感想

バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

意訳 方丈記  1

2007年02月18日 | 雑記
 どんな古典・仏典もそうですが、原文に勝るものはなく、優れた文体の韻律を味わってこそ作品の本質に触れることができるものですが、リルケ・マラルメなどの近代フランス文学の名訳を読むと、あるいは、トーマス・マンの名訳など何も原文が解らなくても、身近に迫るものがあります。冬の夜長、日本文学の古典でもと思い読んでいると以外に今まで親しんでいたと思っていたものの中に、若い頃とは違った感想を抱かせるものがあり、そういった作品を自分なりの言葉に置き換えて、自分の覚えとして訳してみようと思いました。まず短い方丈記からはじめようと思います。進んでいくうちの時代背景や作者の生い立ちを思いを述べなくてはならないかと思いますが、とりあえず、原文に従い進めて行きたいと思います。


「方 丈 記」  鴨 長明(かものちょうめい)


1 ゆく河の流れは絶えずして


 流れ行く川の流れは絶えることがなく、しかも同じ水ではない。水の澱みに浮かぶ泡は消えたり現れたり長い間同じところに留まることは決してない。世の中の人と住まいはまた同じようなものである。



2 玉敷の都のうちに

 玉を敷いたような美しい都に、身分の高い人も低い人も競って立派な住まいを作ることはいつの世も変わりはないけれども、これが本当かといえば、昔からある家は稀である。
去年焼けて今年造ったもの。あるいは、以前は大きな家であったが、その家が没落して、今は小さな家になったもの。住んでいる人もこれと同じで、場所も変わらず、人も多くいるけれども、私が昔見た人の中で今もいる人は2・30人のうち僅か一人か二人である。
人が朝に亡くなっても、夕方にはまた別の人が生まれる様子は、ただ水の泡の消えたり現れたりする様子と異ならないものである。



3 知らず、生れ死ぬる人

 人はどこから来て、そして死んでどこに行くの私はわからない。また、どうして仮の世であるのに、心を悩ましたり、楽しんで生きて行くのかもわからない。主である人とその住まいの無常を争う様子は、朝顔の露と同じで、露だけ落ちて花が残ったり、花は残っても朝日を受けて花が枯れたり、あるいは花がしぼんでも露は残ったりもするけれど、夕方までは残っていることはない。
 
以下 続く予定…
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