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磯輪日記

世界の段ボールビトを幸せに!
自分と自分の愛する家族の幸せのために働ける
世界一社風のいい会社を目指しています。

名古屋大学教育学部附属高校時代

2006年01月04日 18時08分19秒 | プロフィール

附属中学で特に優秀なのと、特に優秀でない生徒以外は、附属
高校に進学するのが普通でした。

私はと言えば、

 「せっかく勉強しなくても、高校に行けるのに、わざわざ受験勉強
  してまで他の高校へ行くやつの気が知れない  」

と、そのまま附属高校へ進学しました。

もちろん一番の理由は、附属中学がすご~く楽しかった  し、
学校の自由放任という校風も自分にピッタリマッチしていたので、
同じ仲間と高校生活を楽しみたいというものでした。

私の高校生活というと、まず中学の途中から始めたサッカー 
名古屋一弱かったかもしれない。練習試合も含めて、ほとんど勝った
記憶がありません・・・ でも楽しかったな~

次は中学時代でも書いた音楽。ロック  が好きで、特に
Chicagoを文字通り一心不乱に聴きました。ドラムもこれに合わせて
いつも叩いていた。だからみんなから「ドラム・スコ(どら息子)」
ってよ~く言われました。

授業では一度も寝たことはありません。
先生を脱線させて、悪の道へ誘い込むのが大好きでした。
だからいつも私のクラスは、先生が脱線して、雑談になってしまい、
他のクラスより授業の進行が遅れ、必ずテスト前に大急ぎで
テスト範囲をクリアするということが続いていました。

ちなみにトップの写真は、1年(?)の時の大嫌いだったマラソン
大会時、同じクラスだった藤田猛久君、通称モーQが企画した
「特集 いそわ」として大会後クラスに掲示されたものの1枚です。
それぞれの写真にコメントがあり、この写真には:

 これぞ3バカトリオ
 一見 1位、2位、3位・・・
 実は 21位、22位、23位
 しかしホントに左から 1位、2位、3位(バカさかげん)

とあります。 もちろん中央が私、右は長崎君、左は後藤裕一君。


とっても楽しい高校時代だったけど、この時期だけ(本当にこの時期
だけですよ)彼女がいなかった・・・ けど、高校3年も終わりに
近づいた頃、サッカー部の隣でいつも練習していた1年後輩の
バレー部の近藤由貴江さん(確かこの名前だったはず)を好きに
なりました  
近藤さんは、すごくおとなしくて、地味な子でした。

もう記憶も定かではなくなったが、ある時近藤さんに、何らかの
方法で、

 「付き合って欲しい」

って伝えたら、最初の言葉が、

 「何かの間違いじゃないですか? 本当に私ですか?」

とかいうようなものでした。
こうして付き合いが始まりました 

彼女は特別成績が優秀じゃなかった(ゴメンネ、近藤さん)けど、
私が1年前の試験の問題を彼女に見せてあげたら、ほとんど似た
ような問題が出て、突然いい成績になったなんてことも
ありました。

 「先生も結局毎年同じような問題出してるんだ」

とその時初めて気付きました。
言っておきますが、決して私が勉強を指導したからではありません。
彼女が努力したのですから、念のため。

近藤さんとは大学に入ってからも、夏休みとか帰省した時、デート
したりしていたけど、その後自然消滅したのかな・・・ 
このあたりも記憶がはっきりしません。

もし1975年3月名大附属高校を卒業した近藤由貴江さんのこと
知っている人がいれば、教えて下さい。 


そんな甘酸っぱい想い出も含めて、高校時代は中学時代以上にやり
たいことを目一杯楽しんだ。自己責任という名の下に、それを認める
という名大附属の校風が私の人格形成に非常に大きな影響を与えた
ことは間違いありません。


 (高2の修学旅行。大原美術館玄関前のロダンの『説教
  する聖ヨハネ』に説教される私と右側は加藤淳君)

そんな名大附属の学校、先生、仲間にはすご~く感謝しています。


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2 コメント

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Unknown (mark470)
2006-01-04 20:01:45
あけましてオメデトウございます。

年賀状ありがとうございました。

私のブログも見てくださいね。



返信する
はじめまして? (磯輪)
2006-01-05 11:54:01
mark470さん、コメント どうもありがとうございます。

以前名古屋青年会議所でご一緒したことがある方でしょうか?



ブログってなかなかおもしろいツールですよね。これからも活かしていきましょう。

お互いにがんばりましょう。

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