こきりこ踊りと五箇山麦屋まつり
9月24日 早朝 八尾のコンビニでパンを買って、五箇山へ向かう。別荘川を渡り、野積川を越え、大長谷方面へ。おわらのレリーフが左右にある正間トンネルを抜けると道幅が狭くなる。大長谷川を堰き止めた室牧ダムを回り込むように走る道路は一応国道であるらしいが、ガードレールもない1車線の道路で一歩間違えば、谷底のダム湖にまっしぐらに転落しそうな狭い道である。ダムを過ぎると大長谷集落と利賀村へ向かう分岐点の旧栃折集落。ここから利賀村へ続く栃折峠に入る。道は所々2車線になっているもののほとんどが1車線の道で対向車が来るとすれ違いは出来ない。八尾旧町内からここまで、早朝ということもあってか対向車なし。栃折にはかつて農協の支所もあったほど民家があったと後に、明日香のM子さんからお聴きするが、民家もなく人もいない。ただ往々にして幹線道路からは外れた場所に集落があるものなので、山の集落は特にそうであるので見えなかっただけかもしれない。栃折峠の森の中の道を登って行くと山頂に程近い場所にバス停らしき建造物があり、分別ゴミの出し方のプレートが張ってあるところを見ると、この山奥にも住宅地があるのかと車を停めて見渡すと、古い家屋が1軒だけ崖に土地に建っていた。八尾町内に流れ込む川は久婦須川、別荘川、野積川、そして町内に入り井田川と名前を変える大長谷川があるが、久婦須川は上流で岐阜県に入り名前を万波川と変え、開けた高原を流れるざら瀬の川になる。おもしろいのはこの岐阜県側の万波川へは、下流の八尾町内からは林道があるものの、関係者以外(関西電力?)立ち入り禁止のため、岐阜県側の宮川の打保からしか入れない。またこの道も断崖を切り開いた急峻な狭い道を上り、林の中の林道を進まなくてはならない。かつてはこの万波高原には大勢の人が生活していたようだが、現在は跡形もない。今は夏の間、高原野菜の耕作に訪れるだけである。宮本常一がこの地を歩いて調査したことを書いていたと思うが、今はない村は山奥にはかなり存在し、栃折集落も自然になくなったのだろうか。峠道はやがて下りになりしばらく走ると、川が見えてくる。ここから利賀村になる。この川は百瀬川で、最初の橋を渡りしばらく走ると左側(右岸側)にマタタビ酒造と表記された建物が見えてくる。やがて民家が見えてきて左側にバス停らしきところがあるのだが、そこは今年の5月に通ったとき、地元のおばあさんに五箇山に向かう道を聞いたところもう少し行き右に曲がるとトンネル(新樽尾トンネル)があるのでそこを通れと言われた場所である。利賀村はこの百瀬川と役場のある利賀川の二つの流域に伸びている村落であるらしい。この百瀬川を渡ると2車線道路となり五箇山まで快適は道が続く。百瀬川筋と利賀川筋を結ぶ新山の神トンネルと利賀川筋と庄川筋を結ぶトンネルを通れば五箇山(旧平村)である。 新山の神トンネルに向かう道沿いにそばの郷という施設がある。それを見て思い出したのは、以前松本城で行われた、全国そばサミットというイベントで、全国から名だたる有名無名なそばが出店したのだが、個人的に一番おいしかったのはこの利賀そばであった。ソバの味については、どれが美味しいかというとやはり地元上田の数店以外は口に合わないので、他所ではほとんど食べないことにしているのだが、この利賀そばについてはまた食べたいと思っていた。また利賀村で思い浮かべるのが、亡くなった釣り友の橋ちゃんで、3月に利賀川に釣行したとき残雪の朝でテントを出た時の景色の美しさが今まででもっとも美しく心に残る光景だと話していたのを思い出す。
さて八尾から五箇山へ向かうルートであるが、前述の山越えのコースが最短距離となる。特に八尾町側の山道は狭い道路で五箇山からの帰途に途中の栃折峠の森の中の側溝に軽自動車が脱輪していたが、丁度レッカー車が来て持ち上げているところだった。ふと携帯電話を見ると、電波が不通の場所なので、どうやってこの山深く車も通らない場所で助けを呼んだのか不思議に思った。たまたま通りがかった車の人に伝言を頼んだか、下まで何キロも歩いていったのか。 実際最短ルートだけあって40分程度で八尾旧町内から平まで到着する。次ぎに距離が短いのは359線と156号線経由のルート、そして距離は長いが富山西ICから五箇山ICまで向かうルート。途中福光ICで降りて五箇山トンネルを抜けるルートなどがあり、時間的には山越えが早く、後は似たようなものだとのこと。(全部高速も早い)いずれも1時間程度である。
朝7時過ぎ、道の駅「平」に到着。車中泊と思われる車が数台止っている。施設は時間的に営業しておらず直ぐに、相倉集落を見に行く。5年振りであり前回は撮影目的でなかったので、注意して見なかったのだが、どうやら一番の撮影スポットは集落を見下ろせる地点だとわかる。車道があるようなので、戻ってみるが、一般車は通行止めになっていた。集落の有料駐車場から坂道を歩いて行くしかないらしい。今回も合掌集落の撮影が目的ではないので、駐車場から見える範囲の撮影に留める。それでも秋晴れの一部はぜ掛けした稲と合掌集落、周りの山の緑と青が美しい。合掌造りとはその名の通り手のひらを合わせてそれが緩んだ形であるが、この山深いなか、萱吹き屋根の木造合掌家屋がレンガ造りだったらと想像すると、そこに現われるのはスイスのチロルの風景である。その後、麦屋まつりが行われる下梨地区を通過するが、会場である地主神社は確認できず、そのままこきりこの里の上梨へ向かう。こきりこ祭り前日にも関わらず、次々と貸切バスが到着。観光客のみなさんは村上家を見学し、流刑小屋まで足を伸ばし、しばらく散策して次ぎの目的地に行くようであるが、事前に五箇山総合案内所に予約をするとこきりこ特別披露が可能な場合もある模様。そんなことで、自分が行ったときは、12時から特別披露が行われ、関係者のふりをして、こきりこ踊りを撮影する。案内所のYさんの流暢な説明によると30世帯人口80人の当集落の人々がこきりこ踊りを伝承しているのだが、そのうち実際に参加できる人数は30人ほどだそうで、伝統芸能を守り後世に残す大変さが伺える。こきりこの起源については諸般の説があり麦屋と同じく歴史解釈の差もあり一概に言えないだが、とにかく古い楽曲であることには変わりなく、古代民謡という括りも頷ける。こきりこの踊りといえば、狩衣の中世の放下僧姿で、ささらを振りならしながら踊る踊りが有名であるが、しで竹にオンベをつけて舞うしで踊りと手踊りや、地方の皆さんも見所があり、また観客と一緒になって踊る輪踊りも楽しい。その後再び下梨の五箇山麦屋まつりの会場へ向かう。臨時駐車場はほぼいっぱいである。会場の地主神社はそれほど大きくはなく、私がいた短い時間中は遠方の観光客でいっぱいになっている風もなく、どちらかというと地元の方が楽しむ祭りという感じがしどことなく懐かしい感じがし好感が持てる。14時からの麦屋節保存会の皆さんのステージを見学し、再び来た道をたどり八尾へ向かう。会場のステージは秋の日差しにススキの穂が透け、背景の青空とのコントラストが美しい。
夜は月見のおわら二日目である。
こきりこしで踊り
麦屋 手踊り