高校を卒業し、さらにあと半年で専攻科も卒業となる。来年4月以降の仕事、生活の場をどうするか、この夏、最終的に見定めておくために、いろんな取り組みをした。
入所施設2か所に10日づつ短期入所させてもらって、将人の過ごしぶりをみた。これまでも何回か預かってもらったところだ。長期入所はまず無理なので、もし施設側で認めて下されば、短期入所を繰り返す手があるらしいが、それはいつ断られるかわからない、予定が立たない不安な気持ちを毎月経験することになってしまう。
結局、原則、自宅にいて、レスパイト的に地元の短期入所を利用させてもらう事になると思う。それも、親の体がいつまでもつかにかかるが、もし、我々の身に何かあれば、将人はこれまで短期入所させてもらって来たところに、行政判断ででも入れて頂けるものなのだろうか。交流のない遠い親せきに押しつけるような理不尽がありうるのか?
生活の場はさておき、一方、仕事の方は、うちの病院で、近くの養護学校の高校3年生の生徒さんの職場実習を受けることになり、高校の先生と生徒さん一人が一緒に、7月末に挨拶に来られた。地元の養護、いや自立支援学校の先生は自ら生徒を引き連れて、職場になりそうな所に売り込みに来られるものなのかと感心した。光の村の先生はどんな事でもして下さるが、関東一円、いや今や名古屋からも生徒さんが来ている状態では、そういう売り込みは無理だ。親が自ら地元で売り込むしかない。
また、入所、通所施設の利用者さん5人に1週間、駐車場周りの林の剪定を頼んだら、先生も3人付いてきてくれて、とてもきれいになった。もちろん給料はお出しするのだが、障害者を受け入れると、市から補助金が出ると分かり、結局大した額にもならず、利用者さんも熱心だったし、先生も3人も付いてくれて、仕事も完ぺきだったので、今度から健常者さんに頼む理由もなくなった。仕事を選んで、またいろんな事を依頼してみようと思う。シルバーさんに依頼する感じだ。
ただ、雇用する側から思う事だが、スワンベーカリーや今回の植木の剪定、掃除や皿洗いは、結局、健常者もすることであり、障害者の特徴を活かしていないと思う。誰に頼んでもいいが、安いから、あるいは社会的なアピールとしていいから、という事になってしまう。
逆に、障害者をかかえる親の視点から言えば、いつもさせてもらっている、いつも、いつ他の人に取って代わられるかわからないという不安定な、安住の場所がない状態と言っていい。
少なくとも光の村で育ててもらった生徒たちは、そんな売り込み方をする必要があるのだろうか。何かを作ったり、するんじゃなく、何でも出来て、四の五の言わない、少し手はかかるが、「従順な助手」と言うこと、そのものを売り込みできないかと思う。
なぜなら、20歳ともなれば、親の言う事を聞く子はまずいない。医者の世界でも、研修医の2年間こそ徒弟制度だが、その後はだんだん巣立って行き、せっかく育てた弟子もいなくなり、また1から新しい弟子を育てないといけない。永遠の蟻地獄だ。それが、困ったこだわりがあるものの、数時間も延々と自転車をこいだり、糸のこ切りをしたり出来る光の村の生徒は、ほぼ一生助手でいてくれるのだ。こんな素晴らしい事はないではないか。しかも月給1万円で親に喜ばれる業界なのだ。ちなみに、うちの病院に植木の剪定で来てくれた知的障害の人たちにはもっと給料をお出しした。