今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

流行歌革命を起こした男・バーブ佐竹

2006-06-30 23:59:46 | 昭和の名歌手たち

その昔、ある歌手がきっかけで、男性歌手が女心を歌う、これが歌謡界で大流行しました。
それも凄い形相の方が歌うという暗黙の了解まで…
さて、その歌手のは?
バーブ佐竹であります。




田舎のオジサン顔
バーブ佐竹(1935~2003)
北海道釧路市生まれ。
昭和32年に上京し、やがてハワイアンバンドのボーカルを担当。
その後、クラブ歌手として新宿で歌っているところを作曲家の吉田矢健治に認められ、39年「女心の唄」でデビュー。ムーディーな低音の歌声で人気を集め、40年日本レコード大賞新人賞を獲得。
NHK紅白歌合戦にも40年から連続し4回出場した。
「顔じゃないよ、心だよ」の名台詞も有名。
牧伸二、菅原洋一らと「モスラ会」を結成したことも。
晩年は糖尿を患い、平成15年1月には肝臓ガンに。病魔と闘いながらの歌手活動だった。
同年11月22日群馬県太田市民会館での、笹みどりや佐々木新一との公演が最期の仕事。
12月2日に入院、体調も回復し初めた矢先の5日に急死。
前日に後援会関係者の「来年のデビュー40周年は頑張ろう」との励ましに「任せとけ!」と力強く答えた言葉が最期の言葉だった。
代表曲は、デビュー曲の「女心の唄」、「ネオン川」、「カクテル小唄」、「虫けらの唄」「星が云ったよ」、「銀座は恋の十字路」(南かおるとのデュエット)、子連れ狼主題歌「ててご橋」、バーブ自身がシナ・トラオ名義で作曲した「青いゴムゾーリ」など。



ええ、ホントにこのお方の影響で、この「男性歌手が女心を歌う」が歌謡界で大流行しました。
例えば
離婚や◎形疑惑など、何かと話題の、コロッケのモノマネ十八番の方♪みぃぃぃ~~~~なとォォォ~~~



ハンドアクションで一世を風靡し、今や「紅白最多トリ男」のこの方
♪あ~~~あきらめたァ



♪あなた あなた あなた あ~~~~~なた
イってしまった女心を唄った、伝説の一発屋・矢吹健
完全に「帽子」です

…などなど。
この3人はバーブさん無しでは存在しない訳です、考え方しだいでは。
そう考えると、このバーブ佐竹という歌手はもっとよい評価を与えるべきではないでしょうか。
冗談抜きに、バーブさんはホントにエエ声をしています。
フランク永井、三船浩、神戸一郎あたりの低音にも勝る低音ボイス。
聴いておいて、損は無い声です。
「声が低くて…」とお嘆きの貴方、フランク永井もイイですが、バーブさんもいかがでしょうか?
何曲かおススメを紹介しておきます。


銀座は恋の十字路
作詞:矢野亮 作曲:吉田矢健治
バーブが南かおると歌った銀座歌謡の隠れ気味な名曲。
ところでカラオケでのデュエット曲と言えば、「銀座の恋の物語」「北空港」「ふたりの大阪」「別れても好きな人」「東京ナイトクラブ」あたりが最近の人気曲。
ええ、もちろんそれも結構。ですが、たまには銀恋から離れて、こちらをどうぞ。
ビシッと低音で決めて御覧なさい、この曲知らないネエチャンも拍手モノですぜ(巧くいけばです)。
バーブ佐竹になりきって、自分の美声に酔いしれるのにも、もってこい。
一人ででも二人ででも、イケます。


ててご橋
作詞:小池一雄 作曲:渡辺岳夫
萬屋錦之助主演の人気時代劇「子連れ狼」第1、第2シリーズの主題歌。
♪ててごと ははごと ごとごとと 一石橋で待てばよい
このフレーズはわりと有名で、橋幸夫「子連れ狼」(第3シリーズ主題歌)より、コッチを推す人がかなりいたりする。
バーブ佐竹の声が冥府魔道を行く者のドラマを一層盛り上げる。
一度は聴いて、ドラマを思い出しながら、しみじみとするのも悪くない。


星が云ったよ
作詞:長沢ロー 作曲:シナ・トラオ
バーブ佐竹版「君といつまでも」(笑)
何と間奏で、加山雄三ばりのクサイ台詞まで披露する。
フランケンシュタイン
「どうしたんだい? 淋しそうな顔をして
淋しかったら星を見るんだよ
ホラ 決して一人じゃないだろう?」

…この曲を聴く際には、このバーブ佐竹の顔は忘れましょう。
忘れないと吹き出す危険性も(笑)



…と紹介をしたところで、この項はこれにて終了しますm(_ _)m


我が愛しの芸者歌手たち・美ち奴

2006-06-29 12:24:30 | 我が愛しの芸者歌手たち

「我が愛しの芸者歌手たち」、第2弾は「美ち奴」を取り上げます。
最初は勝太郎にするつもりだったんですが、気が変わりました(笑)

まあ、まずは美ち奴のプロフィールを…


美ち奴(1918~1996)
北海道は北端・稚内郊外で生を受ける。本名;久保ソメ、のち赫子と改名。
幼少時から唄を好み、その美声は地元では評判であった。
それが昂じて上京し、やがて昭和9年浅草の芸者屋「染美ちの家」から、芸者「美ち奴」としてお披露目。なお「染美ちの家」は親類が経営していた置屋。
その類稀なる美声はやがて評判を呼び、ニットーレコードから吹き込みの誘いが来、レコードデビュー、同じ昭和9年のことである。
このニットー専属時代は当時そこの専属であった服部良一作曲の「さくらおけさ」「あゝ満州」をヒットさせている。
この美ち奴との縁が、やがて服部の結婚の糸口に繋がった。
やがて、美ち奴の声に目をつけた、当時の新興レコード会社テイチクが移籍の話を持ち込み、契約する。
昭和10年、「ほんに貴方は罪な方」でテイチクデビューする。
翌11年、後々までの名コンビ・杉狂児「細君三日天下」もヒット。
その年の11月に発売された「あゝそれなのに」「うちの女房にゃ髭がある(杉とのデュエット)」が爆発的大ヒットを飛ばし、美ち奴は一躍時代のトップスターへと躍り出る。
その後も、レコーディングの際に作曲者・古賀政男が号泣したという「軍国の母」、中国大陸を舞台にした「霧の四馬路」「身代わり警備」…と戦時歌謡のヒットを連発。
昭和14年11月には浪曲歌謡「吉良の仁吉」を発売。これが又大ヒットし、同じ路線の「娘浪曲師(台詞は当時の人気女優:山路ふみ子)」「街道石松ぶし」「仁吉男の唄」などもヒットさせている。
戦中も人気は絶大で、昭和18年には台湾民謡「シャンランぶし(ツーレロ節)」をヒットさせている。これは戦後、小林旭やザ・ドリフターズによってリメイクされている。
戦争末期~戦後は女剣戟の中野弘子とコンビを組み、巡業。
昭和25年には各社競作ながら「炭坑節」をヒットさせ、健在ぶりを見せる。
が、ここまでは表向きは順風満帆だった(実際はせっかく北海道から引き取った両親を空襲で失ったりしている)美ち奴にここから暗雲が立ち込める。
テイチクの新人歌手・真木不二夫と恋仲になり、泥沼の末破局。
このことが原因となり、自律神経失調症を患う。
その後は病気の問題もあり、表舞台をいったり来たりを繰り返す。
昭和40年代前半からの懐メロブームには顔を出し、その美声を披露していた。
しかし、病気が進行していくうち、舞台に立っても震えが止まらずそれも叶わなくなる。その状況を見かねた中野弘子が尽力し、昭和58年、特養老人ホーム「むつみ園」に入所。のちに中野弘子も入所する。
「美ち奴」としての誇りは最期まで失うことは無く、テレビ等の取材が来た時は本名の久保ソメではなく「美ち奴」として接していた。
「むつみ園」でも、ホーム内の演芸会では、その美声を披露することもあった。
平成8年5月29日、大腸ガンのため死去。
中年以降のベストパートナー:中野弘子も後を追うように49日が過ぎた後に死去。
なお、美ち奴の弟のひとりは、ビートたけしの師匠で、浅草フランス座の芸人・深見千三郎である。


美ち奴の声とは一体どういう声なのか。
一度聴いたら絶対忘れられない、金属のような声です。
他に類を見ない声で、まあ、あえていうとするならば日吉ミミの声をもっと高くしたような声です。
こればっかりは聴いてみるしかありません。
テイチクから、オムニバスで戦前歌謡のCDが2500円ほどで出ていますし、6曲980円でベスト盤も出てます。
曲数は多く聴くことが出来ないのは残念至極ですが、必ず聴くことはできます。
ご興味のある方は、まめにテイチクから出ているオムニバスCDを探しに図書館なり、TSUTAYAに行くなり、CDショップでCDを購入して下さいませ。
本当はテイチクでチャンとした全曲集を作るべきなんですが…。
小野巡、楠木繁夫、杉狂児、鈴木三重子、塩まさる、東海林太郎、藤山一郎、田端義夫(これは本人がYESと言いたがらないという話…)、菅原都々子、白根一男などなど、検討すべき歌手は一杯いるはずなんですけども…。
今のところ、ディック・ミネと菊池章子くらいしかオリジナル音源での全曲集は無いようです、購入可能なのは。
美ち奴は鈴木三重子とセットで大昔CDが出てますし、小野巡、楠木繁夫、杉狂児あたりより状況は比較的マシな方ではありますが、戦前~戦中テイチクの稼ぎ頭だったものに対する扱いでは到底ありません。
ぜひともネットでのダウンロードの形でも構わないので、音源を吐き出してください。

まあそんなわけで美ち奴の手持ち音源も聴いたことがある音源も決して多い訳ではありませんが、その中から多少、名曲を紹介&解説&感想を…。


1.うちの女房にゃ髭がある(デュエット:杉狂児)
作詞:星野貞志 作曲:古賀政男

♪パピプペ パピプペ パピプペポー うちの女房にゃ髭がある~
今もってこのフレーズは有名。
某ラジオ番組では水野晴男(映画評論家)のテーマとして親しまれているらしいです。
昭和11年の唄ながら、その詩は現代に通じます。恐妻家はいつの世も多いのです。
まして、男が弱くなり(実際昔の男性よりも精子の数も減少)、女が強くなったこの時代。この唄は今こそ再び脚光を浴びるべき唄なのかも。
実際この唄を歌っているのは、殆ど杉狂児です、美ち奴は「何です、あなた」と台詞を言うだけです。しかし、この美ち奴の据わった声が恐ろしい(笑)
そして、続く杉狂児の♪いーや 別に 僕は その… という部分の可笑しさ。
このやり取りこそ、この唄のミソでして、特に杉狂児の部分をいかにビクついてやるかが、この唄を歌って喝采を受けるかの大きなポイントなのであります。
忘年会・飲み会・自嘲ソングとしても、最高なこの曲。ぜひとも御一聴のほどを。
ちなみに、作詞の星野貞志は詩人・サトウハチロー。書いた歌詞が自分であると知られるのが恥ずかしいとのことで別名で表記されてます。

2.あゝそれなのに
作詞:星野貞志 作曲:古賀政男

古賀政男がチンドン屋の行列をみて、いきなりサビの部分がひらめき、モノの10分程度で完成したという噂がある曲。
「うちの女房にゃ髭がある」の片面がこの曲。同面同時大ヒットというのは歌謡界にはあまり例がありません(時差ヒットはあります)。
せいぜい三波春夫の「チャンチキおけさ/船方さんよ」くらいではないでしょうか。
(植木等「ハイそれまでョ/無責任一代男」「ドント節/五万節」なんてのもありますが)
こちらの「あゝそれなのに」という言葉は当時の流行語にもなりました。
やっぱり忘年会・飲み会ソングに最適な唄です、こちらは男女どちらでもOK。
それにしても、この歌詞は意味深といえば意味深。
おそらくこの旦那がした行動のは
1番=浮気(しかも白昼!?)
2番=浮気(しかも白昼!?)
3番=呑んで午前様で帰宅 or 愛人宅へ宿泊
4番=呑んで午前様で帰宅 or 愛人宅へ宿泊
じゃないかと私は考えていますが、貴方はどう思います?
どちらにしても、女がいくら思っていても男はその気持ちに気づかない行動をとることは古今変わらないようです(逆もまたしかり)。

3.満州ぶし
作詞:佐藤惣之助 作曲:古賀政男

当時日本政府が力を入れていた満蒙開拓キャンペーンの宣伝歌のような曲。
この民謡チックな、音丸あたりが歌いそうな、のどかな歌を聴くと、「満州は素晴らしいところみたい、俺も行って一旗あげよう」と思わずにいられません。
ですが、その後の悲劇を思うと…何とも罪作りな1曲です。
まさしく「歌は世につれ」の典型と言えますね。

4.パイロット小唄
作詞:岩間真三郎 作曲:陸奥明

昭和16年12月発売。
第2次大戦勃発当時の花形職業・飛行機乗り(パイロット)をテーマにした軽快なマーチアレンジの一作。
作曲の陸奥明は菅原都々子の父で、代表曲に「お座敷小唄」があります。
曲の出だしを聴く限り、そのまま♪朝だ~夜明けだ~ などという男声合唱団の声が聴こえて来そうですが、実際は美ち奴のあのミョーな歌声。ある意味、当時の体制を皮肉った当時のレコード会社の抵抗とも取れなくもありません。
歌詞も「シート」「エアポート」「ルートマップ」「エアメール」「グラウンドマーク」…外来語のオンパレード(一応「航空港」など、しっかりと表記は漢字表記にはなっていますが)。
…昔も今も、お役所は書類しか見ていないようです。検閲も抜け道はあったのです。
ちなみに後年の再録音は、小唄のアレンジになっています。

5.あのネ軍使
作詞:島田磐也 作曲:鈴木哲夫

美ち奴の幻の名曲にして、大珍曲。
歌詞は…というと風船に乗って、軍使が敵の支那軍のもとに降りて来て、降参を呼びかけるというもの。勿論、これは表向きの説明。
実際の歌詞は、どう考えても支那側を徹底的におちょくってる(笑)。
その上軍使が、当時の人気喜劇俳優・高勢実乗(爆笑)。
この人のギャグ(というか微妙な線であるが)「アノネーオッサン」を美ち奴が台詞で使っているというトンでもないワルノリぶり。
まさしく怪作中の怪作。時代背景もふんだんに感じ取れる貴重な一作。
ちなみに高勢実乗(1897~1947)という「オッサン」はこういう顔をしてます。アノネーオッサン、ワシャカナワンョ

6.シャンラン節(ツーレロ節)
作詞:村松秀一 台湾民謡

小林旭もドリフも歌った、この歌の元祖はコミソン女王(笑)・美ち奴姐さん。
軽快なメロディーに乗せ、美ち奴の声も絶好調。
ところで台湾の方では嫁入りの際にはドリアンを食べる習慣があるのでしょうか。
時代よりも土地柄が強く出ている曲。

7.吉良の仁吉
作詞:萩原四朗 作曲:山下五朗

美ち奴三大ヒット曲(ああそれなのに、うちの女房にゃ~、吉良の~)のうちの1曲。
これ、メロディーは当時人気の浪曲師:広澤虎造の節回しがもと
いわゆる「虎造くずし」というものです。
本家を知っておきますと、より一層楽しめるかと思います。
後年の再録音は歌いこまれて、歯切れのよい歌唱となっていて、こちらもおススメ。



…といったところで、この記事は終えさせていただきます。
最後に、皆さんも気になる(?)美ち奴さんの画像を紹介しましょう。

♪うち~の女房にゃ~髭がある~


我が愛しの芸者歌手たち・市丸

2006-06-27 02:40:10 | 我が愛しの芸者歌手たち

私がこよなく愛する歌手の一人に市丸姐さんがいます。
市丸姐さんのプロフィールは…

市丸(1906~97)
長野生まれ。19歳のときに上京。
昭和6年「花嫁東京」で歌謡界デビュー、同年「茶切節」がヒット。
昭和8年には長野県民謡「伊那節」(これも後に吹き込みヒット)を基にした「天龍下れば」が大ヒット。
同じ所属会社(ビクター)の小唄勝太郎ともども「市勝時代」を築く。
その小唄勝太郎とは犬猿の仲で知られた。
戦後は、それまでの日本調を生かしつつも、流行を取り入れた「三味線ブギウギ」
を大ヒットに導く。
この歌に中山晋平は「市丸にこんな歌を歌わせるなんて」と激怒したという。
が、本人は服部良一のもとに自ら曲の依頼をし、西川鯉三郎に振り付けを依頼するなどヤル気満々だった。
昭和30年代あたりからは小唄・端唄といった方面に重点を置くようになる。
昭和35年には、中村勘三郎の許しを得、江戸小歌(←小唄)中村派を数百年ぶりに復活させ、家元となる。
懐メロ番組にも「三味線ブギウギ」「天竜下れば」などを披露に度々出演。
また、邦楽番組にも、小唄・端唄・長唄・清元…と芸の幅が広いこともあり、欠かせない存在としてちょくちょく出演していた。
これは晩年まで続く。
ちなみにテレビ出演の際は、着物の色にも気を配り、カメラ目線もしっかりしていた。
生涯ビクター専属であったこともあり、ビクターでは生き字引的存在であった。
後輩の面倒はよかったらしい。あの中尾ミエが「市丸姐さんは怖かった」と証言。
平成9年1月の卒寿パーティーでも艶やかな姿を見せていたが、その直後に入院。
2月17日に他界、90歳。生涯独り身を貫いた。

というのが市丸姐さんのプロフィールです。
とにかく美人でした、この姐さん。近寄りがたい美人
いくら美人でも年取ったらそうはいかん…と思うでしょう?
いえいえ、それがそうじゃないんです。
私、昭和45年の市丸姐さん、つまり64歳のときの映像を持っているんですけど、どう見ても60過ぎの婆さんには見えません。全然ババアらしくないんですよ。
声も、これがまた粋なお声で素晴らしい。
♪ハア ちょいと ブギウギ~ とカメラ目線
明治生まれがカメラ目線ですぜ! 
今の60代じゃないんです、平均寿命は60代後半の時代ですよ。
いやはや、大したものでしたm(_ _)m

その後、平成に入ってからの、日本髪の鬘をつけていない姐さん(85歳)の映像も見ましたが、年齢よりは若く見えました。
(残念ながら私が見たことのある市丸の映像は3種類だけです…)

ここまでイロイロ言ってる私ですが、残念ながら市丸姐さんの音源は手持ちがあまり
ありません(汗)。
ビクターからは今現在、流行歌だけを集めたCDは出ておりません。
小唄とか端唄・長唄とかのCDは結構出ているんですけども…私、そのあたりは興味
がありませんので(^ ^;Δ

とりあえず、数少ない持っている音源の一部の解説&感想を…。

1.天竜下れば
作詞:長田幹彦 作曲:中山晋平
昭和8年、市丸姐さんがラジオに舞台に歌いまくり、執念でヒットさせた作品。所謂、新民謡というものである。今でも長野では親しまれている、市丸姐さんの戦前最大のヒット曲。とにかく粋な歌い方で、たまりません。

2.茶切節
作詞:北原白秋 作曲:町田佳声
もとは昭和2年、静岡鉄道が製作した宣伝ソング。
それを昭和6年、市丸が吹き込み、ヒットさせた。
「ちゃっきり娘」というトリオ漫才もあったほど、有名な静岡県民謡。
これも新民謡である。
♪唄はちゃっきり節 男は次郎長
これを知らない日本人はいないと言われましたが、今はどうでしょうか?
姐さんの声がまだ若い、未熟というか、少し声を無駄に張り上げてる感も…。

3.流線ぶし
作詞:西條八十 作曲:細田義勝
昭和10年の作品。
世の中何でも流線だ、ということを西條八十は教えてくれます。
市丸はいつも通り淡々と、粋さをにじませながら歌います。

4.三味線ワルツ
作詞:佐伯孝夫(?) 作曲:清水保雄
昭和27~28年頃の作品。
「ゲイシャ・ワルツ」に触発されたかと。
なかなか面白い作品だと思います。

5.三味線ブギウギ
作詞:佐伯孝夫 作曲:服部良一
昭和24年のヒット曲で、市丸最大のヒット曲。
この唄への意気込みは先述した通り。
この曲は一連の芸者歌手にはおそらく歌えないでしょう。
市丸だからこそ、歌いこなせたと思います。
私、この曲一曲で市丸を敬愛するようになりました。
そのぐらい、斬新な名曲。


こう熱く市丸姐さんについて、書き連ねましたが、あんまり音源持ってない上、好きじゃない唄も多いんですよねえ、市丸姐さん。
市丸姐さんの、戦前流行歌とは相性が良くないんでしょうね。
でも、大好きなんですよ。
「三味線マンボ」という唄を一度だけ聴いたことがあるんですけど、すごく良かった。
戦後の唄をもっと聴きたいですね、姐さんは。
我が故郷にも、市丸姐さんが歌う「函館五稜郭音頭」というご当地ソングがあります。
これは自慢ですね(^▽^)

ちなみに、これが市丸姐さんです。
♪ハ チョイとブギウギ~

本当はもっと別嬪なんですよ(^.^)
私、この姐さんのライバル・小唄勝太郎も大好きな歌手です。
機会があれば、勝太郎編もいずれ…。


LP「松島詩子・歌声は永遠に」(SKD-297・キング)

2006-06-26 19:30:32 | 昭和の名歌手たち

前々からオリジナル音源を聴きたかった歌手の一人に松島詩子がいます。

先に言っておきますが
ミネラル麦茶のCMは「松島トモ子」です。
ライオン&ヒョウに咬まれたのも「松島トモ子」です。
小堺一機の「いただきます」に出ていたのが「松島詩子」です。
お間違えの無いように。

2006年6月現在、長年所属していたキングレコードからは、残念なことにオリジナル音源の全曲集のCDは発売されていません。
ステレオ再録音の音源も、これはこれで決して悪くはありません。
長年唄いこまれ、さらに豪華なオケ&アレンジ、円熟しきった歌唱力…。
でも、オリジナルで聴きたかった。
歌が醸し出してる時代の空気を感じながら、歌を聴きたかったから…。
松島の唄い方の変遷も知りたかったし。

ゆえにこのLPを見たとき、喜んで購入。
ところが、LPのどこを見ても「何年発表」かはわからない…。
こういうときにネットは便利…のはずが、昭和は遠くなりにけり。
さっぱりわからなかった…(汗)。
でも、音を聴けば大体の時代は見当つきます。
ということでここからは私の解説&感想を。


A面
1.マロニエの木陰
作詞:坂口淳 作曲:細川潤一
昭和12年発売。
昭和28年第3回紅白で歌唱。
和製タンゴの傑作であり、昭和歌謡史に燦然と輝くエヴァーグリーン曲。
この一曲で松島詩子は後世に残る歌い手となる。
しかし、ここに収められている音源は当時のものではない。
昭和28年~30年代中頃に新たに吹き込まれた音源だ。
完全に歌唱法を確立した頃で、ステレオの音源と違い、衰えはまったく感じない。
まさしく円熟の歌声、昭和モダンを存分に味わえる。
(オリジナルの音源はキングから出ているオムニバス盤で聞くことは可)

2.私のアルベール
作詞:矢野亮 作曲:中野忠晴
昭和29年発売。
和製シャンソンの傑作であり、この手の分野は松島詩子の独壇場であろう。
このあたりで松島の歌唱法が完全に確立する。
松島詩子の大きな転機の曲じゃないだろうか。

3.スペインの恋唄
作詞:矢野亮 作曲:吉田矢健治
昭和29年発売。
同年の第5回紅白でも歌唱。
「カルメン」を題材にした、フラメンコ調の曲。
口ずさむには難しい歌だがヒット。これも松島しか歌えない歌だろう。
これはステレオ版だとさらに派手なアレンジに。
歌が終わると同時に松島が倒れるのでは、と思うほどハイテンポ。

4.さよならも云わないで
作詞:東條寿三郎 作曲:吉田矢健治
昭和26年発売。
淡谷のり子のビクター移籍第一弾「泣き濡れしシャンソン」を聴き、淡谷の地声とファルセットの対照をあまりに聴かせた唄いっぷりに衝撃を受けた松島が、音程を4度下げてレコーディングしたもの。
試行錯誤中ということもあるのか正直、唄い方がまだ甘いかなと思う。
この歌は松島の大きな転機の曲だろう。

5.セーヌは知っている
作詞:矢野亮 作曲:中野忠晴
昭和29年発売。
松島自身による台詞入り和製シャンソン。
曲に台詞を挿む形は松島の十八番になっていく。
中野忠晴の作曲センスが光る佳作。

6.夜のヴァイオリン
作詞:若杉雄三郎 作曲:渡久地政信
昭和31年発売(自信なし)。
同年の第7回紅白でも歌唱。
実に美しいメロディー。渡久地政信はこの曲を生み出したあたりでビクターへ移籍してしまう。もしキングに残っていたら、松島の名曲も、もっと増えたと思われる。
ただ、最後の♪ヴァイオ~リ~~ンの部分は詩がうまく合っていない気がする。
そしてこの部分が一番難しい。
こういう難曲もしっかりと唄いこなす松島は流石としか言い様がない。

7.上海の踊り子
作詞:時雨音羽 作曲:細川潤一
昭和15年発売。
まさに「歌は世につれ」を体現した曲。
この年、上海と名のつくヒット曲は多い。
どう考えても「上海の花売娘」(岡晴夫)の2匹目のドジョウを狙ってる…。
ドジョウはいたらしく、「岡=花売娘、松島=踊り子」で行こうとキングではなったらしい(?)。姉妹曲に「広東の踊り子」がある。
この曲、おそらくオカッパルが歌ってもヒットした気がする・・・。
「上海の花売娘」を松島が大層気に入っていた(26年の第一回紅白でもその関係で歌唱)らしいから、案外松島が細川に「私もああいう曲歌いたい」と頼んで書いてもらったのかも知れない。

B面
1.喫茶店の片隅で
作詞:矢野亮 作曲:中野忠晴
昭和30年発売。
昭和33・35年の9・11回紅白でも歌唱。
松島詩子、戦後最大のヒット曲。「マロニエの木陰」に続く昭和歌謡史に燦然と輝くエヴァーグリーン曲。
この曲は爆発的にヒットした訳ではないらしく、徐々に徐々に浸透していった曲らしい。
私に、松島詩子を聴いてみようという気にさせた歌でもある。

2.マロニエの並木路
作詞:矢野亮 作曲:中野忠晴
昭和28年発売。
歌唱法がほぼ後年のモノに近づいている。
正直、大したモノではない歌である。
(追記)
ワルツ(?)調の曲であり、「マロニエの木陰」とは姉妹編のようで、まったくの別物。
曲が生まれた時期もまったく違う。ヒットのためか、タイトルだけ借りたのだろう。
「~木陰」よりも親しみやすく、「大したモノではない」と書いたが、あなどってはいけない作品である。


3.ガーデンブリッジの月
作詞:佐藤惣之助 作曲:田村しげる
昭和13年発表。
ガーデンブリッジという題名からわかるが、歌の舞台は上海である。
なかなかの佳曲であり、なぜ現行の全曲集に収録されていなのか分からない。

4.枯葉よ語ろう
作詞:矢野亮 作曲:吉田矢健治
昭和28年~30年代中頃、発売。
松島十八番の和製シャンソンの佳作。
吉田矢健治という作曲はなかなかあなどれない。

5.花の溜息
作詞:服部鋭夫 作曲:林伊佐緒
昭和27~28年頃発売。
和製タンゴの隠れた名曲。
タンゴは松島の得意分野。
ゆえ文句なしの歌唱。
ただ、♪しろ~い くちな~しのは~な~ の部分を聴くと、どうしても渡哲也の「くちなしの花」を思い浮かべてしまう(苦笑)。

6.波止場への道
作詞:矢野亮 作曲:中野忠晴
昭和31年発売。
歌謡界のマドロスブームに松島も挑んだ曲。
サビが「羽田発7時20分」(フランク永井)に似ている。
ちなみに「羽田発7時20分」は32年発売。
吉田正には「潮来笠」での流用話もあり、多分これもそれかと。

7.去りゆきしあの日
作詞:矢野亮 作曲:吉田矢健治
昭和29年発売。
台詞の量が多い。
おそらく「セーヌは知っている」での台詞が好評だったのを受けてだと思われる。
詩は「マロニエの並木」「さよならも云わないで」…等、何となく当時の松島詩子の集大成と思える。


以上、ネットであちこち発売年を検索しながらの解説&感想です。
本当は松島の自伝「わが心の星・歌-マロニエの道六十年-」が手元にあれば、もっと正確な情報がわかるのでしょうけれども…。

松島詩子の歌い方は、クラシック→シャンソンと今は絶滅してしまったモノです。
どちかかといえばハイソな匂いも。正直、今受けいけられるかはわからない。
・・・と思ったんですが、最近はクラシック畑の方が昭和の流行歌を積極的に歌うことが多い。結構需要は多いようで、案外この方も密かに人気があるのかも知れない。


布施明・コロムビア時代

2006-06-24 13:25:02 | 80年代・歌謡曲
以前書いた
布施明ベストコレクション20(COCP-33378)

にさらに追加して、幻の布施明・コロムビア時代のシングル感想を。
先日コロムビア時代のシングルB面3曲を聴くことができましたので…。
一応年代順です。

涙に理由はいらない
85年「姉妹坂」B面
作詞・作曲:布施明 編曲:天野正道

バラード。間奏に英語の台詞あり。
出来はまあまあ。B面になるべくしてなった感あり。

君は山手の風
87年「別れに赤い薔薇」B面
’87 大丸イメージソング
作詞・作曲:布施明 編曲:天野正道

なぜこっちをA面にしなかった?
カレッジフォーク調の曲。隠れた名曲「陽ざしの中で」を彷彿とさせる。
of your loveという言葉、布施明の口癖か好きな言葉なのだろうか?
フィリップス時代の歌の中にもof your loveが歌詞に出てるものがあったはず。

sorry -A LETTER FROM A-
87年「さよならの理由-Still you're the one for me-」B面
作詞・作曲:布施明 編曲:船山基紀

…これ実話かい、布施さん(汗)?
歌詞があまりに生々しいですね。
曲自体はまあまあ、65点でしょうか。


何で「君は山手の風」をA面にしなかったのかなあ。
惜しいです。大丸のイメージソングだし、チャートインくらいはできたでしょうに。
完全に戦略ミスです。ナベプロならこんなことはなかったでしょうね、きっと。
この曲、コンサートで歌うなら喜んで見に行きますよ、私。
関係者、御覧でしたら御一考を。


「Still Crazy For You」

2006-06-23 07:07:30 | 最近の歌

ナベプロ(渡辺プロダクション)50周年テーマソングであり、またクレイジーキャッツ50周年記念曲。

最初にこの話聞いたとき、ビックリしました。
第一、クレイジーキャッツのメンバーはハナ肇・安田伸・石橋エータロー(OB)が既に他界してますし、残ったメンバーも70代(植木・谷・犬塚)以上。櫻井センリは80です。
もうとっくにあきらめてました。と言いますか、ファンになった7年前から考えてません。
まさか、リアルタイムで、クレイジーキャッツの新曲が聴ける体験ができるなんて…。
もう曲の出来以前にそれだけで、渡辺美佐と松任谷由美に御礼申し上げたいです。

この「Still Crazy For You」、私の予想をはるかに上回る出来でした。
ボーカルが谷啓(と松任谷由美)。これで、私良かったと思います。
植木さんが歌っていたら、やっぱり往年の歌声を期待しちゃいますしね…。
(そもそも植木さんは病気で、もう歌えないそうですから、これしか選択肢無いんですけどもね。櫻井・犬塚でも悪くは無いですけど…)
まず演奏(ベース:犬塚、ピアノ:櫻井)にメンバーを参加させる、これ考え付きませんでした。てっきりコーラスだろうと。クレイジーキャッツが本来優れたジャズバンドである歴史をしっかり踏まえてます。
植木さんは台詞で参加。もちろんアノ台詞であります。

これだけで終わり…そうじゃありませんでした。
なんと亡くなったメンバーも参加しているのですよ、この曲。
当時のメンバーが演奏した音源を使ってサンプリングしたそうです。
(ハナ=ドラム、ピアノ=石橋、サックス=安田)
さらに、ナベプロ総帥の故・渡辺晋(ベース)まで!
初回盤のジャケも最新鋭の技術で、「全国縦断・追っかけのブルース」ジャケをベースに合成ときてます。

詩もナベプロ50周年の歴史&クレイジーキャッツへのオマージュに溢れてます。
曲も良い、ユーミン健在です。
どこを取っても、関係者のクレイジーへの愛が詰まってます。
下手に大滝詠一に関わらせなくて良かったです(笑)。

クレイジー=コミックソング、だから…と
作詞:青島幸男、作曲:宮川泰、プロデュース:大滝詠一
で、やってしまう選択もあったと思います。
ですけど、それをしなかった。
「実年行進曲/新五万節」での失敗をキッチリ踏まえたんでしょう。
もし作ったところで、それは往年のクレイジーソングとは違いますし、下手をすれば栄光の歴史に泥を塗りかねない。その時代にノッてないコミソンは駄作でしかありません、時代を超える普遍性すら出ません。
それに植木等の歌声では無い、無責任ソングをこしらえられても、それは別物。
それこそ「お呼びでない」なのです。

「新曲なんて無理、晩節を汚すだけ」
これは「実年行進曲/新五万節」でしっかり証明されました。所ジョージが言ってました「あんなモン、ファンなら誰でも出来る」。
確かにそうなのです。
曲は「大冒険マーチ」をベースにアレコレ切り貼り、ジャケットは「スーダラ節/こりゃシャクだった」のそれを再現。「新五万節」はダラダラと長い曲間にクレイジーのギャグとヒットソングのアレンジをつめこむ。
アマチュアのクレイジーファンなら誰でも考えがつきそうなことばっかりなのです。
こういうことはテレビの特別企画なら歓迎されますけど、新曲の次元ではない。
オマージュという言葉はこの場合は当てはまりません。
どちらかといえば厚顔無恥という言葉がしっくりきます。
こんな出来ですから、大滝詠一へ、所ジョージからは「地獄に落ちろ」「輪廻で生まれ変わったら草になれ」と言った言葉を贈られています。
(その後、大滝はこの経験を生かし、植木と「針切りじいさんのロケン・ロール」をつくり、ある程度は名誉挽回していることを付け加えておきます)

そんな最悪のラストシングルから二十余年。
ホント感無量です。クレイジー50年を飾るラストナンバー…。
ファンも、まったく興味が無い一般の方でも聴ける、良い歌がここにあります。


楽しさが詰まってます GOSPE★RATS

2006-06-22 23:59:51 | 最近の歌

当ブログでは初めて取り上げる、「今年の」CDです(笑)
何だか古い音楽ばかり聴いてて、「今の歌は…」と文句を言っていそうな私、函館のシトですが、そんなことはありません。

本来、鈴木雅之がメジャーデビュー25周年記念の一環で、ラッツ&スター再活動の話を進めていたそうです。
ところが、田代まさしメンバーの不祥事ですべてパーになってしまいました(涙)
「田代無しのラッツはラッツじゃない」とマーチンは思っているんでしょうね。
その代わりに…と、テレビの企画でやった「ゴスペラッツ」(ゴスペラーズ:酒井・村上、ラッツ:鈴木、桑野、佐藤)を期間限定ながら本格的に活動してみよう…となったようです。

「代わり」とか言ってますが、これ気合が入ってます。手抜きなんざ、まったくしていません。「ラッツ出来ない代わりだろ、なんて言わせない」と声が聞こえてきます
ラッツ時代以降は封印してきた黒塗りも披露しているあたりでもわかりますけど・・・。
古いのに新しい、温故知新…私の理想に合った素晴らしいモノです。
期間限定と言わず、今後も定期的に活動して欲しいです。

それではアルバム「GOSPE★RATS」の曲解説(感想)を。

1.ハリケーン
作詞:湯川れい子 作曲:井上大輔 編曲:清水信之

ラッツ&スター(これ歌ってときはシャネルズ)のヒット曲のカバー。
もともとのメロディーが良いのは言うまでもないんですけど、アレンジが良いんです。オリジナルの良いところはそのままにゴージャスアレンジしてて。
小林克也のナレーションもGOOD!
聴いていて、楽しくなる・踊り出したくなる・歌いたくなる。

2.まさか赤坂Show Time
作詞:湯川れい子 作曲:井上大輔 編曲:井上鑑

故・井上大輔の未発表曲。
「ゴスペラッツ」の存在を手っ取り早くわからせる曲。
ホント、「ゴスペラッツのために曲を書いてくれていたんじゃないか」、なんて思ってしまいました。ラッツ&スターの楽曲とはちょっと違う気がします。
シングルとして出すなら、この曲ですね。

3.リンダ
作詞・作曲:竹内まりや 編曲:松本晃彦

アン・ルイスのカバー。
鈴木雅之が全編ボーカル&台詞を担当(台詞の部分のボーカルは酒井)。
このあたり、ラッツ>ゴス、ですね(笑)
マーチン、やや声が細くなったようですが、まだまだイケてます。
コーラスが素晴らしい効果を上げてます。

4.Interrude~クイズ♪バーボボバー♪物語~
メンバーによるイントロクイズです(笑)
完全にお遊びです。
シャネルズ「月の渚」が少しだけ聴けます。
どうせなら全編吹き込んで・・・

5.星空のサーカス~ナイアガラへ愛を込めて編~
作詞:松本隆、伊藤アキラ(スパイス・ソング) 作曲:大滝詠一 編曲:井上鑑
ラッツの楽曲カバー&ボツ曲を復活させたもの。
曲の最後の溜息は大滝詠一と思われます。
「スパイス・ソング」の部分のボーカルは酒井が担当。あとは鈴木。
ミスターベースマン・佐藤善雄、大活躍。この曲のメインボーカルはある意味では佐藤さんであります。佐藤ファン必聴!
この曲は完全に遊んでます、でもそれが楽しい。

6.Valentine Kiss~永遠の誓い~
作詞:湯川れい子 作曲:井上大輔 編曲:村松邦男

井上大輔の未発表曲です。
ボーカルは酒井と桑野が担当。
これはラッツ時代のアルバムでもちゃんとありました。
桑マン、トランペットだけではなく、歌の才能もお持ちなようです。
「夢見る16歳」で聴かせた美声を惜しげもなく披露。
ここに1曲、隠れた名曲が誕生しました。
歌のアルバムには必ずある、アルバムならでは…の名曲。
曲の最後の、メンバーによる「ハッピーバレンタイン」という台詞も素敵。
やっぱりここでも美味しいのは佐藤善雄でした。

7.時間飛行
作詞:東海林良 作曲:井上大輔 編曲:井上鑑

これも井上大輔の未発表曲。
曲はどう考えてもラッツ&スターじゃありません。
ゴスペラーズが歌ってもハマりそうなバラード。
新曲扱いになっている3曲の中で、なぜこの曲だけ作詞が東海林良?

…これはあくまで妄想なんですが、井上大輔が亡くなったときに布施明が「新曲を頼んであって、近いうち曲が届く予定だった」みたいなことを話していたんですよね。案外これがその幻の新曲なのかも知れません。
少なくともこれはラッツのお蔵入り曲ではないと思うんですが…。

ボーカルは鈴木・村上。リーダー同士によるぶつかり合い。
鈴木の圧勝か、と思いそうですが村上も負けてません。
間奏部の桑マンによるトランペットも絶妙。
シングルならこれがカップリングですね。

8.Skit~だからゴスペラッツ~
9.The Voice

作詞・作曲:Fred Parris
あちらのドゥーワップのカバー(多分)。
最後のオチにニンマリ。
最後まで遊び心は健在でした。


一気に全部聴いても飽きないようにしっかり考えられてますね。
おふざけとまじめ、このあたりのバランスが絶妙。
これは大人の娯楽です(子供でも結構楽しめるとは思いますけど)。
「故 井上大輔に捧げる」というクレジットに恥じぬ出来です。
井上大輔の曲無しではこのアルバムは語れませんしね。
ただクレジットを出しただけではないのは嬉しい。

これを気に、ラッツ&スター(シャネルズ)のシングル集やアルバム復刻がなされると私は嬉しいんですけど、それには最低、田代メンバーの仮出所~刑期明けまで待たないと期待できそうにないですかね、やっぱり。


衝撃の一枚 Ballade Selection -明日に-

2006-06-11 02:52:45 | 90年代・歌謡曲

一度、このブログでも軽く触れたCD、Ballade Selection-明日に-(前川清)。
Ballade Selection-明日に-
先日、やっと手に入りました。

…どう言えばいいんでしょうか。
私にはうまく解説できる自信がありません( ̄□ ̄|||!
グリコのマークです、降参です(_ _,)/~~

ここで曲目御覧下さい。
徳永英明、GLAY、欧陽菲菲、中西保志、サザンオールスターズ、長渕剛。
…菲菲以外は前川清とはまったく無縁の世界の歌手。
(サザンも実は関連性十分ですが、それは追々…)
その歌い手の持ち歌、それを前川節で表現すると…!?

ではワタクシなりの解説・感想・報告を…
1.明日に(オリジナル:前川清)
作詞・作曲:梶原茂人 編曲:松永直樹
99年7月発売。
このCD発売時(99年9月)の最新曲。
ギターとシンセ・ストリングスのアレンジに、70年代フォーク+90年代バラードな歌詞。
前川清らしからぬ、しかし前川ワールド。
前川清=演歌、そうお思いの方には特に聴いて頂きたい名曲。
クールファイブ独立後第一弾シングル「花の時・愛の時」の続編、とも言えなくも無い。世紀末、一抹の清涼剤ともいえる曲。

この1曲目からして、前川のパブリックイメージが破壊される。


2.恋人(オリジナル:徳永英明)
作詞・作曲:徳永英明 編曲:竜崎孝路
徳永英明の89年のヒット曲(4月発売。編曲:瀬尾一三、最高7位・14万枚)
繊細な高音で切々と、男女の複雑な心を歌ったオリジナル。
それがテナーサックスのような渋み全開の前川のノドではどう調理されるか?

答え:これはこれでアリ…かも(^.^;
ただ…ただですね、前川清ですので、アクの強さは否定できません
もともと、森進一・青江三奈・矢吹健の系統をムード歌謡に持ち込んで、ジャンル革命を起こしたノドですからね。そこは頭においてくださいね(-||-)
>♪もォ~~~っとオオオ~高く~ もォ~っと オ~マァァァ~~~イ ラ~~ァァブ


3.涙(オリジナル:中島みきき・前川清)
作詞・作曲:中島みゆき 編曲:若草恵
88年2月発売のシングル曲。
どういったところから、前川清×中島みゆきという組み合わせの話が出たのか?
まあソロデビュー曲は、坂本龍一作曲の「雪列車」である前川。
たいした意味は無いのかも。
前川の高音が遺憾なく発揮された上、フォークと歌謡曲と80年代音楽のすべてがぶち込まれた、なかなかの意欲作。絶品。
前川で、「うらみ・ます」なんて歌ったらどんなことになったやら…。
なお
みゆき盤は88年10月発売。
みゆきヴァージョンは狂女のつぶやきという感じ。
もっと、がなって欲しかったかも。
まあ、これはこれで良いんですけども( ̄ー ̄)


4.HOWEVER(オリジナル:GLAY)
作詞・作曲:TAKURO 編曲:竜崎孝路
97年8月発売(編曲:GLAY・佐久間正英 最高1位・134万枚・年間9位)。
90年代後半、大人気を誇ったGLAYの代表曲です。
GLAYの曲といえば、と「誘惑」「Winter,again」あたりとともこの曲をあげる人も多い
と思われる1曲。
個人的にはこのアルバム中、一番の問題曲であると断言できます。
私、キヨシスト(笑)でもあるんですが、GLAY(HISASHI・TAKURO)の後輩なんですよ(>O<)
…大分年齢は離れていますよ、もちろん。あの方々は確か5期生ですから。

話が横道にそれたので戻します。
前川の「HOWEVER」、すさまじいです。トンでもないです。
エッヘン
「中高年をナメるな」と言わんばかりに、これでもかと大熱唱。
一応HOWEVERですが、中身は別物。
我が友人は一聴して、絶句してましたけども( ̄ー ̄,)
でも、普通の中高年にゃ歌えまい(-^〇^-)
(友人:いや、中高年はまず歌おうと思わないだろ…) 
個人的に布施明に一度歌って欲しい。
余談ではありますが、五木ひろしも歌ったことがあるらしいです…。


5.愛がほしい(オリジナル:前川清)
作詞・作曲:伊藤薫 編曲:川村栄三
88年10月発売のシングル。
「HOWEVER」での衝撃のあとなので、アルバム中、最も一般的なイメージな前川清
がしっかり味わえます。
当時、有線あたりでバンバン流れていたと思いますが、どうだったんでしょうか?
クールファイブではない、前川清の世界がこの曲にはあります。
♪愛が~ほしい~ ここ~ろにぃ~~


6.ラヴ・イズ・オーヴァー(オリジナル:欧陽菲菲)
作詞・作曲:伊藤薫 編曲:竜崎孝路
82年にシングルのB面で世に出て、徐々に有線で評判になり、さっそくシングルを発売し、84年ヒット。
「恋の追跡(ラブ・チェイス)」「恋の十字路」といった歌謡ソウルを歌ったフィフィが

豊かな声量をバックに大熱唱したのがオリジナル。
ワラシ、フィフィヨ
”台湾台風”には”佐世保台風”で対抗(笑)


このアルバムのカバー曲では一番安全パイです(^▽^)
余談ですが、この曲、様々な歌手がカバーしています。
森進一、五木ひろし、やしきたかじん、内藤やす子、舟木一夫、美空ひばり…。
この曲はいつ、だれが歌っても良い曲であるようです(^^)V


7.花の時・愛の時(オリジナル:前川清)
作詞:なかにし礼 作曲:三木たかし 編曲:若草恵
87年2月発売。記念すべきクールファイブ独立第一弾シングル。
文句なしの名曲。ソロ・前川の代表曲といっても差し支えないでしょう。
切ない恋心を歌い上げたバラード。


8.最後の雨(オリジナル:中西保志)
作詞:夏目純 作曲:都志見隆 編曲:竜崎孝路
92年8月発売(編曲:富田泰弘)。じわじわと売れ続けたロングセラー曲。
作曲の都志見隆と前川は相性がバツグンに良い。
ソロ前川最大のヒット曲「男と女の破片」を筆頭に、名曲を量産している。
そんな都志見の作曲のこの曲、前川は余裕の快唱。
完全に自分の持ち歌にしている。


9.蛍…どこかで
作詞:福士久美子 作曲:井上大輔 編曲:梅垣達志・井上大輔
98年11月発売の「NEW BEST 神戸」に初収録。
その後、99年5月発売の「神戸」のカップリング曲となる。
おそらく前川清のアルバム曲ではもっとも歌われることが多い曲。
フォーク調バラード。井上大輔の隠れた佳曲。


10.真夏の果実(オリジナル:サザンオールスターズ)
作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:竜崎孝路
90年7月発売(最高4位・54万枚 編曲:サザンオールスターズ・小林武史)。
サザン三大バラードの一曲にも数えられる、夏の名曲。
桑田佳祐がクールファイブのファンで、「中の島ブルース」あたりまでのシングルは買っていた話は一部では有名。あの歌い方の何%は前川節があるのだ。
前川もサザンはお好きなようで、80年のクールファイブのライブでは「いとしのエリー」を熱唱している(LPライブ盤に収録)。
前川もプロ、しっかりと商品となっている。結構相性は良い。
一度、桑田佳祐に曲提供してもらって欲しい。


11.抱きしめて(オリジナル:前川清)
作詞:大津あきら 作曲:浜圭介 編曲:川村栄三
96年4月発売。同年の紅白歌合戦でこの曲を熱唱している前川に感動を受けた一女子高校生が福山雅治の「オールナイトニッポン」にリクエストしたことがきっかけとなり、久々の大ヒット曲&意欲作「ひまわり」が誕生する。
高校生の心を揺さぶっただけある、好バラード。
前川本人もお気に入りの1曲。
「ただ、売れなかったけどね」(本人談)


12.乾杯(オリジナル:長渕剛)
作詞・作曲:長渕剛 編曲:竜崎孝路
初めて世に出たのは80年。シングル化&ヒットは88年。
(88年2月発売 編曲:瀬尾一三・長渕剛 最高1位・77万枚)
結婚式ではおなじみの長渕剛のヒットソング。
人生の先輩からの応援歌ということで説得力充分。
アルバム最後の曲にはふさわしいかと。
友人いわく、「このカバー曲の中で一番合っている」そうです。



どうでしょうか?
聴きたくなってきたでしょうか(笑)
CDはとっくに廃盤ですが、ヤフオクにもちょくちょく出てますし、結構レンタルにあったという話も聞きますので、入手は何とかできます。
…ただですね、ただね、キヨシスト以外の方は、「前川清」であることをお忘れなく。
当方、苦情は一切受け付けませんので。


逝って一ヶ月、お恵ちゃんを偲んで…

2006-06-08 02:59:46 | 昭和の名歌手たち

実に2ヵ月半ぶりの更新です「(^^; )
いろいろありすぎて更新する気力が出なかったというのが真相です。
この2ヵ月半、私のお気に入りの芸能人が何人も鬼籍入りされました
曽我町子、田村高廣、イマヘイ(今村昌平)、ファンファン(岡田眞澄)…そのスターの訃報の中で最もショックだったのがお恵ちゃん(松山恵子)。
宮川センセイの訃報もショックでしたが、お恵ちゃんはそれ以上の衝撃…。
本年の訃報では間違いなく衝撃度は私の中ではTOPです。

初めてお恵ちゃんをテレビで見たのはいつだったんだろう?
記憶の糸を手繰り寄せると小学校の時に見た立川談志の特番(NHK-BS)。
何を唄ってたかは記憶にないんですが「歌うフランス人形」という紹介と、ステージ(スタジオ?)を埋め尽くすデカイ真っ赤なドレスは、今でも覚えてます。
懐メロ特番を見れば十中八九、お恵ちゃんの姿を見ました。
ファンの「お恵ちゃん」コール込みで、松山恵子を楽しんでみてました。
しまいにゃお恵ちゃんがテレビに出ると、こっちも「お恵ちゃん」コール(笑)
歌う曲は「だから云ったじゃないの」「お別れ公衆電話」「未練の波止場」の3曲ばかりでしたが、それでも十分楽しめました。
お恵ちゃんが出てくると、「オオ~」と必ずチェックしてました。

…とまあ約5年お恵ちゃんウオッチャーして、悪い意味で気になっていたのは年々痩せてきてるなあということとたまに顔色が良くないこと。
「まあ、トシ(12年生まれ)だしなァ…」と勝手に結論を出していたんですが…。
まさか、まさか10年間も肝臓ガンの闘病をしていたとは…(絶句)

先月、函館の実家でお恵ちゃんの最期の仕事だった番組を中心に編集した追悼特番を(途中からでしたが)見ることができました。
やせ細った腕に口元、細さが売りだったのに水が貯まりに貯まった腹、まったく動き回らない(回れない)で立っているのがやっと、息も絶え絶え…。
それでも「暗いまま終わるのはイヤ」と明るい歌で盛り上げるお恵ちゃん。
見終わることには「大丈夫、きっと良くなる」、見ててそう思ってしまいそうになりました。お恵ちゃんマジックですね。

でも、お恵ちゃんのガン告白の話や司会のアナウンサーの手を借りなきゃ舞台を降りられないほどの衰弱振り、歌によってはまったく声が出てなかったり(それでもプロのレベルは保ってましたが)、「お別れ公衆電話」の♪さよなら さよなら~の部分で絶句して歌えなかったり…涙なしでは見られない部分は沢山ありました。

じゃあ、涙ばかりで楽しめなかったかというと、そうじゃなかった。
(声が出ていないという点ならば、最近のお千代さんの方が酷く、見ていて実に哀しい。私の中ではお恵ちゃんの比では無い)
実に珍しい「バックナンバー1050」、「石狩の町よさようなら」や最期の歌唱になった「平和への祈り」は嬉しい選曲だったし、声も良く出ていた。
ヒット曲なのにテレビで歌っていたところはとうとうこれっきりだった「アンコ悲しや」や「別れの入場券」「十九の浮草」も見れたのは嬉しかった。
…絶唱という言葉がまさに合うステージでした。

お恵ちゃんというのは私生活では波乱万丈だったらしいですが、それを売りにすることなく、私たちをいつでも楽しませてくれましたね。
一度、テレビで号泣しながら「涙そうそう」を歌ったときは、恵まれているとは言えぬであろう私生活を思わずにはいられませんでしたが。
そのときくらいですね、お恵ちゃんの私生活の匂いを感じたのは。

オンリーワンなスター歌手、松山恵子。
一度でいいから、生お恵ちゃんを見たかった。
それがお恵ちゃんウオッチャーの悲願だったのですが…。

私はボケるまでは忘れませんよ、お恵ちゃんを。
いつまでも在りし日のVTR片手に、話のネタとして語らせて頂きます。

「トークだけの出演でもティアラをつけていた」
「ドレスの中にうずもれるパフォーマンス」
「手袋はいつも着用、片手にはハンカチ」
「浜崎あゆみが紅白で(複数回)お恵ちゃんばりのドレス着用していたこと」
「『お恵ちゃんのラップ』という歌はラップと言いながら中身は沖縄島唄」
「公開番組では口が裂けんばかりに『お恵ちゃん』と叫ぶ熱狂ファンが必ずいた」
「初めてお恵ちゃんコールをした芸能人は江利チエミ」
「マーキュリーレコードから東芝への移籍はギャラのあまりの安さが原因」
「最初にハンカチを持つようになったのは手に汗をよくかくため。ゆえに最初はガーゼだった」
「衣装代はファンからの寄付金」
「松山という芸名だが、出身は同じ四国でも宇和島」
「派手な衣装で『ちょっと地味かしら』と言い、笑いを取る」


私の中ではお恵ちゃんは(少なくとも)ネタとして生き続けます。
それがお恵ちゃんウオッチャーとして楽しませてもらった私から、お恵ちゃんへのせめてもの恩返しと考えています。
お恵ちゃんのパフォーマンスは客を楽しませるためにやっていたものですし、お恵ちゃんも笑って許してくれるでしょう。

フォーエバーお恵ちゃん、これからは「生ける伝説」からは「伝説」・・・