昨日、埼玉県の戸田漕艇場で、マスターズによるチャリティー・レガッタが開催された。
九州の遠方からも大勢の人達が集まり、賑々しく行われた。
私の出身校の外語は、エイトでは、ビリだったが、ナックルフォアでは、1着で、2位のJBCと僅差であった。これには、日本漕艇協会の館理事長もナックルフォアのバウに乗り、僅差だっただけに最後は相当頑張ったと見え、閉会の辞を述べるときの彼は、さすがに疲れた表情をしていた。
最後に亡くなった方達に黙祷を捧げるとき、遠方からの参加者達が閉会に参加しなかったため、そのために残っていた被災地出身の私に乾杯の音頭とりの役が回ってきた。
本来、この日は、福島県でマスターズレガッタが開かれる予定だったが、無期延期になり、代わりにこのチャリティー・レガッタになり、その企画に多くの参加者を得たことに大いに感謝した。
平山さんという、慶応大学出身者がこれから台湾に留学すると、私に話しかけてきたので、私の叔母が東京都元知事、東龍太郎の秘書だったというと、東龍太郎のご高齢の甥を紹介してくれた。
九州の遠方からも大勢の人達が集まり、賑々しく行われた。
私の出身校の外語は、エイトでは、ビリだったが、ナックルフォアでは、1着で、2位のJBCと僅差であった。これには、日本漕艇協会の館理事長もナックルフォアのバウに乗り、僅差だっただけに最後は相当頑張ったと見え、閉会の辞を述べるときの彼は、さすがに疲れた表情をしていた。
最後に亡くなった方達に黙祷を捧げるとき、遠方からの参加者達が閉会に参加しなかったため、そのために残っていた被災地出身の私に乾杯の音頭とりの役が回ってきた。
本来、この日は、福島県でマスターズレガッタが開かれる予定だったが、無期延期になり、代わりにこのチャリティー・レガッタになり、その企画に多くの参加者を得たことに大いに感謝した。
平山さんという、慶応大学出身者がこれから台湾に留学すると、私に話しかけてきたので、私の叔母が東京都元知事、東龍太郎の秘書だったというと、東龍太郎のご高齢の甥を紹介してくれた。