今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

昭和歌謡大全集・99年夏 後編

2006-07-27 16:51:39 | 歌番組

CM明け、トーク
ゲスト:島倉千代子
ひばり&鶴田の想い出を語るお千代さん。
トップ「何ノロケてんだか…」
映画で酔っ払って鶴田に介抱されるシーンを思い出してニンマリする千代子。
他はひばり誕生会に呼ばれた時に、色紙を持っていってサインをしてもらった話など。
VTR
鶴田浩二「悲しい酒」(50年6月4日放送・心で歌う50年)
美空ひばり「日陰者」(50年6月4日放送・心で歌う50年)

鶴さん
鶴田浩二「赤と黒のブルース」(50年6月4日放送・心で歌う50年)
美空ひばり「あの丘越えて」(50年6月4日放送・心で歌う50年)

「悲しい酒」「日陰者」それぞれ、台詞は鶴田・ひばり本人が担当。
ナレーションは高橋圭三。

CM明け、いきなりお嬢。
VTR
美空ひばり「川の流れのように」(平成元年1月15日放送「演歌の花道」)

CM明け、トーク
ゲスト:岡本敦郎、菅原都々子
当時の思い出を語る。
菅原は「月がとっても青いから」の秘話を披露。
父(陸奥明)がエレジー(悲歌)モノが多いので、陰気臭い娘に思われるのは心外だと思ったらしく、友人・清水みのるに頼んだそうである。
清水は「ツヅちゃんの顔なら子供の頃から良く知ってるから、すぐできる」と快諾。
最初は「遠回りして帰ろう」というタイトルだったそうだ。
トップ「遠回りして帰ろうって何か悪いことしたみたいだな
ツボにハマった都々子

VTR
自己陶酔の世界へ行ってます
岡本敦郎「白い花の咲く頃」(49年2月17日放送・なつかしの歌声)

今に人肉も食らいそう
織井茂子「君の名は」(48年2月24日放送・なつかしの歌声)

顔と声が一致しないシト
菅原都々子「月がとっても青いから」(47年10月22日放送・なつかしの歌声)

織井さん、怖い(笑)
菅原センセ、可愛い(-^〇^-)
歌謡界の元祖アイドルとしてこれからも頑張って欲しいんですけど・・・。

CM明け、トーク。
ゲスト:大津美子、三浦洸一、青木光一
昭和32年時の思い出。
ゴルフブーム元年ということで盛り上げる男性陣。
青木「(トップに)ステテコ履いて(ゴルフ場に)行ってたでしょ
他にもよろめきブームがあった年があったそうである。
VTR
往年の植木等が着てそうなスーツ

三浦洸一「踊子」(47年10月29日放送・なつかしの歌声)

♪オイラ岬の~
若山彰「喜びも悲しみも幾年月」(49年1月13日放送・なつかしの歌声)

現・歌手協会会長
青木光一「柿の木坂の家」(48年3月17日放送・なつかしの歌声)

若山は追悼の意味もある(98年12月没、71歳)。
青木の映像ではみんな「若い、若い」と盛り上がる。
当時の歌手協会会長
・・・大して変わってないんですけどねf(^_^;

CM明け、いよいよラスト曲。
VTR
自由の女神

大津美子「ここに幸あり」(昭和49年1月13日放送「なつかしの歌声」)


やっぱり当時を良く知るコロムビア・トップ師匠がいると場が盛り上がるし、話にも幅が出ます。
ゲストも最低限に絞ってある分、トークもブツギリになり過ぎない。
旅コーナーのような無駄な部分が無い。
…選曲はオーソドックスでしたが、しっかり作ってあるように思います。
まだ7年前はこういう番組が出来たのかと思うと何だか複雑な心境です。
もう少し早くこの番組の存在を知ることが出来れば、そう思えてなりません。
しかし、今の酷い状態を見ると少しでも間に合ってよかったとも…。


昭和歌謡大全集・99年夏 前編

2006-07-27 04:17:37 | 歌番組

この99年・夏放送の「昭和歌謡大全集」が我が家最古の「昭和歌謡~」であります。
今回改めて見直してみて感じるのは、もう7年も前なのかということ。
出演者も若い、CMも懐かしいものだらけ…。
そんな私の思いを多々に交えながら、ご紹介したいと思います。

OP
後ろに映ってるのは菊池章子・二葉あき子
玉置さん、顔にツヤがあります。しゃべりによどみがありません。
昭和九年会だから、当時65歳。どおりでまだ若いはずです。
チータも今よりは声がすれてません。

玉置「さあそれじゃあ懐かしの歌声の名調子で幕を開けたいです
トップ「老いたる者には過ぎにし青春の郷愁を、若人には呼べど逝にて再び帰り来たらぬ古の幻を、さらば参りましょう昭和歌謡大全集


「なつかしの歌声」に触れてる(驚)
今とは段違いの濃さ…。

VTR
翌年5月没
岡晴夫「憧れのハワイ航路」(44年9月30日放送・なつかしの歌声)

何と驚愕のフルコーラス!
1コーラス続出の現在では100%考えられません。
7年前、この曲を聴いて、えらく感動したのを思い出します。
病気でやつれて、別人のように衰えてるオカッパルですが、声は出てるんですよね。
声質はまるで変わってますが…

CM明け、司会者3人のトーク。
「昭和は63年間。前半・後半に分けるとするとチータが生まれた年(20年)に線引きするのが一番しっくりくると思う」と玉置。
さらに、今回は戦後に絞って、2時間…としないと収まりきらないと、今回は戦後がメインの特集であることを示唆。

VTR
SKD出身

並木路子「リンゴの唄」(47年大晦日放送・年忘れ大行進)

この人はまだ現役
田端義夫「かえり船」(48年1月27日放送・なつかしの歌声)

淡谷のり子が蹴って回ってきた曲
菊池章子「星の流れに」(45年大晦日放送・年忘れ大行進)

まさに戦後流行歌の王道中の王道と言える3曲。
「かえり船」ではトップが復員時の想い出を語ってます。これが泣かせます。

CM明け、トーク。
ゲスト:田端義夫、二葉あき子、菊池章子、並木路子

この年、二葉あき子65周年・並木路子叙勲であったそうです。
VTRを見ての感想。
大きいお目目がチャーミング
並木「自分で言うのも何なんですが…あんなに可愛かったかなあって(笑)

正直人間
菊池「良い声だなァって(笑)

VTR
今は広島で余生を送る

二葉あき子「さよならルンバ」(45年10月13日放送・なつかしの歌声)

ミスター審査委員長
近江俊郎「湯の町エレジー」(49年大晦日放送・年忘れ大行進)

二葉あき子のVTR紹介では、11月18日には記念リサイタルが催されると紹介。
この頃はまだまだ現役であったんですね…。

CM明け、幼少時に聴いた歌は忘れられないというチータのMC
VTR
野生的な歌声

伊藤久男「イヨマンテの夜」(48年10月14日放送・なつかしの歌声)

当時64歳!
市丸「三味線ブギウギ」(45年大晦日放送・年忘れ大行進)

お隣は二葉あき子
林伊佐緒「ダンスパーティーの夜」(45年10月6日放送・なつかしの歌声)


このVTRの「イヨマンテ~」が私の手持ちの映像の中では一番好み。
伊藤久男の♪ア~ホ~ヤイヤ~ という声が一番良く出てる。
市丸姐さん、これ以降VTRが「昭和歌謡~」で流れていません(泣)。
とにかく粋な姐さん、素晴らしい。若々しいです(^▽^)
林はキャバレーのセットでの歌唱。下には東海林太郎や渡辺はま子が。

CM明け
13回忌ということで、昭和62年没のスタァ:石原裕次郎・鶴田浩二を偲ぶコーナーを設けてあると紹介。
しばし、当時の日活映画の話をした後、裕次郎特集へ。

VTR
石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」(32年・日活映画「嵐を呼ぶ男」)
石原裕次郎「夜霧よ今夜も有難う」(42年・日活映画「夜霧よ今夜も有難う」)
勝新太郎「夜霧よ今夜も有難う」(63年7月19日放送・にっぽんの歌)
自分に酔ってます
勝新太郎「港町・涙町・別れ町」(63年7月19日放送・にっぽんの歌)


勝新太郎は世良譲カルテットの演奏での歌唱。
美声です、さすがは長唄の芸人の息子だけあります。

CM明け
「古賀メロディーは今の歌謡曲の素となっている」とトップのMC
VTR
人間は猿が祖先です

藤山一郎「影を慕いて」(57年11月15日放送・にっぽんの歌)

元祖アンチ・エイジング
田谷力三「恋はやさし野辺の花よ」(48年1月6日放送・なつかしの歌声)

藤山のVTRでは木村義夫がギター担当。
田谷力三は年齢を感じさせない若々しさ(当時73歳)!
トーク
ゲスト:塩まさる・島倉千代子
お千代さん、若い!
東海林太郎生誕百年ということ東海林太郎にまつわるトーク。
塩まさるはこの年(99年)の「夏祭りにっぽんの歌」で「名月赤城山」を歌った話が。
塩さんクラスもこの頃はまだテレビで歌ってたのね(泣)
島倉千代子は東海林太郎にファンレターを送った話。
東海林・島倉の映像は、デュエットなのに目線があってないと玉置がツッコム。
参考
横目で見てる気が…

VTR
カラーテロップが時代を…

東海林太郎・島倉千代子「すみだ川」(46年7月22日放送・なつかしの歌声)

不自然な整髪
塩まさる「九段の母」(46年大晦日放送・年忘れ大行進)

トーク
ゲスト:塩まさる
トップ中心による映画主題歌の思い出。
トップは戦前、塩まさるの実演を客席で見てるそうだ。
VTR
元祖ビジュアル系(笑)

霧島昇「旅の夜風」(48年2月17日放送・なつかしの歌声)

ホントは平壌出身
小畑実「湯島の白梅」(47年8月26年放送・なつかしの歌声)

ハワイ生まれの2世
灰田勝彦「新雪」(48年2月24日放送・なつかしの歌声)

霧島のナレーション、トップ思いっきり噛んでます(笑)
トーク

ゲスト:塩まさる
「地獄の顔」スチール写真
追悼・水島道太郎(99年3月23日没、87歳)。
俳優引退後も、歌い手としてチョクチョク「年忘れ~」「夏祭り~」に出演していたそうであるが、私は当然見たことがありません(泣)
…申し訳ない、といいますかまったく知りませんこの方m(_ _)m
最期のステージが、塩まさるとだったそうである。
塩「またあの人の時代を作ろうとせっかやったのに・・・本当に惜しい
…塩さん、ホントにアナタは心身共にお元気でしたのね、この頃は。
VTR
震える手で握手
水島道太郎、ディック・ミネ「夜霧のブルース」
(61年大晦日放送・年忘れにっぽんの歌)

「夜霧の~」は、水島主演「地獄の顔」主題歌。
ミネはそれ以来亡くなるまで親交があったそうである。
椅子に座ってるのはミネの足が悪くなっているためと思われる。


我が愛しの芸者歌手たち・日本橋きみ栄

2006-07-25 00:01:23 | 我が愛しの芸者歌手たち

以前予告していました通り、「我が愛しの芸者歌手たち」、今回は日本橋きみ栄を取り上げたいと思います。

ポリドールレコードの芸者歌手と言えば、新橋喜代三・〆香・染千代と並び、名前が出るのが、この日本橋きみ栄です。

日本橋きみ栄
日本橋きみ栄(1915~93)
本名:佐藤清子
東京・神田生まれで生粋の江戸っ子。
17歳から芸の世界へ身を投じる。
昭和8年、ニットーレコードで初吹き込み。
やがて美声が評判を呼び、昭和9年「港の別れ唄」で業界に認められる。
昭和10年、ポリドールレコードへ。
昭和12年「蛇の目のかげで」ヒット。
戦後は、23年「炭坑節」がヒット。
その後ポリドールからキングへ移籍した。
32年からはビクターで、純邦楽の分野の吹き込みをするようになる。
46年、芸術最優秀賞受賞(自作曲「見世物小屋」)
49年にポリドールへ復帰。
50年、山田五十鈴主演「たぬき」音曲担当となり評判を取る。
平成5年10月9日、死去。78歳。


上記の略歴で間違いがございましたら、ご一報下さい。
すみやかに訂正致します。

ポリドールレコードというところは何やらややこしい会社でございまして、一応、今はユニバーサルという会社になっていますが、昭和23年までのポリドールと、1960~80年代のポリドールは別モノの会社であるご様子。
復刻するにも複雑な事情がある上、売れ行きが見込めないのでは・・・というお寒い状況でございます。
とはいえ、70年代には復刻LPが多数出てますので、必ずしも入手困難とは言い切れないので、興味のある方はそちらを当たってみてはどうでしょうか。

神田祭
作詞:佐藤惣之助 作曲:山田栄一
浅草〆香・上原敏と歌ってます。
下町の祭ムードがしてくる佳作です。
ただ、歌い手がねえ…。
こういう曲なら上原敏より高田浩吉の方が粋に歌えた気が…。
別に敏さんが悪いとは言ってませんけどf(^_^;
神田で生まれ育ったゆえ、きみ栄にお鉢が来たのでしょうね。
でも、〆香姐さんの歌声の方が素晴らしいf(^_^;


昭和10年ごろの吹き込み風景
蛇の目のかげで
作詞:並木せんざ 作曲:阿部武雄
日本橋きみ栄の代表曲にして、初の大ヒット曲。
詩も♪~とさ と淡々と、それでどこかユーモラスな感じがしています。
作詞者:並木せんざはサトウハチローの別名
作曲の阿部武雄は、この年に「妻恋道中」「流転」「裏町人生」「鴛鴦道中」などもヒットさせていて、まさに絶頂期の仕事。
きみ栄の粋な歌い方は文句なしの絶品。

五月雨傘
作詞:矢島籠児 作曲:島口駒夫

江戸情緒漂う日本調歌謡曲の名作。
きみ栄の良さが実に出ている気がします。


後年のきみ栄
炭坑節
戦後のきみ栄の大ヒット曲。
炭坑節は、赤坂小梅・美ち奴・音丸なども吹き込んでいますが、有名なのは美ち奴・きみ栄の両ヴァージョンでしょう。
空前絶後のノドを持つ美ち奴に勝るとも劣らない粋な歌唱を披露してくれたきみ栄に拍手を送りたい。

浮名くずし
作詞:佐藤惣之助 作曲:阿部武雄
片面は三味線やくざ(東海林太郎)で、両面ヒットしたそうであります。
股旅モノ+α、といった曲調で、きみ栄の名唱が曲の良さを引き立てます。


次回は小唄勝太郎を取り上げる予定です。


我が愛しの芸者歌手たち・番外編 榎本美佐江

2006-07-24 17:18:45 | 我が愛しの芸者歌手たち

「我が愛しの芸者歌手たち・番外編」ということで、今回は榎本美佐江を取り上げたいと思います。
「番外編」としたのは、彼女は芸者じゃないからです。
ですが、日本調の曲を主に歌っていた歌手ゆえ、このカテゴリに入れてみました。


忘れられた歌手(泣)
榎本美佐江(1924~98)
昭和21年デビュー。
昭和28年「お俊恋唄」がヒットし、世に知れ渡る。
その美貌と歌唱力で、人気を博した。
昭和30年、後の400勝投手・金田正一と結婚・引退。
昭和38年に離婚し、芸能界復帰し、「後追い三味線」をヒットさせる。
歌謡界のリバイバルブームの際には「十三夜」をヒットさせた。
その後も懐メロ番組などで、美声を披露していた。
平成10年9月23日、大腸ガンで死去。73歳。


榎本美佐江も資料が乏しいので、簡単な説明しかできませんで…m(_ _)m
榎本美佐江についてご存知の方、情報お寄せ下さい。
音源も、それなりにヒットがあるはずなんですが、あまり復刻されてません。
この人クラスならば、CDの一枚出ていてもおかしくないんですけども(-_-x)
ビクターさん、<COLEZO!>シリーズでベスト盤復刻お願い致しますよm(_ _)m


十三夜
作詞:石松秋二 作曲:長津義司

昭和16年に小笠原美都子が出したモノのリメイク。
一般(と言ってもある程度の年齢)には「十三夜の榎本」と言われたとか…。
フランク永井「君恋し」、村田英雄「人生劇場」あたりと肩を並べる、オリジナルを超越したカバーと言えるでしょう。
(君恋し=二村定一、人生劇場=楠木繁夫、がオリジナル。こちらも素晴らしい!)
榎本美佐江=ちりめんビブラート、なんですがその魅力全開で、歌ってます。
私の個人的な好みでいくと、榎本ヴァージョンの方が好きです。
♪ああ~それなのに~それなのに~
ビクター様はこの「十三夜」はどうも未復刻のご様子。
せめて、この曲くらい復刻しましょうよ、納得できません(-_-x)

後追い三味線
作詞:吉川静夫 作曲:吉田正
カムバック後にヒットさせた、榎本三大ヒット曲の1曲。
橋幸夫の股旅物のヒットがある吉田正が、軽快な筆を振るっております。
吉川静夫の詩が、適度に榎本の境遇と照らし合わせられる感じでgood。
榎本の切ない声がまた泣かせます。

お俊恋唄
作詞:吉川静夫 作曲:佐々木俊一
榎本美佐江の初ヒット曲。
私好みの股旅メロディー(笑)。
高田浩吉が歌ってもハマりそうです。

二十三夜
作詞:佐伯孝夫 作曲:渡久地政信
タイトル的にも、詩の内容も、「十三夜」の姉妹編といった曲。
一体いつ頃の曲なんでしょう?
二番煎じ感もありますが、こちらもなかなかの佳作。


他にも、市丸姐さんの「天竜下れば」なんてのも歌ってます。
「市丸姐さん亡き後は、あなたが歌い継いで」というくらいの出来です。
(ちなみに、市丸97年没、榎本98年没。歌い継いだ?期間はおよそ1年…)
なぜか、歌詞が一部違っています。
♪しぶきに濡れてヨー(市丸)
       ↓
♪しぶきがかかるヨー(榎本)

榎本さんは、市丸姐さんに可愛がれてたと聞きます。
何かこの歌詞の変更は意味があるんでしょうか?
ただ間違って歌詞を覚えていただけ?


昭和歌謡大全集2000・夏 (後編)

2006-07-19 19:05:20 | 歌番組

チータが語る三橋・春日の思い出
春日八郎はチータのために勝手に競走馬を買って来たそうだ(支払いはチータ・笑)。
三橋美智也は津軽三味線の師匠。
VTR
おやつはカール
三橋美智也「リンゴ村から」(昭和58年2月21日放送「にっぽんの歌」)

顔色がビターチョコなのは糖尿尿ゆえ
春日八郎「別れの一本杉」(昭和61年9月29日放送「にっぽんの歌」)


チータが語る美空ひばりの思い出・・・
ひばりに挨拶されるだけで、青江三奈と二人舞い上がってしまったそうだ。
ひばりを偲ぶ三人

VTR
美空ひばり「港町十三番地」(昭和54年4月22日放送「演歌の花道」)
美空ひばり「川の流れのように」(平成元年1月15日放送「演歌の花道」)

「港町~」はワンコーラスの歌唱でした。

トーク
ゲストは、久保幸江、菅原都々子、岡本敦郎、三條町子、二葉あき子、菊池章子、並木路子
当時の実演(歌謡ショー)の話など。
岡本は奈良光枝、三條は林伊佐緒・松島詩子に津村謙が多かったそう。
菅原はずっとワンマンショーだったとか。
VTR
左からライト、トップ、久保
久保幸江「トンコ節」(昭和48年12月30日放送「なつかしの歌声」)
菅原都々子「連絡船の唄」(昭和49年2月10日放送「なつかしの歌声」)
岡本敦郎「白い花の咲く頃」(昭和47年12月4日放送「なつかしの歌声」)


「トンコ節」はお座敷のセットで歌唱、終わりにはトップ・ライト師匠が登場。
菊池章子のざっくばらんトークは面白いし、人柄が伝わってくる。



一世を風靡した3人
VTR
この曲はちあきなおみの唄としても有名
小畑実「星影の小径」(昭和48年2月17日放送「なつかしの歌声」)

イヨマンテ
伊藤久男「イヨマンテの夜」(昭和46年12月31日放送「年忘れ大行進」)

死相が漂う…
岡晴夫「東京の花売娘」(昭和44年12月16日放送「なつかしの歌声」)

「星影の小径」の映像は演奏・歌唱共に素晴らしい。
しかし、岡・小畑はさておき、伊藤久男が一世を風靡というのは違和感が…。
「イヨマンテの夜」は確かに一世を風靡したと言えますが…。



昭和20年代の流行歌から…
VTR
今も元気で美声を聴かせてくれてます
三條町子「かりそめの恋」(昭和47年9月23日放送「なつかしの歌声」)

平成13年夏で引退
二葉あき子「フランチェスカの鐘」(昭和46年10月30日放送「なつかしの歌声」)

元夫は作曲家・大久保徳二郎
菊池章子「星の流れに」(昭和47年8月12日放送「なつかしの歌声」)

他の代表曲は「森の水車」
並木路子「リンゴの唄」(昭和44年12月31日放送「年忘れ大行進」)

ED
「お変わりなく。またお目にかかりましょう」と玉置。
しかし、翌年の放送時には並木路子センセが鬼籍入りされています。
チャームポイントはベロ


昭和8年~昭和41年まで33曲。
当時は2時間でしたが、中身は今に比べると濃いですね。
さて今年の夏はどうなりますやら…少しは内容改善がされていれば嬉しいのですけども・・・。

ちなみにスタジオ出演者の内、鬼籍入りされたのは
並木路子(01年4月7日没、79歳)
菊池章子(02年4月7日没、78歳)
塩まさる(03年10月16日没、95歳)
和田弘(04年1月5日没、73歳)
松山恵子(06年5月7日没、68歳)

の5名。謹んでご冥福をお祈りいたしますm(_ _)m


昭和歌謡大全集2000・夏 (前編)

2006-07-19 16:38:39 | 歌番組

今でも春・夏の年2回放送される、テレビ東京十八番特番「昭和歌謡大全集」
第1回の放送が92年だったそうで、今年春までで26回放送されている模様。

私が、初めてこの番組を見たのは99年夏でした。
毎回楽しみに見ていますが、やはり7年も見ていると映像のダブりが多くなります。
時代の流れか年々戦前・戦後歌謡曲も流れなくなってきました(または1コーラスで切られる)。あげく「歌番組なのに」司会者の旅コーナーで1時間以上…。
残念ながらこの番組はドンドン内部崩壊を始めています。
それでも、1曲でも貴重映像があれば…と思って見てますが、今年春は酷いもので…。
「昭和歌謡大全集は死んだ」と筑紫哲也ばりに言いたくなりましたね(笑)。
それでも私はこの番組が放送終了と相成るまで見届ける覚悟です。
さて、今回の「昭和歌謡大全集」は2000年夏に放送したものの記録です。


トップ師匠登場
OPトーク~コロムビア・トップ登場。
トップ、玉置宏に促されて「なつかしの歌声」のフレーズを披露。
トップ「老いたる者には過ぎにし青春の郷愁を、若人には呼べど逝にて再び帰り来たらぬ古の幻を、さらば参りましょう昭和歌謡大全集
VTR
大津美子「ここに幸あり」(昭和49年1月13日放送「なつかしの歌声」)

トップ師匠健在、玉置センセもまだしゃべりがチャンとしてます(最近はカツゼツが…)
ことに時代を感じます。


トーク
ゲストは、大津美子、こまどり姉妹、花村菊江、松山恵子、和田弘とマヒナスターズ、曽根史郎、青木光一、白根一男
テレビ時代(創世記)のスターというくくり。
「当時のギャラは幾らか?」という質問に、みんな覚えていない。
こまどり曰く「500円くらい?」
和田弘「うちなんか6人だから余計わかんない」

他にはテレビカメラのレンズの話。
VTR
こまどり姉妹「ソーラン渡り鳥」(昭和56年7月12日放送「夏祭りにっぽんの歌」)

若い!
花村菊江「潮来花嫁さん」(昭和49年2月10日放送「なつかしの歌声」)

今日は落下傘ドレスじゃありません
松山恵子「未練の波止場」(昭和47年9月9日放送「なつかしの歌声」)

ゲストのうち、和田弘・松山恵子の2名はお亡くなりに・・・。
花村菊江の映像が流れたとき、「あら~」とあまりの変わりように声が(笑)鉄火場の姐さん
お恵ちゃんはマドロス姿での歌唱。このときの衣装は30年後も歌番組で披露した事があるのを思い出しました。



チータはこの歌手たちの歌は東京で聴いているそうである。
潮来花嫁さんはコンクールの課題曲だったそうだ。
VTR
マヒナ「泣かないで」(平成5年12月31日放送「年忘れにっぽんの歌」)

コスプレおじさん
曽根史郎「若いおまわりさん」(昭和59年7月14日放送「夏祭りにっぽんの歌」)
青木光一「早く帰ってコ」(昭和48年12月31日放送「年忘れ大行進」)
白根一男「次男坊鴉」(昭和47年7月1日放送「なつかしの歌声」)

全国警察官友の会推薦なんだそうだ「若いおまわりさん」(笑)
「次男坊鴉」の演奏はスィング感たっぷりで聴いていて心地よい。
オリジナル音源は何かもたついた感じがするし、再録音は問題外。


前回放送時から今回放送までの間に亡くなった歌手の追悼コーナー
淡谷のり子(99年9月29日没、享年92)
渡辺はま子(99年12月31日没、享年89)
池眞理子(00年5月30日没、享年83)
青江三奈(00年7月2日没、享年54)
淡谷の想い出は菊池章子が語る。
指環
形見の指環を見ながら、元気でいなきゃと思うのだがなかなか元気になれないそうである。
渡辺はま子の思い出は二葉あき子。
可愛らしいオバアチャマ
二葉「渡辺さんはね、そうあの頃は歌手もあまり多くなかったから、淡谷センセ、渡辺はま子さん、私って順番なの。それで渡辺センセはとっても明るい方で、夏になると思い出すんですけど、ビールをよく召し上がって、疲れちゃったからアンマさん呑もうよっていてね、アンマさんがビールになってね、二人で呑んでてね、みんな宿の人も寝ちゃったもんだから、アンマさん探しに行こうって、二人で台所行って、ビールがここらへんにあるよって二人で呑んだ記憶があります
池眞理子は並木路子、青江三奈はチータがそれぞれ想い出を語ってました。
菊池「華がある方ね、とっても素敵なね」(青江を評して)
VTR
ゲルマニウムローラー
淡谷のり子「別れのブルース」昭和45年9月15日放送「なつかしの歌声」
おはまさん
渡辺はま子「蘇州夜曲」昭和45年10月6日放送「なつかしの歌声」
ステージで死ねた唯一の歌い手
池眞理子「愛のスウィング」昭和48年12月31日放送「年忘れ大行進」
井原静子(本名)は4つ年上
青江三奈「恍惚のブルース」平成4年9月27日放送「演歌の花道」

青江のVTRの時にはチータ号泣。
青江とは親友
しかし、このビデオを見る限り、並木センセが翌年亡くなるとはとても見えない…。
菊池・並木は故人、二葉は引退…。時代の流れを感じずにはいられないです。


昭和10年代コーナー。
トップ師匠と玉置宏のトーク。
レコードの溝の話などから…
玉置それを語っていただけるのは今やトップさんしかいないですから
玉置、テメーのほうが詳しいだろ
トップいるよ向こうに(笑)、田端義夫さんとか。塩まさるさんなんてもっと知ってるよ
会場爆笑。
年齢はトップと変わらないゲストたち

VTR
直立不動
東海林太郎「赤城の子守唄」昭和46年7月22日放送「なつかしの歌声」

愛称ピンちゃん
藤山一郎「東京ラプソディー」昭和48年10月7日放送「なつかしの歌声」

30cm巨根伝説
ディック・ミネ「或る雨の午后」昭和46年7月29日放送「なつかしの歌声」
トップ師匠の思い出
東海林「楽屋で並べられる駄洒落がきつかった。笑わなきゃ怒るし、笑いすぎりゃまた怒るし」
藤山「奥さんがよく楽屋掃除しに来たの」
ディック「想い出がありすぎちゃって何しゃべっていいか全然わかんない」

トーク
生きた化石
ゲストは昭和12年デビュー塩まさる昭和14年デビュー田端義夫
灰田勝彦の思い出
「青春が歩いてるような感じ」(田端・談)
霧島昇の思い出
「霧さんは同じ区域で育った。いわば親戚同士みたいなものだった」(塩・談)

VTR
当時の方が老けてる?
塩まさる「九段の母」昭和45年12月31日放送「年忘れ大行進」

ギターがアレじゃない!
田端義夫「大利根月夜」昭和47年11月19日放送「なつかしの歌声」

ヅラ
霧島昇「誰か故郷を想わざる」昭和45年10月6日放送「なつかしの歌声」

自称:ハワイ生まれの江戸っ子
灰田勝彦「新雪」昭和49年3月31日放送「なつかしの歌声」

何だかバタヤンより塩まさるの方がしっかりしてるように見える
既にボケが来てるバタヤン、これから6年、今も健在です。
バタヤンのギターが例のオンボロギターじゃない(驚)。
霧島は元ボクサーだったそうである(トップ・談)

(後編へ続く)


三浦洸一を聴いてみよう

2006-07-11 08:54:10 | 昭和の名歌手たち

私、時折、無性に三浦洸一を聴きたくなる時があるんです。
あの品の良さ、野暮さとは一寸違う感じで…。
「文芸歌謡」というジャンルがしっくりきます。
まだご健在な方ですが(笑)、ちょっと取り上げてみたいと思います。


なかなかのイイ男に撮れてます
三浦洸一(1928~)
昭和3年元旦、三浦半島で出生。
浄土真宗の寺の三男坊。
本名:桑田利康
東洋音楽学校卒業後、昭和27年ビクター入社。
ちなみに黒柳徹子は東洋での同級生。
作曲家・吉田正に師事し、昭和28年5月「さすらいの恋唄」でデビュー。
同年9月発売の「落葉しぐれ」で一躍スターダムに。
昭和30年には「弁天小僧」を、昭和31年には「あゝダムの町」「東京の人」ヒット。
昭和32年には川端康成作品をモチーフにした「踊子」がヒット。
この「踊子」のヒットから、「釧路の駅でさようなら」等文学的香りの作品を多数発表し、「文芸歌謡の第一人者」と呼ばれるようになる。
紅白歌合戦には昭和30年(第6回)初出場。
その後、昭和32年(8回)から38年(14回)まで連続出場。
39年の落選時には物議を醸し出した。
昭和58年には「笑っていいとも」にレギュラー出演し、好評を得る。
平成12年、レコード大賞功労賞受賞。
2006年現在も、現役で歌っている。
ちなみに芸名はビクター文芸部によるもの。
三浦は、三浦半島の生まれであることから。
洸一は、この世界で「ピカ一」になれるようにと「光一」の予定だったが、既に青木光一(コロムビア)がいたため、この世界は水物だから、と「洸一」になった。


三浦さんの曲には「文芸歌謡」と言われただけあって、独特の世界があります。
この空気は今は失われたものです。
当時はこういう情景もあったのか…と思いながら聴くのもまた一興です。


街燈
作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正
「街角で起こる出来事を街燈、お前は知っているんだね」という唄。
都会調の曲で、まさに吉田メロディーの本道。
フランク永井とは一味違う、三浦洸一の良さが出ています。

釧路の駅でさようなら
作詞:吉川静夫 作曲:豊田一雄
歌詞の中に♪挽歌の街に 滲む頃~ というフレーズが出てくるが、これは原田康子「挽歌」から取っているそうです。
作曲した豊田一雄は現在消息不明だとか…。
三浦の低音が全編に冴え渡る傑作。
当時釧路駅では、列車の出発時にこの曲が流れていたそうです。

東京の人
作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正
吉田メロディー十八番・都会歌謡の名作。
フランク永井の「有楽町で逢いましょう」は、最初は三浦さんが歌う予定だったそうです。「三浦洸一 フランク永井を唄う」的アルバムがあったら聴いてみたいものです。

落葉しぐれ
作詞:吉川静夫 作曲:吉田正
更け行く静かな秋の夜、ひとりしみじみと聴きたい、そんな曲です。
島倉千代子も好きな曲で、コンサート等でも一時歌い、後にアルバム用に吹き込んでいます。

こころの灯(ともしび)
作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正
38年(14回)の紅白で唄った隠れた名曲。
もうこの頃になるとヒットは出なくなりますが、ヒットが無い=いい曲が無い、では無いことを証明してくれた1曲。
いかにも三浦洸一な曲ではありますが、それが良いのです。


端正な歌い方
私が気になっているのは公式のプロフィールに書かれている「挽歌」「櫻の園」「ちぎれ雲」という曲が復刻されていない点です。いっぺん聴いてみたいものですね。
ま、三浦さんの全曲集が発売されていること自体、ビクターという会社を見る限りでは奇跡でありますから、期待するだけ無駄なんですが・・・。


我が愛しの芸者歌手たち・赤坂小梅

2006-07-04 04:16:41 | 我が愛しの芸者歌手たち

「我が愛しの芸者歌手たち」、第3弾は「赤坂小梅」です。
ビクター(市丸)テイチク(美ち奴)と来てますので、第3弾はコロムビア(小梅)で参ります。
(勝太郎は「勝太郎くずし」が手に入り次第、取り上げたいと思います。)

さて、まずは赤坂小梅のプロフィールを御覧下さい。

赤坂小梅(1906~92)
本名:向山こうめ。
九州は福岡県北九州小倉地区の生まれ。
九人兄弟の末っ子で、出生10日目にて母が逝き、35歳年上の長姉の手によって育てられる。
花街の近くに住んでいたため、そこから聞こえる三味線の音や歌声を子守唄代わりに聴いて育った。そのためか、幼少時から芸事が大好きだった。
そして、ついに16歳のときに、家族の反対を押し切り、小倉の旭検番から「梅若」の名で初座敷と相成る。
昭和4年、小倉を訪れた中山晋平・藤井清水・野口雨情らが、料亭「津田倉」で梅若の歌声を聴き、その美声に驚く。
そして、梅若の才能を認めた藤井の紹介で、ビクターで「小倉節」など新民謡数曲を吹き込む。
昭和6年には上京。後援者清水作之助の紹介で、赤坂若林から「小梅」と名乗って、お披露目となり、鶯芸者として鳴らすことに。
昭和8年3月、藤井清水と共にコロムビアへ入社し、5月に「ほんとうにそうなら」でデビューし、一躍スターダムになる。
昭和9年にも「そんなお方があったなら」をヒットさせ、その人気は不動のものに。
その名声を生かしながら、各地の民謡を吹き込んでいく。
小梅は民謡と言うジャンルを一般化したパイオニア・功労者とも言える。
小梅によって全国区となった民謡は数多いが、一般受けしやすいように小梅流に歌いなおしたモノゆえ、地元から不満の声があったものもある。
小梅によって全国区になった民謡は「おてもやん」「そろばん踊り」「小諸馬子唄」などがあるが、何といっても一番は黒田節。
「黒田節の小梅か、小梅の黒田節か」とまで言われた。数十年間、コロムビアの民謡部門の売り上げベスト10に入っていた記録もある。
戦後は流行歌の吹き込みは減ったが、民謡・俗謡の吹き込みは続き、その筋の人気は衰えることを知らなかった。ステレオ時代になっても積極的に吹き込んでいる。
日本酒を一晩に三升呑んでも大丈夫というほどの酒豪で、マージャンは下手の横好きの典型、他人の悪口は決して言わず、 おおらかで太っ腹な性格であった。
芸者としても岸信介や佐藤栄作など著名人のお座敷も務めたほどだった。
昭和49年、紫綬褒章受賞。昭和55年、勲四等宝冠章受賞。
酒豪が祟り、内臓が滅茶苦茶だったらしく、昭和54年ごろから肺炎・白内障・糖尿病・腎臓を立て続けに患った末、右足を骨折。2年の闘病で20キロも痩せた。
そのため、昭和56年4月21日、東京三宅坂・国立小劇場での「芸能生活60周年・歌手生活50年 感謝引退記念公演」を最後に一線から身を引く。
港区麻布の、長谷川一夫邸の真ん前にあった自宅も引き払い、養女(長兄の子)と共に千葉県館山市布良の安房自然村に引っ越す。
そこで養女に身の回りの世話をしてもらいながら「小梅民謡教室」を開くなどしていたが、数年後脳梗塞で倒れたため、歌は止め、リハビリに励んだりしていた。
平成4年1月17日、85歳で逝く。




小梅姐さんというのは流行歌というよりは、民謡や小唄・端唄などの方です。
ですから、歌謡曲好きの方は一寸キツイものもあるかもしれませんね。
でも、良いノドなんです、これが。男性顔負けの声量たっぷりの低音で。
まあ、一度は聴いて損は無いと思いますが…。
そんな訳で、おススメ曲も民謡・俗謡が殆どでございます。


野郎やったね
作詞:和田隆夫 民謡
これの元唄は「常盤炭坑節」です。(♪月が出た出た~ じゃありません)
いわゆるお座敷ソングでして、小梅姐さんが豪快に歌っております。

浅間の煙
作詞:西條八十 作曲:古関祐而
信州民謡「小諸馬子唄」をうまく使った民謡チックな1曲。
小梅姐さんの男顔負けの美声が心行くまで堪能できます。

おてもやん
俗謡
今現在でも知名度が高い俗謡。
熊本の方の民謡でもございますが、これが明治期に花柳界でも歌われるようになり、「熊本甚句」という名で親しまれるように。
小梅は昭和11年に吹き込んでいたが、戦後、再発売の特需景気の頃に人気となり、全国区の民謡(俗謡)となっていく。
リズミカルな曲で、ある意味ではラップなんかの元祖とも言える。


黒田節
福岡民謡
赤坂小梅といえば、この曲です。
小梅のすべてが詰まっていると言えなくも無いですね。
とにかく、男らしく豪快な小梅ボーカルの真骨頂。
その昔、結婚式でこの黒田節を舞う年寄りは必ずいたものです。
その重厚さは聴いていて、思わず聞き惚れますが、民謡に免疫が無いとキツイかも(゜゜;)

そろばん踊り
作詞:石本美由紀 福岡民謡
久留米のほうの民謡です。
なかなかコミカルな、久留米の機織り娘の恋を歌った曲。
台詞入りで、小梅の話し声も聴くことが出来る。
見た目とは裏腹、案外可愛い声をしております(まあ作ってるんでしょうがね)。



※ちなみに小梅姐さんはこういうお顔
ドスコイ

若い頃はもう少し可愛い顔でした。
下が若い頃の小梅姐さん。
貫禄はありますね

歳月は人を変えるものでございます。
以上でこの項を終わりますm(_ _)m

なおこのシリーズ、次は(音源が手に入り次第ですが)日本橋きみ栄を予定しています。芸者系で、リクエストでございましたらドウゾ。
答えられる範囲でやってみます。