折々のうま-当たらぬでもなし

泉下で涙する杉浦 千畝

小さな需要なら淘汰されてもいいのではないか

2010年09月25日 15時01分40秒 | 経済
小さな需要なら淘汰されてもいいのではないか。
これが小泉・竹中ドクトリンを貫徹する市場原理主義である。
一極集中はすべからく危険というのは私の信念であるが、
どうも世の中はそうではないようである。

自分が弱者の側に立った場合などといっても通じる相手ではない。
ただ言っておきたいことは、生物多様性を引き合いに出すまでもなく、
効率一辺倒では、現在の路線もいつかは行き詰まる。
その時、新たな可能性を得るためにも、一見非効率と映る部分も、
残せるものは残していかなければならないのである。

合理化を図ったつもりが、未来の選択肢を奪った歴史上の犯罪者、
それが彼らなのである。

かんぽの宿、ペリカン便救済合併、日本振興銀行、
枚挙に暇がない小沢顔負けの政商政治。
我ら国民は、つくづく学習能力がないというか、見当識障害なのだろう。

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