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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

桜の語源

2009年05月01日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
「桜」の語源は、稲の精霊の依代という説があり、
農耕民族の根本にある稲作文化の中心にある花と言える。
古来より日本に自生し、神代桜なる樹齢千年にも及ぶ大木も存在している。
一方「梅」の方は大陸からの輸入品で、語源も当時の中国語(唐語あたりか)
の読み方がなまったものであるという。
梅の古木に関しては桜のような長寿の木の話は聞いたことはない。
花といえば、平安時代中期までは、万葉集での出典数において「梅」が勝り
花見といえば、梅の花を見ることであったということが通説のようだが、
それ以降は桜が多く詠まれるようになっている。
語源を見る限り、桜に稲の精霊を託した当時の日本人の心持がそのまま桜の
花を見つめる姿であり、日本のこころを代表しているのではないだろうか。

桜を詠んだ本居宣長の有名な歌に
「敷島のやまとこころを人と問わば、朝日に匂う山桜花」という美しい歌があるが
これが誤読され、散り際の美しさから生に対するいさぎよさが強調され、
大和魂という日本人の心までそのようなものであると、明治以降使われ続けている。
先の大戦においてスローガンに使われ、多くの若者が散って行った記憶
は生々しい。
宣長は古来より日本人の本来持っているこころもちというものは、
朝日に匂うがごとく美しい山桜の花のように優美で繊細であると述べただけである。

花桃の里を歩きながら、写真を撮る場所を探していると、
満開の花桃の木の後ろにある枝垂れ桜の巨木が丁度散り際で、
折からの強風で花びらが乱舞していた。
松本ナンバー(ここは長野ナンバー)の車から何人かのカメラマンが降りてきて
、花桃を撮影していたが、その中の一人だけ老紳士が熱心にこの桜を撮影していた。
色んなカメラマンが折、へきへきすることがあるので
普通は話しかけることはしないのだが、花桃には目もくれず、
熱心に同じ被写体を撮影していることと物腰が穏やかであったので
「風に揺れる様を撮りたいのですが、
シャッタースピードはどの位がいいのでしょうか」と話しかけると、
三脚を使い30位かなと教えてくれる。
山の天気は変わりやすく、急に雨まじりの暴風となってきた。
早々に他のカメラマンが引き上げるなか、その老紳士はいつまでも
動こうとしなかった。


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