私は高英男(シャンソン歌手)が好きで、好きで、生涯追い続けたいと思っています。
また、それに値するだけの方だとも・・・。
その高英男さんの歌で、絶賛されているレパートリーのひとつに「オペラ座のダンサー」という歌があります。
舞台が命、華麗に翔んで回ることにすべてを懸けていた天才ダンサー。
ある日もっと高く翔ぼうとして、倒れた。
もう翔ぶことは出来ない。
それまで惜しまぬ拍手を与えていた人たちは消え、新聞の切り抜きだけが残った。
ある日、もっと高く翔ぼうとした彼は屋根の上から飛び立ち・・・果てた。
人はオペラ座を通るとき、幻の中に踊っている彼の姿を見ることだろう・・・
(注:私的概要につき、正しい訳ではありません)
いつだったか、他のシャンソン歌手が歌うのを見たことがありますが、別段心に残る作品では無かったのですが、果たして高さんが調理するとどうなるのか。
歌い終え、舞台に倒れ落ちる演出もあると知り、なおのこと・・・どうしても観て聴いてみたい高さんの1曲でした。
それが先日、機会があって「第39回パリ祭(2002年)」の映像を見るチャンスがあり、観ていたところ、ステージに高さんが、まるでヨーロッパの老芸人のような雰囲気と姿で登場し、この歌を歌っていたのです。
実に素晴らしく、想像を遙かに超えた舞台がそこにありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/48/89623e35b19908182c2e412da6424247.jpg)
高英男、当時82歳。
「歌っている」というものではなく、歌と歌い手が一体化した、歌を超えたものになっているのです。高英男の世界、というのでしょうか。
高さんならではの解釈、長く真摯に歌い続けたものでも達することが難しいのではないか、と感じました。これが年輪・・・いや、神がかり的なものすら感じました。
でも、決して枯れてはいないのです。
ロウソクの炎・・・そんな妖しさが脳裏に浮かびました。
高さんという人は年齢によって、歌の印象がドンドン変わっていく人で、50代の頃の歌と70代の歌は同じ歌でも、まったく違う歌のように聴こえるのです。
50代ならではの歌、70代だから歌える歌と・・・。
これは80代に達したからこそ歌える歌、といえるでしょう。
勿論、60代のときに歌ったオペラ座、70代のときに歌ったオペラ座も素晴らしかったと思うのです。ですが、この82歳の絶唱もまた素晴らしいものでした。
もうひとつ感じるのが、高さんが何より舞台に立って歌うことを愛していたこと。
表情のひとつひとつから、単なる愛想では無い、心底・・・の想いが見て取れました
歌というものは不思議です。
声がよく出ている、音程が正確・・・そういう歌が人の心に必ずしも響くわけでは無いのです。
老いというものを逆手に取り、その状態でベストな歌を届ける・・・。
かつて「歌い手に必要なものは技術。自分の力を見極めて忠実に努力すること」と高さんは発言していますが、その言葉が当てはまる、このステージ。
芸人・高英男、ここに在り。
叫びたくなります。
生のステージでこの歌を観たかった。チャンスが巡って来なかったのが残念です。
1980年代以降の高さんの歌声はソフト化されていない。
(2000年放送の30分番組が限定販売されていたらしいのですが現在はそれも完売している様子)
・・・これは実に勿体無いことだと思います。
60代、70代、80代・・・の高さんの歌声もまた素晴らしいものであるだけに、パリ祭の絶唱などを集めて、アルバムを作ってもらえれば多少音質に難はあれども、どれだけ素晴らしく、意義のあることだろうとしみじみ思います。
「オペラ座のダンサー」、ソフト化を強く希望します。
叶わぬ夢・・・なのでしょうか。
また、それに値するだけの方だとも・・・。
その高英男さんの歌で、絶賛されているレパートリーのひとつに「オペラ座のダンサー」という歌があります。
舞台が命、華麗に翔んで回ることにすべてを懸けていた天才ダンサー。
ある日もっと高く翔ぼうとして、倒れた。
もう翔ぶことは出来ない。
それまで惜しまぬ拍手を与えていた人たちは消え、新聞の切り抜きだけが残った。
ある日、もっと高く翔ぼうとした彼は屋根の上から飛び立ち・・・果てた。
人はオペラ座を通るとき、幻の中に踊っている彼の姿を見ることだろう・・・
(注:私的概要につき、正しい訳ではありません)
いつだったか、他のシャンソン歌手が歌うのを見たことがありますが、別段心に残る作品では無かったのですが、果たして高さんが調理するとどうなるのか。
歌い終え、舞台に倒れ落ちる演出もあると知り、なおのこと・・・どうしても観て聴いてみたい高さんの1曲でした。
それが先日、機会があって「第39回パリ祭(2002年)」の映像を見るチャンスがあり、観ていたところ、ステージに高さんが、まるでヨーロッパの老芸人のような雰囲気と姿で登場し、この歌を歌っていたのです。
実に素晴らしく、想像を遙かに超えた舞台がそこにありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/48/89623e35b19908182c2e412da6424247.jpg)
高英男、当時82歳。
「歌っている」というものではなく、歌と歌い手が一体化した、歌を超えたものになっているのです。高英男の世界、というのでしょうか。
高さんならではの解釈、長く真摯に歌い続けたものでも達することが難しいのではないか、と感じました。これが年輪・・・いや、神がかり的なものすら感じました。
でも、決して枯れてはいないのです。
ロウソクの炎・・・そんな妖しさが脳裏に浮かびました。
高さんという人は年齢によって、歌の印象がドンドン変わっていく人で、50代の頃の歌と70代の歌は同じ歌でも、まったく違う歌のように聴こえるのです。
50代ならではの歌、70代だから歌える歌と・・・。
これは80代に達したからこそ歌える歌、といえるでしょう。
勿論、60代のときに歌ったオペラ座、70代のときに歌ったオペラ座も素晴らしかったと思うのです。ですが、この82歳の絶唱もまた素晴らしいものでした。
もうひとつ感じるのが、高さんが何より舞台に立って歌うことを愛していたこと。
表情のひとつひとつから、単なる愛想では無い、心底・・・の想いが見て取れました
歌というものは不思議です。
声がよく出ている、音程が正確・・・そういう歌が人の心に必ずしも響くわけでは無いのです。
老いというものを逆手に取り、その状態でベストな歌を届ける・・・。
かつて「歌い手に必要なものは技術。自分の力を見極めて忠実に努力すること」と高さんは発言していますが、その言葉が当てはまる、このステージ。
芸人・高英男、ここに在り。
叫びたくなります。
生のステージでこの歌を観たかった。チャンスが巡って来なかったのが残念です。
1980年代以降の高さんの歌声はソフト化されていない。
(2000年放送の30分番組が限定販売されていたらしいのですが現在はそれも完売している様子)
・・・これは実に勿体無いことだと思います。
60代、70代、80代・・・の高さんの歌声もまた素晴らしいものであるだけに、パリ祭の絶唱などを集めて、アルバムを作ってもらえれば多少音質に難はあれども、どれだけ素晴らしく、意義のあることだろうとしみじみ思います。
「オペラ座のダンサー」、ソフト化を強く希望します。
叶わぬ夢・・・なのでしょうか。