将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

渋谷マッスルミュージカル

2009年03月25日 | 体育
将人も無事中学を卒業し、高等部進学を前につかの間の、春を味わっている。

年度途中に2人転校があったが、今年度卒業生は中学、高校とも全員進学なので、その人数は減らず、来年度は新入・転入生分だけ全校生徒が増え、今までで一番の大所帯となる。新しい先生がずいぶん増える事になりそうだ。この春は先生方の移動がかなりありそうで、光岩移転を前に、いろんな意味で落ち着かない。だが、もともと障害児とその親の人生は道なき道を行く宿命にある。下手にテキスト的な道があると思う方が、現実を知った時の落胆が大きい。この移転を契機とした波乱万丈を楽しむ事としたい。

周知の如く光の村教育は体育、作業を中心としたものなので、する側に回る事が多く、一般の人のように見る側に回る事が少ない。渋谷でマッスルミュージカルというものをやっていると聞いたので、たまにはいいだろうと一緒に見てきた。

究極の縄跳び、至高の跳び箱、あふれ出る筋肉の躍動美がそこにはあった。・・・。

だが、将人たちがやっている事の延長線にあるとてっきり思って来たのだが、将人にとってはあまり興味が湧かなかったようで、最初の30分こそじっと見ていたものの、だんだん眠くなってきたようで、私の膝に顔を伏せて眠り始めてしまった。演者が汗だくになって演技している真ん前で寝ているのだから多少ばつが悪かった。

だが、また思う。

3年前、小学校卒業の時には渋谷まで電車に乗ってくる事さえ簡単な事ではなかった。今回はじっと一緒に並んで座って来られた。多少立ってあっちの窓ガラス、こっちの窓ガラスのワッペンを触る事はあったが・・。最後尾に乗ったのに、少し混んだ車内を最前列まで歩いて行ってしまったが、最前列ではじっと座っていた。「最前列車両のこだわり」はまだ残るが、うろうろする癖、他の人に触ろうとする癖、他の人の眼鏡を取って回る悪態はまるで影を潜めた。

劇場内でもじっと座る事ができた。多少独語はあったが、パフォーマンスの大音響で全然目立たなかった。立ち上がったり、奇声を上げたりする事は全くなかった。一緒に公演を楽しむ事ができた。正確に言えば、将人がおとなしく寝ていてくれた事で、私が公演を楽しめた。この事だけでも、とても大きな事だ。

帰りにも東京電力のマークのある配電盤を多少触る事はあったが、以前のように何十分もそこにしがみつく事はなく、数分間、数カ所立ち止まった程度で、気にならなかった。お散歩の相手をしてもらった程度の感覚で帰ることができた。

電車の中は往路にも増していい子で、混んだ中、うろうろする事もなく、立ったまま1時間じっとして帰宅できた。しかも、復路は最前列車両に行くこともなかった!駐車場から家に帰る車の中でも、助手席にこだわることもなく、後部座席に甘んずることがすんなりできた。情緒が安定している時にはこうも変わるのだ。

当初の思惑ははずれたが、将人の大きな成長を感じた渋谷行となった。普通に一緒に外出して、普通に帰って来られた事の意義は果てしなく大きい。

コメント
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