切ない日なのだろうか

2011-11-16 21:00:00 | 日記風
 今日はなんだか、切ない。

 理由は不明だ。



 いろいろ状況が変わったからかな。


 明るく、バッといきましょう。


 街はクリスマスでどんどん賑わっているんだからさ。



私の仕事はトイレにいて、チップをもらうこと。そういう仕事がイタリアはある

2011-11-16 18:00:00 | おでかけ
 イタリアは、トイレを探すのが大変だ、と前のブログに書いた。


 あるにはある。


 レストラン、バール(ファストフードのような店)など。美術館にもあったりする。


 たいがい、ここら辺はただで使わせてくれる。


 でも有料トイレというのがある。ベニスの船着き場などそうでしたね。完璧に観光客相手に、考えている。

 1,5ユーロ(約150円)だったと思う。
 なかなか足元を見た金額だ。



 ちゃんと、お姉さんがいて、払うと棒を開け通してくれる。

 イタリアは有料トイレが多い。

 だから無料のトイレを探すのが大変なのだ。


 バールでもお兄さんが前に頑張っていて、いくらでも、かごのようなものに入れないと入れない仕組みになっている。



 日本にもたまに有料トイレと言って、チップを置いてくださいその分綺麗にしておきますよというトイレが現れたが、圧倒的に少ない。


 イタリアは圧倒的に多い。


 でも経済破綻した。



 ちょーと考え方が違う気がする。

 イタリア人の性格が凄くよく判ってるわけではないが、そう思う。


 考え方が違う。




 でも、考えてみると、例えばネットでもアルバイト雑誌でも見て、トイレチップ係と知って応募するのは、どんな気分だろうと思う。

 バールなどの有料の所は、店員が日替わりで担当してるのかもしれない。


 でもトイレしかない、有料トイレは、間違いなく、アルバイトか、下手したら社員で、それを専門に仕事してるんじゃないかと思う。



 どう言う気分で、探すんだろう。


 1日トイレにいると言う仕事。


 トレイの前にいるし汚いというわけではないんだけど、胸中としてはどんなものがあるんだろう思うと、つい考えてしまうわけだ。

 例えば値段が決まっていてお釣りが必要ならくれる。それも含めての係だ。

 居るだけだけ販売ないし、1日の始まりか終わりにトイレ掃除も一緒にするのもしれないが、トイレにいると言う仕事を選ぶのはどんなもんだろう。

 「意外と楽よ」
 「混むって言っても一時だけし」
 と思っているだろうか。


 そんなことをつい、考えてしまう。


 かといって下水道が完備されているかというとそうでもない。

 いろいろ理由はあるだろうが、掘ると遺跡が出てきちゃうというのもあるらしい。地下鉄が3線しかないと聞いたが、その新しい1戦は遺跡が出てきたため、工事が中断している。


 日本の、新橋駅から出てるゆりかごめなんかも確かそうだったと思う。


 思わず出ちゃった、と思う。




 日本のように親切でないから、手を洗おうとしたら、これはどうやったら、水が出るの?という所もある。こういう所は無料で、人がいない。


 奥の2つの手を洗う場所は、センサー式だし、出入り口の方の2つだけ、足でレバーを押すと水が出るとか、なんで統一してないんだろう?という所はざらだ。



 できる所からやればいいんじゃない?的な考え方のような気がする。

 単に費用がないから、できる所だけした、という考えもある。

 まとめてしよう、統一しようはないらしい。



 中にはちゃんとしたレストランなのに、カギのかからないトイレもある。個室がだよ。


 だから、日本人どうして抑えあっていたさ。


 イタリア人はどうしているんだろう?





 イタリアのトイレは何故か感慨深い。

 ところで、カギがあっても凄い。



 これだもん。でもいい方。



 いいカギなんじゃない?トイレにあるのが不思議なカギだけど。



 お国なのね~。

ファン・ジニ(再)

2011-11-16 13:00:00 | ドラマ/映画/ドキュメンタリー
 北朝鮮の裏で、これを見なければであった。

 前も見た、内容知ってる。NHKの時は吹き替えだった。

 今回は字幕だ。



 これはね、国がどうたらいうんじゃなくて、ダンスをする、踊り子のお話が好きなの。


 ファン・ジニというのは実在したが、あまりどういう人生を送ったのかよく判らない女性の実話の人生をドラマ化したもの。だから想像が多いでしょうね。


 日本語吹き替えの時はいい台詞が多くてね。思わずメモったわ。過去のブログを見ていただくとあると思う。



 字幕だとまた違ってしまうので、どうなるか判りませんが。



 朝鮮王朝時代、なんでしょうかね、細かい時代背景は判ってませんが。

 キーセンという、技芸と身体を共に売っていた女性の話です。



 ダンサーは普通、踊っても身体は売りません。そこら辺は違う。



 でも、台詞の上手さ、衣装の美しさでつい見てます。


 でも、このキーセンの踊りというのは上手いのかどうなのかとても微妙ですね。そういう踊りなんでしょう。




 再放送だから、以前放送された時の感想がたまにアップされてて読んだりしましたが、チニというヒロインが、初恋に敗れてから氷の女のなるんですね。でも名花と謳われ、客が引けをとらない。でも身体は売らない。彼女ほどの美しさと氷の美しさがあれば、それも通ってしまう。



 この、氷の女時代がとても長くて、これが判らないと言う感想がありました。


 韓国ドラマ時代が、展開がゆっくりしてるし、1つの話を細かく描く所があるので、日本のドラマのようにどんどん、進んでいく感じがないので、そう感じる所があるのではないかな。

 それに、ダンサー全般について言えることですが、ダンサーは感情を発散させる職業の代表みたいなものです。

 それが一切感情を封じてに生きると言うこと自体に大きな意味が含まれていると思います。


 後は韓国流ドラマの作り方でしょう。





 話は飛びますが、家の母はよく例え相手が工事現場のおじちゃんでも、大学教授でも話ができなければダメだと言うことを言いました。

 それってとても難しいことですよね。


 でも、母はそれができたと思います。


 その代わりどこかでその分のはけ口は見つけていたと思うよ。




 私もそのようになるよういわれましたが、私はできるか疑問ですね。





 ある人が生まれ変わったら、プリマになりたいと言っていましたが、ある意味、私もそうかもしれない。

 今からでもお遊びとしてダンスはできます。趣味の域ならね。


 でも、私がダンスを生涯の仕事として選らばなかった最大の理由は肢体による表現というものを信じていなかったからです。

 その閉じ込められた世界でする表現がそんなに素晴らしいものと思えなかった。

 閉じ込められた世界でする、表現も極めるも立派なことなんですけどね。


 でも、私は、無理。


 だって、動くの嫌いだもの。



 言葉に頼った表現にどうしても傾きます。





 それだけの違いね。



 美しい衣装、優雅な舞を見せていただきますわ。


 チャン・グンソクsiiの若き頃も見られるらしいですしね。

チョソン イギョラ(朝鮮 勝て)、か。

2011-11-16 10:00:00 | ニュース
 昨日のサッカーは圧倒的な北朝鮮サポーターに日本人サポーターは恐怖すら覚えたという記事があった。



 でもあっちの選手は負けると政治的なことが絡むから、後が大変だろうな~と思う。


 だから、譲ってあげなよって話じゃないけど。


 それでも150人は日本人が行ったようですね。敵は5万を収容できる所だそうですから、150人以外はサポーターも北朝鮮人。


 終わったことは終わったこととして、次を考えましょう。


 サポーター無事帰ってこれるかしらとよけない心配をしてみたりして。


 選手もみな様、お疲れ様でした。

自分では暖房のいる朝か判断がつかない

2011-11-16 08:02:44 | 日記風
朝5時起きのご出勤です。

ということで新宿駅のイルミネーション風景です。

1人でスタジオに入り今日は暖房を入れるべきか悩んでい
る。

未だ風邪のせいか世間の人の体温がピンときていない。

聞きたいのだが誰も来ないので感でやってます。

でもニュースで今朝は冷え込みが強いと言っていたので、暖房、入れた方がいいんだよね?

女の子が多い職業って内容かしら?

2011-11-16 02:00:00 | 日記風
 サッカーのことはおいておいて少し違う話をしましょうか。


 今日、17時から鍼の予約が入ってました。いろいろわけがあって、ずらしてもらいました。


 そしたらたまたま違う、ブースにお子さんをほしいけど排卵日が定まらないという女性が来てたんですね。



 オギノ式も合う人合わない人がいるらしいですよ。




 ちょっと脱線ね。



 確か誰ったか忘れたけど、このオギノ式を作った人の人生を戯曲にしてた人がいた。
 若い人だったと思ったけど。


 でも、オギノさんという人が女性のことを考えて、作ったんですね。でも、オギノさんは男なので、自分の妻を調べてそこから結果を出した、嗚呼夫婦愛…みたいなものなんですが、その時代…多分、明治とか大正だったと思いますが、女性がそんなことを公にするということは死ぬほど恥ずかしったはずです。だから本当に旦那さんを信じて献身的な女性だったんだろうと思います。




 それで子どもの頃から何故か、私は自分が子ども持つ人生というのを考えたことがなかったのです。

 これは育て方の問題だと思います。


 普通の主婦として女の幸せを全うしろというような人生観を、母も父も絶対に与えていない。


 でも、そう言いながら「子供なんて持つと持ってなかったんだけどね」と言いながらお子さんのことで走り回る人生になる方は多いと思うんですが、私の場合、持つとも思わない、本当に持たないんじゃない?という人生のような気がする…。



 高齢出産というのもあるし、ギネスに挑戦する人もいるし、灰になるまで判りませんけどね。


 そんな私が、1度話を作るので、ちょっと出産に関して調べてみたことがあます。

 図書館へ行ってまで調べたんだけど、婦人科の医学書まで読むと大変なことになります。


 本屋で気楽に「出産・子育て」というコーナーの本を読んだ方が手っ取り早く簡単に書かれていた。

 それでこそで一心腐乱に本を読みふけると言うことをしたことがあったんですが、きっとその時の私、子どもがほしくてしょうがない人に見えてたんだろうなって、あとから思った。


 子どもを産みたいとも持ちたいと思わない人だから、そう思われた一瞬があって実は幸せだったのだろうかと、今は何故か、あの時のことを思う…。

 一生縁のないことかもしれない。本当に…。


 それを悔しいとも悲しいとも思わないんですけどね。



 だから親の育て方に問題があると思うわけだ。


 でも持ちたいと思う方、考える方は鍼にも通う。それだけが原因じゃないかもしれないけどね。


 そういう2人がたまたまブースは違えど…話が聞こえるんで…隣り合ったとは、面白いことだなと思った。


 でも鍼の先生も言ってたけど、テレビ局の人も圧倒的に女の子が多いと言っていた。
 私も本で調べた時、男性がIT関係の仕事をしてる人は女の子が多い(できた場合は)って読んだ。


 一概には言えないけど、電磁波説が根強くある。





 この日の鍼の話は他にも楽しいことがあったんで、また後日書きたいと思います。