関東で春一番が吹き荒れた日、北陸日本海側から内陸の上田あたりまで、猛吹雪となりました。断続的に荒れた天候が続いたあと、汚れた大気が一掃され、冬特有の遠方まで見渡せる日になるかと思った25日ですが、新幹線に乗り大宮あたりまで来ると、遠く富士山が良く見えるものの、すでに霞がかっており、春は確実に近づいていることが分かります。
浜松町にある世界貿易センタービルの40階にある有料展望室は、かつては360度視界が広がっていましたが、現在は近くにも高層ビルが立ち並びビルの風景は見えるものの、隅田川が東京湾に流れ込むあたりはあまり眺望が良くありませんでした。しかし、反対の東京タワー側は、左奥に富士山も見渡せなかなかの景色です。夕方ここに登ると、ご多分にもれず多くのカメラを構えた人々がいましたが、夕陽を中心に撮っているようでした。夕陽が沈む光景は、下にいるとなかなか見えないものだと後になって納得したのですが、始めは富士山の横に静かに落ちて行く夕陽を眺めながら、歓声を上げている人を見て、その感動の意味が良く判りませんでした。江戸時代までは、平地でも富士周辺に沈む夕陽を日常的に人々は見ていたはずですので、そういった日常的なるものが、自然と非日常にとって変わってしまっています。
先日、高橋克彦さんの「楽園にようこそ」という本を読みましたが、これが結構おもしろくまた参考にもなりましたが、弥生時代にもたらされた稲作文化というものは、管理社会のはじまりで、自然破壊のはじまりでもあったという説です。縄文時代の人々がいかに、自由に伸び伸びと楽園のごとき生活をしていたかに思いを寄せ、米という持ち運びに便利な主食が導入され、管理社会が発達し戦が大規模かつ広域的になり、自由な縄文人は北へ北へと追いやられて行きます。弥生時代こそ現代社会の萌芽期であり、その頃から人々の現代的なる病が出てきたと推測されます。
富士山を日常的に眺めていた時代の人々はそれを畏れ敬っていたのですが、見えなくなって久しい富士山はその霊的能力がいつしか人々の心から失われていることをどう思っているのでしょうか。
浜松町にある世界貿易センタービルの40階にある有料展望室は、かつては360度視界が広がっていましたが、現在は近くにも高層ビルが立ち並びビルの風景は見えるものの、隅田川が東京湾に流れ込むあたりはあまり眺望が良くありませんでした。しかし、反対の東京タワー側は、左奥に富士山も見渡せなかなかの景色です。夕方ここに登ると、ご多分にもれず多くのカメラを構えた人々がいましたが、夕陽を中心に撮っているようでした。夕陽が沈む光景は、下にいるとなかなか見えないものだと後になって納得したのですが、始めは富士山の横に静かに落ちて行く夕陽を眺めながら、歓声を上げている人を見て、その感動の意味が良く判りませんでした。江戸時代までは、平地でも富士周辺に沈む夕陽を日常的に人々は見ていたはずですので、そういった日常的なるものが、自然と非日常にとって変わってしまっています。
先日、高橋克彦さんの「楽園にようこそ」という本を読みましたが、これが結構おもしろくまた参考にもなりましたが、弥生時代にもたらされた稲作文化というものは、管理社会のはじまりで、自然破壊のはじまりでもあったという説です。縄文時代の人々がいかに、自由に伸び伸びと楽園のごとき生活をしていたかに思いを寄せ、米という持ち運びに便利な主食が導入され、管理社会が発達し戦が大規模かつ広域的になり、自由な縄文人は北へ北へと追いやられて行きます。弥生時代こそ現代社会の萌芽期であり、その頃から人々の現代的なる病が出てきたと推測されます。
富士山を日常的に眺めていた時代の人々はそれを畏れ敬っていたのですが、見えなくなって久しい富士山はその霊的能力がいつしか人々の心から失われていることをどう思っているのでしょうか。