9月10日(日)に登米の「芳賀邸」に来ると、増築部分のスレート屋根も葺かれ、床板が全て張ってあり、洋間の化粧板も張られ、奥の間の10畳は古い畳をそのまま流用して敷かれていた。あとは15畳の中の間に新しい畳を入れて、昔の納戸部屋で今は洋間になっている北東の小部屋の天井と壁にクロスを張れば、ほぼ出来上がりだ。東と西の高低差が15センチメートルになるほど、西の床が下がっていたそうだから、漆喰壁が歪みで落ちているところもあり、その修復をして、20枚ほどある障子の張り替えをすれば、ほぼ竣工だ。洋間を囲む戸が江戸時代からの障子と襖なのは、子供の頃からそれが当たり前で不思議でなかったが、床や、天井が洋風だから何とも変わった内装だ。北側3畳の部屋も床の畳を取り払い、化粧板敷きにした。見物人が板敷きと廊下の上を歩いて、「芳賀邸」をひと回りできるようにした。登米の町起こしの本『登米物語』が出来上がる来春、この家を「芳賀邸」と命名して、登米の観光地に加えようかと思う。そのお披露目式を4月28日(土)登米の南部神楽を「芳賀邸」で演じてもらい、賑やかに開催する。4月29日(日)は、伊達さんの天山公が一般に公開される日だから、マスコミを通して宣伝してもらい、全国から登米の観光に来てもらおうと思う。