卵管がんとハロハロ日記

団塊の世代の主婦の気まぐれブログです。
夫婦揃って大病したあと のんびり暮らしています。

退院まで

2012-08-03 21:35:23 | 卵管がん 手術から腎ろう造設まで


≪ 2011年8月23日 ≫

このころ 相方は4ヶ月の入院を終えてしばらく長女の家に滞在していた。
心ならずも 夫婦二人して子供たちの家庭に大きな負担をかけることになってしまった。



看護師さんがやってきて さりげなく化学療法のパンフレットを置いていった。
ついにきた。
おそるおそるパンフをめくる。


遅れていた病理検査の結果の説明とこれからの
化学療法の説明が 主治医 からあった。
子供たちと一緒に聞く。

病理の結果、漿液性卵管がん。
左卵管が原発。
婦人科がんの100人に一人の珍しい癌らしい。
乳がんの転移ではない。

手術前の腹水検査では がん細胞は陰性だったが今回は陽性だった。
子宮 両側卵巣摘出。がん細胞があった。
予想どうり腸に 浸潤 転移していたため 腸を切除。
大網、腹膜には転移がなかった。
リンパ節85個郭清 、内 9個に転移があった。

手術で目に見える悪いものはすべて取り去った。
ミクロのレベルの残存を考えなくてはいけない。
かなり進行しているが 幸い 漿液性卵管がんは抗がん剤がよく効く。
治療は卵巣がんのスタンダードな治療法。
薬はパクリタキセルとカルボプラチン。
脱毛、吐き気、しびれなどの副作用の説明。
今は良い薬があるので テレビでよく見るようなすごい吐き気はない。
治療は早い方がいい。
6サイクル、6ヶ月間。
治療の選択は本人の意志が最優先。
体調を見て開始。
多くの方が同じような状態からが抗がん剤治療をして その後元気に日常生活を送っている。
頑張って治療しましょう。
ということだった。

2、3 質問したあと
わたしは粛々と同意書にサインした。
開始は27日からとなる。



≪ 2011年8月24日~8月26日 ≫

ここまで順調に回復してきたように見えた。
ところが24日頃から 胃の辺りから少し下辺りがが気持ち悪い というか
嫌な不快な感じが出てきた。
食事もあまり食べられない。
でも ずっとではなくシャワーを浴びると気分良くなったりした。
気分的なものかと様子をみる。

25日になるとさらに不快感が増してきた。
時々 堪え難くなる。
病棟のドクターに訴える。
「 なんだろうね~。様子をみましょう。」

直前 17日に撮った造影剤付きCTはなんの問題もないらしい。
でも 波のように 気持ちわるさがやってくる。
波が去ると わりにけろっとしている。
でもこんな状態ではあさってからの抗がん剤は不安だ。
「治療を受けたくない」
と訴える。

午後になり病棟のドクターが
「 それでは 抗がん剤は9月1日に延期しましょう。」
「 家に帰って 好きなものでも食べて 英気を養ってください。」
ということになった。
病院側としたら 治療をしない患者をいつまでも置いておけない。
沢山の深刻な病状の患者さんが ベッドが空くのを待っているのだ。

わたしは予定の一回目の抗がん剤を前に翌日26日に退院することになった。





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