夏期家庭学校も約1カ月が過ぎ、来週月曜日には帰校だ。短いようで、長かった夏休みが終わる。
今年は昨年と違い、将人の行動と、やるべき事の見通しがついているので、計画もたて易かった。そして何より、一緒にトレーニングしないでも、将人だけでトレーニングするのが今や当たり前となり、私自身は横でトレーナーの如く指示したり、補助したりすればいいだけなので、とても楽だった。
ように最初は思った・・・。実際、8月10日、広島に墓参りに行くまでは、これまでの週末家庭学校のパターンで、順調に経過していた・・・。
広島往復の新幹線でも、おばあちゃんの車椅子を押したり、荷物を持ったり、将人なりにとてもいい家族を演じ、行き帰りには欠かせない労働力だったし、実際のところ、とても役立った。そして、移動中も失踪する素振りさえ見せなかった。
ところが、いったん広島に着くと、かって知ったる他人の家、じゃないが、久しぶりとは言え、4年前の事をよく覚えているようで、以前行った所をすべて訪問しないと気が済まない。NHKビル最上階の展望台、平和公園横の駐車場のゲート、路面電車の停留所脇のケンタッキー、などなど、それぞれ将人なりに興味の湧く点があるようだが、我々にはあまりピンと来ない。だが、とにかく寸暇を惜しんで行きたいようで、何度も失踪した。
1回だけ一緒に路面電車に乗ったが、市内均一料金のせいか、その1回でもう乗り方を覚えたと見え、勇敢にも自分一人でお金を払って路面電車に乗り込み、どこで知ったのだろうか、親も知らない、広島のジャスコに行っていたようだ。
GPS携帯を持たせているので位置だけは把握できる。通話もできるのだが、「はい、すぐ帰る」と返事だけは返すものの、まるで実行しない。ただ、自ら飽きて帰って来る際には、落ち合う場所を話し合えるので、そういう意味では大事なツールだ。
なかなか帰って来ないので、やむなく迎えに行くが、GPS携帯で戻って来始めたことがわかり、あわててこっちもUターンした。結局、広島そごう正面玄関前にある大きな時計の前で、時報に合わせて回る人形を見ていた。(ここに行くという事は自分で予告した。)
広島城公園でマラソンや腹筋をした。昼間は部屋で日記、暗算の勉強もした。旅先でできるやるべき事は一応やったが、時間的なパターンが崩れた。親もついつい朝寝坊、夜更かし気味となった。
自転車が好きで好きでしょうがないらしく、越谷でのハードな朝トレーニングが終わり、公園から家に自転車で戻る際、失踪することが何度となくあった。
いい加減トレーニングでくたくたのはずなのに、朝御飯も食べずに、猛暑の中、そのまま夕方の6時まで市内、というか、野田、吉川、川口、外環下道路を通って石神井の方まで(往復80㎞以上!)遠征していたこともあった。
いずれもが、マンション等のエレベーターに乗って昇降を繰り返しているものと推察されるが、全夏休み期間中に1回、苦情の電話がかかってきただけなので、後は我慢して下さっているか、ジャスコのような大規模スーパーで目立たないかのどっちかなのだろう。いずれも、結局自分で帰って来たが、早くて夕方、遅い時は父親の帰宅時間の21時直前という時もあった。
昨日の12時から21時までの自転車での失踪の「責任」として、残り1週間弱、夕方の父親との散歩は中止、本日予定していた生活サポートも中止、とする事にした。今日以降はじっと家の中で作業、勉強、家の横の公園でのトレーニングとなる。
すると、早速、その反抗として本来、生活サポートの人が来る時刻に、今まで一度もした事のなかった「窓ガラスの叩き割り」をしたようだ。昨日は昨日で、21時に帰宅してきた将人に対し、思い余って頬や頭を叩いてしまったが、その直後に無抵抗のおばあちゃんを、父親が自分にしたと同じように殴った。
一つ一つの行動にどう対応するかが問われるが、無視するのはもとより、やりたい放題させるのは何としてでも避けないとならないだろう。かといって、ついつい制裁、罰として何らかの対応を考えてしまいがちだが、ここの所が肝腎だ。
制裁になりがちなところをぐっと踏みとどまり、心の通い合うような駆け引きにまで高める方向で何とか努力したい。
そのハウツーは場面場面で工夫しないと仕方ないだろうが、ネット社会の恩恵として、この手のハウツーのデータベースみたいなものはないのだろうか。
それにしても、光の村での集団生活は何と魅力的な事だろうと本当に思う。家での将人対家族みんなの図式が、完全に覆り、将人は生徒の集団の中の単なる一人として先生と対峙し、そしてわがままは聞いてもらえないものと納得して生活しているのだから。
裏を返せば、その生活に9月3日から戻るのがわかっているからこそ、今のうちにやりたい事を思い残す事のないようにやっているという事なのかも知れないが・・・。
いずれにしても、窓ガラスを割るようになっては、家での対応に限界を感じてきた。
今年は昨年と違い、将人の行動と、やるべき事の見通しがついているので、計画もたて易かった。そして何より、一緒にトレーニングしないでも、将人だけでトレーニングするのが今や当たり前となり、私自身は横でトレーナーの如く指示したり、補助したりすればいいだけなので、とても楽だった。
ように最初は思った・・・。実際、8月10日、広島に墓参りに行くまでは、これまでの週末家庭学校のパターンで、順調に経過していた・・・。
広島往復の新幹線でも、おばあちゃんの車椅子を押したり、荷物を持ったり、将人なりにとてもいい家族を演じ、行き帰りには欠かせない労働力だったし、実際のところ、とても役立った。そして、移動中も失踪する素振りさえ見せなかった。
ところが、いったん広島に着くと、かって知ったる他人の家、じゃないが、久しぶりとは言え、4年前の事をよく覚えているようで、以前行った所をすべて訪問しないと気が済まない。NHKビル最上階の展望台、平和公園横の駐車場のゲート、路面電車の停留所脇のケンタッキー、などなど、それぞれ将人なりに興味の湧く点があるようだが、我々にはあまりピンと来ない。だが、とにかく寸暇を惜しんで行きたいようで、何度も失踪した。
1回だけ一緒に路面電車に乗ったが、市内均一料金のせいか、その1回でもう乗り方を覚えたと見え、勇敢にも自分一人でお金を払って路面電車に乗り込み、どこで知ったのだろうか、親も知らない、広島のジャスコに行っていたようだ。
GPS携帯を持たせているので位置だけは把握できる。通話もできるのだが、「はい、すぐ帰る」と返事だけは返すものの、まるで実行しない。ただ、自ら飽きて帰って来る際には、落ち合う場所を話し合えるので、そういう意味では大事なツールだ。
なかなか帰って来ないので、やむなく迎えに行くが、GPS携帯で戻って来始めたことがわかり、あわててこっちもUターンした。結局、広島そごう正面玄関前にある大きな時計の前で、時報に合わせて回る人形を見ていた。(ここに行くという事は自分で予告した。)
広島城公園でマラソンや腹筋をした。昼間は部屋で日記、暗算の勉強もした。旅先でできるやるべき事は一応やったが、時間的なパターンが崩れた。親もついつい朝寝坊、夜更かし気味となった。
自転車が好きで好きでしょうがないらしく、越谷でのハードな朝トレーニングが終わり、公園から家に自転車で戻る際、失踪することが何度となくあった。
いい加減トレーニングでくたくたのはずなのに、朝御飯も食べずに、猛暑の中、そのまま夕方の6時まで市内、というか、野田、吉川、川口、外環下道路を通って石神井の方まで(往復80㎞以上!)遠征していたこともあった。
いずれもが、マンション等のエレベーターに乗って昇降を繰り返しているものと推察されるが、全夏休み期間中に1回、苦情の電話がかかってきただけなので、後は我慢して下さっているか、ジャスコのような大規模スーパーで目立たないかのどっちかなのだろう。いずれも、結局自分で帰って来たが、早くて夕方、遅い時は父親の帰宅時間の21時直前という時もあった。
昨日の12時から21時までの自転車での失踪の「責任」として、残り1週間弱、夕方の父親との散歩は中止、本日予定していた生活サポートも中止、とする事にした。今日以降はじっと家の中で作業、勉強、家の横の公園でのトレーニングとなる。
すると、早速、その反抗として本来、生活サポートの人が来る時刻に、今まで一度もした事のなかった「窓ガラスの叩き割り」をしたようだ。昨日は昨日で、21時に帰宅してきた将人に対し、思い余って頬や頭を叩いてしまったが、その直後に無抵抗のおばあちゃんを、父親が自分にしたと同じように殴った。
一つ一つの行動にどう対応するかが問われるが、無視するのはもとより、やりたい放題させるのは何としてでも避けないとならないだろう。かといって、ついつい制裁、罰として何らかの対応を考えてしまいがちだが、ここの所が肝腎だ。
制裁になりがちなところをぐっと踏みとどまり、心の通い合うような駆け引きにまで高める方向で何とか努力したい。
そのハウツーは場面場面で工夫しないと仕方ないだろうが、ネット社会の恩恵として、この手のハウツーのデータベースみたいなものはないのだろうか。
それにしても、光の村での集団生活は何と魅力的な事だろうと本当に思う。家での将人対家族みんなの図式が、完全に覆り、将人は生徒の集団の中の単なる一人として先生と対峙し、そしてわがままは聞いてもらえないものと納得して生活しているのだから。
裏を返せば、その生活に9月3日から戻るのがわかっているからこそ、今のうちにやりたい事を思い残す事のないようにやっているという事なのかも知れないが・・・。
いずれにしても、窓ガラスを割るようになっては、家での対応に限界を感じてきた。
果たして同じ効果を狙ってのことなのでしょうか?
体育を目指しての体育なのでしょうか?
その真意を学校側にお聞きになってみられましたでしょうか?
私には、学校がやられている体育は
別の目的があってやっているように思えるのですが・・・・
お父様は教育に何を求め、何を期待されていらっしゃるのでしょう?
その目的が学校側の目的と違うようでしたら
その学校に置くのは双方が辛くなるように思うのです
違いますでしょうか?
早い段階で、学校がされている真の目的を聞かれ
それが納得された上で通わせるのが一番かと思いますが・・・
お父様は将人君の成長に対して
何を持ってそれを目指しているのか
この一点が学校側の意図としている事と違うと
学校側のやる事すべてが
納得できなくなりお父様ご自身が辛くなり
また腹立たしく思われるようになられるのではと
お節介ながら思いましたです
色々と申し上げて失礼をお詫びいたします<(_ _)>
この辺のお話しは長くなりそうですし、個々の子供で障害の程度も違いますので、光の村そのものが、
少なくともウェブサイトではコメントを受け付けない事と同じように、小生もお返事しない方がいいよ
うに感じます。
ただ、長い文章で言いたい事がかすんでいるのかなと思いますが、小生の言わんとする事はブログの文
章に既に込めております。それをおわかりになっていないようなのは少し残念です。
小生は教育論を語りたいのではなく、将人に合っているか、有用かを気にしているだけです。有用であ
ればこのままお世話になりたいですし、合っていないようなら、他に移るだけです。短期間で結果は出
ないでしょうが、少なくとも中間結果は中学3年間で見極めないと行けないと思っております。
他の生徒さんの事まで口出ししたくはありませんが、この子に光の村式教育はまるで合っていないと思
うようなお子さんも在学していらっしゃるのが全く不思議でさえあります。それは、先生方もおそらく
自覚しておいでだと思いますが・・・。
ま、他に行き場所がないから、最終的なよりどころとして光の村にすがってきたのだろうし、それをむ
げに断る訳にも行かないという事で、「預かっていらっしゃる」のではないかと自分は推察しておりま
す。