本も安心だ!」…。
子供心にも「宮川泰って人はスゴイ」という認識に相成りました。

初めて宮川センセイをテレビで見たのはいつか。どうしてもこれが思い出せない。おそらく01年~02年あたりだと思うのですが…。
いや、「宇宙戦艦ヤマト」がらみのニュースでもっと以前にお見かけしているのかも知れない。
まあ、気がついたら、「宮川泰=面白いジイサン」のイメージが(笑)。
「鼻の穴に500円玉が入る方」(黒柳徹子・談)
…当然、徹子がチャレンジしたことは言うまでもございませんね(笑)。
映像は持ってないんですが、紅白歌合戦で布施明の応援に、曲の指揮を買って出た(というよりザ・ピーナッツの指揮ついでかも)のはいいが、施明より目立ってしまった…なんてエピソードもありますしね、必然かも(笑)。

どっぷり歌謡曲に漬かった今、宮川作品の魅力は何かと考えると、
1 個性的なゴージャスなアレンジ
2 個性的なメロディー
3 親しみやすい

この3つじゃないかと思う。

特に、編曲・宮川泰のクレジットがあると私は興奮してしまう(笑)。
植木等「スーダラ伝説」(平成元年)
ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」(昭和42年)
布施明「愛の終りに」(昭和46年)
特にこの3曲のアレンジは私にとって生涯忘れないだろう。もう私の人生を変えたというべき曲だ。
特に「スーダラ伝説」での第九とスーダラ節の融合は、もはや神といえる出来。
(このネタ自体は79年に「ディスコ・ザ・クレージー」で試みられてます)
他にも小林旭「THE アキラ節-マイトガイ・ヒットパレード」(平成17年)の、熱き心」にと「自動車ショー歌」の融も記憶に新しい。

作曲なら、「銀色の道」(ダークダックスも忘れられない。
歌そのものの経験があるだけに、どれだけはげまされたか…。
ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」「ふりむかないで」「ウナセラディ東京」は言うに及ばず。西田佐知子「涙がかわくまで」、沢田研二「君をのせて」も素晴らしい。

ザ・ピーナッツと宮川泰、この組み合わせは歌謡界有数のタッグである。
このコンビの作品には、駄作は無い。
「宮川ダアー」と言わんばかりのド派手アレンジはとにかく聴いていて、文句なしに楽しい。もしかしたら、宮川センセイのすべてはピーナッツで出きっていると言っても過言じゃないくらいやりたい放題(笑)。
(園まりの「逢いたくて逢いたくて」は、もとはザ・ピーナッツの曲であることは一部では有名)
それゆえ、「さようならピーナッツ」(TBS)を見たときは、宮川センセイが気の毒で仕方なかった。

普通の作曲家なら、これでオシマイ。
でも宮川センセイはまだまだ活躍していく訳でして、これがまたスゴイ。
ピーナッツ引退の昭和50年の時点では、私の愛する「ズームイン!!朝!」も「おもいっきりテレビ」も「スーダラ伝説」も世に出てませんしね。
77年紅白でのパフォーマンスは伝説の、ちあきなおみ「夜へ急ぐ人」もセンセイ編曲。ちあきの前に歌った三波春夫「三波のハンヤ節」もセンセイ編曲。
晩年の仕事になってしまったが、NHK朝の連続テレビ小説「てるてる家族」も素晴らしい出来であった。あのドラマの魅力の一つである。
…書き出せばきりが無い。

先日無くなった久世光彦(くぜ・てるひこ)氏同様、亡くなる前日まで仕事をしていて、今月末にはライブの予定もあったという、宮川センセイ。
私に宮川センセイは、音楽の楽しさを教えてくれた。
別れの悲しい曲でも、派手なアレンジで悲しみを吹き飛ばせと言わんばかりだった。
アップテンポの曲を書かせれば天下一品だった。
センセイの新しい仕事が、もう見れないのはとても悲しい。
その一方でまだ信じられない、棺桶の中から「ひっかかったね、ドッキリだョ」と出てくるのではないかとも思っていたりもする。しかしそれは所詮妄想である。
センセイは湿っぽいのは好まない方だった。だから私は明るく〆たいと思う。

「シャボン玉ホリデー」のテーマ、のように素敵な夢をありがとう、と。


布施明サマーコンサート2005(40周年記念)

2006-03-08 23:35:22 | その他

去年6月、布施明のコンサートに行ってきました。
一度ナマで聴きたかった歌手ゆえ、飛びつきました。
…チケット代を出すのに時間がかかりましたけど。

あれからもう9ヶ月。これもmixiに載せてたものですが、加筆・修正のうえ
こちらに移行しました。

この日(2005年6月4日?←記憶あやふや・汗)
私は午後6時10分前後に会場に到着。
そして
私「パンフレットはありますか?」
係「ありません」
私「ポスターやらグッズはあります?見当たりませんが」
係「ありません。CD・カセットだけです」
いささか拍子抜けしつつも私はCDを物色。
とりあえず、買えばサインがついてくる新曲「自由」を購入。
とっくに一枚買ってますが、まあ布施さんへのご祝儀(笑)。
コースターにでも使いましょう(笑・布施さん談)
他に「SOMETHING JAZZY」という買いそびれていた40周年記念ジャズアルバムも購入し、やっと会場へ。

会場は殆ど満員。9割は「お嬢さん」(笑)。
男性(若干)・若者(皆無)は????
○音主催だから?函館だから?布施明だから?
多少疑問に思いながら時間に。

きっかり5分遅れにOP。
マイ・ウェイのインストにのせ、布施明登場。

ベージュのジャケットを着ていた布施さんは、テレビで見たまんまでした、多分。(11列目ですので怪しい)

初っ端から「君は薔薇より美しい」を歌い始めました。
若い~!声量もすごい!

続いて「五月のバラ」
これが来るとは思わず、ニンマリ。
でも終りに歌詞が飛びました(笑)

そして、トーク。
「泣いたわけじゃありません…歌詞忘れました(笑)」「鼻炎っぽいので札幌の病院で見て貰ったところハウスダストが原因らしい。ですので今日はこの辺で」
「今日はオリジナル曲を中心に」「短編の朗読劇を」
といった話をされていました。

トークが終り「霧の摩周湖」の女性コーラスが入ったところで会場はざわめきます。 マッテマシタという感じでしょうか、青春の思い出ソングだからか?
ワンコーラスが終わったところで会場は歓声と拍手に包まれました。
おそらく90分のコンサート中、一番盛り上がったのはここかと思われます。

続いて「愛は限りなく」
カンツオーネの名曲です。伊東ゆかりさんと同じ歌詞で歌っていました。若い頃に比べても、遜色ない、むしろ今の方が断然良いくらいの歌声でした。
これぞ円熟、たまらない。

さらに続き「恋」
♪恋というものは不思議なものなんだ~
のフレーズで当時の「お嬢さん」方、吹き出しておられました(笑)。
…つまり会場の大半( ̄ー ̄;

で9分近くトーク。
本人も「ずっと歌っていない、何しろ20代のころです」
と営業用のウソをついていました。
そこから、当時のレコードキャンペーンの話へ。
デパートの屋上で歌った話や新曲キャンペーンで全国塔回りの話を披露。
で、新曲の話。ところが…と仮面ライダー響鬼の「少年よ」の話へ移っていきます。
04年紅白の「マイウェイ」を見た、ライダープロデューサーが「これだ」と主題歌をオファーを決意。放送開始が1月末なのに未だ決まってなかったとか。
最初は新曲「自由」を出したばかりだから…と躊躇したが、事務所の担当者(女性)
が「面白い、やってみましょうよ」と軽い気持ちで引き受けたそうです。
布施さんもその方も本人こんなに売れるとは思っていなかったらしい。初動売り上げは過去最高らしい。あげく仮面ライダー=布施明と勘違いされた…などなど複雑な心境を暴露。

そして、半ばやけに「えーい歌ってしまおう、少年よ~」
とついに披露。
「少年よ」、さすがの出来でした。歌詞間違ってましたが(笑)
(紅白で歌ったときより、ダイナミックな歌い方でした)

さらにライダートークは続き、元ライダー役でオファーが来て
8月撮影の話へ。
(これが小暮役だった訳です)

そしてここから7曲のメドレー。
「シクラメンかほり…フルコーラス。これは歌わなきゃねえ…。
「これが青春だ」…ワンコーラス。意外な選曲。
「積木の部屋」…ワンコーラスなのが残念。
「愛の詩を今あなたに」 …積木の次、シクラメンの前のシングル曲。
まさかの選曲。歌ってくれただけで嬉しさで胸一杯。ワンコーラス+サビ。
「甘い十字架」…また意外な選曲、やっぱりワンコーラス。
「愛の終りに」名曲。大好き。フルコーラスだったら…。
「そっとおやすみ」…ツーコーラス。名唱でした。
ここで布施さん、着替えのため一時退場。

バンドの方が1曲場つなぎに演奏。
2分半ほどで布施さん再登場。衣装は2004年の紅白で着ていた衣装でした。

でトーク。
初の試みである自作の朗読劇のあらすじを説明。
布施さん、自分で読み返して、泣いてしまったらしい。
そして歌「とまり木」
♪さみしさを隠して~
いい歌でした。
CD化されてないんですよねぇ…残念。
CDであったら欲しい。
朗読この掌ほどの幸せ」
内容:母が死に、唯一の肉親・祖父もついに亡くなった。
兄弟はしばらく隣の家に預けられたのち、児童養護施設へ。
1週間後、祖父の家へ戻りたくなり、脱走。
途中、優しいオッサンに会い、柿とおにぎりをもらう。
兄のセーターにつかまって歩いてきた弟が両手に柿とおにぎり
があるため、ついていけなくなる。涙も拭けない。
「掌にもてるくらいの幸せが丁度良い」
そう思い直した兄弟は施設へ戻る。
その後、弟は養子へ。兄は施設へ残り、都会へ出て就職。
しかし、19歳で急逝。
弟がそのことを50過ぎた今、思い返す。
「兄さん、ありがとう。また逢おうね」
そして感動の名唱「涙そうそう」
近くのオバサマ号泣。

トーク、最後の3曲について説明。

「自由」
松山千春作詞・作曲
CDよりも素晴らしい歌唱。
もとは松山千春のアルバム収録曲。たまたま耳にした布施さんが歌わせて欲しい
と頼み込み実現したもの。原曲よりキーが低いのは、裏声歌唱が流行の中、あえて
地声で勝負したかったからだとか。
観客の一部、拍手のタイミングを間違えるハプニング(しかも2回)。
さすがの布施さんも不満げ。しかし尾は引かず。そこはプロ。

「慟哭」
イタリアのカンツオーネに自分で詩をつけたもの。
最後のワンフレーズはマイクを後ろへ持ってきての歌唱。
紅白の和田アキ子はですが、布施さん背中ですv( ̄ー ̄)v
布施明、ここにありでした。

「君を守る」
布施さんの自作曲。
タイトルは現・皇太子殿下が御成婚の際に決めたそうである。
「誘(いざな)いましょう」と言う歌詞がなんとも言えず。
良い歌である、「自由」のカップリングだそうだが私はこっちの方が好きですね。

とうとうEDへ。でも幕は降りず、そして花束タイム。
7・8人、花束を渡していました。
そして最後の感謝のあいさつ。

大ラス「マイ・ウェイ」
さすが布施明である。最後の♪決めたままに~ の部分は半音上がっている、イイ感じの歌唱でございました。

アンコールは無し。○音主催だから?函館だから?布施明だから?そんなものなの?

とはいえ、5500円の価値は十分のコンサート。
素晴らしかったです。
57歳(当時)で、あの歌唱力。日頃の鍛練の賜物でしょうね。
テレビなんかとは比較にならなかったです、実演の方がずっと良い。
あえて苦言を呈すならバンドかなあ。
ドラム・ピアノ・シンセ・ベース・ギターにコーラス二人は…。 
トランペットやサックス1人いるだけでもだいぶ違うと思うのですけど…音楽素人が云うのも何ですが。
あと音響がなぁ、前半音割れが半端じゃなかったんですよねぇ…。

ナマ布施明、今年1度はまた見に行きたいです、関東在住になることだし(^◇^)