卵管がんとハロハロ日記

団塊の世代の主婦の気まぐれブログです。
夫婦揃って大病したあと のんびり暮らしています。

トイレの人

2012-08-01 11:20:24 | 卵管がん 手術から腎ろう造設まで

この先はどうしても 大 と 小 のオシモがらみの気持ち悪い文章が増えてくると思います。
なるべく気をつけて書きたく思いますが ……。
不快なところは すみません、どうか素早く通りすぎてください。


≪ 2011年8月19日 ~ 26日 退院の頃まで≫

食事の開始を前に消化器科のドクターのアドバイスがあった。
手術で直腸を切っているため( この頃は直腸 、S字結腸合わせて30センチも切っていたとは知らなかった。)排便についてである。

D 「あと半年くらいは 💩 は一日 7、8 回位になります。 今までとは違う形のが出ます。だけど半年位で 2、3回に落ち着きますよ。(^^)」

わ 「…………。(ーー;)」

D 「🚽を我慢できる方ですか? 」

わ 「ええつ、、、まあ。(⌒-⌒; )」

D 「 じゃあ 大丈夫だ。 だんだん慣れますよ(^^) 」

アドバイスはこれだけだった。
なにか 質問しようと思うのだが話題が話題だけにことばがすんなり出てこない。

いったい、たべものを口にするようになると、どんな恐ろしいことが待っているのだろうか?
そしてそれがどういうことかすぐに分かることに……。
食事の喜びもつかの間、たちまちわたしは🚽の人となった。

この頃になると 、病院内ののコンビニや 隣の棟をウロウロできるようになっていたが
どこにいてでも 待ったなしの💩意のためにほとんどの 🚽の場所を把握することとなる。
しかもどこの🚽に 進んだウオシュレットがついているかまで知ってしまう。

( 今日は退院までのことを書こうと思っていたが方針変更。💩ネタだけを書くことにします。)

消化器科のドクターがいった 7、8 回というのはは随分遠慮した回数だった。

その後の抗がん剤で入院中も
病棟廊下でじっとたたずみなにをしているのかと思えば
腸の動きが治まるのを待っているところだったり
人と話していて 突然、血相を変えて いなくなってしまったり
謎の怪しい動きをする人物になる。

退院後 世話になった長女の家で 4年生の孫に
「 はーちゃん 🚽で暮らしたら……♪(´ε` )」
と言われたほどだ。
🚽から出てきたと思ったら またすぐに入っていく。
トイレットペーパーの消費量も半端ない。
当然、水道料金もはね上がることになる。
余談だが、家庭の水道水で一番使用量が多いのは🚽だそうだ。
🚽がらみの出費も大幅にふえて わたしはートータルするとで長い時間を🚽で過ごすことになった。
娘の家の🚽では、壁に貼られた 孫の 社会科の 県庁所在地の語呂合わせ暗記表の紙をじっと見ていたため口ずさむほどに暗記してしまった。

ところで
直腸をあまり肛門ギリギリまで切ってしまうと排便コントロールができなくなり(つまり💩をためておくことができなくなり)日常の QOLを著しく下げてしまう。
それならストーマで管理しているほうがニコニコ暮らせるらしいのだ。
きっと どの辺で残すか ストーマにするかは 微妙な判断がいるんだろう。

入院中、出会った患者仲間の中にはストマをつけていたが
しばらくして外したひと、その反対の人もいた。
それぞれ大変なご苦労があるようだった。

わたしは 術後半年くらいは、新しい体に慣れないせいもあり
失敗してはならじと常に頭の上におしりが乗っかっている感じだった。

こんな体ではどこへも外出できないと悲観的にもなった。
退院後は 近場にいく時も コンビニや スーパーの🚺の有無をしっかり確認
しておそるおそるでかけた。
コーヒーを飲みたいわけじゃないのに喫茶店に駆け込んだりもした。

でもでも肉体の順応力はすごい。
だんだん 異常なトイレットペーパーの消費量は減るようになり
気がつけば 水道料金も人並みとなり
一年後の今は たいして神経質にもならず
フンフンのんきに出かけられるようになった。
しかしやはり自分が出没する街の 🚺のありかについてはしっかり頭に入っている。
いざという時のシミュレーションは万全にして出かけるのだ。


実はもっと赤裸々な話が沢山あるんですが、
さすがに品格を疑われそうなので このくらいにしておきます。








最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。