今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

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高英男の「オペラ座のダンサー」

2010-12-04 18:59:01 | 高英男
私は高英男(シャンソン歌手)が好きで、好きで、生涯追い続けたいと思っています。
また、それに値するだけの方だとも・・・。

その高英男さんの歌で、絶賛されているレパートリーのひとつに「オペラ座のダンサー」という歌があります。

舞台が命、華麗に翔んで回ることにすべてを懸けていた天才ダンサー。
ある日もっと高く翔ぼうとして、倒れた。
もう翔ぶことは出来ない。
それまで惜しまぬ拍手を与えていた人たちは消え、新聞の切り抜きだけが残った。

ある日、もっと高く翔ぼうとした彼は屋根の上から飛び立ち・・・果てた。
人はオペラ座を通るとき、幻の中に踊っている彼の姿を見ることだろう・・・

(注:私的概要につき、正しい訳ではありません)

いつだったか、他のシャンソン歌手が歌うのを見たことがありますが、別段心に残る作品では無かったのですが、果たして高さんが調理するとどうなるのか。
歌い終え、舞台に倒れ落ちる演出もあると知り、なおのこと・・・どうしても観て聴いてみたい高さんの1曲でした。

それが先日、機会があって「第39回パリ祭(2002年)」の映像を見るチャンスがあり、観ていたところ、ステージに高さんが、まるでヨーロッパの老芸人のような雰囲気と姿で登場し、この歌を歌っていたのです。

実に素晴らしく、想像を遙かに超えた舞台がそこにありました。



高英男、当時82歳。
「歌っている」というものではなく、歌と歌い手が一体化した、歌を超えたものになっているのです。高英男の世界、というのでしょうか。
高さんならではの解釈、長く真摯に歌い続けたものでも達することが難しいのではないか、と感じました。これが年輪・・・いや、神がかり的なものすら感じました。

でも、決して枯れてはいないのです。
ロウソクの炎・・・そんな妖しさが脳裏に浮かびました。

高さんという人は年齢によって、歌の印象がドンドン変わっていく人で、50代の頃の歌と70代の歌は同じ歌でも、まったく違う歌のように聴こえるのです。
50代ならではの歌、70代だから歌える歌と・・・。

これは80代に達したからこそ歌える歌、といえるでしょう。
勿論、60代のときに歌ったオペラ座、70代のときに歌ったオペラ座も素晴らしかったと思うのです。ですが、この82歳の絶唱もまた素晴らしいものでした。

もうひとつ感じるのが、高さんが何より舞台に立って歌うことを愛していたこと。
表情のひとつひとつから、単なる愛想では無い、心底・・・の想いが見て取れました

歌というものは不思議です。
声がよく出ている、音程が正確・・・そういう歌が人の心に必ずしも響くわけでは無いのです。
老いというものを逆手に取り、その状態でベストな歌を届ける・・・。
かつて「歌い手に必要なものは技術。自分の力を見極めて忠実に努力すること」と高さんは発言していますが、その言葉が当てはまる、このステージ。

芸人・高英男、ここに在り。
叫びたくなります。

生のステージでこの歌を観たかった。チャンスが巡って来なかったのが残念です。

1980年代以降の高さんの歌声はソフト化されていない。
(2000年放送の30分番組が限定販売されていたらしいのですが現在はそれも完売している様子)

・・・これは実に勿体無いことだと思います。
60代、70代、80代・・・の高さんの歌声もまた素晴らしいものであるだけに、パリ祭の絶唱などを集めて、アルバムを作ってもらえれば多少音質に難はあれども、どれだけ素晴らしく、意義のあることだろうとしみじみ思います。

「オペラ座のダンサー」、ソフト化を強く希望します。
叶わぬ夢・・・なのでしょうか。
コメント

日本、シャンソン歌手第一号・高英男(コウ・ヒデオ)

2007-02-01 23:55:34 | 高英男

以前、何度が触れようとしつつも、ちゃんと触れないで来たのが高英男さん。
もう、「雪の降る町を」がしっくりくる季節、ここらでネットには殆ど情報が無い高さんをビシッと取り上げてみたいと思います。

昭和52年頃
高英男(1918~)
本名:吉田英男
大正七年十月九日、樺太(サハリン)生まれ。
八人兄弟の末っ子。
生後すぐ、母方の伯母の嫁ぎ先へ戸籍上だけ養子に。
高は実家の姓。名字から誤解されそうであるが正真正銘日本人である。
実家・養家は共に製紙工場を経営していた。
十一歳のとき、勉学のために単身東京へ出される。
下谷の従弟のもとに身を寄せる。
吉田の家が、浅草でも知られた顔だったため、映画・舞台を自由に見て回れた。
本人曰く
「《樺太の自然児》として育った子供が、急に人と人の関係が複雑な芸能界のウラみたいなトコで過ごすようになっちゃったんだから、こりゃあ変な男が出来ないはずがないですよ(笑)」
中学は独協中学へ。4年先輩には灰田勝彦がいる。
中学一年のとき、兄が買ってきたレコード「カルメン」を聴き、歌に興味を持ち始める。
中学卒業後、武蔵野音楽学校へ進学。同級に木下忠司、大谷冽子(きよこ)がいる。
入学後、先輩の紹介で、ディナ・ノタルジャコモ女史にベルカント唱法を習う。
昭和十一年、初舞台。ソロで3曲歌う。
またその頃、コーラスグループ「コーロエーコー」に入団。最年少団員だった。
余談だが最年長は東海林太郎。
武蔵野入学後、一年強で日本大学へ転学。
当時既に歌で稼いでいたため、学校側がうるさく言ってきていたのと、徴兵を遅らせるため、当時殆ど無い音楽科がある日大へ移ったというのが真相である。
日大では、学生仲間でタンゴのバンドを結成し、ボーカルを担当。
日大の後輩には、西村晃、三木のり平、小林桂樹などがいる。
昭和十七年、日大卒業。
即、徴兵。大学出なので幹部候補生ということで少尉になるも、肺結核に罹り、即除隊。療養の傍ら、慰問に参加。
終戦後は、進駐軍で、ビング・クロスビーの歌を歌った。
昭和20年暮れにNHKの出演テストに合格、翌年よりNHK音楽番組に引っ張りだこ状態で出演。その頃、NHKで三浦環の最期の録音に偶然立ち会う。また、山口淑子とも競演。
また、その頃から中原淳一に目をかけられるようになり、舞台からも声がかかるようになった。
昭和二十四年、中原淳一プロデュースで初の独唱会開催。
昭和二十五年、舞台劇「ファニー」に出演。
昭和二十六年、フランス・巴里へ留学。ソルボンヌ大学に学ぶ。
昭和二十七年、帰国。帰朝リサイタルでは、フランスから持ち帰った『愛の讃歌』『ロマンス』『詩人の魂』などを日本人では初めて披露する。
また、このときの中原淳一の発案で、日本人のシャンソン歌手第一号となる。
昭和二十八年、キングレコードから『枯葉/ロマンス』でレコードデビュー。
またこの年、作曲家の中田喜直からの指名で『雪の降る町を』を吹き込む。
その後も『詩人の魂』『セ・シ・ボン』『パダム・パダム』など、シャンソンを次々吹き込む一方、日劇等の舞台にも多く出演する。日劇は昭和五十六年の閉館まで、トップスター扱いで活躍する。
昭和三十三年、再びパリへ。その後昭和四十八年頃まではパリと日本を行き来しながら、どちらでも仕事をする。
パリではジョセフ・コスマやダミアなどとも親交を結ぶ。
昭和四十九年からは五年連続で帝劇公演。
昭和五十二年から六十一年まで日本歌手協会理事を勤める。
昭和五十七年、国立劇場でポピュラー歌手としては初のワンマンショウ開催。
昭和六十年、六十三年と心臓疾患で倒れるも回復。
またこの頃から平成五年頃まで、淡谷のり子とジョイントショーを度々開催。
平成元年、紫綬褒章受賞。
平成三年、日本シャンソン協会設立時には淡谷のり子と共に名誉顧問就任。
平成四年、フランス文化勲章シュバリエ章受章。
平成七年、勲四等旭日小授章受賞。
平成八年、歌手生活六十周年記念リサイタル開催。
平成九年に、自律神経失調症で一時意識不明になり入院もすぐ回復し、復帰。
平成十八年の現在も、舞台に立ち続けている現役歌手である。
映画「やくざ刑罰史 私刑!」より
俳優としての映画出演も多数あり、特に「吸血鬼ゴケミドロ」での殺人スナイパー役は海外でもファンが多い。
また、宝塚ばりのメイクと派手な舞台衣装でも有名。
好きな言葉は「色・艶・香」である。


非常に読みにくいですが、これが高英男さんの略歴であります。
映画出演については、ココを御覧下さい。

高さんですが、CDは2003年にキングから発売されています。
シャンソン協会主催のパリ祭や、三越劇場で年二回開催されるポピュラー・ハイライトには毎回必ず出演されています。
年齢相応の、年輪を重ねた、「うたはこころ」を地で行く歌を聴かせてくれます。
先月末に、ステージを見に行きましたが、思わず姿勢を正してしまいました。

そもそも、レコード吹き込み数自体非常に少ないので、なかなか手持ち音源が増えないのが悩みですが、何とか集めた中から、いくつか紹介したいと思います。

雪の降る町を
『雪の降る街を』『雪の降るまちを』『雪のふるまちを』…様々な表記があるが、どれでも構わないらしい。高さん自身は、哀愁がある・詩的イメージが沸くことから『雪の降る街を』という表記が気に入っているとか。
ラジオ放送「えり子とともに」で生まれた1曲。
フランスでの熱唱
ダークダックスなども持ち歌にしていて、学校教科書にも載った名曲中の名曲。
高さんは何と11回レコーディング、業界最多記録らしいです。

セ・シ・ボン C'est si bon
フランスの有名なシャンソンで、1947年作曲。
イヴ・モンタン、アーサー・キッド、ルイ・アームストロング(サッチモ)などが持ち歌に。
日本では、宝とも子、越路吹雪、岸洋子、芦野宏、江利チエミなども持ち歌に。
高ヴァージョンの艶っぽさは、群を抜いています。
岸、チエミといった女性歌手よりも、艶っぽさは上。
日本の歌手では独壇場と言っちゃっても良いかも。
今をときめく永六輔と。男オバサン対談
♪セ~シボ~~ン 抱きしめてる~~~~

幸福(しあわせ)を売る男 Le Marchand de Bonheur
1961年に、仏コーラスグループのシャンソンの友が歌いヒット。
カリプソのリズムの入った軽快な曲。
日本では越路吹雪、芦野宏なども持ち歌にしてますが、個人的には高さんがおススメ。
狂気を売る男という気も
93年・99年にキングから発売された全曲集に収録されているライブ録音は、音質的にはあまり良くない(MDウォークマン+マイクを使って録音した感じ)ものの、華やかさ・軽快さ・クレイジーさが、半端じゃ無くある素晴らしいモノ。さすがは舞台芸人と自称するだけあります。

パダム・パダム Padam Padam
エディット・ピアフが1951年に発表した曲。
日本では、二葉あき子が有名。淡谷のり子、岸洋子も歌っている。
高さんは中原淳一の名訳で、ピアフに優るとも劣らぬ、名唱を披露。
日劇での一枚
♪パダム パダム パダム~そら聞こえるだろう~
    パダム パダム パダム~ふたつの足音~
       パダ~~~ム(絶叫) パダム パダム あやなしてひびくよ
         疲れた足音と希望の~~~あし~~~おとが~~~~~~~
             ア~~~~~~~~

狂人と化しつつある人の心の揺れ動きを完璧に歌いきっております。
93年・99年にキングから発売された全曲集に収録されている、昭和51年の帝国劇場リサイタル実況音源は、高英男ここにあり、と言うべき素晴らしい音源です。

ラ・ボエーム La bohome
シャルル・アズナヴールの大ヒット曲。
日本では美輪明宏による完璧な名唱が有名。
高さんの歌唱は、本家アズナブールよりにも勝るとも劣らぬ美輪版に比べれば、落ちるものの、充分すぎるほどの名唱。
淡谷のり子と
♪ラ~ボエ~ム ラ~ボエ~ム 遠き日は帰り来ず~~

ロマンス Romance
ジュリエット・グレコの持ち歌のシャンソン。
高さんのレコードデビュー曲で、名刺代わりの1曲。
中原淳一の格調高い訳詞も、相成って大ヒット。
先月末、ナマ歌を聴きましたが、実に心に沁みました。
マダム・リッツ他と
♪友よ聞きたまえ この愛の歌を 
   永久(とわ)の幸福(しあわせ)を奏でる歌を


落葉の巷(三人のスリの唄)
服部良一作曲の、三人のスリの複雑な心境を歌った1曲。
この曲を日劇で歌っているのを聞き、古賀政男が絶賛したそうです。
他にも高さんには「一人のスリの唄」(三木鶏郎作詞・作曲)など、スリ・シリーズというジャンルが存在するとか。
このスリ・モノを歌うときは、着流し姿で、先代水谷八重子・花柳章太郎から貰った金入れ・キセルを懐に歌うそうである。
爬虫類フェイス
♪ラッシュアワーの人ごみを スリが三人歩いてた~

白いねむり
中原淳一晩年の大傑作。
和製シャンソンとしても大変優れている作品で、二葉あき子お気に入りの1曲。
ぜひ、他の歌手にも歌い継いで欲しいですね。
作画・中原淳一
♪白い絵の具の筆で 胸の中塗りつぶし 
      真白い世界の中で 今夜だけ 今夜だけ 眠りたいのよ


小さなひなげしの花 Comme Un Petit Coquelicot
まさに高英男な一枚
シャンソンの友などが歌った哀しい1曲。
芦野宏、石井好子なども歌っています。
ひなげしの花=女の胸からの流血・・・
まさにシャンソンな世界。

枯葉 Les Feuilles Mortes (Autumn Leaves)
シャンソン・ジャズどちらでも知られている曲。
シャンソンだとイヴ・モンタン、ジャズだとナット・キング・コールが有名。
日本では高英男の専売特許です。
長い顔
♪枯葉よ~ 絶え間なく 枯葉よ 
   風に散る 落ち葉のごと 
    冷たい土に 落ち果てて 
      過ぎた日の 色褪せた恋の歌
        密かに 胸のうちに 淋しくも聞くよ

中原淳一の訳詞がまた格調高くてよろしい。
高さんがフランス留学時に声楽を習ったマダム・リッツの親友が、この曲の作曲者のジョセフ・コスマだったことから、親交を結ぶ。
時折、高さんのショウでは、コスマが高さんの紹介をした音源が流れることがある。

男と女 Un Homme Et Une Femme
魔物の宴 
♪き~こえルダバダ ダバダバダ~ 
で、ラジオ番組「コサキン」リスナーには御馴染みの1曲。
原曲はフランシス・レイ。
フレンチ・テイスト溢れるシャレたバージョンと、妖怪変化全開なヴァージョンの二つの録音が存在するが、CD化されているのは後者のみ。

他にもイロイロと歌ってますが、未CD化/未ソフト化の持ち歌が非常に多いのが残念。フランス語で歌い、大好評だったらしい『ソーラン節』『蘇州夜曲』、世界各国一周しキザな台詞まである『俺と波止場と夜の風』、シャンソンとして解釈し、出色の出来のカバー『誰もいない海』…一杯ソフト化して貰いたいモノはあります。
近影。ステージではまだまだド派手
高英男さんも歌手生活70年、追悼盤になる前に何とかネットからでも再評価の声を出したいものです。

追記
プロフィールは加筆/修正した上でWikipediaに投稿致しました。これで少しでも興味のある方のお役に立てれば幸いです。

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高英男映画出演一覧

2006-10-13 09:20:45 | 高英男
青春ジャズ娘(28年・新東宝 松林宗恵)
現代処女(28年・大映 佐伯幸三)
紅椿(28年・大映 吉村簾)
東京シンデレラ娘(29年・新東宝 井上梅次)
桜まつり歌合戦(29年・大映 西村元)
ジャズ娘乾杯(30年・宝塚 井上梅次)
裏町のお転婆娘(31年・日活 井上梅次)
お転婆三人姉妹 踊る太陽(32年・日活 井上梅次)
男の挑戦(35年・第二東映 島津昇一)
狙い撃ちの無頼漢(37年・東映 島津昇一)
ギャング対ギャング(37年・東映 石井輝男)
十一人のギャング(38年・東映 石井輝男)
柳生武芸帳 片目水月の剣(38年・東映 長谷川安人)
特別機動捜査隊 東京駅に張り込め(38年・東映 太田浩児)
大悪党作戦(41年・松竹 石井輝男)
吸血鬼ゴケミドロ(43年・松竹 佐藤肇)
やくざ刑罰史 私刑(44年・東映 石井輝男)
江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間(44年・東映 石井輝男)

高さんの発言

…映画に出たての頃は歌で出て、後は『歌は舞台でするから映画では歌わせないで下さい』って僕は確かに言ってた。
『歌わすために出すんだったら出ません。ギャングでも何でも一つの個性として一つの個性として使ってくれるのなら出ます』…なんて偉そうなこと言っちゃって。


僕は映画に出演する時は『〈色つき〉で出るんだから』って。
『色つきって、白黒じゃなくてカラー映画に出るって言うんですか』
『いや、殺伐とした中にバラの花が一輪かざしてあるような、〈いろどり〉の場面に使われればいいと僕は思っているから』
『うまいコトいいますね』と、当時の会話。
そういうつもりじゃなかったら、歌で時間のないところをサッサと行って
「はい、演りましょう」
「OKです」
「さようなら」ってテキパキと帰って来れません。責任感じて、「重い役、演らせないでくれ」って、確かに監督さんには言ってました。

という理由から、後半は映画では歌っていないそうです。
映画話については他にも多数あります。ボツボツ出していきます。
コメント

偉大なる異端児・高英男

2006-10-12 18:21:38 | 高英男
この方はまさにオンリーワン。
このシトのヘンな曲といえば、コサキンで話題だった♪き~こえ~るダバダバダ~「男と女」を筆頭に山のように…。
ヘンになってしまうのはこのシトの恐ろしいほど強い個性によるものが多い(つ~か、ほぼすべて)。

例えば
エディット・ピアフの名曲で、日本では二葉あき子あたりの歌唱が有名な「パダム・パダム」は、美輪明宏あたりが言う「おシャンソン」と同じようでまるで違う、完全に気が狂い始めた人の叫びと化している。越路のコーちゃんの「人生は過ぎゆく」あたりに負けず劣らずの破壊力を持っている。
♪パダム パダム パダム~そら聞こえるだろう~
 パダム パダム パダム~ふたつの足音~
 パダ~~~ム(絶叫) パダム パダム あやなしてひびくよ
 疲れた足音と希望の~~~あし~~~おとが~~~~~~~
 ア~~~~~~~~
(作詞:中原淳一 ライブ録音・76年帝国劇場)
残念なの現行べスト盤にはこの録音ではなく、スタジオ録音版が収録。それでも妖しさは充分あるのは流石。

狂気の歌い手・高英男。
越路吹雪は未だに人気がある。ちあきなおみは伝説と化しつつある。中島みゆきは「宙船」で存在をまたまたアピール。
美輪明宏はただいま大人気。
同じ狂気を歌える歌い手・高英男にも光を…。

一度でいいからこのお方のワンマンコンサート(音源・映像でも可)を観たい(聴きたい)。
70年代のステージ音源の良さはスタジオ録音盤なんかを超越している。
今でも現役なのではあるが、あの状態ではやはり難しいか…。

「オペラ座のダンサー」(歌の終わりは絶叫して倒れるとか)
「白いねむり」(中原淳一、傑作の詩)
「3人のスリの歌」(何と服部良一作曲。)
それにフランスでよく歌ってたらしい日本の曲(「蘇州夜曲」や「荒城の月」「ソーラン節」等)
何とかcd化してほしいけど、まるで需要がなさそうなのが残念至極。リサイタル等の音源はキングじゃなく本人(&事務所)が持ってると過去cdに収められた音源を聴くかぎりそう思われます。(でないと70年代のリサイタル音源がモノな訳が無い)
早いとこ何とかしないと…。崩御ともなればその後の音源の行き先がどうなることか。消えてしまうかも。
キングはいうまでもなく、役立たずだし。追悼盤なんて期待できるような会社じゃないし、おそらく出さない。その年のベスト盤にさりげなく数年前のベスト盤を復刻して終わり。

幻の音盤同盟あたりで何とかしてもらえないものか?
全11回レコーディング(うち最低5回分はCD化済みらしい)の「雪の降る街を」の復刻とかもお願いしたい。
「男と女」がらみで何とかできないものか…。
永六輔とピーコあたりも声を上げて欲しいです。
特に永にはラジオで熱く、そして意味不明に語って欲しい。

私が思う、数少ない何とかして今盛り立てたい歌手のひとり。
コメント